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B 踏み出せない6

 

そのうちこうなると思ってた。

俺はだだっぴろいベッドの端に腰掛け、

ぐったりと床に沈むバニーの額をそっと触れて溜め息をついた。

さらさらとした髪が指の間を滑り落ちる。

「ん…。」

バニーが寝苦しそうに唸るような声をあげた。

「大丈夫か、バニー?

うっすらと目を開けたバニーに俺は声を押さえて訊ねた。

「虎徹…さん…?

バニーはベッドの上で周りを見回し、ここが自宅だとやっと気付いたようだ。

眼鏡を外され視線の定まらない表情が妙に幼く見える。

「…あれ…僕…どうして…。」

「お前、取材先から帰社する途中で倒れたんだよ。覚えてないのか?

頭痛でもするのか顔を顰めバニーはああと小さな声で言った。

「そうだ…。すみません、ご迷惑を…。」

やれやれ、そういうとこは水臭いねえ。

これでも大分打ち解けたと思ってたんだけどな。

「迷惑なんかじゃねえよ。それより気分はどうだ?

熱はないけど、気丈なこいつが倒れるくらいだ。

身体はかなり辛かったんだと思う。

「もう大丈・・・うわ・・・。」

バニーは起き上ろうとして眩暈でもしたようにベッドに崩れ落ちた。

「バカ、無理すんな。」

俺はバニーの身体を抱え起こし、

きちんと横にならせてブランケットを肩まで引き上げた。

「何だか…凄くだるいです…。」

今にも泣きそうな顔を前腕で覆い、

頼りない声で言ったそれはバニーが初めて吐いた弱音だった。

「身体に力が入らないみたいだ…。どうしてこんな…。」

そりゃそうだよ。

「さっき念のため診てもらったお医者さんが極度の過労だって。」

俺はバニーの肩のあたりを軽く叩いた。

バニーはなんだか弱々しい目で俺を見つめ返す。

なんていうかこう…護ってやりたいような。

バニーは過労という言葉に嫌そうに顔を顰めた。

「それで倒れるなんて…。われながら自己管理がなってないな…。」

おいおい、お前さん自分にも手厳しいねえ。

極度の過労だぞ。

お前、他人の何倍働いてるか自覚あるのか?

たまには『もうやだ休みたい』って言えばいいのに。

その時俺はやっと気がついた。

こいつは今までの人生そのものが休みなしだったんだと。

 

『もうやだ、休みたい。』

心の奥では何度もそう思ったかもしれない。

でも、そうできる状況じゃなかったんだ。

バニーの人生そのものが。

親御さんの仇を討とうと見つからない蛇の尻尾を血眼で捜して。

必死で走って走って、倒れても誰も助けてくれない。

だから自分で起き上がってまた走って。

その積み重ねた無理が出ちまったんだな、きっと。

もっと楽に生きたっていいのに。

倒れるまで頑張って、倒れたら自己管理がなってないなんて言うなよ。

「そんなに自分を責めるなよ。」

俺は悔しそうに唇を噛みしめるバニーの頬を撫でた。

「バニーさ、ちょっと頑張りすぎたんだよ。」

俺がそう言うとバニーはえ?とまた幼い表情を見せた。

 

取材に撮影にヒーロー稼業。

お前、何一つ手を抜かず頑張ってたもんな。

俺さ、そろそろお前の身体が悲鳴上げるんじゃないかって心配だったんだ。

そしたら案の定だ。

ロイズさんが申し訳ないことをしたってしょげてたぞ。

お前がどんな仕事でも嫌な顔せずこなすからつい詰め込んでしまったって。

当面の取材とかはリスケするから、

今日明日と有給とって休めるよう手配するって。

 

「そうですか…では皆にも迷惑を…。本当にすみません…。」

バニーは辛そうな顔で言った。

まったく、真面目で頑張り屋なのも程度問題だなあ。

「迷惑なんて誰も思ってないよ。ただ、皆心配してる。」

だからゆっくり休んで早く元気になってくれよ。

俺がそう言うとバニーはやっと笑ってくれた。

その表情に何とも言えない満たされるものを感じる。

俺はずっと目を逸らしていた自分の気持ちに初めて正直になった。

ああ…やっぱ好きだ。

守りたいわこいつ。

でもそれは言えない。

こんなオッサンに愛の告白されるとか笑えない冗談だろ。

こいつに嫌われるのは怖いし、こいつを失いたくない。

だから、今はいい相棒ポジションでいたい。

ただひっそりと心で想うくらいは許して欲しい。

 

「虎徹さん…。」

「ん?

バニーは何か言うのを一瞬ためらうような素振りを見せた。

「どうした?

バニーはふわっと柔らかい笑みを浮かべた。

「いえなんでも。」

うわあ、そういうのすげえ気になる。

けどバニーがこんなに安心したような顔見せてくれるから

今はそっとしておいた方がいいかな。

「俺がいたら落ちついて眠れないだろ。リビングにいるわ。」

俺はバニーの頭を一撫でしてベッドの側を離れた。

「何かあったらPDAで呼べよ?

俺がそう言って部屋を出ようとした時だった。

「虎徹さん…。」

バニーが妙に真剣な目で俺を呼んだ。

大きな声でしゃべるのも辛いだろうと、俺はベッドの側に戻り膝をつく。

「ん、どうした?

「あの…。」

バニーは親においていかれる子供みたいな目をしていた。

「もうすこし、傍に…いてもらえませんか?

俺はその言葉にちょっと驚いた。

でもそれ以上に凄く嬉しかった。

バニーがこんなにも無防備に俺を頼ってくれるのは初めてだったから。

「しょうがねえなぁ。子守唄でも歌ってやろうか?

俺はそう言ってバニーの胸のあたりをあやすように軽く叩いた。

「う…歌はいいです…。」

「何だよ遠慮するなよー。」

俺がバニーの頬を突っつくと、バニーはちょっと気恥ずかしそうな顔をした。

「じゃあ…代わりに手を繋いでもらっても良いですか…?

なにその可愛いお願い!!

そんなはにかんだ顔反則だろ。

俺はガキのようなときめきをどうにか押さえこんだ。

気を抜いたらうっかり勢いで告白しそうになる。

落ち着け俺。

オトナの雰囲気を醸し出せ俺。

「お安い御用だ。ゆっくり眠りな。」

「ありがとうございます。」

ブランケットから差し出されたバニーの手をそっと握ると

少し低めの体温が心地よく伝わる。

「お休みバニー、いい夢見ろよ。」

「はい…。」

蕩けるような笑みを浮かべてバニーはそのまますうっと眠りに落ちた。

 

この笑顔を護りたい。

だから、この想いは伝えるわけにはいかない。

俺が辛いのは別にいい。

バニーに辛い思いをさせたくない。

「お休みバニー。」

幸せそうな笑みを浮かべて眠るバニーの額に俺はそっと口づけた。

 

 

C想いが交わる9

 

 

早いものでもうすぐ今季のシーズンが終わる。

僕はジェイク戦以降順調にポイントを伸ばし、現在一位にいる。

皮肉なもので、あれほどポイントにこだわっていた初めの頃より

犯人確保と人命救助に集中し、カメラがどこにいるのか

気づいていないこともある今の方が格段にポイントを獲得している。

このままいけばKOHを獲れそうだ。

もちろんスカイハイさんは長年KOHに君臨し続けた猛者だ。

あと数週間とはいえ、油断なんてできるはずがない。

けれど、僕にだってそれなりの野心がある。

何としてもKOHを獲りたい。

それは自分のためではない。

僕をいつもさりげなくサポートしてくれた虎徹さんのためにだ。

昨日の出動もそうだった。

 

<ああーっと!確保!ワイルドタイガーの絶妙なアシストで

バーナビーが犯人を確保ォ!!

 

マリオの中継がここまで聞こえる。

よし、コンビのポイントもいただいた!

これで二位のスカイハイさんを少し引き離しただろう。

「バニーでかした!」

「虎徹さんのアシストのおかげです。」

僕と虎徹さんはハイタッチで長丁場の激闘を讃えあった。

「こいつは俺が警察に突き出してくるからお前はインタビュー済ませてこいよ。」

虎徹さんはぐったりと伸びた犯人を引きずるように摘まみあげた。

「ちゃっちゃと終わらせて乾杯しようぜ。」

虎徹さんはフェイスガードをあげ、杯を傾けるような仕草をした。

「先に戻ってトランスポーターで待ってるから。」

「はい!

僕は後の事を虎徹さんにお願いし、

OBCのクルーが待つインタビューブースに向かった。

 

インタビューでは虎徹さんのサポートがあったからこその確保だと強調する。

そうでないと、虎徹さんが後輩のサポートに甘んじるロートルだなどという輩が

ネット上に跋扈するからだ。

そんなの断固許すわけにはいかない。

しかもどういうわけか知らないが困ったことに、

ワイルドタイガーを悪く言うのが僕の熱烈なファンというのが多い。

正直、僕のファンが僕の大切な相棒をこき下ろすのはとても気分が悪い。

もちろんその逆もあるわけで。

僕が虎徹さんのサポートなしでは犯人を確保できない半人前だという揶揄もある。

こっちはトップマグ時代からのワイルドタイガーファンだ。

BBJWTにおんぶ抱っこのお子様ヒーロー。

偶然ネットでその書き込みを見た虎徹さんは

顔から火を噴きそうな勢いで怒っていた。

「許せねえ!バニーほど優秀な新人ヒーロー見たことねえってのに!!

そんなの別にいいのに。

僕は虎徹さんが安く見られる方が許せない。

…って、勝手なもんだ。

一年前、誰よりも彼を安く見てバカにしてたのは自分だったのに。

今では彼の経験値と技量を尊敬している。

でも一番敵わないと思うのはヒーローという仕事に対する姿勢だ。

時にはアニエスさんの指示を無視し、自分の身を危険にさらしてでも

市民の安全と犯人逮捕に全力を傾ける。

それでいて、自分が捕まえることには拘泥しない。

他者のヒーローがそれを遂行するほうが得策だと判断すれば

自分自身のポイントなどかなぐり捨てる。

僕はまだそこまでは達観できそうにない。

僕も10年経ったら虎徹さんみたいになれるかな。

以前酔った勢いでそれを言った時、喋りすぎたと恥ずかしくなった。

でも虎徹さんは嬉しそうに笑ってくれた。

「お前は今でも十分立派だ。俺の自慢の相棒だよ。」

その言葉に僕は涙が出そうになった。

 

僕は彼が好きだ。

その気持ちに気づいてもうすぐ半年になる。

とても打ち明けることのできない想い。

決して成就することのない恋心。

それでも、相棒として彼の隣にさえいられたら…。

自慢の相棒。

それは僕が望みうる範囲では最上のポジションだったはずだ。

でも愚かな僕はそれ以上をずっと欲していた。

決して叶うはずもないのに。

彼に…愛されたいなんて…。

 

 

「ばにー、きんぐおぶひーろーぜったいとれよー。」

虎徹さんは今夜もう10回は言ったセリフをまた言った。

「虎徹さん、飲みすぎですよ。」

僕はカウンターに突っ伏した虎徹さんを揺さぶった。

彼は終始上機嫌だった。

僕のKOH獲得が日に日に確実になっているのが嬉しいと言って。

そういえば今夜はずいぶんピッチが速かった気がする。

「もう、ここで寝ちゃだめですよ。」

「んー、だいじょーぶだよー。」

「どこがですか。ぐでんぐでんじゃないですか。」

「虎徹だけにーオオトラーなんちってー。」

何の事だか。

オリエンタルでは酔っ払いの事をオオトラって言うのかな。

それにしても珍しいな。

お酒にめっぽう強い虎徹さんがここまで酔い潰れるなんて。

 

「ばにーちゃん。」

「はいはい。」

そろそろ水でも飲ませて帰ろう。

心配だし、彼のアパートメントまでタクシーで送っていくか。

「あのさー。」

「なんですか?

虎徹さんはカウンターから顔をあげて言った。

「俺、お前が好き―。」

僕は胸が高鳴るというのを生まれて初めて経験した。

バカだな、こんな泥酔した人に何か期待するなんて。

「バニーは?俺のこと好きー?

「僕も好きですよ。さあ、そろそろ帰りましょう。」

「じゃなくてー、俺はー本当にバニーの事が好きなのー。」

全く。

しょうがない酔っ払いだな。

こういうとこは本当にオジサンだ。

バーテンに水を一杯貰い彼の前に差し出す。

「ほんとに好きならシラフで言ってください。」

今なら酔っ払いの戯言として処理できる。

まあ、一瞬いい夢見させてもらったんで許してあげましょうか。

僕はバーテンダーにカードを渡しチェックを頼んだ。

 

虎徹さんがふいに僕の手を力強く握った。

水を一気飲みしてふうっと息をついた彼はやけに男臭い目をしていた。

「じゃあ、続きは俺んちで言うよ。」

その言葉に酔いの気配はもうなかった。

ただ目許が少し充血してはいたけれど。

その目を見て僕は悟った。

ずるい人だ。

酔っ払いのふりをして僕を試すなんて。

「不愉快だったら酔っ払いのたわごとだと思って忘れてくれ。」

逃げ道まで用意するなんて、ワイルドタイガーともあろう人が。

「聞かせてください。貴方の本当の言葉を。」

僕は嬉しくて涙が滲んだ。

誰が忘れてなんかやるものか。

 

 

そして10月。

僕は今までの人生で一番の時期を迎えていた。

9月末のシーズンファイナルでMVPKOHを獲得し、

私生活では人生で初めてのパートナーを獲得した。

 

彼と出逢って一年が過ぎ、僕の世界が180度変わった。

どうかこれからも貴方と共にいられますように。

「ほい、バニーのはカフェオレな。」

「ありがとうございます。」

コーヒーの香りと古い映画。

彼の部屋でのんびりと過ごす週末。

ああ幸せだなーと思うと突然鳴り響くPDA

「行くぞバニー!

「はい!虎徹さん!!

甘い時間がブチ壊されるのさえ幸せだ。

これからもずっとあなたとこうして走っていけたら。

それだけが今の僕の願い。

 

 

終り