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20年前 シュテルンビルト ブロンズステージ某所 廃ビル

 

「…世間まで、私を無視しますのね…。」

少女は読んでいた新聞をテーブルに放り出し、俯くと悔しそうに唇を噛んだ。

綺麗に切りそろえられた黒髪が白い頬を覆う。

「コロシと違って誘拐は新聞に出ねえほうが普通だ。気にするな。」

ぶっきらぼうな慰めの言葉をかけ、男は新聞を拾い上げてその一面に目を遣った。

 

“聖夜の悲劇!!資産家夫妻 射殺される!! 邸宅に放火全焼、怨恨か!?

 

ふん、道理で追手が少ないはずだ。もっとでけえヤマがあったってわけか。

まあ、俺には好都合だけどな。

4歳の子供だけ助かった…ね。

あーあ、失敗した。

どうせならもっと早くにそのガキ拉致っとけばよかった。

少なくとも、このお優しそうな夫婦はわが子を見捨てはしなかっただろうに。

そうすれば、あんな冷たい夫婦の子をうっかり誘拐して身代金も取れず、

こんな余計な荷物しょい込むことも無かったはずだ。

 

ジェイクはウンザリしたように新聞を投げ捨て、誘拐事件の「元」被害者を眺めた。

彼女の心が上げる怨嗟の声に、鬱陶しげに顔をしかめながら。

 

愛されていないのは知っていました…。

でも…まさか、誘拐されて身代金を惜しまれるなんて…。

私が本当にいなくなったらいいと…。

…死んでもいいとまで…思われてるなんて…。

きっと、この殺人事件の陰に隠れて

私のことが碌な報道もされていないことを、

心底喜んでいるんでしょうね…。

私より世間体のほうがずっと大事なようですもの…。

 

ジェイクはさっきああ言ったが、クリームはもはや親を信じていなかった。

かろうじて警察には届け出ているようだが、誘拐とは処理されていまい。

はなから捜す気さえなかったのだろう。

 

資産家殺人事件の記事で覆われる紙面の一番片隅に、それが如実に表れていた。

 

“シュテルンビルト名門女子高生失踪。警察は事件と家出両方の線で捜索。”

 

昨日既に脅迫電話をかけているというのに、全て黙殺された。

私がいなくなったことを周囲に不審がられると困るから、形だけ捜索願を出した。

クリームはすべてを理解し、歯を食いしばった。

口を開くと止め処なく泣き言を言ってしまいそうで

生まれて初めて自分に優しくしてくれたジェイクを困らせたくはなかった。

だが、こらえればこらえるほど、親に捨てられた悲しみが胸を突く。

だがそれはやがて、黒く猛る憎しみの感情へと変化していった。

 

どうせなら…このご夫婦じゃなく、うちの親が死ねばよかったんですわ…。

 

クリームの預かり知らぬところで、

彼女の心の声を聞いたジェイクはようやく胆を決めた。

自分の親が射殺され、実家に火を放たれる様を想像して、

クリームが口元に酷薄な笑みを浮かべたことが決定打だった。

 

「言っただろう。項垂れるな、胸を張れ。」

その言葉にクリームが泣きはらした顔を上げると、ジェイクはぼりぼりと頭を掻いた。

「お前、蛇の道に入る覚悟はあるか?

クリームは暫し真剣な眼差しを男に向け、やがて細い顎を縦に振った。

「蛇の道だろうが地獄の果てだろうが、貴方と共に行けるならばどこになりと。」

そう言いきった彼女の眼にはもはや涙はなく、強い光が宿っていた。

 

 

20年前 シュテルンビルト ゴールドステージ ブルックス邸火災現場

 

全てが塵芥と化していた。

瀟洒な佇まいの邸宅も、

優しかった父親と母親も、

大切な思い出さえも。

 

幼い子供が一人、茫洋とした目でそこに立ちつくしていた。

「さあ、いこう。君は独りじゃない。」

細身の男は泣くことも忘れて放心している幼子の手を取った。

「あ、いたぞ!あの子が生存者だ!!

誰かがそう叫んだ途端、不躾なフラッシュが二人を包む。

「済みません!!ちょっとお話を…。」

若い女性リポーターがマーべリックにマイクを突き付けた。

全く…鬱陶しい連中だ。

マーべリックはバーナビーを背後に庇うように立ち位置を変えた。

「消えろ。見世物じゃないんだ。」

マーべリックは背後にいた数人の報道陣に鋭い視線をぶつけると、

待たせていた車の後部座席に、バーナビーを押し込むように乗せた。

幼いバーナビーは全ての意思を無くしたかのような目で、

操られるかのように車内に身を隠した。

その間も容赦なく報道陣の放つ閃光が男と少年を包む。

「御親戚の方ですか!!ブルックス夫妻に何かトラブルは!?

「坊や!どんな人がお父さんたちを襲ったか見なかった!?

無神経極まりない。

しかし、警察や報道が右往左往しているのは確認できた。

マーべリックはこみ上げる安堵を抑え、仏頂面で言い放った。

「こんな子供を吊るしあげる暇があるなら、犯人を捜したらどうだ。」

マーべリックはなおも食い下がる報道陣を一蹴し、

自分も車内に乗り込んだ。

その僅か一瞬、酷薄な笑みが浮かんだのに気づかなかったのは、

彼自身が酷く緊張していたからかもしれない。

 

その顔を捉えたのは、気の弱い弱小放送局の契約ライターだった。

彼は気も立場も弱過ぎて、ブルックス邸の敷地近くの端の端、

報道陣の一団からはじき出されたような格好でそこにいた。

それゆえ偶然に撮れた映像にライターは首を捻った。

「あのおっさん、親戚じゃないのか?

画面の中、蛇のような狡猾さを思わせる顔でマーべリックは笑っていた。

「まあ、金持ちの親戚が死んで子供を引きとりゃウハウハってか?

ライターはそんな下衆な想像をしたが、裏付けなど取れそうにもない。

カメラのデータを確認して、ライターは痛ましげに眉を寄せた。

「それにしても…あんな小さな子供がこんな顔するなんてな…。」

それは子供の眼には何も映っていないような、

虚無としか言いようのない表情だった。

 

20年前 オリエンタルタウン とある高校の学食

 

「悪りい!待った?友ちゃん!!

日頃のサボりのつけを終業式直後に補講という形で払わされた虎徹は、

解放されるや否や大慌てで人気のない学食へ駆け込んだ。

待たされ続けたはずの友恵は虎徹が来たのにも気づかず、

食堂の奥に置かれた小さなTVを痛ましげに見ている。

「友ちゃん?

虎徹がそう声をかけ、向かいの椅子に座ると友恵は

ようやく気付いたように眼鏡の奥で長い睫を瞬かせた。

「あ、ああ虎徹君。ごめんね、酷いニュース見てて。」

虎徹はつられてTVを見上げた。

昨日から緊急ニュースで何度も流れる殺人事件の報道だった。

「あ、これほんと酷でえ話だよなー。イブに親殺されたんだろ、この子。」

画面に映っているのは虚ろな目をした幼い男の子。

子供がこんな顔をするものなのかと虎徹は胸が痛くなった。

 

昨日の夜、この田舎町から遠い大都会で起きた殺人事件。

それ自体は物騒な話ながら、よくあることだと虎徹は思っていた。

ただ、何度もTV に映る幼子は妙に気になっていた。

それ以上に、隣にいる男の持つ雰囲気も。

「この子…可哀そうにね。あんなちっちゃいのに…。」

クリスマスイブに孤児になるなんてと友恵はうっすら涙ぐんでいる。

「親が殺されるとこ見たんだってな。そんなの一生トラウマだよな。」

「犯人…まだ全然分かってないみたいだね。」

訳知り顔で持論を述べるキャスターや評論家の話を聞き、

友恵は結局全部憶測みたいねと言った。

「案外、あの横にいたオッサンじゃねえの?

虎徹はそう言って、何度もTV に映る痩せた40代くらいの男を見た。

「どうして?

友恵は不思議そうに首を傾げた。

虎徹は推測で人を貶める発言はしないはずなのに。

「昨日見てたニュースであのおっさん、一瞬すげえ嫌な笑い方したんだよ。」

虎徹は眉根を寄せて画面の男を見た。

「その映像は局によって映らねえけど。獲物を見つけた蛇みたいな顔しててよ。」

ただの勘だけど、なんかあのオッサン嫌な感じなんだよなー。

そう続けた虎徹はああ!と手を打った。

「遺産相続だ。あの子がまだ何にも分かんねえ小さいうちに横取り。」

それを聞いた友恵はやーねと笑った。

「それじゃ昔の昼ドラみたいよ。」

いくらなんでもそれはないかと虎徹も頭を掻いて笑った。

 

「ねえ、あの子にも“レジェンド”が現れるといいね。」

友恵は虎徹を真正面から見て言った。

「昔の虎徹君にMr.レジェンドが現れたみたいに、あの子にも…。」

虎徹はそうだなーと頷いた。

 

あの日、自分の生き方を変えてくれたヒーロー。

彼がいたから今の自分がいる。

いつか、あの子にもそんなヒーローが現れたらいい。

そしていつか、自分も誰かにとってのそんなヒーローになりたい。

誰かを孤独や絶望から救えるような、そんなヒーローに。

 

やがてニュースは家出した女子高生についての簡単なニュースを流した後、

昨日のヒーロー報道に映像を変えた。

「あ、ねえねえ。今日レジェンドの特集本の発売日だよね。」

友恵がそう言ったのを機に二人はヒーロー話に花を咲かせ始め、

虎徹はそれきり事件のことを忘れた。

 

蛇の道を行く二人。

大蛇に囚われた小さな兎。

まだ孵化しないヒーローの卵。

 

20年後の邂逅を彼らはまだ誰も知らない。

 

 

終り