Bar Eternal
重厚なオーク材のドアが開き、カランと乾いたベルの音が鳴った。
「いらっしゃいませ。」
私が二人連れのお客さまに挨拶すると
常連の中年男性はども、と片手を上げた。
その後ろにいる青年はこんばんはと礼儀正しい挨拶をする。
私はグラスを拭く手を止め、お二人を迎える準備をした。
「珍しいですね、お連れ様とご一緒とは。」
私は二人の前に温かいお絞りとコルクのコースターを並べて言った。
「うん、こいつはいつか連れてきたかったんだ。」
手を拭いながら男性―鏑木様は上機嫌な声で答えた。
「バニー、何飲む?ロゼもいいけど、ここはカクテルも旨いぞ。」
その会話に“お連れ様はロゼワインが好み”と記憶する。
バニーと呼ばれた青年はうーんと唸った。
「僕カクテルはあまり詳しくないので、マスターのお勧めをお願いします。」
ああ、この青年は…。
上質だが地味な服装をしているので気がつくのが遅くなった。
やれやれ、私も歳かな。
「こいつ、甘いのが好きで酒はかなりイケる口なんだ。」
鏑木様の言葉に、ならばあれがいいとレシピを決める。
「でしたらお客様のイメージでお作りいたしましょう。よろしければ鏑木様も。」
鏑木様は嬉しそうに笑い、頼むよと言った。
「クリスマスに再会してもう二月、やっと来れたな。」
なるほど、今夜は嬉しい日の方だ。
鏑木様には焼酎ベースの春雪。
バニー…いやバーナビー様にはロゼワインベースのアフロディテを。
お二人の二度目の門出を祝う、初めの一杯。
「お、すっげ。俺たちの色じゃん。」
「虎徹さん…まさか…。」
「いや、話してねえよ。俺10年ここ来てるけど身バレ厳禁だし。」
「そうですか。」
「まあ、ここのマスターならばれても大丈夫だよ。」
「虎徹さんがそう言うなら安心しました。僕の方は元々だからいいけど。」
「お前の方も大丈夫、ここは他の客も騒いだりしないから。」
「じゃあ、今日のお祝いには最高ですね。」
「そう。だからここに連れてきたかったんだ。」
お二人はそれぞれのグラスを軽く掲げ、乾杯と笑いあった。
「マスター、俺よく話してただろ?こいつが例の職場の同僚。」
「虎徹さん一体何話してたんですか?」
困ったようにバーナビー様が笑う。
TVで見るより美しいが、素の彼にはどこか幼さも感じる。
「とても優秀で仕事がお出来になると。」
「だけど生意気でそりが合わないとか?」
笑いながらそう言うバーナビー様に鏑木様が慌てたように首を振る。
「そんなこと言うかよ。なあマスター?」
そんなこともおっしゃってましたねえ、二年前でしたか。
いつしか好意的なものが多くなっていきましたが。
「いつも可愛い後輩だと…。ああ失礼、同期でいらっしゃいましたね。」
「会社は同期入社ですが、業界では彼の方が大先輩ですよ。」
バーナビー様は一瞬目を見開いた後、ふふっと笑って言った。
お若いのに聡い方だ、私が知っていることに気がついたようだ。
「その大先輩に初対面であれだけ嫌味言う新人もすげえよなあ。」
「まあ、いきなり燃料切れで上から落ちてくればね。」
「お前、それ言うなって。」
「まさか二度あることが三度あるとは思いもしませんでしたが。」
そう言って楽しそうに笑い、バーナビー様はアフロディテを口にした。
「美味しい。」
「だろ?ここのマスターにお任せしてハズレはねえんだよ。な、マスター?」
鏑木様も上機嫌で春雪を呑んだ。
「ああ、旨い。今日のは一段と旨いよマスター。」
お二人は優しい視線を交しあい、幸せそうに笑っている。
やはり初めの一杯を赤と緑、彼らの色にしてよかった。
「そう言っていただけると光栄です。」
この10余年、鏑木様にはいろんな酒をお出しした。
ヒーローデビューした時。
ご結婚なさった時。
お嬢さんがお生まれになった時。
彼は人生の節目に来ることが多かったように思う。
今の会社でこのバーナビー様とコンビにされた時は愚痴が多かった。
それもやがて惚気のような言葉が多くなっていったが。
「今日初めて名前で呼んでくれたんだ。」と
嬉しそうに何度も話していたこともあった。
奥様が亡くなられた時とあの冤罪騒動の半年ほど前は随分荒れていた。
それは能力が減退し始めた時期だったとは後に知った。
最後に来店したのは引退して故郷に帰る前だった。
身体を壊して田舎に帰るから、ここに来るのも最後だと言って。
「本当は辞めたくなかった。同僚とまだ一緒にやりたかった。」
そう言って一人さびしい酒を飲んで帰られた。
そして今夜は再結成の祝杯。
ゆっくりと杯を進めながら、二人は積もる話をしている。
「お前、この一年どこで何してたんだ?」
「世界をあちこちフラフラと。今まで狭い世界で生きてきたので。」
「そっか、面白いものは見れたか?」
「ええ。雄大な景色も人の優しさも、何処にでもいる悪党も。」
「まあお前なら拉致されて売り飛ばされるとかありえねえけどな。」
「売られかけましたよ、タイで。拉致じゃなく自分から行ったんですけどね。」
「はあ!?どういうことだ!?」
「一宿一飯のお世話になったマダムが、息子を女衒に連れて行かれたと言うので。」
「息子が女衒って。…それで?」
「とりあえず、仕事を探していると店に乗り込んだら即採用で。」
「そりゃそうだろ。お前だったら店のナンバーワン決定だろ。」
「すぐ店の地下に監禁されて、そこに例の息子君がいたんです。」
「そんでそんで?」
「聞けば皆、誘拐やら詐欺まがいの手口で連れてこられた子ばかりで。」
「うんうん。ひっでえなあ。」
「とりあえず店の見張り蹴り倒して、壁も蹴破って全員親元に帰しました。」
「うわー、賠償金発生だ。やるねえ、さすが元K…チャンピオン。」
「僕もそれ以上そこにいたらまずいんでさっさと街を去りました。」
「やり逃げかよ。すげえ生活してたんだな。」
引退後、なかなか刺激的な生活をしていたようだ。
この街ではこの青年を悪く言うものも一時期いたが、
やがてそれも淘汰されていった。
「バニーが元気で自分の生き方見つけられてよかったよ。すげえ安心した。」
鏑木様は嬉しそうに眼を細めた。
本当にこの青年を可愛がっているようだ。
「虎徹さんはどうしてたんです?」
「俺は田舎でぼけーっと隠居してて、とうとう楓にカッコ悪いって怒られたよ。」
鏑木様は何にもしてねえよとだけ言った。
だが田舎に帰った彼は一度だけシュテルンビルトに戻ってきた。
バーナビー様がマーべリックの手駒だったと糾弾されていた頃だ。
「4歳で親を、自分の人生のすべてを奪われたあいつは被害者だ!」
「命がけでこの街を守ってきたあいつを、あんたたちはそれでも非難するのか!!」
「あいつは潔白だ、それは隣にいた俺が誰より良く知っている!!」
「それでもまだ文句があるなら、俺が相手になってやる!!」
「あいつをもう…これ以上傷つけないでくれ。」
彼は元所属会社を通して素顔でワイルドに吠えた。
ワイルドタイガーの、窮地に立たされたパートナーを思いやり労る気持ちは
TVを通して切々と伝わってきた。
冤罪を掛けられながらも敢然と巨悪に立ち向かった
ベテランヒーローの魂の叫びは、市民の意見を簡単にひっくり返した。
もともとこの街にはバーナビー様に助けられたものも多い。
市民はただ情報操作に弱かっただけだ。
理性を取り戻した市民は、あっけなく悲劇の元ヒーローを懐かしんだ。
いい加減なものだが、それが大衆ということか。
それも今、全てが過去になろうとしている。
二人のヒーローはこの街に戻ってきたのだから。
「ではこちらは私からのお祝いで。サイドカーでございます。」
空のグラスを下げ、私は新しい酒をコースターに置いた。
「うわあ。マスター、ありがとう。」
「ありがとうございます。いただきます。」
私が差し出した酒にお二人は嬉しそうに笑ってくれた。
どうかこれからもこの街をお二人で駆けてください。
シュテルンビルトの守護神たちよ。
終り