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ウサギ立てこもり事件

 

 

立てこもり事件が発生した。

突入しようと思えばすぐ出来る。

人質はなく、それ以前に立てこもった場所の一角は壁すらないから。

犯人は武器も所持していない。

もっとも犯人自体が生きた凶器みたいなもんだが。

しょうがねえ、ここはお約束のあれでいっとくか。

俺はそこらにあった雑誌を丸めてメガホン代わりに口に当てた。

「あー、立てこもり犯に告ぐ。大人しく投降しなさい。」

田舎のお母さんが泣いてるぞ…はマズイ。

家政婦のおばあちゃんが泣いてるぞ…も駄目だ。

「同僚のオジサンが泣いてるぞ。今すぐ出てきなさい。」

いまいちだったかな、これ。

「おーい、バニー。出てこいよー。そこ暑いだろー?

・・・無音。

もしかして寝てんじゃねえのかあいつ。

「ばぁーにぃー。そんないつまでも不貞腐れんなよ。」

・・・やっぱり無音。

だめだこりゃ。

「ったく、好きなだけそこで立て籠もってろ。」

俺は構いすぎると逆効果だと思い、しばらく放っておくことにした。

 

バニーがロフトに立てこもった動機は些細な喧嘩だった。

「何なんですかこの記事。」

バニーはうちにあった週刊誌の見本刷りを机に叩きつけた。

「あー、それ…。見ちゃった?

バニーに見られると面倒だからうちに持って帰ったのが裏目に出た。

表紙に踊る『WT実力派女優と熱愛発覚!?』の扇情的な見出し。

俺はバツが悪くて頭を掻いた。

「いやー、まさか俺がゴシップのネタになるとはなー。」

「この熱愛報道されてる女優、既婚者なんですよ!?

知ってるよ。

亭主はなんか有名な映画監督だろ。

夫婦そろってデビュー当時から俺を応援してくれてるんだ。

無碍にはできない相手だから、当然愛想だって良くなる。

「貴方、楓ちゃんに恥ずかしくないんですかこんな醜聞!!

楓には記事が載るのが分かった時点で電話で言ってある。

お父さんのデタラメ熱愛報道が雑誌に載るけど気にするなって。

今までの経験から言って、隠したら確実にこじれるからな。

あいつも『あの雑誌嘘ばっかだよね。お父さん大変だね。』って言ってくれたぞ。

6でも分かるのに、なんでお前がそれ分かんねえんだよ。

だいたい事実無根のスキャンダルならお前の方が桁違いに多いだろ!!

この時点で俺はちょっとイラついていたかもしれない。

そして、言葉の選択を思いっきり誤った。

「お前も素人じゃねえんだから分かるだろ?いちいち真に受けんなよ。」

「そういう問題じゃない!!

「じゃあどういう問題なんだよ!!

「…ッ!!もういいです!!

怒って帰るのかと思ったら階段駆け上がっていったんで笑いそうになった。

ベッドのあたりでごそごそと衣擦れの音がして、後はただ沈黙。

かくして巨大ウサギの籠城事件が幕を開けたわけだ。

俺もガキん時兄貴と喧嘩して押し入れに立てこもったなー。

夏休みなんかだと、あまりの暑さに5分で投降したけど。

楓の自室立てこもりに比べたら籠ってるうちにも入らない。

まあ、興奮させて屋根ぶち抜いてハンサムエスケープされたら

大家さんに怒られてすげえ修繕費取られるから刺激しない方向で。

シーリングファンの音に乗って鼻をすするような音が聞こえる。

ったく。

んな音聞いたら腹も立たなくなってきた。

 

クールそうに見えるが、バニーはもともと沸点の低いところがある。

あと、人種が北ヨーロッパ系だからか俺より遥かに暑さに弱い。

しかも今年は異常気象で地表に近いブロンズは40℃近い気温だ。

要するに、エアコンの効きの悪いこの家ではいつもより何割増しかで

バニーは怒りっぽくなっていたんだと思う。

「楓ちゃんに恥ずかしくないのか…ねえ。」

俺はやれやれとソファにケツを投げ出すように座り例の雑誌を開いた。

「ヤキモチ焼いてるんですって素直に言やあいいのに…。」

雑誌の中で俺と同年代の女優が笑っている。

どう見てもなんかのパーティで挨拶してる写真をトリミングしただけの、

楓でも真に受けなかったほど雑なでっちあげ報道。

「ヤキモチの導火線はやっぱあれかねー。」

俺は雑誌と部屋の写真立てを見比べた。

「似てなくはないけど、そんなに似てるとも言えないぞ。」

バニーの眼には東洋系の女はみんな似たような感じに見えるのかもしれない。

俺だってアングロサクソン系とスラブ系の区別はあまりつかない。

「今すぐロフトに上がって俺にはお前だけだよって言えばいいんだろうけどね。」

俺は冷蔵庫からウーロン茶の瓶を取り出して一気に呷った。

「そっちの方がよっぽど調子のいい浮気者っぽいよなー。」

俺は二階に聞こえるように敢えて声に出して言った。

 

 

「虎徹さんのバカ!鈍感!!無神経オヤジ!!

シーツを頭からかぶって僕は言いたい放題罵った。

あんな記事…捏造だって言われたっていい気はしない。

あれだったらブルーローズさんと仲良くやってるとこを見る方がまだマシだ。

虎徹さんにロリコンの気はないぐらい分かってるから。

…それもあと34年たったら微妙な問題になってきそうだけど。

「あんな女優に鼻の下伸ばして!エロオヤジ!!

あの女優は以前CMで共演したことがあるから少しは知ってる。

上品で気立てのいい、素敵な方だ。

オリエンタル系女性独特の、相手を立てる慎ましやかさ控え目さ。

ヤマトナデシコとかいうんだっけ、あっちの言葉で。

「似てるよな…。」

僕はそっと窓辺の写真立てを手に取った。

楓ちゃんが生まれて間もないころの家族三人の光景。

「やっぱり、こういう人が好みなのかな。」

それにしたって既婚者はないだろう。

虎徹さん…ワイルドタイガーはアイパッチをしていても結婚指輪を外さない。

しかも世間は彼が鰥夫だとは知らない。

「傍から見たらW不倫だって自覚はないのかあの人は!!

さんざん悪態をついてからバカらしくなって僕は写真立てを元の位置に戻した。

楓ちゃんがどう思うかなんて、僕には関係ない。

彼女はプライマリとは思えないほど賢いから大丈夫だろう。

今は父親のややこしい仕事関係に理解を示しているようだし。

W不倫疑惑は『妻は亡くなりました』と言えば済む話だ。

まあ、Wがとれるだけで醜聞には違いないが、あっちの事は知ったことか。

結局、一番収拾がつかないのは僕のただのヤキモチだ。

東洋系の女の人が地雷なんて、ほんと醜い嫉妬でしかない。

僕の身上、スタイリッシュとスマートはどこにエスケープしたんだ。

「虎徹さんのバカ…。」

僕は日に当たりすぎて熱い枕に顔を埋めた。

枕カバーに滴り落ちるのが汗だか涙だか分からない。

古いシーリングファンの音がみっともない嗚咽を消してくれるといいんだけど。

 

 

ずいぶん長いこと頑張るなあ。

陽も傾いてきた頃、俺は別の意味で心配になった。

「おーい、バニー。生きてるかー?

あそこは空調が当たらないうえに西日が射す。

しかも上に置いてた扇風機が壊れたんで、俺も最近はあそこで寝ていない。

暑さに弱いバニーがあそこで熱中症起こしていないか、

そっちの方が心配になってきた。

しょうがない。

俺全然悪くないんだけど、年上の余裕で今回は歩み寄ってあげましょうかね。

元々バニーは我儘でも強情でもない。

自分に非があれば潔く認める。

ただこういう喧嘩をし慣れていないから、折れ方がよく分からないだけで。

でもあいつは頭がいいから、きっかけを作ってやれば素直に応じる。

今回のきっかけはこれだ。

俺は冷凍庫から大きなアイスの箱を出してきた。

最近バニーがハマってるメーカーのバニラアイス。

「バニー、そこ暑いだろー?こっちきて一緒にこれ食おうぜ。」

和平交渉に応じる気があるのはすぐに分かった。

ベッドの軋む音とごそごそという布が擦れる音がしたから。

頭からシーツを被ってるからいつもより5割増しで兎ちゃんぽい。

手摺の隙間から巨大な白兎が様子を窺っている。

「お前の好きなバニラアイス。降りてこないなら俺一人で食っちゃうぞー?

「…。」

ケージの間から鼻つきだすみたいで兎っぽさ8割増しだ。

俺はその光景にちょっと笑ってしまった。

「な、バニー。これに免じて仲直りしようぜ?

「…ごめんなさい。」

上から少し掠れた小さな声が聞こえた。

「俺も悪かったよ。お前にいやな思いさせて、ほんとごめんな。」

「…虎徹さんは悪くありません…。」

バニーがゆっくりシーツを剥いで立ち上がろうとした。

その時…。

「危ねえ!!

手摺の向こうでバニーは立ちくらみを起こしたみたいに体勢を崩した。

ぐらりと揺れた長身が手すりを超えこちら側に大きく傾く。

咄嗟に俺はアイスをキッチンに投げ出し、両腕を広げ落下に備えて身構えた。

「…?

一向に落ちてくる気配がないのでおそるおそる上を見ると、

バニーは間一髪のところで手すりを掴み転落を免れていた。

ずるずると手摺の向こうに座り込むのが見えて俺はほっと息をついた。

 

 

今のは危なかった…。

「バニー、大丈夫か?

手摺に掴ったまま座り込んでいると、虎徹さんが大慌てで階段を駆け上がってきた。

「すみません…。急に眩暈がして…。」

汗が止まらないし、顔が熱い。

バスタブでのぼせたみたいな感じ。

虎徹さんが僕の額に大きな掌を当てた。

「軽い熱中症だな。こうなるんじゃないかと思って心配してたんだ。」

無理に踏み込んだらお前が嫌がると思ってそっとしといたけど、

ちょっとほっときすぎた。

ごめんな、もっと早く声をかければよかった。

虎徹さんはそう言ってすまなさそうに僕の体を支えてくれた。

貴方は悪くないのに…。

「僕がいつまでも拗ねてたからです。ごめんなさい…。」

素直に謝ると、虎徹さんは俺もごめんなと僕の髪を撫でてくれる。

「立てるか?汗ふいて涼しいとこで休んだらすぐ良くなるから。」

本当は一人で立てるけど、何となく甘えたくなって

まだふらつくふりをして彼の手を借りて階段を下りる。

「俺さあ、分別のある熟女より可愛い年下の兎ちゃんの方が好みなんだよね。」

ふいに虎徹さんはそう言って照れ臭そうに顔を背けた。

彼には珍しい、バニラアイスより甘いその言葉に僕は嬉しくて笑ってしまった。

 

 

終り