幸福の王子としたたかな女王
「ハンサム、落し物よ。」
背後からかけられた声にバーナビーが振り返ると、
鍵束を手にしたネイサンとカリーナが手招きしている。
「車のキーじゃない。気をつけなきゃだめよぉ?」
「やだ、しかも家の鍵まで。意外とそそっかしいんだ。」
女子二人に不注意を指摘されたバーナビーは気恥ずかしそうに笑った。
「すみません。拾っていただいて助かりました。」
バーナビーの掌にそっと鍵束を返したネイサンが意味深な笑みを浮かべている。
「どうかしましたか?」
ばれたかなとバーナビーは冷や汗をかきつつ白々しく訊ねた。
「いえなんでもないわ。」
ニヤニヤとしつつもカリーナに配慮して具体的には突っ込まない。
そんなネイサンの姐心だったのだが…。
「あれ…でも家の鍵って?あんたの家って暗証番号と指紋認証よね。」
カリーナは怪訝な顔でバーナビーを見上げた。
バカ!余計なこと聞かないの!!
ネイサンの心の叫びは他の二人には届かなかった。
「ああ、これは虎徹さんの家の…。」
ごく当たり前のことのように答えたバーナビーにカリーナの顔色が変わる。
ああ、とネイサンは心の中で嘆息した。
「タイガーの?」
引き攣った声でカリーナがオウム返しで訊ね返した。
「ええ。先月、虎徹さんに貰ったんです。」
なにか宝物でも持つように大切そうに鍵束を両手で持ちバーナビーが
ふわっとした華のある笑みを浮かべた。
「へ〜…。合鍵持ってるんだ…。」
「もちろん僕の家のセキュリティにも虎徹さんの指紋認証してますよ。」
自慢するふうでもなく、さも当たり前のようにバーナビーが言い放った。
まだ残暑が厳しい屋外だというのに辺りを取り巻く空気が冷たい。
ネイサンは二の腕を摩りながら妹分に目で落ち着けと窘めた。
「し…仕事上そのほうが楽だもんね?」
カリーナの藁をも掴むような言い方にネイサンはやれやれと首を振った。
どうしてその話題にそれ以上食いつくのかと。
ネイサンはバーナビーにその話を切り上げろと目で訴えた。
だがそのアイコンタクトは成立しなかった。
「いえ、これを頂いたのは完全にプライベートでのことですよ。」
バーナビーは几帳面に訂正した。
最近は僕と虎徹さん別個の仕事も多くなりましたし。
オフもそれぞれ別の日をあてがわれるので、
一旦すれ違いだすと出動以外では顔を合わさない日が一週間続くとか
そういったことが増えてきたんです。
最初はメールや鍵付きSNSでやり取りしてたんですが、
虎徹さんアナログ人間だからこういうのは性に合わないって言いだして。
彼は指が太いからスマホの文字入力が苦手なんです。
おまけにそそっかしいから誤字脱字も多いし。
まあ大抵の意図は分かりますけど。
で、虎徹さんは遅くなっても直接会う方がいいって。
それで僕に自宅の鍵をくれたんです。
自分がいなくても勝手に中に入って寛いでくれていいからって。
でも人の家で勝手に寛げって言われてもね。
最初はTVをつけるくらいだったんですが、もともとあまり見ませんし。
それでふと本棚に目がいったんです。
虎徹さんも亡くなった奥様も結構な読書家だそうで
いろんなジャンルの本が凄い数あるんですよ。
最近は彼の家に行って本を読むのが会えない時間の楽しみなんです。
だめだ、顔は冷静だけど中身は完全に舞い上がってる。
いつになく饒舌なバーナビーの様子にネイサンはどうしたものかと困惑した。
カリーナさえいなければ根掘り葉掘り聞き出したいのだが…。
カリーナは妙に虚ろな目でバーナビーを見ている。
「鍵付きSNS…じかに会いたい…。合鍵…。ヘーヨカッタネ…。」
完全に声が棒読みだ。
ネイサンは早くこの場を解散させなくてはとなんとか思考を巡らせた。
「でもタイガーはあんたんちに独りでいても退屈よね。何にもないし。」
妙に上擦った声でカリーナが言った。
あああ!!
どうしてそれ以上掘り下げるの!!
聞きたいけど!!
ネイサンはどんどん自爆方向に暴走するカリーナに叫び出したくなった。
いい加減カリーナの襟首摘まんで撤収しようかしら。
そう思った矢先にバーナビーが答えた。
「虎徹さんはうちでお酒を呑むのが楽しみなようです。」
スポンサーに戴いたブランデーとかスコッチなんかを
虎徹さん専用の棚に置いてあるんで。
もちろん乾きもののおつまみも一緒に。
虎徹さんはこんな高い酒飲んでいいのかなんて言ってましたけど、
僕はワイン以外のお酒はあまり体質に合わなくて悪酔いしてしまうんです。
ワインセラーのワインもお好きにどうぞって言ってるんですが、
彼の方はワインがあまり好きではないそうで。
彼がスポンサーから頂いた上質なワインなんかをよく持ってきてくれます。
僕が家に帰ったら虎徹さんがオンデマンドで旧い映画を見ながら
ちびちびとお酒を舐めていることが多いですね。
バーナビーは話しながらその時の事を思い出したのか
何とも言えない幸せそうな顔でぬけぬけと言い放った。
ネイサンの困惑とカリーナの失意の表情に気づいているのかいないのか。
<ハンサム根は聡い子なのに…。幸せボケって奴かしら…。>
ネイサンはバーナビーのらしくない失敗に首を傾げた。
彼の側に見せつけるとか挑発の意図はないのは明白だ。
幼年期からずっと他人と縁遠く幸薄かった彼が
やっとつかんだ幸せに舞い上がる気持ちは分かる。
だが年若い妹分の失恋以前ともいうべき片想い玉砕のしょっぱさもよく分かる。
<やだ!アタシこのままじゃ板挟みじゃない!!>
あー帰りたい。
ネイサンは心の中でそう叫んだ。
「彼の部屋で幸せに待つ時間…一人の楽しさ…。」
カリーナは暫く俯いてブツブツ言っていたがすぐに顔をあげた。
「私帰る!!」
駈け出した彼女の背を見たとたん、バーナビーははっと我に返った。
「…すみません。僕、柄にもなく舞い上がってとんでもない失態を…。」
一気にトーンダウンしたバーナビーにネイサンはポンポンと軽く肩を叩いた。
「誰でもそういう失敗はあるものよ。今度彼女に会ってもヘタに謝らないことね。」
でも、と言いかけたがバーナビーは彼女の言わんとすることを汲んだ。
「そう…ですね。カリーナさんには本当に無神経なことを言ってしまいました…。」
そうねえと相槌を打ってネイサンはしょげかえったバーナビーを見た。
悪意があっての事ではないのは明白だ。
「しょうがないわよ、ハンサムは対人スキルびっくりするほど低いし。」
「気持ちいいほどはっきり言いますね。」
困ったような顔のバーナビーにネイサンは微笑んだ。
「あんたの場合は普通そういうことを経験する時期にそうする余裕がなかったせいよね。」
「そのことを言い訳にしたくはありませんが、事実ですね。」
バツの悪そうな表情でバーナビーは頷いた。
「ま、頭のいいあんたならこれで十分学習したでしょう。同じ失敗はもう起きないわ。」
そうよね、とネイサンは暗に念押しした。
「以後気をつけます。あの、申し訳ありませんがカリーナさんのケアをお願いします。」
律義に頭を下げたバーナビーにネイサンは任せなさいと肩を叩く。
「貸し一つよ?」
「早急にお返しします。」
なにで払わされるんだろうと恐ろしい気持ちでバーナビーは答えた。
ネイサンは携帯で何か話しながら足早に去っていく。
「え、ケーキブッフェも今度でいい?大丈夫なの?なに、インスピレーション?」
大丈夫だろうか。
バーナビーはカリーナに本当に済まない事をしたと
苦い気持ちを噛みしめた。
それから一カ月後。
すれ違う恋人同士が互いの部屋で相手を待つときめきを歌い上げた
ブルーローズの新曲がミリオンヒットを叩きだした。
街を歩けば至る所でブルーローズの明るい歌声が耳に入ってくる。
それは彼女自身が作詞作曲したということでも話題になっていた。
「すげえよなブルーローズの新曲。シングルヒットチャート記録更新だって。」
オフィスのデスクでネットを見ていた虎徹が感嘆の声をあげた。
それはどう見てもあの日自分が話した内容そのままの歌詞だった。
<…やられた…。さすがブルーローズさんというべきか。>
バーナビーはいつかの詫びの気持ちも込めて、
新曲ヒットのお祝いメッセージをメールした。
ほどなく彼女から帰ってきた返信をみてバーナビーはふきだした。
From カリーナ
Re おめでとうございます
メールありがと。
乙女の心の痛みは印税で返してもらったわ。
おかげで沢山お小遣いもらえたわ。
今度あんなことしたら凍らすからねw
女子高生ヒーローがあれしきのことで挫けるもんですか!
そんな気概が伝わってくる文面にバーナビーはほっと胸をなでおろした。
<お詫びでは失礼だからお祝いということで。>
ヒットチャート新記録のお祝いにランチでもご馳走させてください。
せっかくですからネイサンとパオリンも一緒に。
場所はゴールドメダイユ老舗ホテルのカフェテリアでいかがでしょう。
そんなメールを送信してすぐ<やったww嬉しいww>と返事が来た。
人を正面切って傷つけてしまったのは初めてだったバーナビーは
彼女が許してくれたことが本当に嬉しかった。
「どしたのバニー。なんか嬉しそうだな。」
虎徹にそう聞かれ、バーナビーはええと頷いた。
「今日の午後、美人3人とデートなんです。」
えっと目を見開いた虎徹にバーナビーは楽しそうに笑った。
「30代のミスが一人と10代のお嬢さん二人とね。」
その答えに虎徹はほっと胸をなでおろした。
バーナビーなら美女三人侍らせても様になるだけについ心配してしまった。
あの三人が相手なら杞憂も良いところだと虎徹は苦笑した。
「なんだ、ヒーロー女子会の生け贄かよ。」
「虎徹さんがそう言っていたとお伝えしておきますよ。」
バーナビーはそう言って悪戯っぽく笑った。
「こらやめて!俺次会ったら殺される!!」
オーバーに頭を抱えた虎徹にバーナビーは楽しそうに笑った。
終り