曙光
「とうちゃーく。」
「え、ここ…ですか?」
バーナビーは虎徹に連れ出された先で絶句した。
「そ、ここが目的地。」
虎徹は明るい声でそう言ってシフトレバーをパーキングに入れた。
サイドブレーキを引きイグニッションキーを電気系統だけ残してオフにする。
バーナビーはその様に虎徹が来ようとしていたのは本当にここなのだと理解は出来た。
「ここって…何にもないじゃないですか!」
深夜のシュテルンビルト港、それも埠頭の突端。
強くアクセルを踏み込めば簡単に車ごと海へダイブ出来るほどの距離だ。
車のヘッドライトを消したとたんに岸壁と海の境目すら見えなくなった。
工場はクリスマス休暇か操業を止め、海にも船は航行していないようだ。
明かり一つない、自分たち以外誰もいない、恐ろしく殺風景な光景。
窓を開けると風が強いのか波の音がやけに大きく響く。
「うわ寒っ。」
バーナビーは慌てて窓を閉めジャケットの袷を掻き寄せた。
筋肉質なわりに冷え症のバーナビーはエアコンの送風口の向きを変え出力をあげた。
車内にごうごうと送風音が響く。
「一体何の趣向ですかこれは。」
バーナビーの強い口調もどこ吹く風で
虎徹は車内のライトをつけスマホで何やら調べている。
「折角の正月だし、こういうのも良いだろ。」
虎徹は調べ物が終わったのかスマホをポケットに押し込んでのんびりとした声で言った。
「行きたいところがあるって言うから何と思えば。こういうのってどういうのですか。」
バーナビーはやれやれと大きく息を着き窮屈なシートベルトを外した。
「何を考えてるのか知りませんけど付き合ってあげますよ。で、どこ行くんです?」
「どこも行かねえよ。あと二時間くらい。」
虎徹はそう言って笑い、自分もシートベルトを外すと運転席のシートを
目いっぱいに倒してごろりと横になった。
「バニーも席倒せよ。そのまんまじゃ疲れちまうぞ。」
「はあ!?」
深夜に連れ出したかと思えばこんなところで二時間待機なんて。
意味が分からずバーナビーは眉根を寄せた。
「ちょっと虎徹さん、本当に何のつもりですか!」
「あれ、もしかしてバニーちゃん初日の出ってみたことねえの?」
虎徹はバーナビーの苛立ちぶりに、自分の目的が伝わっていないことに漸く気がついた。
「初日の出?なんですかそれ。」
聞き慣れない単語にバーナビーが小首を傾げた。
「あ!ごめん、うっかりしてた。文化の相違って奴か?」
虎徹が両手を合わせて謝罪のポーズをすると、
バーナビーの眉間から漸く皺が消えた。
「つまり日系にはニューイヤーに一般的な何かをしようとしてるんですね?」
虎徹は慌てて何度も頷いた。
「バニーと初日の出を見ようと思ったんだよ。そっか、こっちではしないのか。」
あわや新年初喧嘩かと思ったのが回避できた。
あからさまにほっとした様子の虎徹にバーナビーは出しかけた言葉の弾丸を収めた。
初日の出ってのは新年最初の太陽が昇る景色の事なんだ。
こっちはクリスチャンが多いからあんまり馴染みがないのかな。
うちの田舎の方だと御来光っていって、神聖な景色とされてるんだ。
バニーが敬虔なクリスチャンだったら問題あったかもしんねえけど
お前そういう信仰心とかないから大丈夫かなと思って。
あ、信条的にまずかったら帰るけど大丈夫か?
「宗教上の制約というのは僕にはありませんが…。」
バーナビーは虎徹の言葉にしばらく考えた。
両親は敬虔なカトリックだったが自分はあの事件以来、神など信じたことはない。
けれど虎徹の育った文化で神聖なものとされているなら。
彼がわざわざそれを見せてやりたいと思ってくれたのなら。
「しょうがないですね、付き合ってあげますよ。」
素直じゃない言葉でバーナビーはいい、助手席を目いっぱい倒した。
「あと二時間というのは日の出までの予想時間だったんですね。」
それなら二時間後に到着するように出れば良かったのに。
バーナビーはそう思った。
「早く来たのは多少の誤差もあるけど、神聖なものを待つことにも意味があるんだよ。」
バーナビーがそう考えることを見越したかのように虎徹が答えた。
「けど、誤算だった。こんな暗いとこでバニーちゃんと二人きり…。」
虎徹がそっとバーナビーの太腿を撫でると、
バーナビーはその手をぴしゃりと叩いた。
「不敬ですよ、神聖なゴライコウを待っている間にすることじゃないでしょう。」
「デスヨネー。」
はたかれた手を摩りながら虎徹はバツが悪そうに笑った。
「それはまたの機会にお預けですよ。」
笑いながら言うバーナビーに虎徹はえっと目を見開いた。
「マジ!?今度ここでカーセックスしていいの?」
「冗談です。嫌ですよこんな殺風景で寒いとこ。」
そういう問題なの?
夜景がきれいで暖かい時期なら外でヤっても良いってこと?
挙動不審に目を白黒させる虎徹にバーナビーはあははと声を出して笑った。
「虎徹さん、振り回されすぎですよ。もう少し綺麗な気持ちで新年迎えましょうよ。」
煩悩まみれの中年はいいように自分を翻弄する年若い恋人の顎を捕えた。
「んだとこの小悪魔!オッサンその気にさせてただで済むと思うなよ!」
虎徹はそう言ってバーナビーに強烈なキスの雨を降らせた。
「ちょ…だから不敬…。」
「愛情持ってキスするだけなら不敬には当たらねえよ。」
そう言って虎徹はすっと身を引いた。
その所作にバーナビーは少しだけ焦れるようなものを感じてしまう。
「そんな顔すんなって。こんなとこで姫始めじゃお前に悪いし。」
「ヒメハジメ?」
「ま、それはまた明日のお楽しみな。そういうしきたりだからさ。」
また聞きなれない言葉を口にした虎徹の妙にワルい表情に
バーナビーはドキドキするのを堪えるようにぷいと顔を背けた。
「ちょっと仮眠します。陽が出そうになったら起こしてください。」
「寝るなら眼鏡外せよ。」
隣で笑いをかみ殺す虎徹をちょっと睨んでバーナビーは目を閉じた。
どこかでアラームが聞こえたような気がした。
「ん…うるさいなあ…。」
いつの間にか掛けられていた薄いブランケットの端を引っ張り上げ、
バーナビーは音から逃れるように寝がえりを打つ。
「バニー、そろそろ来るぞ。」
ゆり起されてバーナビーはうーんと唸り眉間にしわを寄せた。
そういえば御来光を待って車の中だった。
バーナビーはゆっくりとシートから身体を起こした。
まだ眠そうに目を擦るバーナビーに虎徹は笑いながら眼鏡を差しだす。
「折角だから外でて見ようぜ。」
長い脚を折りたたんで無理な姿勢で寝ていたから身体の節々が痛い。
バーナビーは頷いて外に出た。
「あいたたた。」
バーナビーが軋む身体をストレッチしていると、
ラゲッジを開けていた虎徹が大振りの鞄を持って戻ってきた。
コーヒー、携帯カイロ、スキー用の帽子に手袋。
「ほらこれ着けてジャケットにカイロ入れて。」
虎徹は手際よく防寒具をバーナビーの身体に巻きつけ、
湯気の立つコーヒーをその手に押し付けた。
「貴方、時々信じられないほど手際がいいですね。」
バーナビーが若干呆れ気味に言うと虎徹はへへっと笑ってコーヒーを啜った。
「御来光見に来て風邪引いたら有難味も何もねえからな。」
うっすらと明るさを滲ませ始めた遠い水平線を眺めながら虎徹は時計を見た。
「寒いけどあと10分くらいで出ると思うから。」
その仕草にバーナビーはふと納得した。
家族や友達と何度も来たことがあるのだろう。
アントニオや友恵や楓、あるいは自分が顔も知らない親しい人々。
「去年はご家族と?」
なんとなく聞いてみると虎徹はいいやと首を横に振った。
「楓を誘ってみたけど『寒いからやだ』の一言よ。寂しいよなあ。」
高校を出てすぐにシュテルンビルトに出てきたので地元に親しい友人がいるでもなく、
こたつで酒呑んでそのまま目が覚めたら朝だった。
母親に「邪魔だから寝るなら部屋に行ってちょうだい。」と足蹴にされて
目を覚ました去年の元旦を思い出し虎徹は顔を顰めた。
「それは随分な扱われ方ですね…。」
「だろ、ひどいよなあまったく。」
楓などは「どうせ行くあてがないならバーナビーも連れて帰ってくればよかったのに」
と言って虎徹を狼狽させた。
「誘ったけど断られたんだよ。虎徹さんのご家族に迷惑をかけられないって。」
「迷惑なわけないじゃん。なんでもっとゴリ押ししなかったの!」
「ゴリ押しってお前…。」
今ごろ一人でお正月なんてかわいそうと楓はバーナビーを案じた。
無論、父親の考える『連れて帰る』とは意味合いが違う。
本当は攫うようにここに連れて帰れればどんなに良かっただろう。
だが、バーナビーは虎徹からの独立を望んだ。
「もうこれ以上貴方に依存するわけにはいかない。」と。
今まで他人に操られてきた人生を一度リセットしたい。
そう言われればもうバーナビーを止める術はなかった。
あの別れから一年、まさか再会できるとは思いもしなかった。
虎徹は緩む表情を隠すようにコーヒーを啜った。
バーナビーの嗜好に合わせた甘いミルクコーヒーが
冷え切った体に沁みわたる。
「俺さ、今年はお前と一緒に正月迎えられて、すげえ嬉しいんだ。」
虎徹はカップを車のボンネットに置き、バーナビーの手を握った。
「今年も俺と一緒に居てくれるか?」
耳まで赤い虎徹を見てバーナビーは自分もカップをボンネットに置き
静かに頷いた。
一人で世界を歩いて、改めて思い知った彼の存在の大きさ。
ここに戻ってきてよかったと心から思う。
彼が今年も共に在ろうと言ってくれることがこんなにも嬉しい。
「当たり前でしょう。僕は貴方のパートナーですから。」
バーナビーは穏やかだが強い意思の宿る声でそう言い、静かに目を閉じた。
唇を重ねた二人を、昇り始めた朝日が淡く照らし出した。
終り