春の嵐
「行っちまったなあ。」
虎徹はシュテルンビルト空港を一望できる展望台のフェンスに肘をかけ、
轟音をあげ西の空へ飛び立っていくジャンボ機に手を振った。
「シュテルンビルトに来てたった一週間で次の街へなんて落ち着かねえ奴だな。」
虎徹はあの苦い記者会見の日を思い出し苦笑した。
新バディお披露目の日から僅か7日。
『さすらい』の二つ名を持つライアンもさすがに最短記録だと笑っていた。
「歓迎会どころか送別会をする間もないなんて少し寂しいですね。」
バーナビーはもう見えなくなった空を見上げ息をひとつついた。
「彼とは仲のいい友人になれそうな気がしたんですが。」
強制的に虎徹と引き離された動揺でライアンには不快な思いもさせてしまった。
不遜、尊大をベースにキャラづくりされた彼が本当は実直で優しい人だとは
何となく感じていたのに。
名残惜しげな表情を浮かべ、バーナビーはもう機影も見えない晴れた空を見上げた。
「まあ、メールアドレスも交換したし。また連絡すればいいですよね。」
「そういやお前、昨夜はあいつと飲みに行ったんだっけ。」
虎徹はどこか拗ねるような口調で言った。
「何話したのあいつと。」
その言葉にヤキモチの匂いを感じ、バーナビーはくすっと笑った。
「いろいろと。けっこう楽しかったですよ。」
「なんだよそれー。」
虎徹は唇を尖らせたものの、それ以上は追及せずぷいと顔を背けた。
含みのある言い方に色々気になるものはある。
だがそれをいちいち追求するのは一回りも年上の彼氏としてどうなのか。
虎徹の煩悶にバーナビーはしょうがない人だなと苦笑した。
「貴方が心配するようなことは何もありませんよ。」
「当たり前だ!!」
ライアンの誘いがきたのは昨日の夕方だった。
「シュテルンビルト最後の夜くらい束の間の相棒と一杯やろうぜ。」
そう誘われてバーナビーに否があるはずもない。
「じゃあいい店を紹介しますよ。」
そう言ってバーナビーがライアンを連れてきたのは古いバーだった。
照明を抑えた店内に響く生のジャズ。
カウンターで恭しく一礼する初老のバーテンダー。
へえとライアンは口角をあげた。
「オーセンティックでいい感じだな。酒もうまそうだ。」
「ええ。それにここのお客さんはヒーローが素顔で呑んでいても騒がないんです。」
その言い方にライアンはにやにやとバーナビーの顔を眺めた。
「どうしました?」
「いいのか?ここ、アライグマ君の行きつけで連れてきてもらったんだろ。」
二人の大事な店じゃないのか?
そこに俺みたいな当て馬を連れてきてオッサンがヤキモチ焼くんじゃねえ?
そう言われてバーナビーはくすっと笑った。
「大丈夫ですよ。」
「どっから来るのその自信。」
茶化すようなライアンの言葉にバーナビーは静かに微笑んだ。
「君と飲みに行くと言ったら虎徹さんがここにしたらどうだって言ってくれたんです。」
その光景を想像し、ライアンは笑いを噛み殺した。
ジュニア君、バカ正直に『男と飲みに行く』と彼氏に伝えたわけ?
自分自身が男と付き合っていながら、別の男を性的な意味で警戒していないってか。
でもあのアライグマ君は絶対警戒してるよな、俺のこと。
ジュニア君すげえ美人だし、男がイケる口ならほっとくわけねえもんな。
でもそれを言って喧嘩にしたくないってか。
痩せ我慢して大人の男を演出したわけね。
自分の隠れ家に行って来いとまでいっちゃって。
うんまあ、年相応にいい店知ってるなとは思うけど。
自分で言っといて、ここでいい雰囲気作っちゃってるとこ想像してたり?
あのオッサン今ごろ嫉妬と不安で悶々としてるぞ。
やべえ、想像したら笑えてきた。
『酔ったジュニア君食ってるなう。』
とかメールしたら瞬速で飛んできそうだな。
で、ジュニア君の方はオッサンのそんな男心をまーったく分かってねえと。
オッサン苦労するねー。
まあ安心しろよ。
俺はノンケで巨乳派だから。
そんなことを考えていると、バーナビーが怪訝な表情でライアンを覗き込んだ。
「どうしました、ライアン?」
「いやなんでも。ま、乾杯しようぜ。」
バーテンダーが絶妙なタイミングでロゼワインとバーボンを差し出す。
「ライアン&バーナビーに乾杯。」
「乾杯。」
たった三日間だけの幻のコンビ。
けれどその三日があまりに濃密過ぎて、話はなかなかつきなかった。
今までに出会った事件のこと。
ライアンがさすらってきた様々な土地のこと。
こんな凄いNEXT能力者がいた。
家族、友人、ペットのイグアナ。
話はあちらに飛びこちらに飛び。
それと共に二人のグラスが幾度となく交換される。
「でさ、ジュニア君はアライグマ君と付き合ってたわけだろ。」
酒が進んでやや饒舌になってきたバーナビーに
頃合いやよしとライアンがカマをかけた。
「付き合ってたじゃありません。付き合ってる、ですよ。」
この一件で少しぎくしゃくしたけれど、プライベートでは別れてはいませんよ。
カマをかけられたことにも気付かずバーナビーが律義に訂正した。
「ジュニア君って嘘つけないタイプだよな。」
くっくっと喉の奥で笑われて、バーナビーははっと気がついて頬を染めた。
「でさ、どっちがベッドで可愛がられちゃう方?」
その言葉にバーナビーはさらに頬の赤みを増しつつも手をあげた。
「やっぱりなー。オッサンがネコってことはないよなー。」
あのオヤジが男に組み敷かれてアンアン言ってるとこは想像したくねえわ。
いや、アンタのも俺的には遠慮したいけど美人だしまだいいかな。
勝手なライアンの言い分にバーナビーは屈託なく笑った。
「でさ、最初にどうやって決めたの。ジャンケンってわけにもいかねえだろ。」
「というか…虎徹さんと出逢うまで僕が経験値0だったので自動的に…。」
その言葉にえっとライアンは驚きの声をあげた。
このスペックで数年前まで、いや今も童貞!?
そう思ったのが伝わったのかバーナビーは少し気を悪くしたように口角を下げた。
「じゃあジュニア君、オッサンが初めての恋人でそうなっちゃったってこと?」
恥ずかしそうに頷くバーナビーにライアンは納得した。
「そりゃあオッサン、ジュニア君が可愛いし手放したくないはずだわ。」
その言葉にバーナビーはふっと寂しそうな表情を浮かべた。
「でも…簡単に僕が君とコンビを組むことを了承しましたよ。」
もっとあがいてくれるかと思ったのに。
だまし討ちみたいにあのコンビ発表の舞台に送り出されたんです。
バーナビーがそう呟くとライアンはふーんと唸った。
「簡単に…ねえ。そうは見えなかったけど?」
ライアンは苦笑してグラスを揺らした。
「オッサン、俺様の事すげえ眼で見てたぞ。」
「虎徹さんが?そんなはずは…。」
バーナビーが弁護しようとするとライアンは首を横に振った。
「こいつは俺の相棒なのにって執着半端なかったぜ。」
その言葉にバーナビーがはっとした。
「オッサンの事を一番分かりそうなあんたが一番分かってねえなんてな。」
ライアンはそう言うとふと腕時計に目を落した。
この先は自分の役目じゃない。
「さて、そろそろお開きにするか。ああそうだ、いい事思いついた。」
ライアンはちょっと失礼と言い、虎徹のメールアドレスを開き何やら送信した。
「ほらジュニア君、彼氏が速攻でお迎え来るってよ。」
ニヤニヤと笑いながらライアンがバーナビーに見せたメール画面は…。
←アライグマ
3月7日 23:35
>オッサン、ジュニア君が酔っちまったんで迎えに来てくれ。
来なかったらライオンさんが美味しそうなウサギちゃん食っちまうぞーww
場所はあんたお勧めのバーだよーん。
→アライグマ
3月7日 23:36
>>んだとコラ!!今行く即行く!!お前ぜって―バニーに手ぇ出すなよ!!
そこで待ってろ!
即レスのその文面にバーナビーは驚いて目を丸くした。
「ちょっとライアン、どうしてこんな…。」
こんな時間、虎徹さんだってお酒ぐらい飲んでるだろうし、迎えにこいなんて。
すぐに『タクシーで帰るから大丈夫。』とメールしようとしたが
ライアンが意味深な目で『良いから』とそれを制した。
それから30分後…。
「バニー!無事か!?」
虎徹は車を飛ばし息を切らしながら店にやってきてバーナビーを攫うように連れ帰った。
「ライアン明日のフライト気をつけてなじゃあお休み!!」
「じゃ、じゃあライアン。明日の出発見送りに行くから。」
何とかそう言い残そうとするバーナビーの遠ざかる声にライアンはぷっと吹き出した。
「オッサンまじで酒も飲まずにいたんだ。もとから迎えに来る気満々じゃねえか。」
ライアンは暫くバーのカウンターに突っ伏してひとしきり笑った。
ブロンズのアパート住まいだというからここまでは小一時間かかると思っていた。
この分だと法定速度ぎりぎりでかなり無茶な運転をしたはずだ。
「オッサンどんだけ可愛いんだよバニーちゃんが。」
ライアンはくっくっと喉の奥で笑うとバーテンダーに空のグラスを掲げた。
「サイドカー二つ。アンタも付き合ってよ。」
初老のバーテンダーが頷きほどなく二つのグラスが供された。
「この街の愛すべきコンビヒーローに。」
ライアンの言葉にバーテンダーは微笑んでグラスを掲げた。
「そして心優しき黄金の獅子に。」
ライアンはその言葉に照れ臭そうに笑った。
「乾杯。」
そしてその翌日、虎徹とバーナビーはライアンを空港で見送った。
湿っぽいのは嫌いだと言い、ライアンは最後まで二人をからかい軽口を叩いていた。
「じゃあな。次の街でも頑張れよ。」
虎徹はもう何のしがらみもない優しい顔でライアンに笑った。
「君の活躍をここから応援しています。」
バーナビーも柔らかく微笑み、ライアンに握手の手を差し出す。
「おう!あんたらも1部に返り咲いたからには頂点狙えよ!!」
ライアンは両手で二人と握手し、力任せにハグした。
西の空に機影が消え、二人はふっと息を吐いた。
「まるで春の嵐でしたね。」
バーナビーは名残惜しげに空を見上げた。
「全くだ。それで、あいつ次はどこにさすらうって?」
たしかここに来る前はコンチネンタルエリアだったか。
世界を股に掛ける旅ガラスだなと虎徹は笑う。
「なんでも中東の富豪からオファーが掛かったそうです。」
「うお!スポンサーはアラブの石油王か。すげえな!!」
契約金いくらぐらいなんだろうなどと下世話なことを言う虎徹に
バーナビーはもう、と苦笑した。
「あっちは女性に気安く声をかけられないのが不満だってぼやいてましたよ。」
「はは。いっそ所帯もったらハーレム作れるぞ。」
「同じこと僕も言いました。そしたら…。」
「なんて?」
首を傾げた虎徹にバーナビーは意味深な笑みを浮かべた。
「そんなんより俺もジュニア君みたいな純愛してえなーって。」
ぶふっと吹きだした虎徹にバーナビーは『うわ汚いな。』と引き下がる。
「ぶは!?バニーちゃん、あいつにどこまでしゃべったの!?」
虎徹の問いにバーナビーはふふっと笑った。
「さあ。僕酔ってたので覚えてません。」
「うそつけ!素直に白状しなさい!!」
虎徹はバーナビーの首に軽く太い腕を巻きつけた。
「もう!たいしたこと言ってませんてば。」
その時サイレントにしていたバーナビーの携帯が静かに震えた。
→ライアン
3月8日 10:26
コテツサンはあんたのこと大好きだぜ。
自信持ってこれからもどっどーんと幸せになれよ!
終り