アメジスト
「あのお…これ買ったら本当に幸せになれるんすかあ?」
若い女性がまだ信じがたいという眼で水晶と思しきブレスレットを指した。
「ああ、お嬢さんは何がお望みかな?」
店主が望みはなんなりとというように店内の商品を掌で指した。
女性はもじもじと視線を彷徨わせ、『恋愛成就』と書かれた薄桃色のブレスに目を留めた。
安っぽいローズクオーツ、シルバーステージの雑貨店ならせいぜい20ドルか。
値札には壱百S$とあるが彼女には読めない。
女性は気恥ずかしげに身を捩った。
「素敵な恋人が欲しいっす。」
うんうんと頷いた老人は抽斗の奥からもったいぶって別の商品を取り出した。
「これなど霊力が高いですぞ。これなら今日にでも、そうBBJのような男性が現れる。」
その言葉に店の外で待機していたタイガーがぶはっと吹きだした。
「だってよBBJ?」
同じ会話をPDA越しに聞いていた当の本人も苦笑した。
「まあ、このあとすぐ現れますから嘘ではないですけどね。」
「運命の王子様が100ドルそこらで出るなんざ、お安いもんだねえ。」
「僕のギャラがそんなに値踏みされるとは、正式に抗議しなくてはね。」
カールした髪に隠したイヤフォンから二人の会話が聞こえ、
若い女性−変装したミスバイオレットは笑いそうになるのを必死で堪えた。
<先輩方、笑わせないでほしいっす!!>
俯いたバイオレットに老人が首を傾げた。
「どうかしましたかな?」
はっと我に返ったミスバイオレットが咄嗟に買うか迷うような素振りを見せた。
「うーん、BBJが現れるなら欲しいけど…いくらっすか?」
老人はひらりと値札を見せた。
雰囲気作りのためか仰々しい漢字で書いてある。
「波動が合うか見てみたいから触っても良いすか?」
バイオレットは思い切ってスピリチュアルかぶれの雰囲気を醸し出してみた。
老人はふむと唸り彼女を見定めるような視線を全身に這わせた。
「少しだけですぞ?」
バイオレットはそっとブレスに手を触れた。
長い袖の下のCCDカメラに値札がうつる。
―伍千S$
「…波動は合うみたいっす。」
「それはよかった。石が貴女を呼んだんでしょうな。」
今時だれも着ないような『それらしい』道服に身を包んだ華僑の老人が
長いキセルを手に黄ばんだ歯を見せて笑った。
「なんて値段だ。ぼったくりは確定だな。」
タイガーは渋い顔をした。
「あれなんて読むんですか?」
「5000S$。だが相手が数字を読めないのをいいことに吹っ掛けてるだろうな。」
タイガーはインカムでミスバイオレットに小声で指示を出した。
「値札はいくらと書いてるのか聞いてくれ。」
バイオレットは不思議そうな表情を作り老人に訊ねた。
「あの、この値札はなんて書いてあるんすか?アタシ漢字はまるで読めなくて。」
老人は電卓を叩いた。
「これだけだよ。」
電卓に触れようとすればカメラに気づかれるかもしれない。
バイオレットは敢えて大きな声を出した。
「ええっ!?一万ドル!?そんな高いの買えないっす!!」
そう言ってからもバイオレットは未練がましい目を水晶のブレスに向けた。
欲しいのはもっと決定的な言葉。
「これでゴールドステージの素敵な紳士がおまえさんを迎えに来るとしてもかね。」
「ゴールドステージ!?そんなすごい人がアタ…私を!?」
老人は当たり前のことのように頷いた。
「必ず勝てる投資だが、疑うなら他の人に売るまでだな。」
老人は買わないなら帰れと突然態度をすげないものに変えた。
「さすがに上手いですね。ああ言われると焦って買う心理を突いてきてる。」
バーナビーはそろそろかなとタイガーを見た。
「どうします?」
「そうだな、ここまでだ。相手が値札を読めないのをいいことに嘘もついたし。」
タイガーはどっかと座りこんでいた非常階段から腰をあげた。
「さあ王子様の登場だ。」
「攫うのは姫君じゃなく悪い魔法使いですけどね。」
そう言ってバーナビーは店のドアを蹴破った。
「動くな!」
続いて店内に踏み込んだタイガーが叫んだ。
「爺さん観念しな!インチキ商法はそこまでだ!」
「シュテルンビルト商法182条違反。王大人、貴様に逮捕状が出ている!」
老人は驚いて目を見開いた。
「ごめんねおじーちゃん。アタシこういうの信じないんすよ。」
安っぽいブレスを指で弾きバイオレットがバカにした眼で老人を見た。
待機していた警察に犯人を引き渡し、
他の逃走経路を張っていた二部メンバーにも任務完了の連絡をする。
最終的な確保は危険な斥候役を頑張ったバイオレットに譲られた。
「お疲れさまでしたミスバイオレット。名演技でしたね。」
「すげえ自然だったぜ。爺さん全然疑ってなかったもんな。」
二部では後輩とはいえヒーローとしての実績上での大先輩達に褒められ
ミスバイオレットは恐縮して両手を振った。
以前はポイントゲットの鬼とも言われた先輩がおいしいところを
後輩の経験のために譲ってくれたのは重々承知している。
「とんでもないっす!それにしても許せないっすね。」
バイオレットは警察に護送される詐欺師を忌々しげに睨んだ。
「幸せになりたい人の気持ちを踏みにじるなんて、サイテーっすよ!!」
「そうだな。」
タイガーは彼女の言い分をもっともだと思ったのだが。
「…もし本当に幸せが金で買えるなら安いものですよ。」
ポツリとつぶやいた声を聞いたのはタイガーだけだった。
「さっきはどうしたんだ?」
自宅に連れ帰ったバーナビーに酒を勧め、虎徹は心配そうに言った。
「何の話ですか?」
ビールの缶を受け取りバーナビーは怪訝そうに首を傾げた。
「幸せが金で買えるなら安いもんだって…。」
どこまで聞いていいものか。
そんな遠慮がちな虎徹の物言いにバーナビーはああと笑った。
「いえ…ああいう詐欺は引っかかるほうも引っかかるほうだと思っただけです。」
「そりゃそうだけど…。」
虎徹は何か釈然としないものを感じた。
「一万ドルで幸せが買えるなら安い。犯人も言っていたじゃないですか。」
どこかやさぐれた口調で言い捨て、バーナビーは缶ビールを呷った。
「その一万ドルはブロンズ住民の年収相当かそれ以上だって忘れるなよ?」
虎徹がやんわりと釘を指すとバーナビーは仏頂面で頷いた。
「でも本当に幸せになれるなら、二、三年分の年収でも出しませんか?」
いやに絡むな。
たぶん主題は金額の多寡じゃない。
こいつの本音はどこだ。
虎徹は諌めるのをやめ、バーナビーに言いたいように言わせることにした。
「虎徹さんのイメージする幸せって、なんですか?」
だしぬけに訊かれ虎徹は面食らった。
「なんだよ急に。そうだなー。」
まずずっとヒーロー続けることだろ。
出来たらお前とずっとコンビやりたいけど、
お前を一部にあげてやりたい気持ちもあるんだよな。
あとは楓が無事に大きくなること。
寂しいけど、いつかはいい相手見つけて幸せな結婚して。
かわいい孫の顔見せてくれてさ。
んでさ、私生活ではずーっとお前と一緒にいられること。
それさえ叶えば他には要らねえなあ。
ビールを呷りながら幸せそうな顔で虎徹はそう言った。
「で、バニーの幸せはどんなんよ?」
バーナビーは俯いて束の間躊躇ってから言った。
「1年前、知人に勧められて開運のブレスを買ったんです。」
突然の意外な告白に虎徹は持っていた缶を取り落としそうになった。
「マジで!?お前が!?」
この理論派でリアリストなバーナビーが?
信じられないという面持ちで虎徹はバーナビーの顔を凝視した。
「バカみたいでしょう?」
自嘲の笑みを浮かべたバーナビーに虎徹はなんとか横に首を振った。
「いや…まあ、誰にでも魔がさすっつーか気が弱る時ってあるからさ。」
本当にそう思うかというようなバーナビーの目に虎徹は顎を掻いた。
「…まあ、お前がそういう詐欺に引っかかるとは意外だけど。」
こいつだったら1万ドルなんかそう高い額でもないし、
気まぐれの衝動買いみたいなもんだったのかな。
虎徹はそんなふうに思った。
「引っ掛かったというのは少し違いますが、本当にバカみたいな話ですよ。」
こんどこそ吐き捨てるような吐息をつき、バーナビーは遠い目をした。
『幸せになりたいならいいものがあるよ。』
知人の紹介で断るのも面倒だったっていうのもあるんですが。
その時ちょうどマーべリック事件の直後で世間からかなり叩かれてて、
記者会見や公判で毎日振り回されて疲れてたんですかね。
何度も思い出したくもないことや
話そうにも覚えていないことまで根掘り葉掘り聞かれて。
人生も人格も全否定するようなことを朝から晩まで言われて。
自分の存在にすらもう自信が持てなかったんです。
今までずっと自力で生きてきた気になってたけど、
それもマーべリックの掌の上だった。
そんな時にいいものがあると紹介されて。
あの犯人が売ってたのとよく似たジルコニアのブレスです。
ああ、ジルコニアっていうのはよく摸造ダイヤに使われる石なんですが。
売ってた方は天然の水晶だって言ってたっけ。
なんだかもう、そんなものに縋るしか他にないように思えて。
1万とちょっとしたかな。
幸い、それを一括で買ったところで困る懐事情でもなかったので
偽物でもまあそんなもんかぐらいでした。
何でもよかったんです。
値段なんかどうでもよかった。
なにか、拠り所が欲しかった。
僕でも幸せになれるっていう証明みたいなものが。
家族も縁者も皆殺しにした男を恩人と思っていた。
そいつの作った舞台で主役を張っていい気になっていた。
挙句の果てにその舞台で大切な人に瀕死の重傷まで負わせた。
こんな僕でも幸せになれるなら…って。
はは、こうして話してみると本当にバカですよね僕。
いいお客さんだ。
そこまで饒舌に言ってバーナビーはふっと気まずそうに笑った。
「すみません、酒が不味くなるような話をしました。」
酔っ払いのたわごとだと思って忘れてください。
そう続けたバーナビーの手を虎徹は握り締めた。
「許せねえ…。どこの誰だその知人って奴…。ぶっ殺してやりてえ!!」
握った手が怒りで震えている。
「昔の話ですよ。殺すなんてヒーローが言うには不穏当です。」
穏やかなバーナビーと対照的に、虎徹は激しく首を振った。
「これは酔っ払い鏑木虎徹の主張だ!探しだしてぶん殴る!!」
「貴方がそう言ってくれるだけで僕は幸せですよ。」
バーナビーは自分の手を痛いほど握り締める虎徹の手を
そっともう一方の手で包んだ。
「貴方とヒーローやって、こうしてお酒呑んで。それで十分です。」
その言葉にだっと虎徹は叫んでバーナビーを抱きしめた。
「お前の幸福の期待値は低すぎる!!もっと高望みしろ!!」
仕事上がりにこんなオッサンと差し向かいで飲むだけでいいなんて
そんな安上がりな幸せだけで満足すんな!!
お前はもっともっと幸せになっていい…っていうか、なるべきなんだ!
バーナビーは困ったように笑った。
「僕の望みと貴方の望みはそう違いませんよ?」
虎徹はその言葉にもどかしげに首を振った。
家族…子供を持ちその子の成長を見守る幸せ。
それは自分との別れが前提になる。
もしそれでバーナビーが幸せになるなら、
自分は涙を隠して笑顔でこの手を放してやらなければ。
だがそれを今いうのは辛い。
虎徹はふと思い立って自分の左手から紫水晶のブレスを引きぬいた。
「やる。」
そう言ってバーナビーの手を取りその手首に半ば強引に巻きつけた。
「ちょっと!これあなたの大事なものじゃ…。」
「昔友恵に貰った。」
その言葉にバーナビーは眼を見開いた。
「あなた馬鹿ですか!奥さんの形見の品を他人にやる人がありますか!!」
「お前は他人じゃねえ!友恵だって許してくれる!!」
「友恵さんが許したって僕が許しませんよこんなこと!!」
互いに激昂し始めたと気づいたバーナビーは席を立った。
「ちょっと水貰います。」
「お、おう。」
気まずい空気が流れた。
ヒートアップした感情を一旦抑えようとバーナビーは
水の入ったペットボトルとグラスを手に虎徹の隣に戻った。
「紫水晶の意味…『真実の愛』なんだってさ。」
虎徹は遠慮がちに話しはじめた。
「だったらなおさら…。」
受け取れない、というバーナビーの機先を制して虎徹は片手をあげた。
「友恵への愛は真実だけど完結しちまった。だからさ…。」
これを受け取ってほしい。
前妻に貰ったもんなんて気分悪いかもしれないけど。
これは俺のお前への『真実の愛』だから。
…だっ!
なんか柄にもないこと言ってると上手く言葉が続かねえや。
照れ臭そうに虎徹がそう言うと、バーナビーはその手にブレスを返した。
「バニー、そこまで嫌か?」
少し哀しそうな虎徹にバーナビーはそうじゃないと首を横に振った。
「これを貴方がつけていてください。そしてその上で僕の傍にいてほしい。」
バーナビーはそっと虎徹の胸に額を預けた。
「ブレスだけじゃ足りない。それをつけた貴方そのものが欲しい。」
小さな声で言ったバーナビーのささやかな願いに
虎徹は嬉しそうに相好を崩した。
「お安い御用だ。お前本当に幸せの基準が低すぎだよ。」
バーナビーはいいえと虎徹の顔を見上げた。
「貴方を貰う代価は僕のすべてです。高い投資なんですから回収します。」
そう言って悪戯っぽく笑って、バーナビーは虎徹に抱きついた。
「必ず勝てる投資ですが、疑うなら他の人に売るまでですよ?」
その言葉に虎徹は苦笑した。
「そりゃいけねえや、商談成立だよバニーちゃん。」
虎徹はこれは手付だよといってバーナビーに口づけた。
終り