アリアドネの糸
3.ペルセウスの生還
「では、報告ご苦労様でした。タイガーさん、バーナビーさん。」
ペトロフ管理官のその声で今回の任務が一通り終わった。
「失礼します。」
虎徹とバーナビーは一礼して執務室を辞した。
「しっかし…。お前も無茶するなあ。」
虎徹は気疲れしたのか手近な自販機でコーヒーを買いながら
バーナビーを呆れたように見つめた。
「海中で爆弾蹴るって…あんときと全く同じじゃねえか。」
虎徹はコーヒーをバーナビーに手渡し、もう一度ボタンを押した。
「俺、お前の報告聞いててぶっ倒れそうになったわ。」
「…だって。虎徹さんが言ったんじゃないですか。勘で行けって。」
バツが悪そうにそう答えながら、
バーナビーは礼を言ってコーヒーを受け取った。
「いやいやいや!なんで!?勘で行く=蹴るってなんで繋がる!?」
虎徹はそう言ってから、バーナビーは追いつめられると
意外に直情的な行動に出るんだったとようやく思い出した。
さっきの口述報告もワイルドとしか言いようのない内容だった。
「シュテルンビルト湾テロ未遂事件の爆弾処理についてご報告します。」
バーナビーはペトロフ管理官の前で口述を始めた。
それはあまりに意外な顛末だった。
シュテルンビルト湾内、水深20メートル地点の
ドロップオフにて司法局より依頼のあった爆弾を発見しました。
その時点で時限爆弾の予定時刻まで30分でした。
ただちに万能ナイフを使用し、トラップの切断には成功しましたが、
真管導線の処理の判断に迷い、爆発まで5分を切りました。
もはや解体している時間はないと判断。
万一の被害を最小限にすべく、すぐ傍にあった海底断崖から蹴り落としました。
その時ドロップオフに下降潮流がぶつかっていましたので、
潮の流れにより速やかに、目視にて推定水深50メートルほどの地点に落下。
そこで30分が経過、当該の爆弾が爆発しました。
冷静な報告だが、明らかに内容がおかしい。
あの時横で聞いててよく倒れなかったと、
虎徹は自分で自分を褒めてやった。
それ、もうお前じゃなくてもいいよね?
お前、爆弾処理スキル買われて指名されたんだよね?
で、なんで蹴る!?
前が上だったから今度は下なの!?
そう突っ込まなかったことも褒めてやりたい。
「ペトロフ管理官も若干引いてたよな、お前の荒技に。」
虎徹はいつもクールなペトロフの目が、
報告を聞いているとき僅かに見開かれたのを目ざとく見ていた。
「賠償金王の俺ならともかく、お前がそういうキャラとは思わねえよなあ。」
目が点になるってああいうのを言うんだなと
虎徹は呆気にとられた管理官の表情を思い出し、くっくっと喉で笑った。
「しょうがないじゃないですか。他に方法がなかったんだから…。」
バーナビーは拗ねたような表情で歯切れ悪く言った。
「でもまあ、お前よくやったよ。あのきつい単独任務、見事クリアしてさ。」
虎徹はがしがしと荒っぽくバーナビーの頭を撫でた。
「まあ、俺はバニーなら絶対出来ると思ってたけどな。やっぱ、さすがだよお前。」
虎徹が手放しで褒めちぎると、バーナビーは静かに首を横に振った。
「いいえ、あれは虎徹さんのおかげです。」
バーナビーは目を伏せ、少し恥ずかしげに顔をそむけた。
「虎徹さんの声がインカムで聞こえたあの時、僕すごく安心したんです。」
「へ?俺なんか言ったっけ。」
本気で忘れているような虎徹の声にちょっと笑い、バーナビーは続けた。
僕の判断が間違っていたら爆発は船にいた虎徹さんたちだけでなく
橋の上で始まっていただろう渋滞の列にも直撃する。
何十何百の命が、僕の手に掛かっている。
そう思うと、怖くて動けなかったんです。
恥ずかしいんですが、手が震えてました。
その時、虎徹さんが言ってくれましたよね。
「俺はお前を信じるから、お前も自分を信じろ」って…。
それですごく冷静になれたんです。
まあ、多少荒っぽい方法にはなりましたけど。
もちろん、後先考えずにやったわけじゃありませんよ。
あの方法なら、被害が最小限になると判断して…。
そこまで言った時、バーナビーは虎徹にごつんと頭を小突かれた。
「その『最小限の被害』って自分のことだろうが。」
虎徹は小突いた自分まで痛そうに顔をしかめた。
確かに水上への被害は皆無だった。
しかし水中にいたバーナビーはもろにその余波を受けた。
十数メートルの急浮上と呼吸停止。
船上で頭痛と四肢の痺れを訴えたバーナビーは、
船が港に着いた途端、斎藤の要請で待機していた救急車で病院へ直行。
精密検査のフルコースの後、減圧チャンバーにおしこまれた。
「軽い減圧症だけで済んだから良かったものの…水死寸前だったんだぞ。」
船に引き揚げた時すでに蒼白になっていたバーナビーの肌の色や、
あの冷たい唇の感触を思い出し、虎徹は身震いした。
「俺あの時もう駄目なんじゃねえかって…。心配させやがって…。」
虎徹はバーナビーの頭を荒っぽく抱き寄せた。
バーナビーは海中で朦朧としながら最後に聞いた物音は、
虎徹が自分を捜して水を蹴る音だったのかと漸く思い至った。
<まさか、アリアドネのほうが迷宮に突っ込んでくるとはね。>
自分を待っていたのがか弱い姫君でなく屈強なオジサンでよかった。
バーナビーは傍にあった台にコーヒーを置き虎徹を抱き返した。
「でも残念だな。虎徹さんが必死で人工呼吸してくれるとこ見たかったのに。」
「馬鹿、意識があったら人工呼吸要らねえだろ。」
軽口をたたき合い、二人は笑った。
ふとバーナビーは船でケインが小声で言った言葉を思い出した。
『バーナビーさんに蘇生処置してる時のタイガーさん、
いつもの10倍カッコよかったんですよ!!』
そこまで言われると、当事者ながら見てみたかったという思いが募る。
「ああそうだ、ケインさんのカメラに入ってるかな。マル秘お宝感動映像。」
「お前まだ言うか…って!!カメラ!?OBCの!?」
はっと気がついて虎徹とバーナビーは顔を見合わせた。
「あの人工呼吸の映像がヒーローTVのカメラに!?」
「そのVTR絶対アニエスも見てるよな!?」
「あの女性がそんな映像スルーするわけないですよね!?」
空調の効いた司法局で、二人の体感温度が一気に下がった。
確実にネタ扱いされる。
昔流行った黒人女性歌手の古いラブソングあたりをBGMにつけて。
そんな想像がVTR仕立てで二人の脳裏にありありと映る。
「時期的に年末特番ですかね…。それもバラエティ…。」
「なんで司法局の極秘任務がバラエティなんだよ。リアル過ぎて嫌だよそれ。」
アニエスならやりかねない。
いや、絶対やる。むしろやらなきゃアニエスじゃない。
げんなりとした顔で、二人は同時に溜め息をついた。
どこからか、アニエスの高笑いが聞こえたような気がした。
終り