←TOP

 

A 1031

 

1045 外科病棟

 

「あら鏑木さんどちらへ?

松葉杖で廊下をひょこひょこと歩く虎徹にナースが声をかけた。

「ちょっと便所に。」

わざとらしい笑いを浮かべた虎徹を見るナースの微笑みがひくついた。

身なりと人目に人一倍気を使う相方の方ならともかく、

彼はトイレに行くだけで院内着から普段着に着替える性分じゃないだろうと。

「呼んでいただければベッドに行きますよ?

「いやあ、綺麗な女の人に尿瓶持ってこられるの恥ずかしいっすよ。」

じゃ、漏れそうなんでと誤魔化して虎徹は大仰に杖をつきトイレに向かった。

その背を見送るナースは近くの内線電話で放送室に連絡する。

『業務連絡:虎猫が逃げました』

 

「よっと!

虎徹は男子トイレ奥の小さな換気窓を外しよじ登った。

ギプスを巻いた脚が通るか気がかりだったが、虎徹の身体は肩幅が一番大きい。

猫の髭と同じ理屈で、肩さえ抜ければ細い足腰はするりと窓を越えることができた。

窓から中庭の大木へ、木から隣の棟の非常階段へ。

ワイヤーを駆使してまんまと駐車場に逃げだした虎徹の耳に

屋外スピーカーから響く放送が聞こえた。

『業務連絡、虎猫が逃げました。職員は見つけ次第保護してください。』

周囲の見舞客は「病院が猫を飼っているのか?」と怪訝な顔をしている。

だが当の猫はその暗喩にすぐ気がついた。

「やっべ!

見れば目の前に一台のタクシーがいる。

あれだと虎徹は不自由な足を引きずって飛び乗った。

「いたぞ!!

後ろから追ってくるスタッフの声が聞こえる。

「どちらまでで?

のんびりとした運転手に虎徹はとにかく出してくれと言った。

エンジンが掛かり歯噛みするスタッフの前を通り抜けてタクシーが病院敷地を出ていく。

「で、お客さん、どこ行けばいいんです?

 

1115 ウェストシルバー幹線道路

 

 

「サウスゴールドの、えと…名前なんだっけ…一番でかいマンションまで!

言ってからバーナビーが在宅しているか聞いてなかったと思ったが、

とにかく今はこの辺りから離れることが先決だ。

タクシーは幹線道路を通りゴールドステージに向かう長いスロープにさしかかった。

「ふう…今のうちにバニーに電話しとこう。」

ケーキを持ってくると言っていたし、行き違いにさせたのでは気の毒だ。

虎徹はスマホを取り出し発信履歴からコールした。

「…出ねえな。もう家を出ちまったのかな。」

ルールとマナーにうるさいバーナビーはひとたびハンドルを握ったら

携帯電話には触れようともしない。

PDAであれば路肩に寄せてでも出るだろうと虎徹は電話を切った。

その時赤信号で停車した道の向こう大型の街頭スクリーンに

虎徹はにわかには信じられないものを見た。

<脱走中!!ワイルドタイガーを捕まえろ!!

煽り文句の下にいつぞやの指名手配写真にアイパッチを加工した画像が映っている。

「んな!?

<捕まえて1万シュテルンドルの賞金GETしよう!!確保したらヒーローTVTEL!!

呆然とする虎徹をよそにタクシーは静かに走りだした。

状況がさっぱり分からない。

虎徹はスマホで今の情報が出ていないか検索すると出るわ出るわ。

ヒーローTVの企画で市民を巻き込んでの逃亡バラエティに仕立て上げられたようだ。

SNSを見るとトレンドが今の自分の事で埋まっている。

―勤め先にいたのに逃げられた!

―ワイルドタイガーの乗ったタクシー画像うぷ。

―行先はバニーちゃんとこだろ?

あの事件で顔の割れた虎徹は市民の間では『顔を知らないこと』にされている。

アイパッチなどしていなくても、事実上はバーナビー並みに面が割れているのだ。

その気になれば市民は誰でも自分を追いかけられる。

「マジかよ…。」

その時バーナビーからメールが入った。

 

事情があり詳しくは話せません。

今日は僕のところに来ないでください。

一旦病院に戻って大人しくしていてください。

女王様にひと泡吹かせてやりたいので。

 

そのメールで虎徹は理解した。

病院の誰かが虎徹の脱走を見越して会社に注意を促した。

会社から連絡を受けたアニエスがこの特番を企画した。

バーナビーにもこの企画に乗るよう指示があった。

だが、病院を抜け出してまで自分の誕生日を祝おうとした虎徹の気持ちを

ネタにして面白おかしくしようとするOBCにバーナビーは怒っている。

「番組ぶっ潰そうってか。バニーちゃん怒ると怖いねえ。」

だが虎徹はにやりと笑った。

確かに『バーナビーのもとに虎徹が来ず、病院で1日を過ごす』となれば

企画は成立せず女帝の望む視聴率はパアだ。

それもひと泡吹かせるやりかただろう。

「でもさ、こういうのも良いと思うんだよな。」

バーナビーにカメラの前でキスしてやる。

最高視聴率となるか放送事故となるかは微妙だ。

だがアニエスが青くなってCM!と叫ぶさまは目に浮かぶ。

「やってやろうじゃねえの、アニエスさんよお。」

 

 

虎徹は作戦を講じながら外を見て異変に気がついた。

通る道がおかしい。

この道をまっすぐ行くと…。

「運転手さん、遠回りしてない?

「いえ、近道は工事中で迂回指示が出てましてね。」

虎徹はその上擦った声音で気がついた。

バックミラーを覗く忙しない視線。

「そっか、じゃあしょうがねえな。」

虎徹はそう言うと能力を発動してドアを壊し車道に飛び降りた。

車線を掻い潜り歩道へと飛び出る。

「くそ!逃げやがったな!!

タクシーから身を乗り出したドライバーが叫んだ。

「修理代はOBCに請求してくれ!!

着地の衝撃で痛む足を引きずり、虎徹は周囲を見回した。

あたりの市民がじっと自分を見ている。

「えっと…。」

後ずさる虎徹に誰かが叫んだ。

「いたぞ!ワイルドタイガーだ!!

「だっ!!

虎徹は発動光の長い尾を引いて必死で逃げた。

 

 

1200 バーナビー自宅

 

居間の大型モニターに右往左往する市民が映る。

今のところワイルドタイガー確保の情報は入っていない。

「虎徹さん、何とか逃げて病院に戻ってください…。」

バーナビーは祈るような気持ちで画面を見た。

このままアニエスの思惑通り、自分の処に来ようとすれば

無数の市民にいずれ捕まりかねない。

一度は発動で振り切っても1分で逃げ切れる距離には限界もある。

だが虎徹からはメールのレスがない。

「やっぱりこっちに来る気なのか。」

だとすれば二の矢を撃つ準備をしなくては。

バーナビーは携帯を取り出した。

「虎徹さん、貴方がその気なら何とか逃げ切ってくださいよ…。」

二度のコール音のあと相手が通話に出た。

「バーナビーです。提案があるんですが。」

先方はバーナビーの話を聞き、面白いと言って快諾した。

通話を切り、バーナビーは街をうろつく数多のハンターに微笑んだ。

「せいぜいがんばってゴールに追い込んでくださいね、バウンサーのみなさん。」

お前らは僕の猟犬に過ぎない。

最後のハンターはこの僕だ。

…建前上は、ね?

―ハンターの数はおよそ1000!ワイルドタイガーは逃げ切れるのか!!

マリオの中継が賑やかに響き渡る。

―おおっと!ここで特別ミッション!!市内某所で捕獲したハンターには

ボーナス5000シュテルンドル加算だあ!!

わっと市民が湧く映像にバーナビーはほくそ笑んだ。

「そうそう。その辺で捕まえられちゃ困るんですよ。」

バーナビーは薄く笑って外出の準備をした。

「ゴールはそれなりの舞台で派手に行かないとね。」

 

1210 OBC中継車

 

「意外ですね。バーナビーがあんな提案してくるなんて。」

ケインの言葉にメアリーは頷いた。

「タイガーが数多の障害をかいくぐってバーナビーのもとに…。素敵。」

アニエスはうーんと頷いた。

「あいつの作為を感じなくもないけど、市民に邪魔されるよりはってとこかしら。」

タイガーの差し金と考えられなくもない。

だが、どうせなら中途半端なところで捕まるよりはそこで捕まるほうが劇的だ。

視聴率を稼げそうなら誰の発案でも構いはしない。

アニエスは市内某所とだけ言われて映し出されたマリーナの映像を見た。

「でもどうしてあのマリーナなんですかねえ。」

メアリーの疑問にアニエスは決まってるでしょと言った。

「バーナビーの自宅周辺はカメラに映せないわ。ゴールは他の地点でないと。」

それにとアニエスはほくそえんだ。

「二人の出会いの場所で、信じていた相手が最強最後のハンター。燃えるじゃない。」

「趣味悪いですね…。」

ケインがげんなりした口調で言った。

 

1230 市内のとある裏道

 

「なんかトラウマほじくり返される企画だよなあ、これ。」

虎徹は路地に身を潜め、街頭モニターを見た。

その時マナーモードの携帯が懐で震えた。

「バニーからメール?

 

―逃げきれているようですね。

病院に戻る気はないようなので作戦変更です。

何が何でもマリーナに来てください。

僕も現地で変装して待っています。

何とか視聴率の女帝に悲鳴を上げさせましょう。

目印は…。

 

虎徹は添付写真を見てふっと笑った。

「すげえ変装。写真なけりゃスルーしちまう地味兎ちゃんだな。」

虎徹は携帯をしまい、頭の中で市内見取り図を描いた。

能力が戻るまであと5分。

いざという時のためにこのまま5分間はじっとしていた方がいい。

そう判断した虎徹はその間に作戦を練った。

誰か手を貸してくれるものがいないか。

虎徹はふと、うってつけの人物がいると思い彼にメールした。

あいつなら目先の金で自分を売ることはないと信じられる。

―僕でお役にたてるなら喜んで!!

即レスで快諾の旨が返ってくる。

「サンキュー。今度和食奢るぜ折紙!!

 

1300 マリーナ

 

タブレットで状況を把握する。

ワイルドタイガーはまだ捕まっていない。

それどころか市民はそこかしこに現れる偽タイガーに翻弄されている。

「やりましたね虎徹さん。」

バーナビーは虎徹の奇襲作戦に舌を巻いた。

折紙が市内狭しと神出鬼没に現れ消える。

ネット上のタイガー視認情報は信憑性が揺らぎ、

ハンターたちが目に見えて迷走し始めた。

「折紙先輩生き生きしてるなあ。」

いかにも忍者らしいその役目に折紙の擬態が一層冴えている。

スーツを着ているから会社も公認したということだ。

巻き込んでしまったが彼に悪いようにはならないだろう。

「先輩、陽動よろしくお願いします。」

この謝礼はゴールドの日本料理で良いだろうか。

そんなことを考えていると擬態を解いた折紙がモニターに向かって叫んだ。

「バーナビー殿!ハッピーバースデー!!誕生日プレゼントは必ず届けるでござる!!

その言葉に近くにいた市民からもおめでとうの声が上がる。

「先輩…みなさん…。」

変装した地味な青年が目頭を拭うのに注意を払う市民は誰もいない。

木枯らしのマリーナでバーナビーは芯から温かくなるのを感じた。

 

1400 OBC中継車

 

逃亡者追跡劇は時間を追うごとに混迷を極めた。

タイガーを捕獲して賞金が欲しいハンター。

ハンターからタイガーを逃がしてバーナビーの元に届けようとするファン。

影に日向に暗躍する影武者の折紙サイクロン。

そして当のタイガーは未だ姿を現さない。

「どうなってるのこれ!!

当初の予想以上に入り乱れた混戦模様にアニエスは眉間にしわを寄せた。

「でも視聴率凄いですよ!!

その声になんとか気を取り直したアニエスはモニターを睨んだ。

「いい加減出てきなさいよタイガー。」

 

1430 マリーナ

 

虎徹はその頃黄色いジャンパーを羽織りニット帽をかぶってマリーナにいた。

特徴のある顎髭はマフラーで覆われ、至近距離でなければ看破は難しい。

いずれも私設バーナビー親衛隊を名乗る女性ファンに貰ったものだ。

何としてでもバーナビーにスペシャルな誕生日を過ごさせてほしい。

彼女達は熱のこもった声でそう言った。

「お嬢さん方に感謝だな。」

変装してから追手の目はあらぬ方向を向くばかりだ。

発動中にギプスを剥ぎ取ったのも人の目を欺いた。

「お、いたいた。」

視界の隅に目標の人影を捉え虎徹は満足げに笑った。

十数メートル先にバーナビーがいる。

虎徹は走ったりせず何食わぬ顔でバーナビーに近づいた。

「バニー。」

寒そうにベージュのニットカーディガンの袖をすり合わせていた彼が

虎徹の顔を見て嬉しそうに笑った。

「虎徹さん。」

ウイッグをかなぐり捨て、金の髪が午後の陽に輝く。

虎徹はやっと逢えた可愛い恋人の笑顔に相好を崩した。

「待たせたな。誕生日おめで…」

虎徹が抱きしめるより早くバーナビーが抱きついた。

仔兎の愛称が似つかわしくない肉食獣の目をして。

「ワイルドタイガー確保!!

バーナビーの鋭い声がとんだ。

「ええ!??

まさかのバーナビーの裏切りに呆然とした虎徹に

バーナビーが素早く身を絡ませ熱烈なディープキスをした。

生放送中のカメラの前で、だ。

「バニー、舌入れるっておま・・・。」

「しっ!合わせて!!

もとよりキスする気だった虎徹はバーナビーの後ろ頭を掻き抱き、

夜の褥でするような強烈なキスをカメラに見せつけた。

<二人ともおんなじこと考えてるとかどんだけ…。>

打ち合わせもなしに同じ手に出ようとしていたのが嬉しくて

虎徹はキスしながら笑いに肩を揺らした。

「笑ってないで、放送事故狙ってください!!

「あいよ、可愛いウサちゃん。」

なおも二人は濃厚に絡み合い互いの口腔を貪るようなキスをした。

 

「な!CM行って!!何してんのよあいつら!!

中継車でアニエスが叫んだ。

「・・・。」

執務室のモニターを見ていたロイズは目を見開いたまま数分意識が飛んだ。

ラボでそれを見ていたベンと斎藤は涙を流して爆笑する。

うおお!

きゃあああ!!

マリーナにいた人々から驚愕と好奇の声が上がる。

 

「バ…ニー・・さん?

虎徹がおそるおそる声をかけるとバーナビーがニヤリと笑った。

「ここで放送事故なんて、番組的にはどうなんでしょうねえ?

その言葉に、その表情に虎徹は慄いた。

「めちゃくちゃ…怒ってるよね。」

「当然でしょう!!

バーナビーはふんと鼻息荒く捲し立てた。

 

何のためにここまで虎徹さんを無事に逃げ込めるように追い込んだと思うんです。

変なとこで捕まらないようにこの地点での確保を賞金アップして

ハンターの連中の欲をあおったり。

ファンクラブのサイトに「タイガーさんを無事に僕のもとに届けてほしい」と

公表したらファンのみなさんは応えてくれました。

ま、僕が捕まえることはシナリオ通りだったんですけどね。

あのアニエスさんが僕の提案をどの程度信用してくれるか賭けでしたが、

思ったほど警戒していなかったのが幸いでした。

 

バーナビーはにっこりとカメラに向かって言った。

「賞金はお菓子代として市内の児童養護施設に全て寄付します!ハッピーハロウィン!!

周囲の市民からわああっと歓声が上がる。

ハッピーハロウィン!

ハッピーバースデー バーナビー!!

その声に虎徹は嬉しそうに笑った。

3年前、サプライズを迷惑そうにしていた彼が。

こんなトリックを仕掛けられるようになった。

恵まれない子供たちにトリートを与えられるようになった。

「ハッピーバースデー、マイリルバニー。」

カメラの前で虎徹はバーナビーに優しくキスをした。

頬を染め、嬉しそうに笑うバーナビーはいつもにも増して綺麗に輝いていた。

 

 

終り