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デリート

 

 

気がつけば膨大な量になったものだ。

僕は両親の事件のデータフォルダを見て今更その量に自分で驚いた。

新聞記事やTVなんかのメディア媒体に残された記録。

研究所の人たちの足跡を追って虱潰しに行った聞きこみ調査。

警察や司法局の人たちに面倒がられても執拗に食い下がって情に訴え、

それでだめなら養父の権力をちらつかせてでも必死で集めた非公開資料。

いつしかそれはPC容量の実に8割を埋めていた。

どんなに重くても削除できない貴重な資料…だと思っていた。

それが終わってみれば真実とは遠くかけ離れた

何の役にも立たない情報でしかなかったとは。

マーべリックの地位とNEXT能力を考えれば、

この資料の信憑性なんてほぼ0にも等しいだろう。

「…まさに壮大な徒労だな…。」

僕は壁面のモニターに映る在りし日の父母の写真に頭を下げた。

「ついに貴方達の仇は討てませんでした…。ごめんなさい…。」

父さんと母さんはどう思っているだろう。

21年も掛けてこの結果だなんてと怒っているだろうか。

21年もの人生を棒に振ったことを嘆いているだろうか。

もちろんそんな人たちじゃないことは分かっている。

怒っているのも嘆いているのも僕自身だってことも。

今なら理解できる。

きっと両親は天国でこう思っていたはずだ。

「もうやめなさいジュニア。私たちはお前が幸せならそれでいい。」…と。

だとしたら二重の親不孝だな。

僕はこの20年間ちっとも幸せじゃなかった。

あの人に出会うまでは。

「おーいバニー、飯できたぞー。」

リビングのドアが開く音がして僕はそっちを見た。

「見つかったか?さっき言ってたデータ。…ってこれ…。」

そう言いながら入ってきた虎徹さんは壁面モニターを見て顔色を変えた。

「斎藤さんに前貰ったデータ探すんじゃなかったっけ?

虎徹さんは出来るだけ責めないように気を使ったような口調でそう言い、

チャーハンの入った深皿を二つ乗せた盆を窓際の台に乗せた。

空調の風に乗って漂うふわりと香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

「いい匂い。美味しそうですね。」

僕は資料データをすべて閉じ、デスクトップ画面に戻した。

「…大丈夫か?

虎徹さんは心配そうな顔で僕を見た。

そんなひどい顔してるかな。

「大丈夫ですよ。ちょっと感傷に浸ってただけです。」

暫く僕の顔を見ていた虎徹さんはそうかと言ってもう深追いしなかった。

 

「冷めちまうから飯食おうぜ?

普段鈍いのにこういう時の虎徹さんの洞察力は本当にすごい。

僕が不毛の泥沼にはまりかけていると、何事もなくひっぱりあげてくれる。

だから僕もその手を掴むのをもう躊躇わない。

「いっただっきまーす!」

「いただきます。」

彼の故郷の習慣に倣い、両手を合わせて食前の挨拶。

早くに父母を失ってから信じてもいない神に一日の糧を感謝するより、

現実にこの食事を与えてくれた動植物や農家の方、料理をしてくれた人に

感謝するこの風習のほうが僕にはずっと受け入れやすい。

「美味しい。」

「バニーもほんと旨そうに飯食うようになったよな。」

そう言って嬉しそうに笑う彼を見ていると、

今まで僕は食べ物の味なんて分かってなかったんだなと思ってしまった。

「まあ俺もだけどな。一人飯ってどんないいもんでも旨さ半減するよな。」

「虎徹さんと食事するようになって『一人飯」が不味かったんだって気づきました。」

虎徹さんも3人家族だったのが奥さんを失くし楓ちゃんを実家に預けた途端

一人になってしまったんだ。

それでは味気ない食事だっただろうな。

そういう寂しさに大人も子供もない。

…僕と同じだったんだ。

おっといけない、この流れだとまた過去に拘泥しそうだな。

「そう言えば聞きました?この間…。」

僕はあえてどうでもいい話題を振り、

虎徹さんも大仰にそれにリアクションしてくれた。

「マジかよ、すげーな斎藤さん!!

食事しながら大笑いして、それでも下品にはならない彼の作法は本当にすごい。

彼のお母さんの寛容さときちんとした躾の賜物なんだろうな。

僕がプライマリからハイスクールまでを過ごした寄宿学校は

規則がとても厳格で食事中の私語を一切許さなかった。

大学に入ってからはずっと一人暮らしで、モニターを睨みながら

片手で食べられる程度のものを口に押し込んで咀嚼するだけだった。

テーブルマナーには自信があるけど、賑やかな食卓というのにはなじみがない。

虎徹さんと食事をするのは本当に楽しい。

つかのま、考えたくないことを忘れさせてくれる。

 

食後のコーヒーも飲み干す頃虎徹さんがふうと息をついた。

「さて、斎藤さんのデータ検証だけど…。」

虎徹さんの言葉に僕はPCをもう一度立ち上げた。

「ええと確かこのフォルダに…。」

「なあ、バニー。」

僕がフォルダの入ったディレクトリを探していると

虎徹さんが少し重い声で言った。

「あの事件のフォルダ…。もう、良いんじゃないか?

?と僕が振り返ると、虎徹さんは痛々しげな顔で僕を抱きしめた。

「これがあると、お前はこれからも自分を責めないか?

 

とうとう親御さんの敵を討てなかった。

お前が今でもそう気にしてるんだろうなって、前から思ってた。

でも正直に言うと、俺はお前が真犯人を殺す結果にならなくてよかったと思ってる。

けど、そのせいでお前がいつまでも終止符をつけられなくて苦しんでるのも分かる。

そんな過去今すぐふっきれなんて酷なこと言わないけどさ。

なにも、自分を追い詰めるような資料を

こんなすぐ目に付くところに置いておかなくても良いんじゃないか?

俺さ、お前にはもう自由になってほしいよ。

 

後ろから抱きしめてくる虎徹さんの腕が僕の胸の前で微かに震えている。

彼が僕の心を思ってこんなにも痛ましく思ってくれているのが分かる。

僕はその腕にそっと手を添えた。

「虎徹さん…。もし楓ちゃんが今の僕の立ち位置だったら何と言いますか?

意味のない問いだと自分でも思う。

父さんたちと虎徹さんは違う人間だし、彼は僕をいたわってくれる。

聞くまでもなく答えは見えている。

それでもその答えを『親である人』の口から聞きたかった。

「俺と友恵が誰かに殺されて楓が復讐に人生のすべてをかけたら…か?

僕は黙って頷いた。

虎徹さんは僕の耳元で静かに諭すような声で言った。

「やめなさい。」

 

楓、もういい。

お父さんとお母さんはお前のそんな哀しそうな顔を見たくない。

だからもうやめなさい。

お前はこれから頑張って生きて、絶対に幸せになるんだ。

それだけでお父さんとお母さんは十分だ。

だから、もういいんだよ楓。

 

「とうさ・・・かあさ・・・。」

僕は虎徹さんの腕を抱え込んだまま俯いた。

虎徹さんの手が優しいリズムで僕の腕を叩く。

「よく頑張ったな、バーナビー。もういい。もう終りにしよう。」

僕は膝から崩れ落ちるように座りこんだ。

虎徹さんは一緒に座り込むと、黙ってただ僕を抱きしめ包み込んでくれた。

「ごめ・・・さい・・・。」

「バーナビー、今までありがとう。お疲れ様。」

その優しい声に温かな腕に、僕は声をあげて泣いた。

あの日から22年も経って、やっと。

 

 

「すみません…。お見苦しいところを…。」

ちゃんと謝らないといけないのに掠れた情けない声しか出ない。

でも虎徹さんは後ろから抱きしめる腕を緩め、片手で僕の髪を撫でた。

「いいんだよ。少しは楽になれたか?

僕は俯いたまま小さく頷いた。

「よっしゃ、じゃあ気分が落ち着いたらあの資料データ外部メモリ行きな。」

「外部メモリ?

全部消しちまえって言うかと思った。

僕が身を捩って虎徹さんを見ると、彼は優しく笑った。

「お前の頑張った21年を全部消せなんて横暴なこと言わねえよ。」

「でも…あの資料はもう何の意味も…。」

情報も人の記憶もすべて操作されていたんだ。

あのデータにもはや意味なんて…。

僕がそう言うと、虎徹さんは首を横に振った。

「意味ならある。あれはお前がご両親を思う気持ちの証だろ。」

 

そりゃ遠回りしたかもしれないし、ご両親の望むものとは違ったかもしれない。

でも、あの資料はお前の親御さんへの愛だ。

それを全部無駄だったなんて思うなよ。

きっとご両親も天国で喜んでるよ。

我が子が逆境を乗り越えて強く優しくなってくれたことに。

だから、全部デリートする必要なんかないんだよ。

ただ、そこにあるとお前また自分を責めちまうから。

いつかお前がこれを本当に手放していいと思える時が来るまで

外部メモリに落としてとっとけ。

PCから外して抽斗にでもしまっとけばいいさ。

 

「それで…いいんですか?

「充分だろ。あとはお前が幸せになれば完璧だ。」

虎徹さんは少し背を伸ばし、僕の頭を広い胸に抱え込んだ。

「幸せ…。」

僕は机の上の写真を見つめた。

「それなら、もうとっくに。」

僕はそう言って虎徹さんの首に腕を回し軽くキスをした。

「貴方がいてくれるだけで、僕は十分幸せです。」

虎徹さんは照れ臭そうに笑い、

俺もと言って今度は深いキスをしてくれた。

「責任重大だな。こりゃ俺も頑張らねえとな。」

「今まで幸薄かった分、幸せに貪欲に行きますからよろしくお願いします。」

僕がそう言うと、虎徹さんは笑いながらおうと応えてくれた。

 

父さん、母さん…。

一つだけ貴方達に胸を張って報告できることがあります。

僕はやっと自分の幸せを見つけることが出来ました。

 

 

終り