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永遠はあなたのもの

 

いつもは何となく目を逸らしていたそれを、なぜかよく見てみたくなった。

どういう気まぐれかと聞かれれば、自分でもわからない。

僕が今わかるのはたった一つだけ。

「永遠」は…永遠にこの女性(ひと)のものなのだと。

 

深夜も遅い出動からやっと解放され、

昼間の取材やら何やらもあって余りにも疲れ切った僕は、

その日も現場からそう遠くなかった虎徹さんの家に一緒に帰ってきた。

「お前疲れてんだろ、いいからそのへん座っとけ。」

そう言って虎徹さんが簡単な食事を作ってくれている間、

僕は雑然とした机の上を片付けていた。

こういう時いつものことだけど、

ローボード側に膝をついて片付けるのは理由が二つ。

表向きの理由は、キッチンから話かけてくる虎徹さんのほうを向きやすいから。

本当の理由は…あまり見たくないものがローボードの上に並んでいるから。

でも、それは決して口にしてはならない。

それは、虎徹さんにとって何より大切なものだから。

 

「あれ…。これは。」

僕は机の上にあった旧いレコードをそっと手に取った。

紙製のジャケットの一辺が開くようになっている。

どうやら中身は入っているようだ。

レコードは聴いたことがないけど、

今の音楽録音媒体より遥かに壊れやすいものだということは知っている。

出しっぱなしじゃ、何か零したりすると大変だ。

「虎徹さん、レコードってどこにしまえばいいですか?

キッチンのほうを向き、ジャズと思しきジャケットを掲げると

虎徹さんはそれを見てあーと間延びした声を出した。

「そこのローボードの右端。順番は決まってないから、その辺に入れといてくれ。」

そう言って彼は、チャーハンを炒めていた木べらで棚の右のほうを指した。

そこは僕があまり見たくない場所…のはずだった。

言われた場所にレコードをそっと差し込んだ時、それらがふと視界に入った。

 

幼い娘さんを抱っこする、今より少し若い虎徹さん。

生後間もない赤ちゃんを愛しげに抱く奥さんと、幸せそうに笑う虎徹さん。

それらの写真より何倍も幸せそうな二人の結婚式。

ふと気付くと、それらの写真をじっと食い入るように僕は見つめていた。

いつもだったらこれを見てしまうと胸がざわつく感じがして落ち着かないのに、

今日はなぜか心が凪いでいた。

嫉妬とも諦めとも違う、すとんと腑に落ちたような何かを感じた。

 

「うっし、出来た。バニー、そっち持ってくぞ…って…。」

僕が写真を眺めていると、虎徹さんはテーブルの上にお盆を置いて

僕の横に静かに膝をついた。

「…これ、そろそろ片付けないとな。」

虎徹さんは僕の肩を抱き、写真立ての一つを手に取った。

「すまなかったな。気ぃ悪かっただろ、いつまでも嫁の写真見せられちまって。」

困ったような虎徹さんの声に僕は違和感を感じた。

気を遣ってくれているのは分かる。

でも、どうしてそんなこと簡単に言ってしまえるんですか…。

「ダメです。片付けるのは、絶対よくない。」

僕は気がつくとそう言って虎徹さんの手から写真立てを取り、あるべき場所に戻した。

「え…だって、お前…。」

僕の反応が予想外だったのか困惑する虎徹さんに、僕は正面から向き合った。

 

大事なご家族の写真でしょう。

無碍に扱うなんて貴方らしくもない。

僕を気遣ってくれているのなら、方向が間違ってますよ。

僕は…家族を失った人間です。

家族を大切に思う気持ちは分かるし、軽んじるならもう貴方を尊敬できない。

亡くなった奥さんや遠く離れている娘さんを想う貴方の気持ちも含めて、

僕の大切な虎徹さんなんです。

写真だけじゃない、貴方の結婚指輪も同じことです。

貴方の過去ごと、僕は貴方を愛しているんです。

だから…もうそんな哀しいこと言わないでください。

 

計算とか妥協とか、そういう左脳が言わせた言葉じゃなかった…と思う。

気がつくとそこまでいっぺんに捲し立てるように僕は言っていた。

虎徹さんは、僕の勢いに驚いたような顔をしている。

「バニー、お前こそ俺に気を遣ってるんじゃないか?

虎徹さんはなぜか心配そうな顔になって僕を見つめている。

 

確かに、俺の心の中で友恵も楓も大切な存在だ。

だからといって、この写真がお前を傷つけるなら片付けることに異存はない。

写真は…写真に過ぎないんだ。

本当に大切なものは心の中にあるし、

それと比べてお前の存在が軽いってわけじゃない。

写真を片付けることは友恵や楓を捨てることじゃない。

どっちつかずで勝手な言い分に聞こえるかもしれないけど、

俺にとっては家族と同じくらい、お前のことも大事なんだ。

だから、お前がこういうことで気を遣っていて

本当は傷ついてるのならそう言ってほしい。

俺はこのとおり鈍いから…。

繊細なお前の気持ち、ちゃんと分かってないかもしれないから。

でも、大事なお前を傷つけたくないんだ。

 

正直言って驚いた。

虎徹さんの中で僕の優先順位は奥さん、娘さんの次くらいだろうと思っていたから。

虎徹さんに言ったら怒られそうだけど。

僕は4歳以降の人生の中で他人のプライオリティになったことなど一度もない。

三位なら人生最高記録だと思っていた。

そうか、普通はそこで満足しないんだと変な感心をしてしまう。

でも…負けず嫌いの僕には少し悔しいことだけれど、

それ以上を目指してはいけない、そう思っている。

「虎徹さん…今の、すごく嬉しいです。でも片付けるのはダメです。」

僕は写真立ての幸せな光景に目をやった。

 

全部今までどおりにしていてください。

必要があれば奥さんのことでも娘さんのことでも、隠さず話してほしい。

だって、それを隠すのってなんか不倫してるみたいでしょう。

同じくらい大事だって言ってくれるのなら、隠さないでほしい。

さっきも言ったけど、奥さんも楓ちゃんも貴方を形作る大事な要素なんです。

何も変えないで、今だけ僕を見ててくれれば…。

僕はそれ以上何も望みません。

 

虎徹さんはなぜか辛そうな顔で暫く僕を見つめていたけど、

やがて僕をそっと抱きしめた。

「ったく…。お前そういうとこほんと欲がなさすぎだよ。」

虎徹さんが僕の髪を撫でる。

すごく、気持ちが落ち着く。

僕は虎徹さんの背中に両腕をまわして、目の端で写真を見た。

「全力で奪いに来てほしいんですか?奥さんも娘さんも僕のために捨ててって?

そんなこと言いたくないし、そんな無茶な要求に応える虎徹さんも見たくない。

「これでいいんです、僕には。今だって十分すぎるほど幸せですから。」

嘘は…ついてないと思う。多分。

「バニー…ありがとう。」

温かな腕に抱かれながら、僕はそっと写真立ての奥さんに心の中で話しかけた。

 

ごめんなさい…。

この人の心は永遠に貴女のものです。

だから、今少しの間だけご主人を僕に貸してください。

この人の心のほんの一部だけでいいんです。

永遠じゃなくていい、もしかしたら束の間のことかもしれない。

少しだけ、この人の愛を僕に分けてください。

いつか僕が死んだら、貴女のもとに謝りに行きますから…。

 

「痛っ。」

虎徹さんが僕の髪を梳いたその時、僕は痛みとともに我に返った。

「あ、悪い!

どうやら結婚指輪に僕の髪が絡まったまま引っ張ってしまったらしい。

なんとまあ因果なことだ。

…いや、もしかしたら彼女からの『NO』のメッセージかもしれない。

「今外すからじっとしてろよ。」

虎徹さんは結婚指輪を薬指から抜き取り、絡まった僕の髪を丁寧に外そうとした。

上手く取れないのか、虎徹さんは不器用な手つきで髪を解こうとしている。

「髪、切っちゃっていいですよ。そのほうが早いですよ。」

「何言ってんだ。だめだそんなの。」

虎徹さんは妙にきっぱりといった。

髪を切ることが僕を切ることに繋がる気でもするんだろうか。

「よし、取れた。悪かったな、痛かったろ。」

「大丈夫です。それより指輪も元に戻してくださいよ?

 

僕がそう言うと、虎徹さんは分かったよといって指輪を嵌めなおした。

「お前も妙なとこ頑固だよなあ。」

「そこらへんは似た者同士でしょう。」

僕がそう言うと、虎徹さんは確かになと肩をすくめて笑った。

 

「それに、これがあれば僕は勘違いしないで済むから…。」

僕がつい小さな声で言うと、虎徹さんは首をかしげた。

「勘違い?それは一体…。」

「…いえ、なんでもありません。」

虎徹さんがそう言うのを振り切り、僕は彼の腕の中からそっと身を離した。

 

それは、今は言う必要がない。

それは、僕の中の戒めだから。

 

「ああ、お腹すいた。虎徹さん、ご飯冷めちゃいますよ。」

僕は少し無理に笑い、遅すぎる夕餉の食卓についた。

 

終り