5 farewell
誰かが呼ぶ声が聞こえる。
手が温かく、そしてやたら痛い。
万力で締めあげるようにぎゅうぎゅうと…。
だから痛いったら!
そこで僕は目が覚めた。
「バニー!!よかった、気がついた!!」
横を見ると、虎徹さんと思しき顔がぼんやり見えた。
両手で僕の右手を強く握りしめている。
「虎徹さん…手、痛いです。」
僕がそう言うと虎徹さんは慌てて手を握る力を緩めた。
「貴方の全握力で握りこまれたら手が潰れますよ。」
「悪い悪い。お前がなかなか目が覚めないから心配でさ。」
すみませんね、いつも寝起きが悪くて。
ていうか、3日も寝てた貴方に言われたくないですよ。
僕はベッドに横になったままそんな悪態をついた。
散々心配させておいて、けろっとしてる虎徹さんに少し腹が立ったから。
「ほんと、お前には心配掛けて済まなかったな。身体はもう大丈夫か?」
虎徹さんは僕に繋がれたままの計器を見て心配そうに眉根を寄せた。
まあ、この辺で許してあげようかな。
NEXT被害で大変な目に遭ったのは虎徹さんの方だし。
「身体は何ともありません。さっき使った睡眠剤がまだ残っててだるいだけで。」
僕がそう言うと、虎徹さんはほっとしたように笑ったように見えた。
「すみません、その辺に眼鏡ないですか?」
「ん?ああ、ここにあるぞ。」
僕が言うと、虎徹さんは傍の棚から眼鏡を取って僕の手に持たせてくれた。
「ありがとうございます。見えないといつまでも眠くて。」
僕がそれを掛けゆっくり身を起こすと、虎徹さんがそっと背を支えてくれる。
なんだか久しぶりだ、この温かい手。
「バニー、だるいならまだ横になってた方がいい。」
「いえ、目が覚めた以上は起きてしまう方が楽なんで。」
僕が邪魔そうに計器のコードを払うと、
傍にいたスタッフが僕の身体から計器類を外してくれた。
「我々は一旦ラボに帰る。何かあったら連絡をくれ。」
斎藤さんたちはそう言って引き揚げていった。
僕たちが彼らに礼を言って見送ると、とたんに気まずい沈黙が流れた。
虎徹さんを助けるためとはいえ、彼の心を許可なく覗き見たようで。
さて、何を言ったものか。
俺は何と言っていいものかとない知恵を絞ってみたが、何も出てこない。
俺は目が覚めてからバニーが眠っている間、
斎藤さんにだいたいの事情を聞いた。
俺を覚醒させるためにバニーがとても危険な橋を渡ったこと。
あと数分遅かったら二人とも悪夢のまま昏睡に陥りかねなかったこと。
そして…。
バニーは俺が最も恐れていることは友恵の死の夢に違いないと考え、
犯人が俺をその夢で殺そうとした所業を
『友恵さんへの冒涜だ!許せない!!』と激昂していたこと。
俺はそれが嬉しくもあり、悲しくもあった。
俺の友恵への想いを理解してくれることが嬉しい。
けど俺が最も恐れていることが自分の事ではないと思っているのが悲しい。
バニーにそう思わせてしまった自分が情けなくもある。
さあ、何から話せばいいのか。
「虎徹さんは、もう体は大丈夫なんですか?」
僕がそう聞くと、虎徹さんはああと大きく頷いた。
「斎藤さんに聞いたよ。ありがとなバニー。それと…ごめんな。」
虎徹さんが謝る意味が分からず、僕が返事しかねていると
虎徹さんは大きな手で僕の頭を撫でた。
「お前に辛い思いさせちまったみたいで。友恵の夢、見たんだろ?」
僕はいたたまれなくて、つい顔を逸らしてしまった。
虎徹さんが安易に踏み込まれたくない過去の痛手を、
許可なく覗いてしまったようで。
「『友恵さんへの冒涜だ』って怒ってくれたって聞いた。ありがとう。」
その言葉に僕がつい顔をあげると、虎徹さんは笑って僕を抱きしめた。
「ごめんなさい…。虎徹さんの心の大事なところを覗いてしまって…。」
僕は自然に謝罪の言葉が出た。
「友恵さんの顔をよく覚えるために携帯も触りました。本当にすみません…。」
虎徹さんはうなだれる僕の頭をただ優しく撫でてくれる。
「俺を助けるためだろ、謝ることなんてねえよ。ほんとありがとう。」
ああ、この温かい手を喪わなくてよかった。
僕は目頭に熱いものを感じた。
「俺さ、お前が死んじまう夢を見てた。」
縁起でもないって怒られそうだなと思いつつ、俺は白状した。
「しかもさ。お前に告られて、俺お前の事振っちまうの。そしたら…。」
バニーの告白を拒絶したこと、
その翌日、不慮の事件に巻き込まれバニーが命を落としたこと。
そうなって初めて自覚した俺の本当の気持ち。
永遠に会えなくなって、やっとお前が好きだと気付いたその愚かな鈍さ。
俺がその話をすると、バニーは少し驚いたような顔で俺を見つめた。
「僕が虎徹さんの心に接触した情景とそんなに違ったんですか。」と。
なんでもバニーの見た俺の悪夢は
『バニーが出動現場で事故死』という内容だったそうだ。
うわ、そっちの方がリアリティありすぎて嫌だよ。
「酷い夢でした。凄く汚れてて全然スタイリッシュな最期じゃないし。」
お前…死に方にスタイリッシュもくそもあるかよ。
でも俺の夢の方は割と綺麗だったけどな。
「どんなんだったの、お前の夢。」
「どうも火災現場で爆発に巻き込まれたみたいで。」
うえ、悲惨…。
しかも火事場かよ、お前の一番苦手な。
「スーツは大破、頭は割れて流血、太腿に金属片がぐさりと。」
うわあ!聞くだけで痛い!!
バニーがそんな目に遭うとこ想像もしたくない!!
「何か痛そうな死に方だなあって、他人事のように思ったんですよね。」
ってバニーちゃん、なんで自分の事はそんなにドライなの。
おじさんそっちの方が心配だわ。
「すまなかったな。俺のために嫌な思いさせて。」
俺を起こすためにずいぶん嫌な夢を見させてしまった。
「いいえ…。僕の方こそごめんなさい。ちょっと嬉しかったんです。」
バニーはそう言って俯いた。
「虎徹さんの心の中で、僕の占める比重がそんなに大きいって思わなかったから…。」
っておい!
さすがに今のは聞き捨てならないぞ!?
バニーは辛そうな声で俯いたまま続けた。
「友恵さんか、楓ちゃん…。最も恐れる夢は家族だと思ってたから…。」
…ああ、そうか。
お前自身、家族を喪う悪夢に20年も苦しみ続けたもんな。
その夢に囚われる辛さを俺なんかよりずっとよく知ってるもんな。
だから必死で俺を5年前の悪夢から引っ張り出そうとしてくれたんだ。
ありがとう。
何べん言っても足りねえくらい感謝してる。
だから、ちゃんと言うよ。
お前がもうそんな哀しい勘違いしないで済むように。
「実はな、俺…時々迷うことあったんだわ。今のままでいいのかなって。」
虎徹さんは僕の身体をそっと離し、真剣な面持ちで言った。
「俺はバニーの将来を潰してはいないか、この手を離した方がいいんじゃないかって。」
僕と…別れた方がいいか迷っていた?
僕がショックで固まっていると、虎徹さんは慌てて僕の手を握った。
「おっと!早とちりすんなよ?勘違いでエスケープとかなしだぞ。」
虎徹さんはいいから最後まで聞けよと言って苦笑している。
「いくら悩んでも、俺はその決断を下せなかった。だってさ…。その…。」
歯切れの悪い言葉に動悸がする。
虎徹さんは…まさか本当に…。
よほど悪かったのか、僕の顔色を見て虎徹さんはだっと小さく叫んだ。
「だから早とちりするなって言ったろ!!このおバカ兎!!」
虎徹さんはまた僕を力いっぱい抱きしめた。
「要するに、俺が怖いのはお前とのサヨナラだってことだよ!!」
その時、僕の脳裏に夢で聞いた虎徹さんの声が蘇った。
<俺はまだお前と生きてたいんだ!!>
僕は、虎徹さんの心は今も友恵さんと共にあると思っていた。
それは確かに事実だろう。
けれど、今わかった。
僕が初めに5年前の鏑木家の悲劇を夢に見たのは
事前に僕が写真を見たとか思い込みとか、そういうことだけじゃない。
なにより僕自身が、その事実を恐れていたんだ。
夢の中で僕が何度呼びかけても振り向きもせず、
声に気づくことすらなかった虎徹さん。
あの時からすでに僕は虎徹さんの受けたNEXT能力に引きずられていたんだ。
彼の心は今もずっと友恵さんの許に在ると。
僕がいくら呼んでも声は届かない。心は伝わらない。
僕自身あの時既に悪夢に囚われはじめていたんだ。
けれど、それを彼の声が打ち破った。
目を覚ませと。
ああ…救われたのは僕の方じゃないか…。
僕はもう、溢れ出る涙を止められそうにない。
「なあ、バニー。サヨナラなんて夢だよな。」
俺はほとほとと涙を流すバニーの背を撫でた。
「俺たちはこれからもずっと一緒にいる。そうだよな?」
腕の中で俺にしがみつくバニーがこくこくと何度も頷いた。
「なあバニー…。」
「あの、虎徹さん…。」
夢のなかみたいに、俺たちの声がシンクロした。
「ずっと俺と一緒に居てくれるか?」
「ずっと、僕と一緒に居てください。」
一瞬の沈黙、そしてお互いにぷっと吹き出した。
「って、まだシンクロしてんのかよ。」
「グッドラックモード決まりましたね。」
真っ赤に目を泣きはらしたでっかい兎がやっと顔をあげて笑った。
夢で見たあんな悲しそうな顔じゃなく、とても幸せそうな顔で。
俺たちは約束の代わりにキスをした。
終り