←TOP



フラグ

 

「俺、この仕事が終わったらヒーロー引退する。」

しばらく考え込んだ後、アントニオはそう言った。

「あー、手堅く来やがった。俺どうしようかなあ。」

虎徹は中空を睨み、ぼりぼりと猫髭を掻く。

「アントニオ、これ見てくれよ。」

虎徹は携帯を取り出し、画像フォルダを開いた。

暗闇に幽かな光がぼうっと射す。

携帯に映るのはバーナビーの蕩けるような微笑み。

もっとも、目の前の中年のほうが蕩けそうな顔だとアントニオは思ったが。

「俺の恋人。可愛い兎ちゃん。」

アントニオはハアーっと溜め息をついた。

「くっそ、それ系で来るか。何か腹立つな。」

まずいな、恋人の有無で手持ちのカード数が随分違った。

『この状況に合わない発言は無効』だから使えるパターンに制限がある。

このままでは…とアントニオは焦った。

「虎徹…俺はもう駄目だ。お前だけでも先に行け。」

アントニオは思い詰めた真摯な目で言った。

だが虎徹は微妙な表情を浮かべた。

「その場合、俺の方がアウトってネタも多くねえ?

「そうか?じゃあ…無効でいいよ。パスだ。」

アントニオはあっさりと撤回し、虎徹にターンを回した。

「なんか、飽きてきたな…。そろそろこれ行くか。」

虎徹はそう言ってさっきの画像を愛しそうに見つめた。

「俺、この任務が終わったらバニーと結婚するんだ。」

「うわああ!!てめえ最終兵器だしやがった!!

アントニオは頭を抱えて悶絶した。

無理だ。これ以上のフラグなんて思いつかない。

この状況で結婚を口にして生還した奴を俺は知らない。

アントニオは大きな肩をどんよりと落とした。

 

「ああモウ!!降参だ!!

「うっしゃあ!ヒーローズバー飲み放題ゲット!!

虎徹は嬉しそうにガッツポーズすると、携帯にキスした。

「バニーちゃんのおかげだわー。」

ちゅっちゅっとねちっこい音がする。

アントニオはうんざりとした顔で周囲の闇を眺めた。

崩れ落ちた瓦礫、光も射さない地下二階の暗黒。

ベテランヒーローでも気の滅入る最悪の巻き込まれ事故。

「この状況で『死にフラグ古今東西』をやろうっていうお前の神経を疑うな。」

アントニオは心底呆れたような声で言った。

「そうか?いい暇つぶしにはなっただろ。」

「なるか!!縁起が悪いにもほどがある!!

アントニオはさすがに少しキレ気味になって怒鳴った。

それでも今まで付き合ってきたのがこの男の人のいいところだ。

「大丈夫だって。俺死ぬわけにはいかねえもん。」

虎徹は飄々と言った。

「だって俺、明日はバニーと飯食いに行く約束してるし。」

「だからフラグはもういいっつってんだろう!!

 

瓦礫の下に閉じ込められてもう何十分経っただろう。

周囲の状況が見えないので、

下手にハンドレットパワーで瓦礫を吹き飛ばすこともできない。

今辛うじて大の男二人が身を寄せ合う

この隙間さえなくなる可能性のほうが大きい。

「せめてスーツ着てればなあ…。」

虎徹は繋がらない携帯を眺め、重い溜め息をついた。

出動要請のあった場所が、虎徹とアントニオの目と鼻の先だった。

雑居ビルで起きたガス爆発事故。

ヒーロースーツを待っていては間に合わない怪我人がいるかもしれない。

二人は生身のまま様子を見に行って二次爆発に巻き込まれた。

虎徹は咄嗟に能力を発動したアントニオに庇われ、

二人とも目立った外傷がないのだけが救いだ。

「通信障害が起きてるから携帯もPDAも使えねえ。」

「スーツ着てねえから熱感知もしてもらえねえ。」

はああ、と二人はまた溜め息をついた。

「俺たちがここにいるって、誰も知らねえよな…。」

アントニオは大きな肩を落とし、眉尻を下げた。

「いや、俺バニーに『すぐ近くにいるから先行する』って連絡した。」

虎徹はその辺に関しては大丈夫だと気の弱い親友を励ました。

バーナビーのことだ。

要救助者を全て救出し次第、自分たちを探してくれるだろう。

あるいは、生身の自分たちを「緊急度の高い要救助者」と見なして

早急に捜索してくれるかもしれない。

現役ヒーローとしてはなんとも情けないが。

 

「にしても。まさかクリスマスイブにお前と生き埋めになるとはなー。」

「バーナビーとじゃなくて残念だったな。」

「いんや。お前とだったら気を遣わなくていいから楽だ。」

「お前なあ!!

 

虎徹はへへっと子供のように笑ったかと思うと、ふと落ち込んだ顔になった。

「バニー、心配してるだろうなあ。」

「当たり前だろうが。ここから出たら泣いて飛びついてきそうだな。」

泣いてという言葉に虎徹はまた重い息を吐く。

「今日だけは泣かせたくなかったな…。ごめんなバニー…。」

帰れなくてごめんとでも言わんばかりの雰囲気にアントニオは顔をしかめた。

「おい、マジで死にフラグっぽいからやめろって。」

「ネタじゃねえよ。本気で言ってるんだ。」

虎徹は瓦礫に凭れ、見えない中空をぼんやりと見つめた。

「ほら、今日はあいつのご両親の命日だからさ。」

アントニオはああ、と低く唸った。

「どうりでイブだってのに、お前がバーナビーと一緒にいないわけだ。」

「あいつ今日は墓参りに行って、一人で家に居たいって。」

自分だって友恵の命日にバーナビーと遊ぶ気にはなれない。

虎徹はバーナビーの心情を慮って、そっとしておいてやることにした。

「なんでよりによってこんな日に貰い事故しちまったんだかなあ…。」

虎徹は大きく溜め息をついた。

「確かに、これで今日お前にもしものことがあったら…。」

「あいつ、1224日の墓参りに俺の分まで増えちまう。」

自分で言っておいて、虎徹は墓…と小さく呟いた。

「だぁ!俺はまだ墓参りされたくねえ!!

「当たり前だ馬鹿!!

 

その時、小さな鼠が二人の眼の前でチチッと鳴いた。

「鼠か…。ん?何か変わった鼠だな。眼が紅い。」

虎徹は小さな鼠をじっと見るが暗くてよく分からない。

「お前、眼が紅いってそれじゃウサ…。いや、いいや。」

アントニオは今の虎徹に“兎”は禁句だと思いなおし、口を噤んだ。

鼠は二人のほうをじっと見て、すぐに天井近くの小さな穴へ消えた。

そしてほどなく…。

<タイガー!聞こえるか!!

斎藤さんの爆音拡声器ボイスが響き渡った。

「うおわ!何だ!?

アントニオは仰天したが、虎徹はぱあっと表情が明るくなった。

「斎藤さん!うちのメカニックの声だ!助かったんだ!!

虎徹はさっきの鼠を思い出した。

「あれ、きっと斎藤さんの暗視カメラだったんだ!!

<今からそこを掘り出す!ちょっと待ってろ!!

虎徹とアントニオは抱き合って肩を叩きあった。

「ベテランヒーロー聖夜に窒息死」という不名誉な事態は避けられた。

頭上の瓦礫が除けられ、作業用ライトがぱあっと差し込む

いつの間にかすっかり日が暮れていたのだと二人は初めて知った。

 

 

「タイガーさん!!

バーナビーは瓦礫の穴から出てきた二人を見て涙目になった。

フェイスガードを跳ね上げ、十数メートルの距離をバーナビーは走った。

「ほら、やっぱり泣いて駆け寄ってきたぞ。…なんかすげえ勢いだけど…。」

「バニー、心配掛けて済まねえ…てぇ!!?

バーナビーは虎徹まであと数メートルというところで高々と跳んだ。

作業用ライトの強烈な光を背景にして。

「うおおおお!!

「だあああ!!

虎徹は紙一重でスーツを着たバーナビーの本気の跳び蹴りを避けた。

「ど、わあ!

衝撃波でふらつき、虎徹はたたらを踏んでどうにか堪えた。

そんな虎徹に構わず、バーナビーの長い脚が二度三度と振り回される。

「バ、バニー!やめろ!!落ち着けって!!

バーナビーは厳しい目で虎徹を睨み、また空を割く蹴りを見舞った。

<…死亡フラグだ…。>

結婚ネタでフラグを立てて当の恋人に殺られるのは斬新だとアントニオは思った。

<ま、俺には関係ねえか。飯食って帰ろう。>

アントニオは救助してくれた斎藤らに礼を言うと、

じゃあなお先と虎徹を残して現場を去った。

「汚ねえぞアントン!!自分だけ逃げんな!!

「逃げるなはこっちのセリフです!!

バーナビーの回し蹴りが虎徹の数センチ隣の壁を抉った。

ばらばらと剥がれおちるコンクリートの残骸に虎徹の肝が冷える。

 

「ちょ、おま…!生身でお前の蹴りとか無理!!

「やかましい!

右の踵が振り下ろされるのを横っ跳びでかわすと地面に穴が開いた。

「やかましいってお前…。」

「何が『様子を見てくる』ですか!生身で事故現場に入るなんて信じられない!!

突き蹴りを前受け身で逃げて体勢を立て直すと壁に大きな亀裂が入った。

「それは…怪我人がいるかもと…。」

「それで二次被害ですか!貴方ヒーロー歴10年選手でしょう!!

フェイントからの後ろ回し蹴りをしゃがんでかわすと後ろの壁が倒壊した。

「それ言われると…え!?

次はなんだと虎徹が身構えると、バーナビーの脚が止まった。

「僕が…どれだけ…。」

バーナビーの頬を涙が伝い落ちた。

 

「僕がどれだけ…心配したと…。」

さっきまでの勢いはどこへやら、バーナビーは俯いて声を震わせた。

「貴方まで…逝ってしまったらって…。」

虎徹はああと嘆息した。

分かっていたのに。

今日バーナビーがナーバスになっていることを。

また独りになるのを怖がっていることを。

なのに、自分は…。

虎徹はそっとバーナビーを抱き、その背を叩いた。

「ごめんな…。辛い思いさせてごめん。」

「いか・・・ないで・・・。」

消え入りそうな声でバーナビーは小さく呟いた。

「大丈夫、逝かねえから。お前のそばにいるから…な?

バーナビーは虎徹を抱きしめたまま、必死で嗚咽を殺している。

 

「ほら、カメラ映ってるぞ。スタイリッシュが身上のお前らしくもない。」

虎徹は宥めるように優しく言った。

「生身で事故に巻き込まれた相棒の無事に安堵する姿です。問題ありません。」

言い返す声に強気のトーンが戻ってきた。

「むしろ、人間味があって好感度上がるので結果オーライです。」

そう言ってバーナビーは顔をあげ、不敵に笑った。

虎徹の手を取り、無事をアピールするように繋いだ手を天に突き上げる。

「そうそう。バニーのそういう強かなとこも好きだぜ、俺は。」

他人事のように言った虎徹の向う脛を、

バーナビーはカメラに写っていない瞬間に思いっきり蹴とばした。

「いってええ!!

「これで勘弁してあげますよ。要救助者さん。」

弁慶の泣き所を蹴りあげられて涙目の虎徹に、

バーナビーは今度は悪戯っぽく笑った。

 

 

 

終り