ふるさと
車窓から見える景色をバーナビーはぼんやりと眺めた。
「この辺、綺麗な場所ですね。」
通路側の席に座っていた虎徹はその言葉に首を傾げ、
窓に額を寄せるバーナビーに覆いかぶさるように外を見た。
青々とした稲穂が一面に広がる長閑な景色。
空の青と田畑の緑が初夏の光に鮮やかに輝く。
「綺麗かあ?俺には普通の田圃道しか見えねえけど。」
自分の方に顎を引っかけてこともなげにそう言う虎徹に
バーナビーはふふっと楽しげに笑った。
「普通の田圃に馴染みがない僕にはとても綺麗に見えますよ?」
ガラスに映るバーナビーの顔が楽しそうで幸せそうで。
虎徹はそれだけで嬉しくなってバーナビーを抱きしめた。
「もうすぐここはお前にとっても故郷になるんだぞ。」
バーナビーはその言葉に微かに眦を潤ませ、虎徹の肩に額を寄せた。
「僕の…ふるさと…。」
―まもなくオリエンタルタウンに到着します。
流れるアナウンスに二人は掠めるようなキスを交すと
列車を降りる準備を始めた。
<いよいよだ…。>
バーナビーは荷物を持つ手が少し震えるのを感じた。
「どうした、列車に酔ったか?顔色ちょっと悪いぞ。」
虎徹はバーナビーの手から荷物を取りあげると
肩を支えて乗降口前のデッキに連れて行った。
「駅に着いたら少し休んでから行くか?つっても田舎だからベンチしかねえけど。」
「大丈夫です。少し…緊張してしまって…。」
らしくもない少し弱そうな笑みを浮かべるバーナビーに
虎徹はハハッと笑い金の髪を梳いた。
「なにも心配いらねえって。みんなお前に会うの楽しみにしてるんだからさ。」
虎徹はバーナビーの心中に気がついてことさら明るく言った。
楓なんかいつ来るんだ何時の列車だ何日こっちに居られるんだって
すげえ勢いで捲し立ててたしな。
兄貴は兄貴で配達で駅前に行くからとか言って、
迎えに来る気満々だったし。
母ちゃんは母ちゃんで
『バーナビーさんは何が好きなんだい?苦手な食べ物はあるかい?』って
正月でもそんなに気合入ってねえだろってくらいだったんだぜ?
だから、そんな心配すんな。
「はい。皆さんにお会いするのは僕も楽しみにしてました。」
バーナビーがそう言って笑うと虎徹も擽ったそうに笑った。
「でもほんと古い家だからびっくりすんなよー?」
「大丈夫ですよ。別に井戸やランプで生活してるわけじゃないでしょう?」
「だっ!!そこまで田舎じゃねえよ!!せいぜいガスがプロパンってだけだ!!」
虎徹が唇を尖らせると、バーナビーはくすくすと笑った。
「冗談ですよ。それに井戸やランプもそう悪くないですよ?」
あっけらかんと言いきったバーナビーに虎徹は苦笑した。
「お前、休業中の放浪生活で逞しくなったなー。」
バーナビーは穏やかに笑って心の奥の不安を出来るだけ隠そうとした。
鏑木家の人たちが心から歓待してくれているのは
昨日の電話でも伝わってきていた。
だけど、本当に大丈夫なのだろうか。
自分たちの事を反対されるんじゃないかとバーナビーは心のどこかで
不安を捨て切れずにもいた。
だがもうここまで来たら引き返せない。
もとより引き返す気などないけれど。
その時虎徹が道の向こうに向かって叫びながら大きく手を振った。
「お、きたきた!おーい兄貴―!!」
ロータリーをゆっくりと回ってくる古いワゴン車の車体に
バーナビーも唯一読める「鏑木」の文字が見えた。
<いよいよだ…。>
バーナビーは緊張を飲み下すように一つ深呼吸をした。
「だからなんも心配ねえって言ったろ?」
その晩、客間に並べて敷かれた布団にバーナビーが横たわると
虎徹はお疲れさんと柔らかな金の髪を撫でた。
「息子が男と結婚したいなんて、安寿さんショック受けるんじゃと思いますよ…。」
「お義母さんって呼んでねってウキウキしてたろ。よかったよかった。」
終始楽観的な虎徹にバーナビーは困ったように笑った。
「虎徹さんのご家族が優しい方たちなのは知ってましたけど…。」
「そりゃ緊張するよなあ。まあ、今日はゆっくり眠りな。」
バーナビーの眼が眠気に負けかけているのを見て
虎徹はそっと布団をバーナビーの肩まで掛けてやった。
「オヤスミ。」
今では新たなトラウマになってしまったGood nightという表現を避け、
虎徹はあえて日本語で言った。
「オヤスミナサイ。今夜は良い夢が見られそうです。」
バーナビーも虎徹に教わった日本語で拙いながらも応える。
灯りを消すと、ほどなく薄闇に穏やかな寝息が聞こえた。
<まあ、俺も雨宮の家に挨拶に行った時は緊張したもんなあ。>
虎徹はもしバーナビーの両親が存命だったらと想像した。
当然そちらの家にも挨拶に行くことになる。
<…オヤジさんにぶん殴られて、おふくろさんに泣かれて…?>
名家の大事な跡取り息子をこんなオッサンがたぶらかしたと思われて。
<俺が親でも殴るわそれは…。>
まあ、こいつと一緒になるためなら何発でも殴られるけどさ。
虎徹は安らかに眠るバーナビーの頬をつついた。
<皆びっくりしたろうに、よくオッケーしてくれたわ…。>
虎徹は改めて自分の家族の度量といおうか肝の太さを実感した。
バーナビーと再婚したいと言った虎徹を家族の誰もが反対しなかった。
思春期の楓ですら『バーナビーさん、後悔しない?本当にお父さんで良いの!?』と
聞く方向がそっちかよと虎徹が涙目になる始末だった。
「バニーにはああいったものの…どうなることかと思ったけど…。」
まさか同性婚をここまであっさり認められるとは思っていなかった。
「虎徹にはねえ、誰かしっかりした人が傍に居ないとって思ってたのよ。」
安寿は貴方なら安心だわと言って笑い、
この子をよろしくねとバーナビーの手を柔らかな両手で包んだ。
「君なら誰でも選び放題だろう。本当にこいつで良いんだな?」
それでも村正はこんな不肖の弟でよければ貰ってやってくれといい、
虎徹はその反応に唇を尖らせた。
村正は弟の反応に苦笑した後、真面目な顔でバーナビーに向き直った。
「ただ、一つだけ約束してほしい。君は…こいつを置いて逝かないでくれ。」
その言葉にバーナビーは一家の悲しみを思い、しっかりと頷いた。
「もちろん虎徹、お前も彼に同じ悲しみを与えるなよ。」
虎徹も二十余年前の幼いバーナビーの痛みを思い、またはっきりと頷いた。
「なら、バーナビー君が我が家の一員になることを歓迎するよ。」
村正が差し出した握手をバーナビーは両手で握った。
「よろしく…お願いします…。」
その上に涙がはらはらと零れ落ちた。
言葉の出ないバーナビーの背を安寿が優しく撫でさすった。
「大丈夫、貴方は独りじゃないから。ね?」
次の日、バーナビーは楓に誘われて町の中を一緒に歩いた。
虎徹や楓の生まれ育った場所を、いろいろな話をしながらただ歩く。
楓は手を繋ごうとしてふいに引っ込めた。
「どうしたんだい?」
「あ…。私ハンドレットパワーは上手く制御できるか自信なくて。」
バーナビーはにっこりと笑い手を繋いだ。
「大丈夫。もしもの時は僕も発動すればいいだけだから。」
これから一番コピーする頻度の高くなる力だから、
いくらでも練習付き合うよ?
そう言われて楓は擽ったそうに笑い手を繋いだ。
「村正おじちゃん酷いんだよ?『楓がいつも力持ちだと助かるのにな』なんて。」
バーナビーはくすくすと笑った。
「酒屋さんは力仕事だもんね。」
「ごめんね、朝からいろいろ手伝ってもらって。」
楓は遠慮がないにもほどがあると唇を尖らせた。
「村正さんは鏑木家に馴染ませようとしてくれてるんだ。凄く嬉しかったよ。」
バーナビーは首を振り静かにそう言った。
酒屋の仕事や安寿の畑を手伝うことを通して
自分も家族の一員として扱われるのが嬉しい。
バーナビーはそう言って幸せそうに笑った。
遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。
バーナビーはふと上を見上げると
はるか上空を鳶が大きな翼を広げゆっくりと旋回するのが見えた。
「あんなに遠いのにはっきり見えるんだね。」
「大きいでしょ?でも人は襲わないから大丈夫だよ。」
楓は夕陽の射す農道をバーナビーと並んで歩きながら遠い山裾を指した。
「この辺の獣や鳥はみんなあそこに巣があるんだって。」
バーナビーがその指の先をみると、山の端に西日が掛かって輝いている。
「あそこが生き物たちの帰る場所なんだね。」
楓はうんと頷いた。
「死んじゃった人もね。村の墓地とお寺があそこにあるから。」
「…そう。じゃあ、楓ちゃんのお母さんも。」
楓は小さく頷いた。
「楓ちゃんは覚えてる?お母さんの事…。」
遠慮がちにそう訊ねたバーナビーの真意を測るように楓はそっと彼を見上げた。
だが逆光でその表情は分かりづらい。
「…じつは、あんまり。そう言うとお父さん悲しそうな顔するから内緒ね。」
「うん、もちろん。実は僕もあまり覚えてないんだ、亡くなった両親のこと。」
バーナビーはそう言って楓に微笑んだ。
「そっか…。覚えてるわけないよね、小学校も入ってないようなときのこと。」
バーナビーは楓を見てふと思った。
自分とそう変わらない歳で母親を失ったのに、
真っ直ぐに育った彼女はすごいなと。
自分はただ真っ直ぐに歪んでしまったのに。
他殺ではなく病によるものだとか、他の家族の存在もあるだろう。
けれど、何より彼女自身の芯の強さはきっと母親譲りなのだろう。
バーナビーは写真でしか見たことのない女性に心からの畏敬を感じた。
「明日、友恵さんのお墓参りに行っても良いかな。」
「えっ!?」
バーナビーの申し出に楓は驚いて彼を仰ぎ見た。
「君のお母さんにも、楓ちゃんの事は心配しないでって挨拶したいんだ。」
楓は嬉しそうに笑い、大きく頷いた。
「皆で行こう。お父さんもきっと喜ぶよ。」
バーナビーは楓の手を握り、小さな声でありがとうといった。
終り