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初めてのクリスマス

 

「父さん、母さん…。どうか安らかに…。」

大振りの百合の花束を墓前に供え、バーナビーは静かに瞑目した。

「あれから23年も経つんだね。ごめんね、もう声も思い出せないんだ。」

バーナビーは墓石に向かい寂しそうに笑った。

夭逝した父母を覚えているには余りにも彼は幼すぎた。

せめて事件の時10歳くらいにでもなっていればもう少しは覚えていられただろうか。

…いや、とバーナビーは静かに被りを振った。

「虎徹さんが言ってたっけ、故人の事で一番先に忘れるのは声だって。」

何年も同じ時を過ごした大人でさえ、8年前に逝った妻の声をもう思い出せないという。

だったら20年以上前、たった4歳だった自分が両親の声を覚えていないのは無理もない。

いや、声だけではない。

話し方、動く姿、仕草や匂いさえももう朧げだ。

たった1枚だけ残った写真から想起出来ないことは何も分からない。

「もう、僕の中では父さんと母さんの事はイメージしか残っていないんだ…。」

4歳の誕生日。

初めて研究所に連れて行ってもらった時の事。

三人で手を繋いで歩いた冬の道。

エピソードで思い出せることは片手の指で数えられるほどしかない。

幾度とない記憶改竄を免れた、数少ない無傷の想い出。

それすらもその輪郭を時間が崩していく。

ほんと親不孝な息子だねとバーナビーは自嘲気味につぶやいた。

「それでも、父さんと母さんは僕の大切な家族だからね。」

バーナビーは冷たい大地に眠る父母に触れるように地面をそっと撫でた。

「僕にとって1224日はクリスマスイブじゃない。貴方達の命日だ。」

バーナビーは胸が詰まる思いがして、もう一度父母の安息を願った。

 

クリスマスが近くなるといろいろな誘いを受けるようになる。

ことにスポンサーの誘いは引きも切らなかった。

パーティに誘い彼に娘や姪を紹介したいという出資者たちのラブコールを

バーナビーは全て同じ言葉で固辞した。

「その日は亡くなった両親の命日なので喪に服したいと思います。」

それでもスポンサーたちは執拗に食い下がった。

主催するパーティに美貌の人気ヒーローがいればホストとしての株が上がるからだ。

「君のような前途ある若者がいつまでも過去にこだわっていたらご両親も悲しむよ。」

至極正論、お説ごもっとも。

あなた方の本音は見え透いてますけどねこの狸爺。

そんな腹黒い回答は胸の裡に納めてバーナビーはにこやかに、

それでもはっきりとすべての誘いを断った。

「お気持ちだけ、ありがたく頂戴します。」と。

 

バーナビーはふうっと息をついた。

自分がいつまでも過去に囚われていたら死んだ両親も悲しむ。

そんなセリフは今までの人生で耳にタコができるほど聞かされた。

人の気持ちも事情も知らないで。

僕が毎年どんな気持ちでこの時期を迎えていると思っているのか。

無責任な台詞を聞くたびにバーナビーは内心では腸が煮えくりかえる思いだった。

だが…。

「真逆の事を言った人が一人だけいたんだよ。」

バーナビーは微笑んで墓石に語りかけた。

「いいんじゃねえの?その日ぐらいどっぷり後ろ向いたってさ。」

そう言ったのは意外にも虎徹だった。

 

そりゃ365日お前が俯いてたらご両親も心配すると思うけどさ。

年に1日くらい好きなだけ想い出に浸ったりもっと一緒にいたかったって

そう思ったりする日があっても良いだろ?

俺だって友恵の命日には気分落ち込むもん。

あれもしてやりたかった。

ここへも一緒に行きたかった。

いろいろ考えるのが普通だよな。

それでも年がら年中友恵のこと考えてるわけでもねえしさ。

残念だけど、少しずつ忘れていくことだって結構あるし。

そういうことをごめんなって謝ったりして区切りつけてる部分もあるよな。

命日ってそういうもんじゃねえ?

けどさ…。

虎徹は一旦言葉を区切って言いにくそうに

けれどいつになく真摯な目で言った。

 

お前がもし、今でも自分は幸せになっちゃいけないって

心のどこかででも思ってるんだったら…。

だったら、それは違うからな。

それは天国のご両親も本気で心配するぞ。

これは俺が人の親だからそう思うのかもしれないけど。

ご両親に心配かけたくなかったら、お前はちゃんと幸せになるんだ。

それは故人への一番の弔いなんだと俺は思う。

いいか、自分で勝手に不幸を選んでそれが親のためとか、絶対ないんだからな?

それだけは忘れるなよ?

 

「父さん、母さん。どう思いますかこの言葉。」

バーナビーは困惑した笑みを浮かべた。

「僕一度もそんなこと言ったことないのに、どうして分かったんだろう…。」

自分は幸せになってはいけない。

人に言ったことはないが、そう思っていたことは事実だ。

バーナビーはどうして見抜かれたんだろうと思った。

そんな自虐的な考えを人に知られれば、きっと上っ面だけの説教を聞かされる。

あのスポンサーたちのように。

虎徹に知られるのはもっとまずいと思っていた。

恋人が自分と居ても不幸だと思っているなんて、失礼千万な話だ。

それが本当の事ならまだいい。

バーナビーは己に課した不幸の枷が最近緩んでいると感じていた。

頭では一人だけ生き残った自分が幸せになってはいけないと戒めているのに、

心は虎徹といると幸せと安らぎを感じる。

ついに仇を打てなかった両親への申し訳なさを心のどこかに残しながらも、

この人と穏やかに寄り添っていられたら他に何もいらないと思える。

「父さん…母さん…。僕ももう…。」

バーナビーが切なげに眉根を寄せ語りかけた時、

背後で誰かが雪を踏みしめて近づく物音が聞こえた。

 

「やっぱりここにいたか。」

その声に振りかえると虎徹が大振りの菊の花束を抱えて立っていた。

「虎徹さん!?

驚いているバーナビーに虎徹は苦笑した。

「あーあー、そんな薄着で。風邪引いちまうぞ。」

虎徹は花を持ったまま器用に来ていたコートを脱ぐとバーナビーの肩にかけた。

まだ彼の体温の残るウールがバーナビーの冷え切った体を優しく温める。

バーナビーはその温もりに初めてここは寒かったのだと気がついた。

「冷え症の癖になんでそんな格好で来るかな。ねえ、親父さん達もそう思いますよね。」

虎徹は墓石に向かって苦笑しながら語りかけた。

「それより虎徹さん、どうしてここに?

虎徹はそれに答えるより先に墓前に膝を着き花を捧げ両掌を合わせて目を閉じた。

作法は違えど、その真剣な様子にバーナビーは声をかけるのを憚り

虎徹が祈りを終えるまで黙って隣で目を伏せて待った。

さっきまで考えていた自虐じみた考えを虎徹に見透かされたようで

居た堪れないものを感じながら。

「さてと、『どうしてここに』だっけ。」

虎徹は振り返り明るい笑みを浮かべてバーナビーの手を握った。

 

お前ここんとこなんかふさぎ込んでる感じしたからさ。

まあクリスマスイブだし無理もないけどな。

せめてあの野郎を一発殴れたら、もう少し気も晴れたのにな。

真面目で義理がたいバニーの事だから今日は朝一番でここに来るだろうと思って。

本当だったら、今日はそっとしておくつもりだったんだけどな。

お前どう見ても不幸の自虐スパイラルに入ってるみたいだったからさ。

こりゃほっといたらまずいと思って。

で、今年は俺もお前のご両親に許しをいただきに来たんだよ。

 

虎徹はそう言うとバーナビーの髪を撫でた。

その様子にバーナビーは怪訝そうに首を傾げた。

「許しって…何のです?

虎徹はもう一度墓石に向き直った。

「バーナビー君のお父さん、お母さん。今日は彼を一日お借りします。」

「はあ!?

虎徹は驚いた声をあげたバーナビーに構わず話を続けた。

「もうこれ以上息子さんに寂しいクリスマスを過ごさせたくないでしょう。」

その口調にバーナビーははっと目を見開いた。

「長い間、どれほどご心配だったかと一人の親としてお察しします。」

虎徹は真剣な声で言った。

「あの時幼いバニーにしてやれなかったクリスマスの無念を俺に晴らさせてください。」

 

そうだ…。バーナビーは思いだした。

あの日、炎に包まれたあの部屋…。

あそこにはクリスマスツリーがあった。

たくさんのプレゼントの箱が、その下にあった。

もっと大切なものを失ったせいですっかり忘れていた。

「すまないねジュニア。今日は大切なご用が入ってしまってね。」

「その代わり明日はパーティをしましょうね。楽しみにしててね。」

あの日サマンサと出かける自分に両親は優しくそう言った。

普段忙しい二人も楽しみにしていたんだろう、幼いわが子との聖夜の祝宴を。

「父さんと母さんの…無念…。」

 

虎徹はバーナビーの肩を抱き寄せ、穏やかに言った。

「ご両親さ…。もう、お前には笑ってほしいと思ってるんじゃないかな。」

思いもかけない言葉にバーナビーは虎徹の目を見つめた。

「俺だったら辛いよ、もし楓が…大切な我が子がずっと自分の死に囚われてたら。」

何度も何度も異口同音に言われた台詞。

それが今はバーナビーの胸にするりと入り込んでくる。

「父さん…母さん…。そうなんですか?

物言わぬ墓石にバーナビーは震える声で話しかけた。

「僕も…もう、幸せになっても良いんですか?

虎徹はバーナビーを後ろから抱え込むように抱きしめた。

「子供の不幸を願う親なんていねえよ。ねえ、そうですよね?

ブルックス夫妻が本当にそこにいるかのように問いかけるその声に

虎徹の腕の中で小さな嗚咽が聞こえた。

 

ずっと、許して欲しかった。

誰かにもういいよって言って欲しかった。

自分の欲を満たすための方便じゃなく。

父さんたちだって心配してるって頭では分かってた…。

でも…。

 

掠れる声で言い募るバーナビーに虎徹は彼を抱く力を強めた。

「お前自身が許してやれなかったんだよな。20年以上もよく頑張った。」

虎徹はよくやった偉かったなと小さな子を褒めるように囁いた。

バーナビーの心の中で20年以上も時を止めてきたインナーチャイルドが

長い間ただ堪えてきた悲嘆の叫びをあげた。

やっと自分を見つけてもらえた喜びに。

ずっと抱えてきた寂しさに。

その時、曇天の空から光が差し奇跡が起こった。

 

「父さん…母さん…。」

バーナビーは二人の幻を見た。

二人は寄り添ってバーナビーに幸せそうに微笑み、頷いて消えた。

「…バニー、ちゃん?

虎徹は小さなバーナビー坊やの幻を見た。

4歳の男の子が小さな手で涙を拭い、唇がこう動いた。

【おじちゃん、ありがとう。】

バーナビー坊やも手を振ってトコトコと歩み寄ると、

今のバーナビーと重なり同化するように消えていった。

 

二人は自分の見た幻に驚きのあまり言葉もなく立ち尽くした。

近くにそういう能力のNEXTでもいるのか。

辺りを見回すが自分たち以外誰もいない。

ではやはり今の幻は…。

 

どれほどそうしていただろうか。

「…さあ、行こうぜ。」

虎徹はゆっくりとバーナビーの身体を解放して手を繋いだ。

「虎徹さん、行くってどこに?

その問いに虎徹はにっと笑った。

「決まってんだろ!

 

今からショッピングモール行って買い出しだ!

まずクリスマスケーキだ。

お前んとこって何食うんだっけ、何とかノエル?シュトーレン?

俺んとこはイチゴの乗ったホールケーキなんだけどそれどうよ?

あと鳥の丸焼きな。

チキンとターキーどっちがいい?

お前の好きな方で良いぜ。

なんなら両方食っちゃう?

ワインとシャンパンも買わなきゃな。

何でもいいから二人で食べきれないくらい買いこんでパーティだ!

なんたってバニーちゃんの初めてのクリスマスなんだからさ。

 

「初めてのクリスマス?

「そうそう!皆が普通にやってるような、楽しいクリスマスだ!

畳みかけるように捲し立てる虎徹にバーナビーはくすっと笑った。

「僕、世間でどうやってお祝いするのか知らないので教えてください。」

「おう!任せとけ!!

手を繋いで弾むような足取りで墓地を後にする二人の後ろで

優しい幻が二つ、ふわりと融けて一つになって天に昇っていった。

 

―幸せにおなり、私たちの可愛いジュニア。

 

 

終り