Heritage
その日、俺たちは珍しく並んでデスクワークをしていた。
俺が賠償金関係の書類と格闘していると、隣からため息が聞こえた。
そういやバニー、何の仕事してるんだろうと思っていた時だった。
「虎徹さん、この書類にサインください。」
バニーの声がしたかと思うとパーテーション越しにひらりと紙が差しだされ、
俺はよく見もせずに受け取った。
鉛筆で書かれた“ここに書け”と言いたげな薄い丸の中にサインする。
「あいよ。サインしたぜ。」
俺はさっきバニーがしたように紙をパーテーションの上に突きだした。
「ありがとうございます。」
バニーは机の上を片付けているのか何やらがちゃがちゃと
忙しない音を立てたかと思うとがたんと席を立った。
「すみません、僕これから弁護士事務所に行って今日はもう直帰します。」
「おう、お疲れー…って!!」
俺は驚いて立ち上がった。
弁護士事務所!?
お前何やったの!?
てか、さっきサインした書類何!?
まさか借金の連帯保証人とかじゃないよな!?
一気にまくしたてると、バニーは「はあ!?」と眉間にしわを寄せた。
あー、なんかその顔見るの久しぶりだなー。
「仮に僕が人にお金借りて返せない事態になったとして、
それが虎徹さんにどうにかできるとは思えませんけど。」
あー、その憎まれ口もすげえ久しぶりだなオイ。
「だいたい、中身も確認せずに署名するのってどうかと思いますけど。」
「仕事中に同僚にサインくれって言われて法的文書だと思うやつがどこにいるか!!」
バニーはやれやれといった顔でさっきの書類を差し出した。
「心配しなくても、虎徹さんの不利益になるようなものじゃありませんよ。」
俺はさっきの書類を見て驚いた。
「バニー!これ…遺書じゃねえか!!」
「遺書じゃありません、リビングウィルです。」
バニーは何を慌ててるんだといわんばかりにしれっとした顔で言った。
「ついでに言うと、遺書じゃなくて遺言書でしょ。虎徹さんが言いたいのは。」
どっちでもいいよそんなの!!
リビングなんとかがどういうものかは知らねえ。
けど、俺の常識ではこれはい…じゃなくて遺言書というんだ!!
そこに書かれていたことはつまり…。
“私バーナビーブルックスjrが死亡した場合、残された資産を下記に指名するものに全て
相続させる“
俺はさっき、その“下記に指名するもの”の欄にサインさせられたというわけだ。
なんか小難しい法律用語が並んでたんで、ろくに読みもせずサインしたら…。
「お前、なんでこんな縁起でもないもの作ってるんだ!!」
「縁起でもないって…。こんなもの生前作っとくのは当たり前じゃないですか。」
死んだら何にも言えないでしょうと畳みかけられ、俺はもう呆気にとられた。
なんなんだろう、この件に関するバニーとの温度差は。
そう思っていたら、バニーは話が長くなるからと自分の席に座りなおした。
「先日、マーべリックさんの顧問弁護士の先生に呼ばれたんです。」
僕の両親はかなりの額の遺産を残してくれました。
当時僕は4歳でしたから、後見人のマーべリックさんが管理してくれていたんです。
僕が20歳になった時、マーべリックさんに「そろそろ自分で財産を管理してはどうか」
と言われました。
でも、僕は両親の仇討ちが終わるまで預かってほしいとお願いしたんです。
…遺産を受け取ることは、両親の死を過去にするようで、出来なかった…。
でも先日弁護士の先生が仇討ちの件も済んだことだしと、
正式に相続の手続きを進めているわけです。
どこか寂しそうな表情で話すバニーに、俺はかける言葉が見つからない。
巨額の資産なんかより、ご両親に傍にいてほしかったよな…。
「…そうか…。いつまでもほっとくわけにもいかないもんな。」
「はい、それで気がついたんです。」
「何に?」
「遺産を受け継ぐのはいいとして、じゃあ僕が死んだらこれはどうなるんだろうと。」
だああ!
やっぱり縁起でもないこと考えてやがる!!
そう顔に出てたらしい。
バニーはクスッと笑って続けた。
「こういう仕事してるんですから、それは配慮しておくべきことですよ。」
そういうもんなの?それって金持ちの中では常識の問題なの?
俺が死んでも楓にはあんまり残してやれそうにないからよくわからん。
…あれ?…相続…?
そうだ、そこだよ!!
「あのさ、じゃあ質問。なんで俺が相続人指定されてんの?」
バニーはまた少し困ったような、寂しそうな表情になった。
「僕は身寄りがありませんから…。」
今の状態で僕が命を落とした場合、僕名義の資産はすべて国庫に入るそうです。
それはなんかおもしろくない。
かといって、寄付でもすれば市民の好感度は上がるでしょうが、
その時もう僕死んでますしね。
なんか死んでまで他人の好感度とか考えたくなくて。
あー…。
なんでこう、お前の思考ってどっか破綻してるんだ?
今身寄りがなくたって、今後いい人見つけて結婚するかもしれないだろうが!!
何が悲しくてこんな一番近くにいただけのオジサンに巨額の財産
ぽーんと投げて寄こそうとするかなこの坊ちゃんは!!
そういうと、今度はちょっと楽しげな顔で笑ってくれた。
「虎徹さんみたいな人でないと、危なくて指定できませんよ。」
ああ、欲に目が眩んでお前のこと暗殺しそうにもないってこと?
お前を暗殺できるやつがいたら見てみたいよ。
カウンターで首に蹴りいれられるぞ間違いなく。
「それに…。」
それに、なんだよ。
「それに、虎徹さんなら覚えててくれるでしょう?“僕自身”のことを。」
市井の人の記憶なんて曖昧なものだから、いくら今キングオブヒーローと持て囃されても、
僕が死んで一年もすれば『ああ、昔いたなそんな奴』扱いですよ。
でも、虎徹さんなら、覚えててくれるでしょう?
命日に花でも手向けてくれれば十分です。
そういう人に、僕がいた証を残したい。
それでも迷惑なら…このリビングウィルは今ここで破り捨てます。
寂しげで、でも決然としたバニーの眼を見て、
俺はこいつのそこまでの決意をもう否定できなかった。
「わかったよ。お前の命の証は、俺が受け取る。」
でも、もし他に遺すべき人ができたら、その時は書き換え忘れるんじゃないぞ。
そう言うと、バニーは素直に頷いた。
「じゃあ、弁護士の先生との約束があるんで僕これで。今日はトレーニング行きます?」
「おう。俺もこれ済んだらトレセン行くから。また後でな。」
バニーがオフィスから出ていくと、俺はぐったりした気持ちで机に伸びた。
どうか、こんな物騒なプレゼントを受け取る日が来ませんように。
自宅にある友恵の遺影の横に、まだ若いあいつの遺影を並べることがありませんように。
「それが叶うなら、こんな借金いくらでも分割返済するからさ。」
腰が抜けそうな額の金なんていらねえ。
ただ、あいつが隣に居て、さっきみたいな寂しそうな顔じゃなくて、
ただ笑ってくれてたらそれでいい。
「そうだ。なんか、開運グッズでも買ってきてやろうかな。」
そんなものが少しでもあいつの『命の証』を受け取らないで済むようにしてくれるなら。
気休めでもそれがあいつを守ってくれるなら。
次の日の朝、自分のデスクにラビットフットのキーホルダーを見つけたバニーが
「なんで人の机にこんな気味の悪い物置くんですか!!」と
自慢の“兎の脚”を叩きつけてきたけど、またそれは別のお話ってことで。
終