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3.ひとつ屋根の下

 

 

「ネイサン、どういうことか説明してもらおうか。」

虎徹は気を失ったままのバーナビーをソファに寝かせると

双眸に剣呑な光をたたえネイサンに詰め寄った。

「あらあ、アタシもタイガーに聞きたいことがあったのよぉ。」

長い指を色づいた唇にあてネイサンが妖艶な笑みを浮かべた。

ただ口許こそ笑っているが眼はすわっている。

<これは…どっちもまずいことになってるな…。>

一触即発の二人から離れようと、アントニオはそっと後方へ身を引いた。

虎徹は振りあげそうになる拳を抑え、ネイサンを睨み据えた。

「なんでこんな真似を!バニーに何かしてたらただじゃ済まねえぞ!!

今にも掴みかかりそうな虎徹にネイサンはすいと目を細めた。

「こんな真似…ねえ。あんたがハンサムにしたことはどうだって言うのかしら?

「あぁ?一体何の話…。」

虎徹が怪訝に首を傾げた途端、ネイサンが修羅の形相に変貌した。

 

お前がバーナビーを捨てて他の女と再婚しようとしてるのは

どういうことなんだと聞いてるんだよ!!

こっちが何も知らないとでも思ってるのか!!

てめえバーナビーと東洋系の女、二股かけてたんだってなあ?

シルバーステージに家買って所帯持つ?

ゆくゆくは家族が増えるから治安が気になる?

ああそれはオメデトウゴザイマス!!

でもなあ、その前にやることあんだろうが!

そりゃ、あんたが誰と再婚しようとあんたの勝手だよ!!

けどな、やりようってあんだろうが!!

あれだけあんたを慕い続けたバーナビーを

こんな空き缶みたいにポイッと捨てやがって!

黙って見てられるわけねえだろう!!

何とか言えよ、ああ!??

 

艶めくピンクの唇からダウンタウン訛りの罵声が凄まじい勢いで迸る。

興奮状態のネイサンを虎徹はただ呆然と見ていた。

同じアッパークラスでも元々の生まれ育ちから上流階級のバーナビーと違い、

ネイサンはブロンズの下層地域から自力でのし上がった叩き上げだ。

一旦怒らせると生来の素性の持つ迫力は半端じゃない。

虎徹は少なからず怯んだが、それでも流されるわけにはいかないと口を開いた。

「何の話だ?俺がバニーと誰を二股?さっぱり意味が…。」

眼を瞬かせ、理解できないと訴える虎徹の胸倉をネイサンが掴んだ。

「てめえまだしらばっくれる…。」

ネイサンは虎徹の眼を見据えた。

琥珀の双眸は困惑の色をたたえているものの、逸らすことなくネイサンを見返す。

「嘘を…吐いてる目じゃないわね…。」

巨大企業のオーナーとして日頃から他人の嘘にはごまんと接するし

それゆえ疾しいところのある人間を見抜く術は持っている。

結論、この男はシロだ。

そう判断すると、瞬時にネイサンはいつもの落ち着きを取り戻した。

「ごめんなさい、何か誤解があったようね。」

ネイサンは虎徹の襟元から手を離し、どういうことかと額に手を当てた。

「お前…誤解で人を拉致って監禁するなよ。バニーは大丈夫なんだろうな。」

虎徹はひとまずネイサンの怒りが収まったのに安堵した。

「ああ、それも誤解よ。あれはただ寝てるだけ、盛る前に寝ちゃったのよ。」

ネイサンは肩を竦め、虎徹たち二人に椅子をすすめた。

傍に控えていたSMボーイズに「もういいわ、お疲れ様。」と労い、

ネイサンは人払いしたうえで改めて聞きだした。

「で、タイガー。真相を聞きたいの。」

ネイサンはまだ完全には納得していない眼で虎徹を真っ直ぐに見据えた。

 

アタシさっきまでこの子と飲んでたのよ。

ハンサムが何か思い詰めてるみたいだったから、

うちのバーに呼び出して飲ませてたの。

ああ、言っとくけどここじゃないわよ。

あの子けっこう堅物で奥手だから、ここのパブは刺激が強いでしょ。

この裏手にもあるのよ、私の経営する“普通”のバーがね。

そこでハンサムに『タイガーと喧嘩でもしたの?』って聞いたのよ。

そしたら聞いてびっくりよ。

『虎徹さんが浮気してるみたいなんです』なんて言うんだもの。

どういうことか問い詰めちゃったわ。

そしたら、タイガーがカフェでオリエンタル美人と仲良さそうに

家を買う話してるの聞いちゃったっていうじゃない。

あ、本人の名誉のために言っとくわね。

ハンサムが気分転換に変装したままカフェでお茶してた店に

偶然タイガーがいたって聞いたわ。

まあ、意図せず盗み聞きになってしまったみたいだけど。

『いずれ家族が増える、教育環境が何とか。』

そんな話をして嬉しそうな貴方を見て、

ハンサムはその女性と貴方が再婚してシルバーステージに

家を買うんだって思ったみたいね。

貴方との家じゃないのって聞いたら、この子悲しそうな顔で言ったわ。

『僕じゃ家族は増やせませんから』って。

それ以上は居た堪れなくなって、そこで店を出たそうよ。

 

ネイサンはそこまで言ってもう一度虎徹の眼を見た。

虎徹はネイサンの話に溜め息をつき、哀しそうな眼をバーナビーに向けた。

「その話は半分は事実だ。けど、肝心なところが間違ってる。」

虎徹はどうしてこうなったと頭を掻いた。

「どうしてそんなふうに思っちまったんだよバニー…。」

虎徹がそっとバーナビーの頬を撫でると、

その目許にうっすらと隈が浮かんでいるのが見えた。

「でも…そこだけ聞いたら確かに浮気現場目撃だわなあ…。」

虎徹は眠るバーナビーを辛そうな顔で見つめた。

ネイサンはふうと息を吐き、話の続きを始めた。

 

この子、それからどうやって家に帰ったか覚えてないんですって。

あのピンクのウサギ抱きしめて一晩中泣いてたそうよ。

「もう終りなのかな…。」

疲れきった声でそう言ってここでも泣きそうな顔して。

あんまり可哀そうだから少し休ませてあげたくて、

飲んでたソーダに一服盛ろうかと思ったのよ。

でもその前にこの子寝ちゃってね。

無理もないわよね。

昨夜寝てないわ、今日も出動こみの激務だわ、あげく食事も喉を通ってないわ。

それでワイン飲ませちゃったもんだから、一杯でことんと寝ちゃった。

 

「だからあの脅迫メールで虎徹の出方を見ようとしたのか?

アントニオは趣味が悪いと呟いた。

「ちょっとお灸を据えてやろうと思ったのよ。」

ネイサンは悪戯っぽく笑った。

「アントニオは気づいてたのね?さっきからずっと傍観してたもの。」

ネイサンがそう言うと虎徹はえっと驚いてアントニオを振り返った。

「まあな。」

アントニオはやれやれと渋い顔で頷いた。

 

そもそも、バーナビーのケータイを奪っても

脅迫メールをワイルドタイガー宛てには送れんだろう。

バーナビーがそんな名前で登録してるはずがないからな。

だとしたらワイルドタイガーが『虎徹さん』だと知ってる奴の犯行だ。

実際電話してきた虎徹にワイルドタイガーって呼びかけたろ。

お前らしくない詰めの甘さだと思ったが、むしろわざとやったな?

それにパブ『フレイム』ってまんまお前のヒーローネーム由来だろ。

仮にバーナビーが一服盛られて監禁されたとしたら、

それなりに気を許した相手が一緒だった。

まあ、それを全部考慮に入れれば…。

 

さすがアタシの牛ちゃんとネイサンは嬉しそうに笑った。

「ご明察。そのとおりよ。」

虎徹は周りを見回し、がっくりと肩を落とした。

「なんだよ…マジで焦って飛んできた俺がバカみてえじゃねえか。」

ネイサンはふふっと笑い虎徹の肩を叩いた。

「マジで焦って飛んでこなかったら虎の丸焼きにするつもりだったわよ?

それまで中立を保っていたアントニオは虎徹に真顔で詰め寄った。

「ところで俺が聞いた話とずいぶん違うが、どういうことだ!?

虎徹は未だ疑わしげな周りを見回し、情けない溜め息をついた。

 

家を買おうとしてあれこれ探してたのは本当だ。

ただ間違ってるのは東洋系の女性のとこだ。

彼女は不動産屋の担当さんだよ。

俺がオリエンタル様式の物件を探してたんで

店が彼女を担当にしてくれたんだ。

家族が増えるから治安がどうのってのは

楓が中学を出たらこっちでアカデミーに進学したいと言っててな。

いずれは同居になるかもしれないからだったんだ。

まあそんな感じでいわゆるコブつきにはなるけどさ。

俺は帰る家を用意してバニーに言うつもりだったんだよ。

『俺と家族になってくれ』って。

まさかよりによって、あそこだけバニーに聞かれるなんて…。

彼女あのあと言ったんだぞ。

「パートナーの方もきっと気に入りますよ。どうぞお幸せに」って。

どうせ聞くならそこまで聞いてくれたらよかったのに…。

 

「なんでどいつもこいつも俺を疑うのかね、バニーまでなんて…。」

虎徹は泣きそうな顔でバーナビーの頬を突いた。

「俺そんなに信用なかった?バニーちゃん…。」

ネイサンは憐れむような眼を眠るバーナビーに向けた。

「そうじゃないわ。この子は今まであまりにも失いすぎたのよ。」

 

ご両親や可愛がってくれた家政婦さんの死、

恩人だと思ってた男の裏切り、

それどころか自分の記憶まで。

そこへ貴方の再婚疑惑。

きっと『ああ、またか』と思っちゃったのね。

でもハンサムを責めちゃだめよ?

そのことで一番苦しんだのはこの子なんだから。

 

ネイサンの諭すような声に虎徹はハアと重い息を吐いた。

「だからって『二股かけた挙句に女と再婚』って、俺どんなサイテー男…。」

勘弁してくれよと呟いた虎徹のそばでうっと唸る声が聞こえた。

バーナビーが眼を覚まし、ゆっくりと上体を起こすと何度か目を瞬かせた。

「お、バニー。大丈夫か?

虎徹がそう声をかけるとバーナビーはまだぼんやりする頭で

周りを見回した。

「その声…虎徹さん?どうしてここに…。」

バーナビーはよく見えない目を傍の人影に向けそう訊ねた。

よく見ると眼鏡がない。

辺りを見回した虎徹は近くのサイドテーブルに見慣れたそれを見つけ、

バーナビーに手渡してやった。

バーナビーは眼鏡をかけるとさっきと違う部屋のソファに

寝かされていたことを理解し、羞恥に頬を染めた。

「すみませんネイサンさん。僕とんだ失礼を…。」

眠ってしまって店のプライベートルームに運び込まれたと

判断したバーナビーは己の失態を素直に詫びた。

ネイサンはいいのよと柔らかい笑みを浮かべた。

「気にしないで。ほら、お迎え呼んでおいたから。」

ネイサンの言葉に虎徹は<ものすげえやり方でな>と心の中で毒づいた。

そうとは知らないバーナビーは虎徹にも小さく頭を下げた。

「虎徹さんも済みません。折角のお休みに…。」

バーナビーはそう言うと、気まずそうに眼を逸らした。

迷惑をかけたという申し訳なさもあるが、

それ以上に昨日の件が心に大きな棘となって突き刺さっている。

虎徹はそれを承知で、今はあえて気付かぬふりをした。

「いいんだよバニー、そろそろ帰ろう。立てるか?

虎徹はそう言ってバーナビーの肩を支え立ち上がらせた。

「ネイサン、なんか世話になっちまったな。」

「こっちこそ勘違いで驚かせちゃって悪かったわね。」

ネイサンは『さっきのあれは内緒ね』と虎徹に囁いた。

アントニオが『ハンサムの携帯発信履歴…』と呟いたが

大きな爪先に細いヒールが素早く突き刺さる。

「何するんだよモウ!

ネイサンはアントニオに構わずバーナビーの耳元に唇を寄せた。

「ハンサム、さっきの件だけど。大丈夫みたいよ?

ネイサンは意味深な目でバーナビーに笑いかけた。

「え?…はあ…。」

バーナビーは困ったように頷いただけだ。

<わかってないみたいだけど、まあいいか。後はタイガーの仕事よね。>

ネイサンはアントニオを酒の相手に残らせると、

虎徹とバーナビーを店の裏側にあるVIP専用の玄関から送り出した。

戸口の前にさっきネイサンが呼んだ黒塗りのハイヤーが止まっている。

「じゃ、ネイサンありがとうな。」

「ネイサンさん、今日はありがとうございました。」

二人が会釈するとネイサンはひらひらとしなやかな手を振った。

「またこっちのお店の方にも遊びにいらっしゃい。サービスするわよぉ。」

ここをさっきのバーだと思いこんだバーナビーは小さく頷き、

表の光景を一応見ていた虎徹は引き笑いで手を振った。

「じゃ、おやすみなさい。」

「お休みなさい、ネイサンさん。」

「お休み、またな。」

やがて二人を乗せたハイヤーが静かに走りだし去って行った。

<ま、うまくやりなさいなタイガー。>

ネイサンは楽しげに笑うと艶やかなドレスの裾を翻し店に戻った。

 

 

「バニー、ちょっと寄り道していいか?

虎徹はハイヤーのリアシートに寄りかかり、

隣で黙りこくるバーナビーの手を握った。

「寄り道?一体どこへ…。」

怪訝に眉根を寄せるバーナビーに虎徹はへへっと悪戯っぽく笑った。

「おっちゃん、メダイユ地区ウエストシルバーにやってくれ。」

はいと短く答えた運転手が下層ステージに下る緩やかな坂道にハンドルを切った。

「シルバーステージ?本当にどこに行くんですか?

バーナビーは虎徹の袖を引くが、虎徹はただ笑っている。

「それは着いてからのお楽しみ。」

「はあ…。」

まだ気落ちした様子のバーナビーに早くあれを見せたい。

そこですべての誤解を解いて、今日こそ伝えよう。

「バニー、俺はいなくならねえから。」

繋いだ手を強く握り、虎徹は前を向いたまま言った。

「ずっとお前と一緒に居たいんだよ、俺は。」

お前はもう何もなくさないから。

これからそこで、俺と一緒にたくさん大切なものを増やしていこう。

虎徹は握る手にそんな思いを込めた。

「虎徹さん…?

バーナビーは何かを感じたのか、強張っていた身体から力を抜いた。

虎徹は繋いだ手を解き、バーナビーの肩をそっと抱き寄せた。

「大丈夫だよ、バニー。」

虎徹はそう言うと、窓の外に広がる閑静な住宅街を

何か大切なものをみるような眼で眺めた。

 

 

終り