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今日は久しぶりのオフ。

夕方に虎徹さんが遊びに来るけど、それまでの予定はない。

アラームをかけずに寝たらもう正午前だった。

ああ良く寝た。

ベッドを下りて大きく伸びをする。

僕はとりあえず顔を洗いにバスルームに向かった。

以前ほど酷い夢を見ることはなく、冷や汗で不快な目覚めというのも絶えて久しい。

けれど起きぬけに温かなシャワーを浴びると何ともすっきりする。

「この寝ぼすけ兎、シャワー浴びてハンサムスイッチ入れてこい。」

寝起きで寝癖もそのままにぼーっとしてる僕に虎徹さんはよくそう言って笑う。

さて、今日もスイッチ入れるか。

僕はぼさぼさの跳ねまくりな髪を適当に手櫛で梳きながらバスルームに向かった。

温かいお湯を頭から浴びて僕は適当にタオルを掴んで髪や体を拭いていく。

タオルはふかふかだけど、ふとなぜか味気なさを感じた。

虎徹さんの家のタオルは少しくたびれているけど柔軟剤の優しい匂いがする。

「自分の家のタオルだからかな。」

うちのサニタリー類は清掃サービスが交換・補充していく。

タオルも歯ブラシも真っ白で何の模様もない。

今まで何も気にしたことがなかったけど、今朝は妙にそれが気になった。

そういえば虎徹さんが前に言ってたっけ。

「お前の家って高級ホテルみたいだなあ。」って。

品質はいいけど生活感がないとかそういう意味だ。

まあ、業者が事務的に置いて行くのだからアメニティと言えばそうかもしれない。

同じ業者を入れている他の住人の部屋にも同じものがあるのだろうし。

うちにしかないものといったら、

かかりつけの歯科医に勧められて使っているこの電動歯ブラシぐらいだろう。

虎徹さん用の歯ブラシは使い捨てだから本当に『備品』だ。

一緒に住んでいるわけじゃないし、使ったり使わなかったりなので

虎徹さんの歯ブラシを置いておくのは不衛生な気がしたんだ。

でも、いない時に同じものに取り換えればいいことだよな。

虎徹さん専用の歯ブラシとタオル、買いに行こうかな。

タオルは赤と緑で色違いにして。

僕は歯を磨きながらそんなことを思った。

 

「しかし本当に何もないな、この家。」

今更だけど僕はそう思った。

改めて家の中を見渡すと、ここは僕の自宅ではあるけれど僕のうちではない気がした。

サニタリーの問題だけじゃない。

僕の私物というものが極端に少ないのだ。

そもそもこの部屋はマーべリックさんが投資用に持っていたものを借りているだけだ。

ここに来る人全員が『なにもない』と評するがらんどうの家。

今まで僕の中がいかにがらんどうだったかってことか。

本当の意味での僕の所有物なんて、衣類や身の回りの品くらいなものだ。

寝室の片側一面を埋め尽くすシステム収納は1/3ほどしか使っていない。

失くしたら落ち込んで立ち直れないものなんて3つだけだ。

ロボット、写真立て、ピンクの兎ぬいぐるみ。

後はここにはないけど会社のロッカーにある例のタスキ。

それに比べると虎徹さんの家は凄い。

家族の写真や古いヒーロー雑誌。

大事なもので溢れかえってる感じだもんな。

まあ、それ以上にゴミが散乱してることもあるけど。

あれこそ家庭って感じだ。

少なくとも寝に帰るだけの家という名の箱じゃない。

「ああ、そうか。」

このマンションが家庭になりえないのは当たり前だ。

僕はふとそれに気づいた。

でも、それっぽくは出来るのかもしれない。

虎徹さんの家を参考にして、僕のうちを造ってみようか。

あそこまで雑然とさせる気はないけれど、

僕と虎徹さんがここで過ごしている跡のようなものを残す。

このがらんどうの家に僕と虎徹さんの物を増やしていく。

僕達の匂いを濃くしていく。

それはとても素敵なことのように思えた。

 

 

適当に結んだ髪とわざと選んだ地味な服装をしてデパートに行った。

ハイクラス向けの店を選んだのは年若い女の子に追い回されないためだ。

この手の店なら僕のファン層の大半は来ない。

シルバーのショッピングモールで赤と緑の生活雑貨をペアでなんか買ったら

ファンやパパラッチに何を言われるか。

オオカミの群れに兎を放り込むようなものだ。

僕は誰に呼びとめられることもなく目的のフロアについた。

「ええと、何がいるんだっけ。」

まずはバスルームのものか。

タオル類に歯ブラシ、ブラシとコーム、シェーバーは電動嫌いだったな。

ああ、虎徹さんは髭を整えるのにハサミを使うって言ってたっけ。

だったらゾーリンゲンのいいものを置いておこう。

ワイルドタイガーのシンボルなんだから良いもの使わないとね。

変な形だとは今でも思うけど。

 

衛生用品を買ったら次は食器だ。

うちには洋食向けの白いプレートしかないから。

コーナーを見て回っていると、急に雰囲気が変わった一角があった。

和食器か。

虎徹さんの食文化だったらこういうのいるのかな。

あ、これ綺麗だな。

黒塗りのボウルで内側が深紅。

表に金箔で植物の柄があしらってある。

ミソスープでも入れるのかな。

でも僕も虎徹さんもミソスープなんて作れない。

それに、和食の領域は僕にとっては勝ち目のないアウェイ試合だ。

こんなの買うくらいなら、一緒に飲むお酒のグラスの方がいい。

あ、このガラスのピッチャーいいな。

トックリっていうんだっけ。

へえ、ボーンチャイナのもあるんだ。

…あ、このボーンチャイナ、兎の柄だ。

こっちには龍のもある。

「すみません、虎の絵のついてるものはないですか?

店の人に聞いたらすごく大きなお皿を出されて驚いた。

こんなのドラゴンキッドでも食べきれないぞ。

僕は何となく気になっていた兎柄のトックリとオチョコとかいう対のグラスを買った。

日本人には兎のモチーフは好かれるらしい。

ついでに白い無地の深皿も買った。

プレートよりはこういうのの方が食べやすいもんな、チャーハン。

 

 

あれやこれやで荷物の量は結構な嵩になってきた。

お酒とワインも買いたいし、デリにもよらなきゃ。

持って歩くのも大変だな。

僕は店の預かりサービスで一括して取り置いてもらうことにした。

後で一階のエントランスで受け取ってポーターが車まで運んでくれる。

 

その階に立ち寄ったのは偶然だった。

歩きまわって少し疲れた僕は7階の端にある小さなカフェに行こうとした。

あそこは画廊の陰になっているせいで人が少ない。

以前変装せずに入った時、僕はヒーローデビューして初めて

他人に騒がれずにゆっくりとお茶を飲み店を出ることができた。

以来、このデパートに来た時はそこで休憩することにしている。

他にいる物がなかったか考えて少しぼんやりしていた僕は

間違ってエレベーターを8階で降りてしまったようだ。

そこは家具売り場だった。

エレベーターは暫く来そうにないし階段かエスカレーターで下に降りよう。

そう思ってベッドや大きな食卓の並ぶフロアを歩きだした。

へえ、この階初めてきたけど面白いな。

シャープなデザインでまとめられたベッドルームや、

木の温かみを前面に押し出したリビングルームのモデルが広いフロアに並ぶ。

いかにも温かい家庭って感じだ。

こうしてみると、僕はやっぱりクールな感じのインテリアの方が落ち着く。

それは多分、典型的な温かい家庭像が4歳で途絶えているからだ。

引き取られた家と学校の寮は何かを護り育む場所じゃなかった。

それにこれから結婚して家庭を持つビジョンもない。

シチューの似合いそうなカントリー調のダイニングセットは

『自分じゃない別の誰かが手にする幸せの象徴』に見えた。

「こんな事口にしたら虎徹さんに怒られそうだな。」

想像しただけで苦笑いしてしまい、僕は妙に落ち着かないその一角を足早に去った。

「あれ。」

僕がふと足を止めたのはリビングルームを模したコーナーだった。

僕ぐらいの体格なら3人くらいは余裕で座れそうなソファが目を惹いた。

虎徹さんの家にあるのよりはやや小さいが、

ソファの一端がカウチになっていて寝そべることもできる。

「いいな、これ。」

僕はそっと座面に腰を下ろした。

背もたれの高さやカウチで脚を投げ出した時の幅がピッタリだった。

「座り心地はいかがですか?

黒いスーツを来たスタッフが僕の前に来てにこやかに笑っている。

「いいですね。僕の体格で楽に座れるソファはなかなかなくて。」

そう答えると彼は傍に合ったカタログを僕に見せた。

「こちらは本革ですが、他にも生地と色をお選びになってカスタマイズできます。」

へえ、なるほどね。

革の冷たい質感よりファブリックの温もりが欲しい人もいるし、

幼い子や動物がいる家なら合成皮革が合理的だ。

僕と虎徹さんだったらどうかな。

あの人そそっかしいけど、自宅の白いファブリックのソファに何か零した跡はない。

虎徹さんだったら布の温もりが好きそうだな。

あのソファはもしかしたら単に奥さんの趣味かもしれないけど。

そう考えると虎徹さんの家にあるのと被るより、

僕の好きなもので彼を迎える方がいいな。

僕はカタログを持ったまま立ち上がった。

「商談はどちらで?

スーツの彼はにっこりと笑った。

「こちらにどうぞ、ブルックス様。」

何だばれてたのか。

バツの悪い笑みを浮かべた僕に彼はよけいなことをなにも聞かなかった。

 

 

帰宅してから買ってきたものを洗面所やベッドルームにそれぞれ置いた。

バスルームには赤と緑のタオル。

キッチンにも同じカラーのマグ。

ただ寝に帰る巣みたいだった場所が、急に僕にとってのホームになった。

知らなかった。

たったそれだけのことなのに、ここにいるのがこんなに安心するなんて。

あのソファは10日ほどで納品されることになっている。

結局僕が選んだのは黒い本革のソファだ。

サイドテーブルにぴったりな硝子のローテーブルも。

革と金属とガラス。

人によっては冷たい部屋だと思うだろう。

でも今更取ってつけたような温もり感はこの部屋に合わない。

それに…。

 

リンゴ―ン

 

あ、来た。

僕はいそいそとドアロックを解除した。

やがてバタバタと響く忙しない足音。

「こんちわー。バニー、これお土産。」

虎徹さんが紙製の箱を少しだけ揚げて笑った。

「いらっしゃい虎徹さん。」

嬉しいな、その店のプリン好きだって言ったの覚えててくれたんですね。

僕がそういうと虎徹さんはドヤ顔で胸を張った。

「ったりめーよ。好きな子の『コレ好き』は覚えてるもんだ。」

そんなふうに直球で言われるとなんか照れる。

でも、気持ちは凄く分かる。

「僕もあのデリで虎徹さんお気に入りのおつまみ買ってきたんです。」

僕がそういうと虎徹さんが嬉しそうに笑った。

この家に取ってつけたようなステロタイプな温もり感は要らない。

だって貴方がいるだけで僕にはどこよりもここが温かで安心できる場所になるから。

 

 

終り