3.クランクアップ
「お子様チームの収録は済んだのね。」
アニエスはVTRをチェックしてうんと頷いた。
「いいじゃない。折紙の気弱さが却って切ない感じを醸し出してるわ。」
キッドが元気キャラだからちょうどいいバランスだったわね。
「この子たちはかなり視聴率取れるわよ。他は?」
「ロックバイソンたちは今収録中です。」
「スカイハイたちのVTR編集終わりました。チェックお願いします。」
アニエスは収録中のモニターに眼をやりつつVTRをチェックした。
「うーん、この二班はいわば背徳物だから好き嫌いが分かれるのよね。」
特に熱狂的なファンの多いブルーローズとクリーンさを求められるスカイハイ。
「あの二人が組んで爽やかなストーリーでもやってくれれば鉄板だったのに。」
「まあ、案外化けるかもしれませんよ?」
ケインのフォローも聞いているのかいないのか。
アニエスはじろりと一番の不安因子に眼をやった。
「不安はあるけど、大化けする可能性ならアポロン組がダントツかしら…。」
バーナビーが他の女性とラブストーリーをやると主力ファン層の
若い女性から総スカンを食う可能性がある。
ことにバーナビーファンとブルーローズファンは相性が悪い。
年齢的にはあの二人のカップルが一番自然なのだけれど。
「まさかタイガーと夫婦役をするなんてねえ。」
もとから女性が足りないんだか誰かがそれをやるのだが、
アニエスは王子様キャラで売っている
バーナビーが来るとは当初予想もしていなかった。
「でも、バーナビーさんの織姫すっごい綺麗ですよねえ!!」
メアリーはモニターを見てうっとりと言った。
「うん、あれだったら俺男でもいいかも。」
ケインまでおかしなことを言い出したとアニエスは眩暈がした。
だが確かにその美貌は群を抜いている。
青臭さの残る少女やオネエのマダムよりは断トツで『姫』だ。
「バーナビーは上流階級の出身だし、育ちというか品格が違うわね。」
高すぎる身長はカメラワークでどうにでもなるか。
「まあ、話題性はいうことなしね。あんた達気合入れて視聴率取ってよ!!」
アニエスはカメラの向こう側に届かぬ檄を飛ばした。
ところが虎徹とバーナビーの収録は押しに押していた。
「カーット!タイガーさん、演技が固すぎるよ!!もっと自然に!!」
「だっ!自然につったって…。」
天帝に引き離される前の夫婦は周りが目に見えないバカップルのような描写。
しかも台詞が時代がかっていて言いにくいこともあり、
ぎくしゃくするわ噛むわでほとんど虎徹一人で流れを止めていた。
「はあ…。」
バーナビーも最初の内は頑張ってフォローしていたものの、
重くて暑い衣装の負担もありさすがに疲れてきていた。
「すみません、少し休憩いいですか?」
バーナビーの依頼に監督が30分休憩といい、スタッフが忙しげに散っていった。
「ごめんなバニー。俺完全に脚引っ張ってるよな。」
いつになくしょげた様子の虎徹にバーナビーはふっと笑った。
「なに言ってるんです。想定範囲内ですよこれくらい。」
貴方との芝居なんてそうそうスムーズにいくとは思ってませんよと
バーナビーは笑顔で言い放った。
「はは、きっついなー。フォローなのか追い討ちなのかどっちなんだよ。」
困った顔で笑う虎徹にバーナビーは穏やかな笑みを浮かべた。
「ねえタイガーさん、焦らず新婚時代の事を思い出してみてください。」
バーナビーはスタッフから受け取ったタオルで汗を拭いながら
台本片手に撃沈寸前の虎徹に言った。
思いがけない言葉に驚いた虎徹が目を見開く。
「ちょ…お前何言い出すんだよ。」
「僕を奥さんだと思って。あの頃毎日どんな風に話したり抱きしめたりしたか。」
劇中の二人だって新婚なんです。
きっと貴方自身の過去の経験が生きますよとバーナビーは笑った。
「残念ながらそこは僕に経験がないのでリードしてもらわないと。」
「バニー…。」
虎徹はハアと小さく溜め息をついた。
どうしてこいつはそういう自分自身を手酷く傷つけるようなことを言うのか。
自分に友恵を重ねろだなんて。
だいたいそんなこと、他の女優が相手なら最初からそうしている。
<お前だから、それだけはできねえんだよ…。>
けどそれを言えばそれはそれでバニーを傷つけるなと虎徹は眉を顰めた。
虎徹はバーナビーの思考をその方面から逸らそうと考えた。
「残念ながら日系はあんまキャッキャウフフとキスやらハグやらしねえのよ。」
本当はバカみたいにいちゃいちゃしてたこともあるけど。
虎徹の思いをよそにバーナビーはふうんと不思議そうに首を傾げた。
「そのへんはどうでもいいんです。要はどんな気持ちだったかが大事なんですから。」
仕事が手につかないほど妻が可愛くて、一緒にいるだけで幸せで。
そう考えればいいだけなのに。
そう思ったバーナビーの胸がずきんと痛んだ。
無意識に胸元を掴んで俯いたバーナビーに虎徹はほらなと肩を竦めた。
「お前を傷つけるような芝居なんかしたくねえよ。」
新婚の気持ちねえ。
もちろん忘れたわけじゃない。
けど、この流れで上手くやったらバニーのブーメラン発言は
あいつ自身を滅多打ちにするだろうな。
「よし!」
台本をテーブルに置き虎徹はやるぞと両手をパンと打ち合わせた。
「幸せな新婚生活は思い出しましたか?」
虎徹の眼が変わったのに気づき、バーナビーがやれやれと息をついた。
「いいや、バニーちゃんと新婚さんシミュレーションのつもりでやるわ。」
その言葉にわっとスタジオが湧いた。
「いいぞ!私生活も最高のバディですね!!」
「ばっか、そんなのもとからだよ。」
スタッフのからかいを虎徹は右から左へと流してセットの中央に立った。
「おーい、俺のハニー。そろそろ休憩終わるぞ。スタンバイよろしく!」
虎徹の衆目を憚らない発言にバーナビーはかあっと顔を赤らめた。
「ちょ…貴方、何言って…!!」
その言葉に虎徹がニッと笑った。
「おいおい、今度はお前が噛むのかよ。」
その後エンジンのかかった虎徹は人が変わったようにいい演技で
監督の一発OKを連続で取った。
だがこのまま順調に終わるかと思われた矢先、
子牛を引いて河のほとりで妻との逢瀬を果たす場面で事件は起きた。
「ぶううう!!」
大人しく指示通りに動いていた子牛が突如何かに怯えたように立ち竦んだ。
「おいどうしたんだよ!?」
虎徹は何とか手綱を引くが子牛は嫌がって引き下がろうとする。
「んもおおお!!」
「もーじゃねえよ。ほらいい子だからこっちに来いって!!」
スタッフや監督はあーあという空気で牛の反抗を見守っている。
子供と動物はゴネたら長いと経験で知っている彼らは諦めたようだ。
だがバーナビーはいままでトレーナーのサイン一つで動いていた
利口な子牛の突然の反抗に何か嫌なものを感じた。
<おかしい…何を嫌がっているんだ?>
その時ギイッと何かが軋む音が微かに聞こえた。
その音につられて上を見たバーナビーは息を呑んだ。
「タイガーさん危ない!!」
牛と格闘していた虎徹が振り返って目にしたのは
能力を発動し自分に突進してくるバーナビーだった。
「んな!?」
ガアアアアンン!!!!!
凄まじい音がスタジオに響いた。
うわああ!!
誰か!!
ぶもおおおお!!
スタッフの声と牛の鳴き声、そして何かが叩きつけられるような音。
100倍の腕力で―無論、加減はしていたが―突き飛ばされた虎徹は
立っていた位置から数メートル吹っ飛ばされた。
「いってええ。おいバニー、なにを…!!」
打ちつけた腰を摩りながら上体を起こした虎徹が見たものは
スタジオの中央に倒れたバーナビーとそのそばに転がる大きな照明器具だった。
「バニー!!」」
虎徹は慌ててバーナビーに駆け寄った。
「おい、しっかりしろ!!」
砕けた電球や光を拡散させる板が緋色の衣に深々と突き刺さっている。
それはまるで標本にされた蝶のように。
虎徹の背筋に冷たいものが流れた。
「バニー!!」
虎徹がバーナビーの肩を揺すると小さく呻き声が聞こえた。
「う…。タイガーさん、大丈夫ですか?」
バーナビーは両手をついて身を起こし心配そうに言った。
「それはこっちのセリフだ!!怪我は!?」
バーナビーは虎徹の視線が自分の脚に向けられているのに気がついた。
豪奢な着物と天女のような長い羽衣がズタズタに裂けている。
「大丈夫です。刺さっているのは衣の裾だけで中身は無事です。」
脚はこっちとばかりに機材のそばで膝下を動かしてみせると、
器材に踏まれていない部分の衣がごそごそと動いた。
「そうか…。よかった。」
ほっと胸をなでおろした虎徹は
無事でよかったとバーナビーを抱きしめた。
「ありがとう。お前が突き飛ばさなかったら俺の頭が砕けてた。」
「『妻』として当然のことをしたまでです。」
そう言って笑うバーナビーの笑顔があまりに綺麗で
虎徹は一瞬ここが仕事先だと忘れて見とれてしまう。
吸い寄せられるように虎徹はバーナビーの顎を捕えキスをした。
わっとどよめくスタッフ。
呆然とするバーナビー。
周囲の軽いパニック状態の中で虎徹は平然とバーナビーを
再びしっかりと抱きしめラストシーンのセリフを口にした。
「我が妻への終生の愛をこの星の河に誓う。」
―数週間後。
「うわあああ!!」
「マジで!?」
バーナビーの自宅でオンエアを見ていた二人は壁面スクリーンの前で絶叫した。
「なんであん時のキス映像が本番映像に使われてんだよ!!」
「撮りましたよね?あの後台本通りのラストシーン撮りましたよね!?」
編集の絶技というべきか。
壁一面の自分たちのキスシーンに二人は意識が遠くなった。
「やられた!!アニエスだ!!」
「貴方が人目もはばからずキスなんかするから!!」
「だってバニーちゃんがありえねえくらい可愛かったんだもん!!」
「人のせいにしないでください!!」
「お前のせいだもん!!」
その時PDAが鳴った。
―ボンソワ、ご機嫌いかが?
満面の笑みのアニエスに二人は事件ではないと判断した。
「お前!どういうつもりであんなもん放送した!!」
―あら、スタジオで、カメラが回ってるの承知で、
熱いベーゼを交したのはどなたたちだったかしら?
「だからって承諾もなしに…。」
―収録した映像の著作権はす・べ・てOBCに帰属するの。当たり前でしょう?
だめだこりゃとバーナビーは首を振った。
「で、ご用件はなんです?」
―おめでとう、貴方達の話がダントツで視聴率ナンバーワンよ!!
もう予想もしない最高視聴率よ!!ありがとう!お疲れ様!!
二人は顔を見合わせ、はあと苦笑いした。
「「それはどーも。」」
―反響凄過ぎてOBCのサーバーがダウンしたくらいよ。
「それ炎上してんじゃねーか!!」
―ああそうそう、タイガー?
「んだよ。」
―ロイズさんが明日出社したら執務室に来るようにって。
じゃあね。オーヴォワー。
アニエスの通信が切れた後も虎徹は呆然としていた。
「…天帝の裁きだ…。俺、織姫と引き離されてどっか左遷されるんだ…。」
んなばかなとバーナビーは溜め息をついた。
「やだ!俺バニーと離れて遠くの営業所とか行きたくねえ!!」
「行くわけないでしょう!!せいぜい始末書10枚程度ですよ!!」
そのとどめの言葉に涙目で撃沈する虎徹を横目に
バーナビーはオムニバスドラマのEDを眺めた。
皆のNGやオフショット画像が次々と流れる。
照れ臭そうだったり、ドヤ顔だったり。
皆笑っている映像ばかりだ。
「なんだかんだいって、楽しかったな。」
そう呟いたバーナビーは最後の静止画で頬を染めた。
「もう…。本当にあの人にはやられましたね。」
「製作 OBC」のロゴと共に
虎徹にキスされて頬を染め、幸せそうに笑う自分がスクリーンに映っている。
やがてロゴが消え、新たなテロップが入った。
―この幸せが貴方にも訪れますように。
終り