2 雨降って地固まる
最悪だ。
タイガーはすぐ傍を黙って歩く相棒を横目で見て溜め息をついた。
「最悪ですね。」
バーナビーも周囲を見回して溜め息をついた。
「…あのさ、バニー…。」
「崩落はまだ続きそうですね。逃げ遅れた人がいるか早く確認しないと…。」
タイガーの言葉を遮り、バーナビーは言外に仕事に集中しろという
ニュアンスを強く含ませた。
「異音もしますし、ここも長くは持たないでしょう。」
「…そう、だな。熱感知は今のところないが、この先はどうなってる?」
タイガーは視界の悪い現場の奥を見渡そうと目を凝らした。
「まだ建設中の路線ですから、すぐに行き止まりのはずです。」
「そこまで行ってみるか。誰もいなければすぐ上に引き返そう。」
「はい。」
バーナビーは返事こそ素直にしたものの、
タイガーを一顧だにせず先に立って歩き始めた。
バーナビーの背を力なく見つめ、タイガーはまたはあと溜め息をついた。
ブロンズステージ地下に建設中の地下鉄施設が崩落した。
そうアニエスから出動要請を受けたのが二時間前。
バーナビーは合流後、何事もなかったかのように振る舞った。
最初は安堵した虎徹も、30分もするとバーナビーの異状に気がついた。
視線を合わさない。
仕事の話以外は断固受け付けない。
連携はきっちり決めてくるが、明らかに心の波長には大きなズレがある。
仕事としてのコンビプレーは完璧なのに、
根本の人間関係が振り出しに…あるいはそれ以下の状態になってしまった。
その状況下でこのシビアな出動現場。
最悪だと虎徹は思った。
逃げる強盗を追うぐらいならいい。
最悪でも他のヒーローにポイントを持っていかれる程度のことだ。
それに比べ、この種の事故現場での不和はまずい。
要救助者や自分たちの命すら脅かしかねない。
しかも救助開始直後、崩落した事故現場の瓦礫を取り去るのに
既に能力を遣ってしまっている。
今の状況で不測の事態が起きたら最悪の結果を生むかもしれない。
やはりこのままではいけない。
タイガーは意を決して前を歩くバーナビーの背に声をかけた。
「バニー、昨日は済まなかった。」
バーナビーは立ち止まり背を向けたまま、やれやれと肩をすくめた。
「その話は後です。集中してください。ベテランなら意味は分かるでしょう。」
「ベテランだから、言わなきゃまずいと分かるんだよ。」
バーナビーはフェイスガードを跳ね上げ、柳眉を逆立てた顔を顕わにした。
「要救助者がいるかもしれない時に私的な話を!?冗談じゃない!!」
「それが最期になってもか?後悔しないって言いきれるか?」
低く重いタイガーの声にバーナビーはびくりと身を竦ませた。
「そういうこともある。この10年、何度もそんな場面を見た。」
自分にはまだない、負の経験値を持つものの言葉の重みに
バーナビーは僅かに動揺したが、やっと頷いた。
「分かりました。では速やかにここの捜索を終えましょう。続きはそこで。」
バーナビーがぎこちなく笑い和解の意を示すと、
タイガーは漸く安心したように頷いた。
その時、ゴリゴリと嫌な音が聞こえ、ばらばらと砂が零れ落ちてきた。
「なんだあ?」
「危ない!」
突如起こった頭上の崩落に最初に反応したのはバーナビーだった。
「おわ!」
タイガーが叫んで転倒した瞬間、ドオンと大きな音が狭い通路に反響した。
ガラガラと大小さまざまな石が落ちてきてはタイガーを打ちすえる。
「な、何が…。」
バーナビーに渾身の力を込めて突き飛ばされたタイガーが身を起こすと、
さっきまで二人が立っていた場所にコンクリートの瓦礫が
崩れ落ち高い壁を作り上げていた。
「バ…バニー!!おい、返事しろ!!バニー!!」
タイガーは瓦礫の山に縋り姿の見えないバーナビーに呼びかけた。
「バニー!大丈夫か!?おい!!」
いくら呼びかけても返事がない。
タイガーの背を冷たい汗が流れ落ちる。
「まさか…下敷きになってるんじゃ…。」
だとしたら一刻も早く助け出さなくては。
万が一、クラッシュシンドロームでも起きれば命に関わる。
タイガーは堆く積もった瓦礫の山に手を掛けた。
しかし…。
「…痛てえ!!くそ、こんな時に限って!!」
瓦礫をどけようとするが、肩にひどい痛みが走って力が入らない。
さっき大きな瓦礫が肩の関節に直撃したのが響いているようだ。
だが、そんなことは言っていられない。
この石の山が今もバーナビーの身体を押し潰そうとしているのなら。
「くそ!これしき!!」
タイガーは歯を食いしばり、なんとか瓦礫を持ち上げようとした時だった。
>…さん、タイガーさん…きこ…ますか…
途切れ途切れの音声がマスク内蔵スピーカーから聞こえた。
タイガーは弾かれたように顔を上げた。
「バニー!何処だ!無事なのか!?」」
>閉じ…られ…した…無事…す。
動揺したタイガーに対し、バーナビーの声は落ち着いている。
「閉じ込められた!?瓦礫の下敷きじゃないんだな?」
バーナビーが瓦礫の下ではなく向こう側にいるのだと分かり、
タイガーは少しだけ安心した。
「怪我はないのか!?」
>…ぶですが…。…をやられ…ようです…。
「どこだ!どこをやられたんだ!?」
>…ですが…ようで…全く、見えません。
全く見えないという言葉にタイガーは戦慄した。
確かさっきバーナビーはフェイスガードを上げていた。
「眼をやられたのか!?痛みは、大丈夫か?」
>…は…せん…。ただ…で…。
通信状態が悪すぎる。
だが、一刻も早くバーナビーを助け出さなくては。
この先は行き止まりだったはずだ。
酸素の量もあとどれぐらいもつのか分からない。
能力の復活まで後30分はかかる。
それを待っている余裕はない。
「バニー、すぐにそこから出してやるからな!!」
タイガーは肩の痛みも忘れ、必死で瓦礫を除け始めた。
瓦礫はほどなくタイガーの胸の高さまで除けることができた。
向こう側からもバーナビーが同じように除けていたからだった。
二人を隔てていた空間が開き、無事を願った相棒がそこにいた。
「バニー!よかった…。」
タイガーはバーナビーの顔を見ると安堵の声を上げた。
「俺、お前が瓦礫の下敷きになったのかと…。よかったー!!」
「タイガーさん、あなたも無事でよかった。」
そう言って笑うバーナビーはいつもの彼だった。
フェイスガードを上げたタイガーは泣きそうな顔をしている。
「タイガーさんは怪我はありませんか?」
バーナビーは気遣わしげにタイガーの様子を検分した。
「俺はちょっと肩を打っただけだ。それよりお前、眼は…。」
「眼?」
なんのことだというようにバーナビーが首を傾げた。
「え、お前目をやられて全く見えないんじゃ…。」
心配そうなタイガーの様子にバーナビーは暫く考え、ああと頷いた。
「違いますよ。やられたのはスーツの視覚センサーで眼は無事です。」
困ったように笑うバーナビーに、タイガーはどっと力が抜けた。
確かにセンサーがやられれば強度近視のバーナビーは
この暗闇では全く見えない状態と感じてもおかしくはない。
「俺、お前が失明でもしたのかと…。ああよかった!!」
タイガーは眦を緩め、心底ほっとしたように笑った。
「センサーは急にオフになるし暗いしで全く見えなかったんですが…。」
通信状況が悪くてタイガーに要らぬ心配をかけた。
そう理解したバーナビーは済まなさそうにうつむいた。
「済みません、ご心配をおかけしました。」
「いいって。お前が無事だったらそれでいい。」
タイガーは瓦礫越しにバーナビーを抱きしめた。
「よかった…。ほんとよかった…。」
スーツ越しにも感じるその温もりに、バーナビーの
頑なになっていた心がゆっくりと解けていく。
この温もりを失いたくない、素直にそう思えた。
もしもお互いの身に万一のことが起きていたらと思うとぞっとする。
バーナビーはずっと心の奥に蟠っていたものが
跡形もなく消えていくのを感じた。
「虎徹さん、昨日はごめんなさい…。」
タイガーのスーツ越しに腕を回し、バーナビーが消え入りそうな声で言った。
一日半ぶりに聞く虎徹さんと言う呼びかけに泣きそうになり、
タイガーは首を横に振り、バーナビーを抱く腕を強めた。
「俺も、酷いこと言って済まなかった。」
お前が重いくらい全力で甘えてくれるのが嬉しいくせに、
勢いで心にもないこと言った。
本当に済まなかった。
虎徹さんにそこまで言わせたのは僕の暴言のせいです。
本当に、あまりにも甘えが過ぎました。
どうか、許してください。
互いの素直な気持ちを伝えあうと
二人はどちらからともなくスーツのメットを脱ぎ捨て、
眼を閉じて唇を重ね合った。
終り