いっしょにたべよう
17:00 トレーニングセンター
ドアが開いてバーナビーが入ってくるなり、パオリンは満面の笑みで駆けだした。
「バーナビーさん、昨日はごちそうさまでした!」
その声にイワンも振り返り、同じように小走りで二人に駆け寄った。
「昨日は僕までごちそうになっちゃって、ありがとうございました。」
バーナビーはそんな二人に柔らかく笑った。
「僕もとても楽しかったです。また行きましょうね。」
バーナビーの後ろから続いていた虎徹は入り口で足止めされたのも気にせず、
三人のやり取りを微笑ましげに眺めた。
「うんうん、いいねー。仲良さそうで。」
「ハンサムとドラゴンキッドと折紙って珍しい組み合わせね。」
カリーナが不思議そうに言うと、イワンが苦笑した。
「昨日トレーニングしてた時に…。」
昨日の夕方バーナビーとイワン、パオリンが各々トレーニングしていた時だった。
パンチドール相手に実戦さながらの体術をしかけていたパオリンが
突然がくりと膝をついた。
「ドラゴンキッドさん!!」
「パオリン!どうしたんだい!?」
バーナビーとイワンが慌ててパオリンに駆け寄る。
「うう…。」
パオリンは胃を押さえて何やら呻いている。
バーナビーはパオリンの小さな体を抱え起こした。
その横に膝をついたイワンは白い肌を青ざめさせ、必死で呼びかけた。
「パオリン!パオリンしっかりして!!」
バーナビーはパオリンの意識や脈を確認して
しっかりしろと彼女を軽く揺さぶった。
「う…うう…。」
苦しそうなパオリンを見てバーナビーはまずいなと携帯を取り出した。
「救急車呼びます!ドラゴンキッドさん、すぐに…。」
その時パオリンがバーナビーの腕を掴んでかよわい声で言った。
「お腹すいた…。」
バーナビーとイワンは顔を見合わせた。
「なんか今、お腹すいたって聞こえたような。聞き違いかな…。」
「いえ、僕もそう聞こえました。パオリン大丈夫?お腹『痛い』の?」
違う、と渋い顔でパオリンがもう一度はっきりと言った。
「お腹すいたよー。」
「なにそれ。」
途中まで心配げに聞いていたカリーナが呆れたように言った。
「いやまあ、なんでもなくてよかったなドラゴンキッド。」
すでにバーナビーから聞いていた虎徹も苦笑しながらパオリンの髪を撫でた。
「なんでもなくないよー。お腹空き過ぎて死にそうだったんだもん。」
ぷうっと頬をふくらませ、いささかバツが悪そうにパオリンが言った。
「びっくりしましたが、ドラゴンキッドさんらしいですよね。」
バーナビーも笑いながらパオリンを優しい目で見た。
「それでまあ、これだったら何か食べればよくなるだろうって。」
イワンは本当に無事でよかったとパオリンに言った。
「それでハンサムにごちそうしてもらったんだ。」
カリーナは昨日のことを思い出して嬉しそうなパオリンを見た。
よっぽど美味しかったのだろう。
「で、何食べたの?」
パオリンはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに目をキラキラさせた。
「シュテルングランドホテルの中華!!すっごく美味しかった!!」
奢ってもらったものはちょっとしたスナックだろうと思っていた
虎徹とカリーナは驚いてバーナビーを凝視した。
「マジかよ!3つ星じゃねえかそこ!!」
「ちょっとあんた!どういうチョイスよそれ!!」
バーナビーは何を驚いてるのか分からないのか、不思議そうに首を捻った。
「何か変ですか?あそこのテーブルオーダービュッフェ、評判いいんですよ。」
イワンは問題はそこじゃないと思ったが、
昨日パオリンと一緒にごちそうになった手前突っ込めない。
「いや、そこは普通のカフェでいいだろ。そんな高そうなとこじゃなくて。」
虎徹が突っ込むとバーナビーは首を振った。
会社の近くで虎徹さんとランチとるんじゃないですよ。
僕がこの二人と食事してるのを見られたら、
ヘタをすると彼らの正体がばれかねない。
口が固くて信用できる店の個室が必要だったんです。
それに…。
「それに?」
何となく興味を持ったカリーナが促すと、
バーナビーは困ったように笑った。
「ドラゴンキッドさんがいくら食べても食材が尽きない規模の店でないと。」
ねえ、と同意を求めるようにバーナビーがパオリンを見ると、
彼女はえへへと笑った。
「あのね凄く美味しかっただけじゃなくて、故郷の味にそっくりだったんだ。」
シュテルンビルトでも本場チャイニーズの味を再現する店は少ない。
異郷で独り頑張るパオリンはそれがとても嬉しかったと笑った。
「ふるさとの味か。そんなに喜んでもらえて良かった。」
バーナビーも嬉しそうにパオリンに笑って言った。
「良かったなドラゴンキッド。」
居合わせたのが俺だったらせいぜいホットドッグぐらいだぞーと
虎徹がまたドラゴンキッドの髪を撫でると、
カリーナはその光景にすこし羨ましそうな表情を浮かべた。
<私は…タイガーにホットドッグごちそうしてもらう方がいいな。>
「お、ブルーローズ。食いっぱぐれたからってそんな残念そうな顔すんなよ。」
見当違いなことを言い始めた虎徹にバーナビーは鈍感と溜め息をつき、
カリーナは馬鹿!と捨て台詞を残してトレーニングに戻った。
「なんで?」
助けを求めたバーナビーも虎徹をスルーしてトレッドミルで走りはじめる。
「最近の若い子は分かんねえわー。」
虎徹は独り首を傾げながらストレッチを始めた。
19:30 トレーニング室
三々五々に仲間が帰り、ジムには虎徹とカリーナだけが残った。
<ど、どうしよう…。タイガーと二人きりになっちゃった…。>
カリーナは顔がほてるのを隠すようにトレッドミルに乗った。
これなら興奮が多少顔に出ても目立たない。
「さてと、もういっちょやって帰るかな。」
それまで休憩していた虎徹はトレッドミルの横に据えられた
ベンチプレスに横たわった。
「んっ…ふっ…。」
いつになく真剣な表情でトレーニングにいそしむ虎徹の
荒い息遣いが聞こえる。
逞しい腕がカリーナではびくともしないほどのウエイトを
一定のリズムで上げ下げする。
<なんか…カッコいい…。>
そう思ってカリーナが惚れなおしかけた時だった。
ぐぎゅるるるる
ものすごい音が虎徹の腹から響き渡った。
「あー…腹減った。」
さっきまでのイケおじはどこへやら、
虎徹は眉尻を下げてウエイトをがちゃんと置いた。
「今日はこれくらいだなー。」
虎徹は台から降りると傍にあったスポーツ飲料の残りを飲み干した。
胃が刺激され、虎徹ははーっと大きな息をついた。
「やべ、胃に飲みもん入ったら余計腹減った。ブルーローズ!」
急に呼ばれ、カリーナはびくんと身を竦めた。
「な、何?」
「一緒にホットドッグでも食いに行かねえ?もちろん奢るぜ。」
汗を拭きながらニッと笑う虎徹にカリーナの思考がついていかない。
返事をしないカリーナに虎徹は困ったように笑った。
「あ、そか。お前はお母さんがメシ作ってくれてるのか。それじゃ迷惑…。」
舞い上がってボーっとしてしまったカリーナは
チャンスを逃しそうになっていると気づいて慌てて首を振った。
「ううん!行く!わ、私もホットドッグ食べたい!!」
虎徹はカリーナの上気した頬を運動したからだと思い、
うんうんと頷いた。
「じゃ、行くか。トレーニング後のホットドッグは旨いぞー。」
カリーナはいつもなら運動後30分は吸収が良くなって太るから
絶対ものは食べないことにしている。
でもタイガーと二人で食事のチャンスなどそうはない。
<あ、明日頑張るから今日だけ!>
この機会を逃せるわけがないとカリーナは自分に言い訳した。
「じゃあ、さくっと着替えていこうぜ。」
「う、うん!!」
カリーナは昼間のパオリンに負けない笑顔で頷いた。
22:30 とある撮影スタジオ
「お疲れさまでした。」
バーナビーがそう言ってスタジオを後にした時、既に時間は22:30となっていた。
「なんか今から夕飯食べに行く気もしないなあ。」
バーナビーはふうと息をつき、
今日は夕食抜きでもいいかなと考えた。
以前は一人が当たり前だったのに、このところ人と食事をすることが多い。
その反動か、独りあの部屋で食事をとるのが妙に侘しく感じる時がある。
その反面、ピークを過ぎてしまったのか空腹感はあまり感じないが、
心の方が何か食べたいと叫んでいるような気がする。
「はあ、なんか濃いもの食べたい。」
どこかのチャイニーズデリで持ち帰りにでもしてもらうか。
いやちがうとバーナビーは頭を振った。
今、自分の舌が求めているのは市販されているものではない。
彼にしか作れないあの味が無性に恋しい。
「だからって今から押しかけたんじゃ迷惑だしな。大人しく帰ろう。」
バーナビーは車のキーを出そうとジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
その拍子に携帯が床に乾いた音をたてて落ちた。
「あれ?」
拾おうとして液晶に光る緑の文字。
―Mail Kotetsu
バーナビーは慌てて受信フォルダを開いた。
送信者 虎徹さん
件名 飯食ったか?
お疲れー。
バニー、ちゃんと飯食ったか?
遅くまで撮影大変だろうけど、
いつ出動要請かかるか分かんねえから
食える時に食っとけよ?
俺も今からメシ作るとこだから、
何ならうちにチャーハン食いに来てもいいからな。
25:00くらいまでは起きてるから。
だから飯抜きで寝るとかするなよ?
来るんだったらメールだけくれや。
飯と酒の準備しとくからさ。
バーナビーはそれを見てふふっと笑った。
「あの人、ほんと時々エスパーなんだよな。」
僕が疲れてるのも彼の手料理を一緒に
食べたいと思ってるのも全部お見通しだなんて。
前はあんなに鬱陶しかった
「ちゃんと飯食ったか?」の言葉に今はこんなに癒される。
おいで、一緒に食事をしよう。
そう言ってくれる人がいるっていいなと思える。
着信時間はほんの15分ほど前だ。
1時までは起きてると言っているし、お誘いはまだ有効だろう。
「じゃあ、素直にお言葉に甘えますね。」
バーナビーは出しかけた車のキーをポケットに押し込み、
忙しない手つきでメールを打ちこんだ。
23:30 虎徹の自宅
「そういえば今日は虎徹さんずいぶん遅い夕食だったんですね。」
「ああ、トレセンの帰り7時半ごろにブルーローズとホットドッグ食ったからさ。」
「へえ。彼女喜んでたでしょう。」
「ああ、あいつがあんなにホットドッグ好きとは知らなかったなあ。」
<うわ、鈍いなー。さっきの鋭さは何だったんだ。…もしかして僕だけにとか?>
「どしたのバニー、なんか嬉しそう。」
「え、あ、いいえ何でも。」
「あのさ、バニーちゃん。」
「なんですか?」
「虎さん、締めに兎ちゃんのお肉が食べたいなー。」
「…もう…。残さないでくださいよ?」
「もちろん。いただきます。」
「どうぞめしあがれ。」
終り