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マブダチパンチ

 

「ハンサムどうしたのそれ。」

バーナビーの頬骨の下あたりを指してネイサンは訊ねた。

「綺麗に隠したつもりだったんですが…貴女の目はごまかせませんね。」

バーナビーはバレたかというように肩を竦めた。

「出動がらみじゃないわねそれ。何かあったの?

ネイサンはそっとバーナビーの青じんだ頬に触れた。

コンシーラーでうまく隠していたようだったが、

トレーニングで何度も汗を拭ううちに化粧が剥がれ

痛々しい痣が浮き上がっている。

「ね、誰かに殴られたとかじゃない。まさかタイガーとかぁ?

そんなわけないか。

ネイサンは冗談のつもりだったのだが。

「…不注意でぶつけたんですよ。」

予想外に硬い声音、ぎこちない表情。

ネイサンはまじまじとバーナビーを見た。

「そんな感じに見えないわよお。」

「ぶつけたんです。本当に虎徹さんは関係ありません。」

バーナビーはふいと目を逸らし、

それ以上の追及を拒むような口調で言って休憩用のベンチから腰をあげた。

「トレーニング、今日のノルマがまだ残っているので失礼します。」

「え、ちょっとあんたまさか本当に…?

そそくさと逃げるように立ち去るバーナビーの背を見送って

ネイサンが声をあげた。

「ちょーっと!!たーいへ―んよー!?

 

 

「虎徹がバーナビーを殴ったあ!?

「喧嘩だろうか、それはよくないね!!

「っていうか、ハンサムが黙ってただ殴られるタマかしら?

「お二人の喧嘩…想像するだけで怖いですね…。」

「でもさ、何が喧嘩の原因なのかな。」

パオリンの疑問に皆は首を傾げた。

「タイガーが浮気したとかぁ?

「そんな甲斐性が虎徹にあると思うか?

「ないね、そしてありえないね。」

「スカイハイさんそれ庇ってるんですか、それとも…?

「タイガー怒ったら殴るんだ…。ちょっと見損なったわ…。」

「ボク信じられないなー。タイガーさんそんな人じゃないよ。」

涙目のカリーナは自信満々に言いきったパオリンをじっと見つめた。

「あんたってほんといい子よねー!!

「ど、どうしたのカリーナ!苦しいよー!!

ぎゅっと抱きしめられパオリンは大きな目を白黒させる。

「でも確かに、喧嘩したからってタイガーさんがバーナビーさんを殴るなんて…。」

イワンは信じがたいと首を振った。

「そりゃ虎徹もあれで昔は手が早かったが…あいつがハンサムをなあ。」

「じゃあ過去にも奥さんに手をあげたことはあるのかい?

キースの問いにアントニオはとんでもないと首を振った。

「友恵ちゃんに?まさか!!虎徹の野郎、嫁さんにベタ惚れだったんだぞ?

その言葉にカリーナの顔が引きつった。

「タイガー…奥さん大好きだったんだ…。」

「牛ちゃん、そこまでよ?

しーっというネイサンの窘めに気づかずアントニオは苦々しげに言った。

「あの愛妻家が…見損なったぞ虎徹。今度のヨメは男だから殴っていいってもんじゃない。」

その言葉にカリーナがどんよりと肩を落とす。

「愛妻家…ハンサムの事までもうヨメ呼ばわりするんだ…。」

「牛ちゃん、ちょっといらっしゃい。」

怖い笑みを浮かべたネイサンがアントニオの腕を掴んで外に出ていく。

一同の脳裏に子牛が売られていく哀しい歌が流れた。

「うおあああああ!!???ネ、ネイサンやめ!モオオオオ!!!

休憩室から連れ出されたアントニオの悲鳴が廊下に響き渡った。

「んふ。お待たせ。」

妙につやつやした唇を一舐めしてネイサンが微笑んだ。

「んで、どうするぅ?

ネイサンは皆を見回した。

「タイガーに皆でお仕置きしちゃう?

ネイサンのお仕置き怖い…。

一同はもはや声も聞こえないアントニオの安否を思い身震いした。

 

「どうすると言っても…余計なお世話かも知れないし…。」

「しかしバーナビー君が暴力に耐えしのんでいるのを見捨ててはおけないね。」

「だからタイガーはそんな人じゃない!!ほんとの事はっきりさせようよ!!

カリーナは何とか虎徹を信じたいと健気に主張するが、

どういうわけか他のメンバーはカップル間の暴力を前提に話を進めていく。

一人静観していたパオリンは周りを見回してうんとうなずいた。

<本当にタイガーさんが間違っていたらバーナビーさんを助けよう。>

 

「やっぱり目立つなあ。」

バーナビーはトレーニングルームの大きな鏡で左頬を見て溜め息をついた。

「どうしよう、明日は撮影が二つもあるのに…。」

触れるとまだかすかに痛む。

どうしてこんな事になってしまったんだろう。

「だいたい虎徹さんがあんなことをしなければ…。」

バーナビーは眉根を寄せ、うっすらと腫れた頬を摩った。

「バーナビーさん、大丈夫?

パオリンはひょこっと鏡に顔をのぞかせ心配そうにバーナビーを見上げた。

「ドラゴンキッドさん。ファイアーエンブレムさんから聞いたんですか。」

しょうがないなあの人はとバーナビーは苦笑して痣を隠すように抑えた。

「あのさ、よかったらこれ使って?

パオリンは小さな瓶に入った軟膏をとりだした。

ふわりとミントのような微かに刺激のある匂いが漂う。

「薬…ですか?

「ボクの故郷では怪我したときこれを塗るんだ。とってもよく効くよ!!

そう言ってパオリンは蓋を開けると、指先に一掬いした。

「塗ってあげる。眼鏡外して?

バーナビーは彼女の好意に嬉しそうに笑い、素直に眼鏡を外した。

「痛いの痛いの飛んで行けー。」

幼いころ母親がよく言っていたフレーズを口にしながら

パオリンがバーナビーの頬にそっと軟膏を塗った。

「ありがとうございます。」

パオリンはまだ心配そうにバーナビーを見ている。

無理な笑顔とどこか物憂げな表情。

<ほんとにタイガーさんが叩いたのかな…。>

親元を離れた自分をいつも励まし、頭を撫でてくれるタイガーさんが…?

パオリンはそうじゃないといいなと顔を曇らせた。

「どうかしましたか?

パオリンはその言葉にはっとしたように首を振った。

「なんでもない!早く怪我がよくなるといいね。」

彼女の笑顔にバーナビーもぎこちないなりに少しだけ笑った。

「ありがとうございます。少し痛みが引いてきました。」

その言葉にパオリンがよかったと屈託のない笑顔を見せた。

 

物陰で見ていた一同は微笑ましいやり取りにほっと息をついた。

「哀しそうだ、そして辛そうだ!!やはり我々が助けてやらなくては。」

「可哀そうに…。タイガーの暴力なんて本当は心が一番痛いはずよねえ。」

「ハンサムもなんで虎徹を庇うんだか。あいつ健気な奴だったんだな…。」

「それバーナビーさんのキャラじゃない気がするんですが…。」

「ねえ、もうこうなったらタイガーに聞いてみようよ。」

これ以上虎徹にDV疑惑がかけられるのはいろんな意味で耐えられない。

カリーナは健気な思いで皆に提案した。

「そうだね、一方の言い分ばかり聞くのはフェアじゃないね。」

「虎徹には俺が聞いてみよう。」

アントニオは他のメンバーに比べ虎徹との心的距離が近い。

他のものに否やがあるわけもない。

アントニオはまだロッカールームにいるという虎徹のもとに向かった。

 

 

残業が長引いた虎徹は他の面々より少し遅くトレーニングセンターの

更衣室に入ってきた。

「バニーまだ怒ってるかなあ。」

ベンチに腰掛けのろのろとスニーカーの紐を締めながら虎徹はぼやいた。

朝、虎徹の家で起きた騒動からバーナビーが笑顔を見せてくれない。

虎徹はここに来るのも気が進まなかったが、

今日は仕事の都合でバーナビーとはすれ違いだった。

「『その日の揉め事その日のうちに』…だしな。」

明日をも知れない危険な稼業に身を置くもの同士として二人で決めた約束だ。

反故にするのは男がすたる。

「ちゃんと謝らねえとな。」

虎徹はよしと気合を入れた。

その時更衣室のドアが開きアントニオがつかつかと歩み寄ってきた。

「虎徹。」

「おうアントニオ。なあ、トレセンにバニーは…。」

「そのバニーの事で話がある。」

眉間に深くしわを寄せアントニオが詰め寄った。

 

「ちょっとスカイハイもうちょっとしゃがんで!見えないじゃなあい!!

「すまない!そしてすまない!!

「ちょ…二人とも声が大きいわよ。」

「もーみえないよう。」

「みなさん、静かに。気づかれますよ。」

その時虎徹が何かに気づいたように空けっぱなしの戸口を見た。

「「「「「ヤバい!!」」」」」

―間もなく司法局が閉局します。局内にいる市民の皆様は・・・。

物陰でわあわあと騒ぐ声はたまたま館内にかかった全館放送で掻き消された。

アントニオに何か言われ、虎徹が彼の方を向き直る。

ふーっと安堵の息をついた一同は今度は息を殺して中の様子を窺った。

 

「お前、何故バーナビーを殴った。」

アントニオの問いに虎徹は目を丸くした。

「は?何の話だ。」

「お前がバーナビーに手をあげた件だと言っている。」

「何言ってんだお前!?

「恋人同士の喧嘩に口を突っ込むのは野暮だがな。でもあれは酷いだろう!!

「だから何の話だ!!

「とぼけるな!お前がバーナビーの顔を痣ができるほど殴ったことだ!!

「はあ!?それバニーがそう言ったのか!?

「いいや、あいつはお前を庇ったよ。『虎徹さんは関係ない』とな。見損なったぞ虎徹!!

「いや、多少は関係あるけど…。」

「やっぱりそうか!…お前変わったな。前は伴侶を大事にする奴だったのに…。」

「だーかーらー!!俺はバニーを殴ってなんか…。」

 

その騒ぎを外で見守っていた6人は固唾をのんだ。

だから初めからいた5人は誰も気づかなかった。

そこに1人増えていることに。

彼はその騒ぎを見て驚きに眼を見開いた。

「アントニオ、俺の話を聞け!!

「往生際が悪いぞ虎徹!!

アントニオはそういうと拳を振り上げ虎徹の顎を一撃した。

もろにヒーローの鉄拳を喰らった虎徹はベンチの上から転げ落ちた。

「くそアントンてめえ!!

「虎徹さん!!

悲痛な声をあげ虎徹とアントニオの間に割って入ったのは

バーナビーだった。

「虎徹さん大丈夫ですか!?

転げ落ちた虎徹を支えバーナビーは心配そうに彼の顔を覗き込んだ。

何があったのか知らないが、この事態は異常だ。

バーナビーは虎徹を背後に庇うように両手を広げアントニオを遮った。

「どけバーナビー。俺はまだこいつに話がある。」

厳しい声でアントニオはバーナビーに下がれと顎をしゃくった。

「どきません!!貴方は虎徹さんの親友でしょう!どうしてこんな事を!!

いつも優しいアントニオがどうして虎徹に暴力をふるうのか。

バーナビーは悲痛な声で訴えた。

その表情にアントニオは訝しいものを感じつつも虎徹に鋭い目を向けた。

「親友だからこそ、パートナーに手をあげた虎徹が許せねえんだよ。」

「虎徹さんが誰を殴ったんですか?

「決まってるだろ!バーナ…え?

バーナビーはやれやれと肩を落とし自分の頬骨をそっとさすった。

「これのことなら事故ですよ。僕が虎徹さんに殴られた?誰がそんな嘘を。」

ドアの陰に隠れていた野次馬ご一行の目がネイサンに注がれる。

「でもあんた、どうして事故なら事故って言わなかったのよ?

予想外の展開に面食らったネイサンの言葉に虎徹が頭を掻いた。

「あー、それな。俺が元凶なんだわ。」

やっぱりかと皆の目が虎徹に注がれる。

その目に虎徹はだっと叫んだ。

「でも俺は殴ったわけじゃねえぞ?

 

今朝バニーが寝ぼけて裸眼で階段降りて来た時に

俺が段差にほったらかしてた手ぬぐい踏みつけてさ。

バニー、それで足を滑らせて階段を顔からダダダーッと落っこちちまったんだ。

顔は痣になるわ肩はうちつけるわ。

痛いのと恥ずかしいのと腹が立つので俺にボロクソ言ってきてさあ。

俺もついそこまで言わねえでもいいだろとか、

ヒーローがあれで大コケするかとかいっちゃって大喧嘩よ。

ああ、そうそう。

 

虎徹は話を止めるとバーナビーの側に行き軽く頭を下げた。

「今朝は済まなかった。心にもねえ事言っちまって。」

率直に謝られたバーナビーは苦笑し、同じように頭を下げる。

「僕もごめんなさい。自分が悪いのに八つ当たりしてしまって…。」

困った顔のバーナビーを虎徹は軽く抱きしめた。

「いいんだよもう。怪我はもう痛くねえか?

「まだ笑ったり大きな口を開けると少し…。」

「ほんとごめんな。せっかくの綺麗な顔に傷付けちまって。」

「大丈夫です。こんなのすぐ治りますよ。」

「舐めときゃ治るかな。」

「もう…。」

 

…アホか。

一瞬にして興味を失った一同は生温かい目でふたりを見つめ、

あーあーやってらんねえと口々に言いながら解散していった。

「仲直りして良かった、そしてよかった。」

「結局は痴話喧嘩だったんですね…。」

「もう、人騒がせなんだからあ。」

「朝…裸眼でロフトから降りてくる…。それってお泊り…。同じベッド…。」

「カリーナ、ボクお腹空いた。なんか食べに行こうよ。」

「行こう!もう食べなきゃやってらんない!!

 

いちゃいちゃする虎徹とバーナビーを放置して引き揚げていく面々に

アントニオもまぎれようとしたその時…。

ひゅるっと空を切る音がしてアントニオの脚に何かが絡みついた。

「うわ!?

脚に絡まるワイヤーにアントニオは戦慄した。

「おうアントン…。お前はまだ帰れると思うなよ?

虎徹が口の端を歪めて笑った。

そこにいたのは高校時代に『喧嘩番長(死語)』と称された

若き虎そのものだった。

「バーナビー、助けてくれ!!

二人をかわるがわる見たバーナビーはにっこりと笑った。

「お疲れ様です。」

「おうおつかれバニー、また後でなー。」

「バーナビー頼む助けうわあああ!!!

くるりと背を向けて去っていくバーナビーの後ろで

虎の咆哮と牛の断末魔が人気のなくなった廊下にこだました。

「学生時代からの友達ってなんかいいなあ。」

バーナビーは一度だけ振り返って遠慮なく取っ組み合う

往年の男子学生二人を微笑ましげに眺めた。

 

終り