真夏の夜の夢?
「おーす!」
「遅くなって済みません。」
その晩、虎徹とバーナビーがキースに案内されリビングに入ると
アントニオがようと手をあげ、イワンがぺこりと小さく会釈した。
「遅かったな。もう始めちまってるぞ。」
「お二人とも遅くまでお疲れ様です。」
アントニオはウイスキーを、イワンはウーロン茶を飲みながら
テーブルの上に山と盛られたつまみを摘まんだ。
「適当に座ってくれ、そしてくつろいでくれ。」
キースは二人にそう言うと冷蔵庫に向かい
冷えたビールの瓶を二本取りだしてバーナビーに渡した。
「ありがとうございます。キースさん、これ皆さんでどうぞ。」
バーナビーは手に提げた有名デリカテッセンの袋をテーブルに置いた。
「やあ、気を使ってもらって済まないね。これはとても美味しそうだ。」
食べ物の気配に気づいたのか、自分も分け前を貰おうと
ジョンはバーナビーの太腿に大きな鼻面を押し付けた。
ふいにワークパンツの生地越しに伝わった
ふんふんという鼻息に驚いてバーナビーは身を捩った。
「わ、ジョンどうしたんだい?」
犬を飼ったことのないバーナビーはジョンの意図が分からず、
とりあえずふさふさの毛を撫でてやった。
おねだりが通じなかったジョンはなおもバーナビーの手を舐める。
「あはは、ジョンくすぐったいよ!」
「はは、『俺にもおやつをくれ』って言ってんだよジョンは。」
虎徹はしっぽを振ってバーナビーに甘えるジョンを笑いながら撫でた。
「ジョン、これはお前にはダメだよ。玉ねぎが入ってるからね。」
デリのミートボールとサラダを皿に盛っていたキースは
料理をカウンターに置いた。
「ジョン、ハウス!」
くうんと不満げに鼻を鳴らしながらも大人しく従った利口なジョンに
キースは犬用のおやつを与えて撫でた。
「いい子だ。そこにいるんだよ?」
自分の寝床に伏せたジョンはそのまましっぽを振って目を閉じた。
「そういや初めてだよな。男だけで集まって呑むの。」
アントニオはウイスキーを手酌で継ぎ足しながら言った。
「そうなんですか?」
意外そうにバーナビーが言うとイワンも頷いた。
「僕は未成年だから誘われないだけで皆行ってるのかなと思ってました。」
その言葉に最古参の二人が首を横に振る。
「いや、皆で飯食おうとかいう雰囲気は最近出来たばかりだよな。」
「だな。女子部はよく飯食いに行ってるみたいだけど。」
虎徹は冷えたビールを一気に流し込んだ。
「凄い話してそうですよね、女子部…。」
怪談でもするかのようなイワンの慄いた顔にバーナビーもクスッと笑った。
「あそこは部長があの人ですからね。」
「きっと女性らしく素敵な恋の話でもしてるさ!!」
素敵な恋というより男性ヒーローズの噂話のような気もする。
バーナビーはそう思ったが口にはしなかった。
隣にいる大男の引き攣った顔をちらっと横目で見て。
「じゃあさ、じゃあさ、キースはどんなんがタイプよ?」
酒が進めば男連中も好みの女性談議に花が咲く。
「私は…そうだね。清楚な感じの女性がいいね。そして惹かれるね。」
誰かを思いだすような眼をしてキースは言った。
「お前って清らかなカップルになりそうだよなー。」
「いいですね、メディアにばれてもこう『お似合いの二人』って祝福されて。」
虎徹とバーナビーはよもや自分たちが闘ったアンドロイドが
彼の想い人とは知る由もない。
キースも忽然と姿を消した彼女を想いながら照れ臭そうにジンを口にした。
「折紙は?好きな娘とかいねえの!?」
「え?ぼ、僕ですか!?」
虎徹は調子に乗ってイワンに迫るが、
当然シラフのイワンは困惑して身を縮こまらせるばかり。
「虎徹さん、先輩はナイーブなんですからそんなグイグイ行ったら気の毒ですよ。」
うんうんとアントニオは頷いたが、イワンは庇護されて逆にきっと顔をあげた。
「絶対言わないでくださいよ!?絶対ですよ!?」
まさかの告白におおっと周りがどよめく。
「最近…パオリンが…気になるんです…。」
おおー!!と歓声が上がった。
「キッドか!いいじゃねえか、お似合いだよ!!頑張れよ折紙!!」
「応援するよ!そして見守るよ!!」
「先輩とパオリンさん…。素敵ですね!」
「いいなあ、リア充予定者がここにもか。」
イワンはぶんぶんと首を振った。
「とんでもない!僕は…明るい彼女を見てるだけで癒されるんです…。」
一気にトーンダウンしたイワンに虎徹は優しく肩を叩いた。
「なにもいきなり告白しなくてもいいんだぞ。まずは一緒に昼飯食いに行け。」
「パオリンさんとなら、美味しくてリーズナブルなビュッフェに誘うんですよ。」
「あいつなら旨い物食って『美味しいね』で十分意気投合できるからな。」
そう聞いてイワンもそれくらいなら僕にもと思えてきた。
「肝心なのはビュッフェであることですよ。彼女の胃袋は底なしなので。」
「だな。あいつを普通の飯屋に連れてったらバニー以外は全員撃沈するぞ。」
「俺すでに撃沈したことあるぞ。あれはヤバかった。しかも給料日前で。」
アントニオの恐怖体験に座がどっと沸いた。
「じゃあ、皆ゆっくりやってくれ。明日に響かない程度にね。」
「みなさん、おやすみなさい。」
規則正しい生活を旨とするキースと未成年のイワンは
日付が変わる前にベッドルームに行った。
「僕たちも適当なところで切りあげましょう。」
家主が退席したのではもう続けるのも気が引けるなと、
残る三人も呑みかけのものを呑んでしまうと寝ようということになった。
バーナビーは飲み食いしたものをキッチンに下げ、
残り物を冷蔵庫に入れたりゴミを片付けたりしている。
「おい虎徹お前も手伝え。」
「う―…。もーのめねー…。」
「じゃなくて片付けろってんだ。」
テーブルを拭いていたアントニオはソファの上で寝っ転がる虎徹を
突いたが何の反応もない。
「放っておきましょう。壊し屋が起きると仕事が増えますよ?」
バーナビーは洗い物をしながら困ったような顔で言った。
「ハンサム…お前本当にできた嫁さんだよなー。」
「よ…嫁って…。」
アントニオが言うと、バーナビーはかあっと顔を赤くした。
「なんでこいつばっかりこんな働き者の嫁が二回も…。あ、悪い。」
口の滑ったアントニオは気を悪くしたのではないかとバーナビーを窺った。
「いいえお気になさらず。」
バーナビーはそう笑顔で応え、むしろこれはいい機会だと思った。
「あの…聞いても良いですか?その…。」
「友恵さんの事か?」
頷くバーナビーにアントニオはふむと唸り、
冷蔵庫からペリエを二本取り出して片方をバーナビーに渡した。
片付けを終えたバーナビーは虎徹の寝そべるソファの端に腰掛けた。
「今でも気になるか?」
「気になる…というほどではないんですが。単にどんな人だったのかなって。」
バーナビーの表情に重いものがないのを見たアントニオは
遠い過去を振り返るように目を細めた。
美人で頭がよくて、よく気の利く子だった。
綺麗好きで几帳面で。
虎徹の悪いところはビシッと叱れて。
でも虎徹の弱いとこは黙ってサポートするような。
お前と通じるところはたくさんあるな。
…でもそんな心配すんな。
虎徹は友恵さんとお前を比較したりはしてねえよ。
こいつは今じゃもうお前が可愛くて可愛くて仕方ねえんだから。
日系はそういう愛情を言葉にしない人種だから
不安になるかもしれんがな。
俺と飲んでる時はバニーが可愛いだの愛してるだのうるせえのなんの。
そんなの俺に言ってどうする、本人に言ってやれって言ったら
恥ずかしくて言えないんだとさ。
ほんと日系ってのは面倒な人種だよな。
「虎徹さんがそんなことを…。」
微かに頬を染め、気恥かしそうに眼を逸らしたバーナビーに
アントニオは何となく虎徹の気持ちが分かる気はした。
確かに以前とは比較にならない可愛げを垣間見せるようになったなと。
「ふああ・・・。もうこんな時間か。」
みれば時計は一時を回ろうとしている。
アントニオはそう言って炭酸水を飲み干すとごろりと床に横になった。
キースが簡単にワイパーをかけ大きめのラグを敷いてくれたので
犬の毛は気にならない。
「じゃ、俺もう寝るわ。おやすみ。」
「おやすみなさい、良い夢を。」
バーナビーもペリエの瓶をテーブルの上に置き灯りを消した。
虎徹は喉の渇きにふと目が覚めた。
右隣りには静かに眠る人の気配。
足許からは酔った男の豪快な鼾が聞こえる。
L字型ソファに自分とバーナビーが、床にアントニオが寝ているようだ。
今何時だろうとPDAをタップすると2:40の文字。
「水…。」
首だけ巡らせると闇に慣れてきた目にペリエの瓶が映った。
傍にバーナビーの眼鏡があるから彼の飲みかけだろう。
虎徹は起き上ってそれを取ろうとした…が。
何故か起き上れない。
そのうえ誰かが圧し掛かっているような圧迫感がある。
「んだよ…誰だよ…。おい、バニー?」
L字のコーナー部分に頭を寄せ合うように眠っているように見える
バーナビーのいたずらだろうと虎徹は小声で抗議した。
しかし傍から聞こえるのは穏やかで規則正しい寝息だけ。
「本当に寝てるのか?」
「…ん…。」
虎徹の声にバーナビーはうるさそうに唸り首を傾けて顔の向きを変えた。
<じゃあアントン…でもない!?>
アントニオは床にねっ転がって大鼾をかいている。
虎徹はふとここがキースの家だったと思いだした。
それなら犯人は“彼”かもしれない。
<ああ、なんだジョンか。しょうがねえなあ、でかいのに甘えん坊だな。>
でもまあ甘えん坊の大型犬ってのもなんだか可愛いなあ。
そう思って撫でてやろうとしたがふさふさした感触がない。
そこにはすべすべとした人肌の感触…。
<え?>
そのときハウスと言われた一角からちゃっと床を引っ掻く音が聞こえた。
ウウウウーーッ
ジョンの唸る声が低く闇に響く。
グルウウウウウ…
<え、ジョン!?お前誰に唸ってんの?なあ!?>
ウウウウ…ヒッ…キュウウウン
威嚇の声が一転、ジョンは恐れの鼻声をあげた。
<何!?何にビビったのお前!?>
チャッチャチャッチャ・・・
何かを怖がったジョンがキースの許へ逃げ去った。
<ええええ??????ジョ、ジョンさん!??もうちょっとそこにいてお願い!!>
願いも空しくジョンは主人の庇護を求めて逃げ去った。
なおも滑らかな手が自分の顎を撫でる。
<バニー!!アントニオ!!お願い助けて!!>
だが現役ヒーローとは思えないその情けない叫びも声にすらならない。
恋人と親友は共に夢の中。
起きる気配は全くない。
誰かの荒い鼻息が肌にかかる。
<だから誰なのお前!!>
虎徹は闇の中でその人影と目が合い、息を呑んだ。
“奴”は闇の中でにたりと嗤った。
ピンクの唇を妖艶に歪ませて。
<ひぃ!!>
虎徹は息をのみ、そのまま失神してしまった。
「いくらなんでもドアも施錠せずに全員寝てるなんて不用心よ。」
「いやあ。君を男子会に入れるのは気が引けたんだが、来るかもしれないと思ってね。」
「まあ、誘ってくれるのは嬉しいわ。夜中に侵入したみたいでごめんなさいね?」
「気にしないでくれたまえ。ジョンが少し驚いたようだが、それで気がついたよ。」
「驚かせて悪かったわね、ジョン?」
キュウウウ・・・
「遅くまで接待なんて大変ですね。」
「ほんとに…オーナーってそんなにも忙しいんですね。」
「まあね。遅刻した挙句にゲストルーム独占しちゃって悪かったわね。」
「女性を男性と雑魚寝させられないからね。」
「貴方ってほんとに紳士よねえ。」
「ところでお前何時にここ着いたんだ?俺とハンサムは1時過ぎまで起きてたぞ?」
「僕が寝る前時計を見たのは1:30くらいでした。」
「それがねえ、2時半過ぎごろだったかしら。まだやってたらと思ってこれもってきたの。」
「おや、これは美味しそうだ。ブランチに皆でいただこう。」
「ところで…。」
バーナビーは未だリビングのソファで目を覚まさない虎徹を一瞥した。
「どうして虎徹さんはこんな恐怖にひきつった顔で寝てるんでしょう。」
寝てるというより何かに驚いて気絶してるみたいだとバーナビーは思った。
「あとジョンがさっきから落ち着きがねえのもなんでなんだ?」
股の間にしっぽを挟みキースの側にべったり張り付いて離れない。
「ジョン一体どうしたんだい?」
フーンフーン
鼻面を押し付けて何かを訴えるジョンをキースはよしよしと撫でる。
「夜中になんかあったのか?」
怯える犬を見てアントニオはネイサンにたずねた。
ネイサンは虎徹の方をちらりと艶やかな流し眼で見てふふっとわらった。
「さあ?」
終り