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Aかさなり合う心

 

【虎徹 2230

 

リンゴ―ン

インターフォンを鳴らしても出る気配がない。

リンゴ―ン

リンゴ―ン

…留守なのかな。

けど俺はなんだか無性に嫌な予感がした。

俺はもしかしたらもう登録抹消されてるかもしれないと思いつつ、

ダメもとで指紋認証を入れてみた。

ピーッと甲高い音が鳴り解除の緑ランプが点く。

「バニー、入るぞ!!

俺は大きな声でそう言って家の中に踏み込んだ。

リビングに行ってみようと思った時キッチンの灯りに気がついた。

「バニー?

覗き込んだそこに人の気配はなく、流しの水が出しっぱなしだった。

「…らしくねえな。」

水を止めた時、傍の調理台に置いてあった処方薬の袋に気づいた。

「あいつ、どっか具合でも悪いのか?

中に同封されていた薬剤情報書を見て俺は息を呑んだ。

<ハルシオン 就寝直前に0.5錠>

これって確か、かなりきつい睡眠薬だよな。

でも肝心の薬は一つも残っていない。

空の薬袋があるということは…。

嫌な予感が一気に膨れ上がった。

俺は急いでリビングに駆け込んだ。

「バニー!!

バニーはいつもの椅子に身を投げ出すようにして眠っていた。

胸にご両親の写真を抱いて。

サイドテーブルには空になったアルミの10錠入り薬剤シートが1枚と

中身が半分ほど残ったペリエの瓶。

どれだけ飲んだんだ…まさか…。

「バニー!おい、しっかりしろ!!

いくら身体を揺すってもバニーは目覚める気配がない。

やはりオーバードーズだ!!

一度に使用する量が0.5錠の薬を10錠飲むなんて尋常じゃない。

俺はその意図に気がついて背筋が冷たくなった。

「オヤジさんたちの処に行こうとしたのか…?

俺はそっとバニーの顔を覗き込んだ。

涙の残る眦。

抱きしめた写真立て。

デスクの上で開いたままの携帯に触れると、受信履歴のページ。

二日前に途切れた俺の名前のところでスクロールが止まっていた。

俺は自分の携帯を取り出した。

二日前、バニーから来た最後のメール。

―虎徹さんに会いたいです。

俺はこのメールに返事をしなかった。

それが気持ちの弱っていたバニーには致命傷だった…?

「俺が…追い詰めた…。」

発作的に死を選ぶほど…。

「ばか…やろ…。」

俺は叫び出したいほどの後悔を必死で呑みこんだ。

悔いる前にやることがあるだろう鏑木T虎徹!!

 

バニーの口許に手を翳し、もう一方の手で左手首の動脈に触れる。

「呼吸…よし、脈拍…よし。体温…やや低下。」

よかった、バイタルは思ったほど低下していない。

CPR必要なし。救急車!!

俺は震える手で携帯を取り出し救急車を要請した。

寝室からブランケットを持ってきてこれ以上の体温低下を防ぐ。

「バニー…ごめん…ごめんな…。」

俺は側に膝をつきバニーの手を握り締めてうわ言のように謝りつづけた。

 

 

【バーナビー 2245

 

・・・ニー。・・・バニー・・・。

誰かが僕を呼ぶ。

煩いなあ…静かに眠らせてくださいよ…。

眼を開けるとそこに見慣れた人影がぼんやりと映った。

「バニー!しっかりしろ!!

あ、虎徹さんの声だ…。

逢いたいと思ったから夢に出てきたのかな。

でも、なんかやけに必死だなあ…。

朦朧とする頭が少しずつ覚醒する。

「バニー!俺が分かるか!?声、出せるか!?

どうも、夢じゃないような…。

本物?

「虎徹…さん?

「バニー!気がついたか!!よかった…ほんとよかった…。」

虎徹さんの大きくて温かい手がしきりに僕の手を摩る。

本当に虎徹さんがここにいる。

何故か知らない人たちと一緒に。

でもどうしてそんな泣きそうな顔してるんですか?

「大丈夫ですか?自分の名前を言えますか?

知らない人たちが切羽詰まった口調で言った。

なんだこいつら藪から棒に…。

…って、この服装は…救急隊!?

自分の名前って…意識状態の確認されてる!?

なんで!!

「バーナビーさん、薬は何錠飲みましたか?

「…え、薬って…。」

ああ、そう言えばさっき…。

「お前これ全部飲んだんだろ、気分はどうだ?

虎徹さんは心配そうにそう言って、側にあったアルミの錠剤シートを振って見せた。

救急隊の隊長らしき年配の男性が僕の側に膝をついた。

「バーナビーさん、胃を洗浄する必要があるのでこれから病院に…。」

…は?

はああ!?

「ちょっと待ってください!僕がそれを全部?まさか!

僕は慌てて首を横に振った。

「ハルシオン10錠なんて飲むわけないでしょう!飲んだのは0.5錠だけですよ!!

虎徹さんと救急隊員は驚いて顔を見合わせた。

「ちょっと精神的に疲れてて、確かにそういうことも考えましたけど、ほら!

僕は彼らに傍らの屑かごを見せた。

その底に9粒の白い錠剤が転がっている。

「残りの0.5錠はその辺にあるはずです。」

僕がサイドテーブルを指すと虎徹さんはすぐにそれを見つけた。

「…あの?

救急隊員がどういうことだと言わんばかりに虎徹さんを見ている。

虎徹さんは呆然と僕の顔を見て、どっと力が抜けたように肩を落とした。

「あー…。すんません!俺の早とちりだったみたいです!!

虎徹さんがそう言って隊員たちに90度腰を折り頭を下げた。

その様子に隊員たちはやれやれと肩を竦めた。

「バーナビーさん、本当に大丈夫ですね?

隊長が僕にそう確かめ、僕は頷いた。

「はい。お騒がせして済みませんでした。」

「いやほんと申し訳ない!すんませんっした!!

 

平身低頭、帰っていく隊員たちを見送り

僕と虎徹さんだけが静まり返ったリビングに残された。

なんでこんな事になったんだ?

「…あの…虎徹さん。これは一体…。」

僕が訊ねると虎徹さんは気まずそうに笑い

テーブルにあったペリエの瓶を一気飲みした。

「は―…びっくりしたー、本当に焦ったぞ。心配させるなバカ!

虎徹さんはそう言って僕の頭を小突いた。

 

TVで今夜のヒーローライブ中継見てたら、お前すげえ顔色悪いしさ。

あ、これはなんか悩んでて飯食ってない時の顔だって思って。

マーべリック事件で記憶が混濁してきた時の顔にそっくりだったから。

これは俺のせいで煮詰まってると思って慌てて飛んできたんだ。

そしたらお前…。

台所の水出しっぱなしだわ、睡眠薬の空の紙袋が転がってるわ。

これは普通じゃねえと思ってリビングに飛び込んできたら

そこでご両親の写真抱いて涙流して眠ってたんだぞ。

自殺未遂かと思って肝が冷えたっつーの。

それで慌てて救急車呼んで…この顛末だよ。

びっくりさせんなよな、もう。

 

「それは…ご心配かけて済みませんでした…。」

僕は虎徹さんの言葉に素直に申し訳ないと思い頭を下げた。

虎徹さんがTVで僕の異変に気がついて駆けつけてくれた。

それはとても嬉しい。

けれど、もう心配と同情でしか彼の心を引き付けられないのかと切なくなる。

今なら死ぬ気もないのに死ぬ死ぬと騒ぐ人の気持ちが少しだけ分かる。

分かるけど僕はそんなことしない、絶対に。

「あれだけメッセージ残して死ぬなんてあてつけがましい事、僕はしませんから。」

だからもう心配しないで。

僕は今上手く笑えているだろうか。

これは僕の今できる、精いっぱいの意地と強がりだった。

その言葉に虎徹さんは長い長い溜め息をついた。

 

 

【虎徹 2315 】

 

バニーの言葉に俺は溜め息が出た。

自分で自分が情けない。

俺の『一歩引いて見守る大人の態度』のつもりは

バニーには『急に冷たくなった恋人の心変わり』としか映っていなかった。

急な昇格人事で俺と引き離され、会社に振り回され、

恋人からはメールのレスポンスすら返ってこない。

どれだけ心細かっただろう。

もともと見捨てられ不安のような性質をバニーは心の内に抱えていた。

あまりにも早く両親を喪い、その後も近親者を立てつづけに亡くしたことによって。

そこへ俺のあの態度の変化。

俗に「ウサギは寂しいと死ぬ」なんて言うけど…。

こいつはそれを地で行こうとした。

それは一時の気の迷い、魔がさしただけかもしれない。

実際オーバードーズはせず、適正量を服用しただけだったけれど…。

薬を包装シートから全部出したことを見ても、

『そういうことも考えた』というこいつの心は、それだけ消耗していたんだ。

そして、そうしてしまいたいというところまで追い込んだのは…明らかに俺だ。

「バニー…ごめんな。」

バニーの手を握ってそう言うと、あいつの肩がビクンと竦んだ。

俺は怯えたような表情のバニーの髪をそっと撫でた。

「俺が連絡しなかったのは、お前のためのつもりだったんだ。」

 

俺な、お前が思うほど大人じゃねえんだよ。

お前がこんな形での1部昇格を望んだわけじゃないのに、

周りがどんどん動いていって後に引けなくなって。

いろいろ悩んでて俺に「会いたい」って言ってくれてるのは分かってた。

でも、俺怖かったんだよ。

今お前に会って仕事の話を聞いて『俺だって1部に戻りたかった』なんて

言ってしまうことが、本当に怖かったんだ。

そんなこと言ったら、お前に『虎徹さんを裏切ってしまった』って

負い目を抱かせるんじゃないかって。

俺さ、お前の足を引っ張るようなことだけはしたくないんだ。

お前が高みに昇るためなら、踏み台にだってジャンプ台にだってなってやる。

ただ、俺の中で今の自分の能力を完全に割り切れてないとこもあるんだ。

だから少し時間が欲しかった。

今は少し距離を置いた方がいいと思ったんだ。

でも…間違ってた。

俺は自分の保身のためにお前の心をこんなにも傷つけてたんだ。

ごめんな、バニー。

本当にごめん…。

 

俺はそう言ってバニーの手を握った。

体温は低いけれど、動脈を触れれば確かにある拍動。

俺はもう少しでこれを止めてしまうところだったのかもしれない。

そう思うと己の弱さ加減が本当に嫌になる。

こんなんじゃ愛想尽かされても仕方ねえよな。

そう思っておそるおそるバニーの顔を見ると、

あいつは泣きながら言った。

「ごめんなさい…。」

 

【バーナビー 2330 】

 

 

「ごめんなさい…。虎徹さん、ごめんなさい…。」

ちゃんと謝らないといけないのに声が震える。

「僕はずっとあなたの相棒でいたかったのに…。」

みっともない涙声で言うと、虎徹さんは僕の手を優しく握ってくれた。

話さなきゃいけないのに声が上手く出ない。

虎徹さんは僕の背をそっとさすってくれた。

「ゆっくりでいいよ。ちゃんと聞いてるから。」

いつもの優しい声に僕の心が少しだけ落ち着いた。

 

 

自分で決めた1部昇格なんだから、いつまでも貴方に頼っちゃいけなかったのに。

貴方の気持ちも顧みずに自分の感情ばかり押しつけて、

本当にごめんなさい…。

僕、怖かったんです。

貴方に裏切ったと思われてるんじゃないかって。

だからずっと、そうじゃないって言いたくてメールや電話を…。

でも、返事がないからきっと怒ってるんだって思ってました。

それなら他人行儀な頑張れって言葉よりも

いっそ裏切り者、嘘つきって罵られた方がいいって思ってた。

でも、それ自体がもうエゴだったんですよね。

連絡がないのは虎徹さんが自然消滅を図ってるんだと思って、

僕は自分の寂しさを自分で消化できなかった。

…一瞬だけ、やろうかと思ったんです。

オーバードーズ。

でも、それをしたら父さんや母さんたちのところには逝けない。

それをしたら虎徹さんの心に一生消えない傷を残すかもしれない。

だから、それだけはできなかった。

 

僕の話を聞いた虎徹さんはハアと短い溜め息をつき僕を抱きしめた。

「俺ら本当に似た者同士だよな。どうしようもなく不器用で。」

本当に、僕らは嫌になるくらいそっくりだった。

お互いが必要なのに、お互いに相手の心を量りきれずに

独りで勝手に自己完結して諦めて。

僕の髪を撫でながら虎徹さんはごめんなと何度も言った。

それは僕が言わなきゃいけないことなのに。

「俺やっぱりバニーの隣は譲れねえわ。」

虎徹さんは力強い声で言った。

「こんな取り扱い要注意ウサギ、あんな新人に任せられるか。」

その言葉に僕は笑ってしまった。

「貴方みたいな破壊王だって、僕がいないと危ないくせに。」

そう言い返すと虎徹さんは笑ってそうだよと肯定してくれる。

「でもお前が2部に戻るのはなしだ。」

虎徹さんは大真面目な顔で言った。

「今の相棒に言っとけ。『バニーの隣、今は貸してやるが必ず返してもらう』って。」

その言葉にまた涙が溢れる。

「だから、もうちょっと待っててくれよな。必ずお前のとこに帰るからさ。」

虎徹さんの言葉が、温もりがひたひたと僕の心に沁みわたる。

僕はただ頷くしかできなかった。

やっと重なり合った心が温かく満たされる。

僕たちが唇をも重ねようとした時…。

 

ぐるるるるーーー

 

「…わり。」

盛大に鳴った虎徹さんの腹の虫に僕は笑ってしまった。

「だっ!笑うなよー。俺これでも晩飯抜きで飛んできたんだぞ?

唇を尖らせる虎徹さんに僕はますます笑ってしまった。

ああ、いつもの彼だ。

そう思うだけでこんなにも安心するなんて。

「なんだか僕も急にお腹空いてきました。ピザでもとりましょうか。」

そう言うと虎徹さんは嬉しそうに頷いた。

「お、飯食えそうか?よかった!ほんと安心した!!

そういえば虎徹さん、TVで僕の顔色見て飛んできてくれたんだっけ。

本当に貴方って人は…。

「何にする?お前フォルマッジ好きだよな。」

それも良いけど、今日はあれがいい。

「マルゲリータがいいです。あれは僕らの色だから。」

そう言うと虎徹さんは驚いて目を瞬かせ、笑って馴染みのピザ屋に電話した。

 

マルゲリータのL一つとトマトとグリーンリーフのサラダ。

あと、ビール2本とバニラアイス一つ。

以上でお願いします。

 

「いつか俺らもまた1枚のピザに戻れますように。」

電話を切った虎徹さんはそう言って僕にキスをしてくれた。

 

 

終り