エピローグ
―シュテルンビルト
TVに映るコメンテーターたちがこぞってバニーの潔白を口にしている。
全くいい加減なもんだ。
昨日までお前ら何言ってたのか忘れたのかよ。
記憶の上書きは何もマーべリックの専売特許じゃなかったってか。
俺は無性に腹が立ってTVを消した。
ともあれ、何とかバニーに対する世間の風潮は変えられた。
俺は机の上にいくつかの新聞、雑誌をちょっと見て
すぐに放り出し溜め息を吐いた。
―BBJは無実!!ワイルドタイガー最後の咆哮!!
紙面には昨日の会見の事が子細に書かれていた。
その隣には報道業界全体の売り上げ至上主義への批判の記事。
要するに「バニーを叩けば売れる」。
たったそれだけの事で連中は一市民となったバニーを吊るしあげたってことか。
同じ会社に所属してあいつとコンビを組んでいた俺も共犯と
思われてもおかしくない状況だった。
だが皮肉にもマーべリックの仕掛けた冤罪事件が逆に功を奏し、
俺はマーべリックの罠に打ち勝ったヒーローとして認識されていたようだ。
その俺がバニーは無実だと訴えたことが市民に受け入れられた。
けれどなんとも言えない後味の悪さが残る。
マスコミにとって真偽なんかどうでもよかったってことに俺は慄然とした。
同じ数字至上主義でも裏付け100回のアニエスとはえらい違いだ。
ま…バニーが無事なら俺はもうそれでいいけどよ…。
俺はぼんやりと紙面の風刺漫画を見た。
眼鏡の兎が身体から血を流し今にも倒れそうになっている。
その兎を狙う、カメラを構えたハイエナ。
そのハイエナの後ろで怒りの牙を剥くアイパッチの虎と有翼の獅子。
これ描いた奴、自分が昨日までハイエナだった自覚あるのかね。
自分が命がけで守ろうとしてきた市民に裏切られた気分だ。
市民からの見返りを求めたことはないが、いくらなんでもこれはないだろう。
その時俺の携帯から「さくら」が流れた。
「お、折紙からメールだ。」
<お久しぶりです!
昨日の記者会見、タイガーさんカッコよかったです!!
今でもヒーローなんだなって嬉しく思っちゃいました。
バーナビーさんから連絡はありましたか?
僕もバーナビーさんが無事でいることを神社に願掛けしました。
無事だって分かったらまた教えてください。
僕も何か聞いたらすぐ連絡します。>
俺は折紙にありがとうという内容の返事を打ち携帯を机に置いた。
昨日からヒーロー仲間がみんなメールや電話をくれた。
だが、肝心のバニーからの連絡は半日たった今もまだない。
海外に行ったというのなら飛行機の時間だったり
現地との時差もあるからまあ一日は待った方がいい。
ロイズさんとベンさんにはそう言われたけど…。
そもそもあの放送を見られない地域にいたら…。
ネット配信もされてるとはいえ、デタラメ報道でとことん傷ついたバニーが
外国でわざわざシュテルンビルトの報道を見るとは思えない。
あの遺書みたいなメモ紙の文字が目に焼き付いて離れない。
もしも…もしも俺の声が届いてなかったら…。
「だっ!!」
俺がホテルの部屋で頭を抱えたその時、場違いなラブソングが部屋に響いた。
それはあいつからの着信だけに設定した曲。
「もしもし!?」
俺は電話に飛びついた。
―オーストラリア メルボルン
電話を掛けてから気がついた。
シュテルンビルトではもう深夜だった。
いくらなんでも虎徹さんもう寝てるよな…。
あっちが朝になってからかけ直すべきだ。
そう思う反面、今このタイミングを逃したら
僕はきっと彼に連絡をするのが怖くなってしまう。
僕はこの期に及んでもまだ虎徹さんから逃げようとしている。
今は一般人の彼があの会見を開くのにどれほどの骨を折ったか、
それは短い間だけどメディア系企業に籍を置いていたのだから良く分かっている。
でも…やっぱり怖かった。
虎徹さんが僕を心の底から心配してくれてるのは十分わかった。
でもそれは元相棒としての、友人としての気持ちだったら…。
「俺は今も昔も友恵一筋」というあの日の声が僕を苛んでいる。
僕はコール音を聞きながらやっぱり切ろうと思った。
その時、「もしもし!?」という切迫した声が聞こえた。
やっぱり逃げるわけにはいかないか。
「あの…虎徹さん…?」
僕はこわごわ彼に呼びかけた。
>バニー!?バニー!!よ…よかった、お前…!!
「すみません、そっちは今夜中でしたね…。僕、時差のこと忘れてて…。」
>良いよ!そんなの気にすんな!!お前無事なんだな!?今どこにいるんだ!?
「メルボルンの空港です。そこで会見の録画放送を見て…。」
>メルボルン…ってどこの国?ああ、それはいいやどうでも。
>とにかくお前が無事だったんならそれでいいよ。
>よかった…。ほんとよかった…。
虎徹さんの声が少し震えてる。
時々混ざる嗚咽のような声。
ああ…僕はどれだけ彼に心配を掛けてしまったんだろう。
申し訳なさで胸が痛い。
「あの…。ありがとうございました。僕の潔白を訴えてくれて…。」
>んな水臭いこと言うなよ。あれはあまりにも酷過ぎた。…辛かったな。
「いえ…そう言われても仕方ない立場でしたから…。」
>それは違う!バニー、お前はなんも悪くない。
「そうですよ、僕は無実です。でも貴方だけは僕を信じてくれた。それだけで十分です。」
>バニー?
「自殺なんてしませんから安心してください。」
>自殺って…。本当に、大丈夫か?
「あのメモは遺書じゃありませんよ。守衛さんが伝言伝えてくれなかったんですね。」
僕は守衛さんにメモを託した時に行き先と旅行期間を守衛さんに伝えたこと、
旅の目的は自分の気持ちを落ち着けるためで死出の旅路ではないことを
出来るだけ明るく伝えた。
>そっか…。はは…俺、マジで心配した…。よかった…。
「それに虎徹さん、僕はオリエンタルタウンには行ってませんよ?」
>え!?
「他人の空似では?メール見ましたが何のことか。」
>え、でもお前あの車…。
「話が見えないんですけど?」
>…そっか。人違いだったか。悪かったな、変なメール送っちまって。
「そうですよ。僕はそっちには行っていない。」
>…分かったよ。
僕があの日の事をなかった事にしようとしているのは伝わったようだ。
その証拠に虎徹さんは僕があのあと連絡を無視し続けたことも
あのサヨナラの置手紙の意図も追及しようとはしなかった。
だから僕も、彼の真意は追及しなかった。
虎徹さんが今も友恵さんを想っているのは知っている。
それは一緒にいた時から分かっていたことだ。
そんなひたむきなところも含めて僕は虎徹さんが好きだった。
…違う。
やっぱり、過去形にはできない…したくない…。
ねえ虎徹さん。
少しだけ思いあがってもいいですか?
あの指輪のない左手を僕に伸ばしてくれたその意味を。
「虎徹さん…。」
>ん?
「僕…いつか帰ってもいいですか?貴方の…ところに…。」
>だっ!あったりまえだろ!!俺言ったろ、帰って来いって!!
「本当に…待っててくれますか?」
>待ってるよ。何年かかってもいい。俺待ってるから。
優しい声。
ずっと聞きたかった虎徹さんの低く穏やかな声が、
僕の心の傷を塞ぐように沁みわたっていく。
>バニー、焦らないでいいから。
>ゆっくりいろんなものを見てこいよ。
>俺、お前の土産話聞ける日を楽しみに待ってるからさ。
「…あり…がとう…ござ…。」
僕はもう声にならなかった。
>だっ!俺の手の届かねえとこで泣くなよー。
電話の向こうで僕を慰める声が聞こえる。
「虎徹さん…あのメモは捨ててください…。さよならなんて…。」
>分かった。あのメッセージは無効な。
そう言って電話から紙を引き裂く音が聞こえた。
>破ったぞ。これで“さようなら”はなしだ。
「ええ。“see you!”に訂正しておきます。」
>あ、そうだ!これだけは言っておかねえとな。
「なんですか?」
>バニー、俺は今でもお前を…。
ずっと僕の欲しかった言葉が、
遠い遠い距離を超えて優しく僕の耳に響いた。
終り