残り香
「いやー…。さっきのはヤバかったなあ。」
虎徹は宴のあと片づけをしながらバーナビーに言った。
「まさか女性陣まで寝室に入るとは思ってませんでしたよ。」
バーナビーは少し憮然としながら盆に空のグラスを載せていく。
「年頃の女性が男性のベッドに寝っ転がるのはどうなんでしょうね。」
虎徹はその言葉に思わず苦笑した。
「ドラゴンキッドはまだ子供なんだよ。勘弁してやれ。」
現にブルーローズはベッドの端に腰掛けていただけだった。
ドラゴンキッドは以前サムの件で泊まった時にそこで寝たから
よけいに抵抗がなかったのだろう。
「寝っ転がるのはいいんですけど、まさか匂いが残ってたなんて。」
ああ、と虎徹も精悍な頬を微かに赤らめた。
「お前のならともかく、俺の匂いだもんなあ…。」
バーナビーは深々と溜め息をついた。
いろんな意味で、どうしてこうなった、と。
ジェイクとの一件が終り、深手を負ったヒーローたちの傷も癒えた。
バーナビーの自宅で快気祝いをやったはいいが、
酒が入る前から全員が変なテンションだった。
寝室のクローゼットまで好き勝手開けていた男性陣を
バーナビーが窘めようとした時、ベッドの上でパオリンが爆弾を投下した。
「あれ、このベッド…。タイガーさんの匂いがする。」
空気が凍りついた。
室内の温度が下がったように思ったのは気のせいか彼女のせいか。
あらあ、と妙に嬉しそうな声でネイサンは身をくねらせて虎徹を見た。
ええ!?と困惑するイワンはどうしようとキースを見たが、
キースは「ワイルド君はよく泊まるのかい?仲がいいんだね!!」と
ボケたのか核心を突いたのか分からない発言で余計に気温を下げた。
<泊まったって普通の同僚が同衾はしねえだろうよ…。>
面倒なことになりそうだと感づいたアントニオは
「腹減ったな。皆あっちでなんか食おうぜ。」と促したがスルーされた。
「ハンサム…どういう…こと?」
返答如何によってはこの部屋すべてを凍らせる。
そんな剣呑な雰囲気全開の氷の女王の目が、それでも不安に揺れている。
「えー、とだな。ブルーローズ。」
「同じ香水を貰ったんですよ、仕事関係で。ね、虎徹さん。」
バーナビーは一瞬虎徹を振り返り、目で訴えた。
『貴方は嘘が下手なんだから黙ってろ』と。
「ああ、そうそう。スポンサーがくれたんだよ。」
「虎徹さんは普段使いしてるんですが、僕は他との契約もあって外で使えなくて…。」
二人揃って立て板に水の勢いで弁解すると、
カリーナの目はますます疑うように眇められた。
「ああ、それ今度コラボ商品で出すってやつでしょ。」
これはカリーナが可哀そうだとネイサンが仕方なく助け船を出した。
姉貴分の言葉にカリーナの目が少し和らぐ。
「そうなの?」
バーナビーははっきり頷いた。
「僕は契約上の制約で普段使いできないんで、そこでアロマ代わりに。」
虎徹は上手い事切り抜けたバーナビーを感心の眼で眺めた。
<それにしても…。なんで残ってるんだ?まさか…。>
本当に自分の残り香が残っていたのか?
そう思っているうちに、バーナビーが皆を居間に促したので虎徹もすぐに忘れた。
「じゃあねハンサム、お邪魔しました。」
「バーナビーさん、またみんなでパーティやろうね。」
口々に挨拶して仲間が帰っていったのは4時間後。
虎徹は片付けがてら飲みなおすと言って居残った。
「なあ、バニー。お前本当にあの香水ベッドに振ってるの?」
虎徹は纏めたゴミを台所の隅に置くと、バーナビーに訊ねた。
「使ってますよ。虎徹さんも知ってるでしょう、僕の睡眠障害。」
バーナビーは使った食器を洗浄器にセットしてスタートボタンを押した。
「寝つきも夢見もよくねえんだっけ。辛そうだよな。」
虎徹は労るように眉根を寄せた。
自分なんか疲れたら『ベッドでバタンキュー、そのまま朝でした』なのに。
「まあ、慣れてますけどね。子供の時からずっとですから。」
バーナビーはこともなげに言い、
拭いた盆に新しい酒瓶とグラス、残り物を綺麗に盛りなおしたつまみを載せた。
「どうせ泊まるんでしょう。続きは居間で。」
バーナビーは盆を持ち、虎徹をリビングに促した。
場所を変え、改めて二人で乾杯してさっきの話の続きが始まる。
「でさ、あの香水…。」
バーナビーはハアと溜め息をついた。
場所を変えれば話を中断できると思ったのに。
なんでそこにこだわるのかと。
「ですから、僕がアロマオイル代わりに使ってるんですよ。」
虎徹はふうんと腑に落ちないというように唸った。
「それが意外なんだよな。」
「何がですか?」
バーナビーが怪訝に首を傾げた。
「お前そういうモノはこだわりそうなのに、貰いもので済ますってのがさ。」
虎徹の指摘にバーナビーは重い息をついた。
「なんでそういう変なとこだけ勘がいいんですか…。」
「変なとこは余計だろ。」
虎徹は不服そうに唇を尖らせた。
言わなくて済むなら言いたくなかった。
バーナビーはワインを呷るように飲み下すと、ああと頭を掻いた。
「…もう、分かりました。白状します!」
バーナビーは自棄になったように語気を強めた。
僕は疲れ過ぎても体力が余りすぎても、上手く眠れないんです。
ベッドに入って二時間は目がさえるなんてザラなんです。
寝たら寝たで例の悪夢ですぐ目が覚めるし…。
で、その…貴方と寝る時は割とよく眠れるんで…。
だから!
貴方が居ない時でも眠れるかなと思って、同じ香水を使ってるんですよ!
ああもう!
こんなストーカーみたいなこと、ドン引きされるから言いたくなかったのに!!
頭を抱え、自己嫌悪でどんよりしたバーナビーに
虎徹は一瞬あっけにとられた後、ぷっと吹き出した。
「なに、バニーちゃん!ちょっと今の可愛い!!」
虎徹はグラスを脇へ置き、バーナビーの肩を抱いた。
「おじさんの香りに包まれたら安眠できるって、何この子可愛い!!」
「…だから、貴方には知られたくなかったんだ…。」
もうやだとバーナビーは涙目になっている。
「睡眠薬飲むより楽に寝られるんで愛用してたんですが、もう止めます。」
気持ち悪いですよね、こんな偏執的な…。
バーナビーは自嘲的にそう言った。
虎徹はバーナビーの頭をがしっと抱き寄せた。
「お前なんで自己完結するんだよ。いいじゃん、それで寝れるんだったら。」
虎徹は低く落ち着いた声でバーナビーに言った。
眠剤は俺も一時期飲んでたよ。
友恵が亡くなった後二年くらいかな。
あれ、朝起きるとだるいんだよな。
それでも薬飲んででも寝なきゃヒーローなんか勤まんねえもんな。
香水一つでゆっくり寝れるんならその方がいいに決まってんだろ。
だいたい…。
恋人が俺の匂いで安心するからって同じ香水ベッドに振って、
それ嫌がる奴がいるかっての。
ほかの奴の匂いだったら再起不能だけど。
俺、ドラゴンキッドがベッドから俺の匂いするって言った時、
嬉しくて叫びそうだったんだぞ。
バーナビーはこわごわと虎徹の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、これからも使ってもいいんですか?」
虎徹は妙に遠慮がちなバーナビーに噴き出した。
「当たり前だろ。お前、遠慮しすぎてなんか折紙みたいだぞ。本物だよな?」
その言葉にバーナビーはふっと真顔になった。
「さすがです、タイガーさん。」
印を切るように立てた人差し指をもう片方の手で包む。
「え…ちょ、待て!!マジかよ、お前折紙!?」
真に受けた虎徹の狼狽ぶりにバーナビーが声をあげて笑った。
「冗談ですよ。僕は本物のバーナビーです。」
虎徹は一瞬ポカンとした後、だっと短い叫びをあげた。
バーナビーはまだけらけらと楽しそうに笑っている。
虎徹は悔しくなってバーナビーに抱きついた。
「覚悟しとけよ。今日は嫌ってほど俺の匂いかがせてやる。」
「うわ、オジサン臭い台詞。」
バーナビーが眉間にしわを寄せるのも構わず、
虎徹はバーナビーをそっと床に押し倒した。
終り