折紙先輩の受難
「済みません先輩…。でも、こんな話他に言える人がいなくて。」
バーナビーさんがしょんぼりと肩を落として言った。
一昨日タイガーさんと喧嘩して冷戦状態らしい。
「虎徹さんがあんなに怒るの初めてで、僕もうどうしたらいいのか…。」
こんなバーナビーさんの姿見たことない。
いつも自信満々、威風堂々、そんな言葉が似合う彼が青菜に塩状態だなんて。
それにあんな優しいタイガーさんがそこまで怒るなんて。
一体何を言っちゃったんだろう。
それを聞くに聞けない雰囲気のまま、僕たちはもう30分以上もこうしている。
10月も半ば、トレセンの屋上に吹く風は冷たい。
いくらヒーローでもこんなところにいつまでもいたら風邪をひいてしまう。
下に戻りましょうと言いかけた僕は続きを言えなかった。
吹きつけるビル風の音のなかに小さなため息を聞いてしまったから。
「もうずっとこんな状態で、僕もう完全に煮詰まってしまって…。」
柵の手すりに額をつけ、バーナビーさんは聞いたことのない弱々しい声で言った。
バーナビーさん一人で抱え込む性質だもんな。
他の悩みならタイガーさんに相談するんだろうけど…。
「情けないですよね、いい年してこんな…。」
「そんなことないですよ。頼ってくれて嬉しいです。」
僕は何とか元気を出して欲しくて、バーナビーさんの側に立って言った。
「なんでも話してください。絶対に人には言いませんから。」
僕は恋愛経験もないから、バーナビーさんにアドバイスなんてできるはずもない。
ただ聴くしかできないけど、それで気が楽になるなら。
そう言うとバーナビーさんは困ったような笑顔で首を横に振った。
「僕だって誰かと付き合うのは虎徹さんが初めてですよ。」
よく百戦錬磨だと勝手に勘違いされるんですけどねと、
バーナビーさんは付け足した。
すごく意外な気もするけど、今となっては当然だと理解できる。
女の子がひっきりなしに集団で追いかけ回すくらいモテるけど、
ジェイクを倒すまでのバーナビーさんにそんな余裕はなかった。
悲願を果たしてやっと見つけた初めての恋かあ…。
しかも初めて付き合ったのが10歳以上も年上の男性。
それはまた珍しい話だと思う。
でも、バーナビーさんを見てると嫌悪感とか偏見は全然湧いてこない。
だって、相手があのタイガーさんだもんな。
大らかで懐の広いタイガーさんと細かいとこもあるけど真面目なバーナビーさん。
すごくお似合いだと普通に思える。
喧嘩なんて哀しいこと早くやめればいいのにな。
「あの…どんな感じですか、誰かと付き合うのって。」
僕はバーナビーさんに楽しい気持ちを思いだして欲しくてそう聞いてみた。
「今までと世界がガラッと変わったっていうか…新鮮です。」
バーナビーさんははにかむような笑みを浮かべた。
あ、可愛い。
僕にはそっちの気はないけど、素直に可愛いと思った。
いわゆるゲイの気なんてなかったタイガーさんが惚れるのも分かる気がする。
「まさか自分が人と恋愛する日が来るなんて思ってなくて。」
バーナビーさんはどこかふわふわした口調で話しはじめた。
それは怒涛のノロケと愚痴の幕開けだった。
人を好きになっただけでも驚きなのに、相手があんなオジサンだなんて。
去年の僕が聞いたら卒倒しますよ。
去年の虎徹さんでも嘘だーって笑い飛ばすかもしれませんね。
一度はあんな綺麗な奥さん貰った人が、こんなのと付き合ってるなんて。
ガタイはでかいし硬いし。
幸い、顔の造形だけは恵まれましたけど。
でもオリエンタルでは美人は三日で飽きるっていうんでしょう?
だったらとうに見慣れて飽きてますよね。
性格だって外面だけは一流の自信ありますけど
本性は素直とか可愛げをどこかで落としてきたようなもんだし。
こんな僕を可愛いとかリルバニーとか虎徹さんもどうかしてますよね。
きっと何かのNEXT被害にあってるんだ。
最初に見た相手を好きになるような。
だから時間か何か他の条件か、解除条件を満たしたら魔法は解けるんですよ。
いつか、僕と付き合ってたことを忘れたいと思うようになる。
ええと、黒歴史って言うんでしたっけ?
僕はいつか彼の黒歴史になるんだ。
もしかしたらもうなってるかも…。
そんなことになったら僕はどうしたら…。
あとはもう言葉にならないバーナビーさんが見ていて痛々しかった。
こんなに一途に慕っているのに黒歴史扱いなんてありえない!
「僕もう捨てられちゃうのかな…。」
「そんなことあるわけないじゃないですか!」
不安と妄想が暴走し始めたバーナビーさんを僕は必死で宥めた。
「タイガーさん、バーナビーさんのいない飲み会でいつも言うんですよ!?」
僕は言っていいのかなと不安になったけどバーナビーさんの視線に負けた。
「バニーちゃん可愛い。いつかこんなオッサンに愛想尽かすんじゃないか不安だって。」
バーナビーさんは目を見開いた。
「それ…本当ですか?」
「もちろんです。僕が喋ったことタイガーさんには内緒にしてくださいね。」
バーナビーさんは安心したように表情を柔らかくした。
「虎徹さんがそんなふうに…。」
やっぱり可愛いと思う。
なんていうか、見た目のわりに純真なんだこの人は。
そう言えば酔ったタイガーさんが言ってたっけ。
「バニーちゃんの可愛いとこは苦労人のわりにすれてないとこだ」って。
よく言えば純粋、悪く言えば世間知らず。
小さい時からウロボロスの事以外全てをかなぐり捨ててきたから。
他の楽しいことも辛いことも経験できずに大人になってしまったから。
だから些細な揉め事で容易く傷ついてしまうんだそうだ。
僕やカリーナのようなティーンエイジャーとおなじ脆さで。
「バニーちゃんああ見えて危なっかしいから守ってやりたいんだよなあ。」
タイガーさんはあの後そう言ってた。
そんな優しい彼が激怒するなんて、
頭のいいバーナビーさんが一体何を言ってしまったんだろう。
「あの、喧嘩の原因ってなんだったんですか?」
僕は最初から気になっていたことを思いきって聞いた。
バーナビーさんはまたしょんぼりと肩を落とした。
「僕がいけないんです…。」
虎徹さんにとって一番大事なのは亡くなった奥さんと娘の楓ちゃんで。
僕の立ち位置は3番目なんです。
でも僕はそれ以上を望まないし望んではいけないと思っている。
話の流れでついそう言ってしまったんです。
そうしたら虎徹さんがすごく怒って…。
「お前は俺を信じていないのか!」って…。
信じてないんじゃない。
僕は彼の家族を思う気持ちを尊重したかったんです。
そりゃ、僕だって自分を一番に思ってほしい。
でも、家庭のある人にそれを望んじゃいけない。
楓ちゃんからお父さんを奪っちゃいけないんです。
彼は今も友恵さんの夫なんです。
僕は早くに家族を失ったから分かる。
子供にとって親は自分を護り理解してくれる唯一の存在なんです。
亡くなった奥さんをないがしろにする権利なんて誰にもない。
でも虎徹さんは…。
「3番目ってなんだよ!俺はお前を愛人扱いした覚えはねえ!!」
そう言って激怒して…。
僕の言い方が下手だったから彼を傷つけてしまったんです。
僕はただ、虎徹さんの側にいられるならそれでもいいって言いたかっただけなのに。
バーナビーさんはそこまで一気に言うと話す力もなくしたみたいに項垂れた。
想像以上に重い話に僕は言葉を失った。
どっちの言い分も分かる。
タイガーさんの家族を尊重しようとしたバーナビーさんの健気な思いも。
自分の愛情を信じてもらえなかったタイガーさんの寂しさも。
バーナビーさんの背中が震えている。
タイガーさんとの仲が終わってしまうと怯えている。
このままではいけない。
「誤解を…解かなくてはいけませんね。タイガーさんだって分かってくれますよ。」
僕はバーナビーさんの背をそっとさすった。
「僕で出来ることなら何でもします。きっと何か方法はあるはずです。」
そんな言葉が口から出たことに僕は自分でも驚いた。
でも、きっとなにか道はあるはずだという気持ちに偽りはない。
僕なんかじゃなにもできない。
今まではそう思ってた。
でも、僕でも何か出来るなら、この人を助けたい。
何ができるだろうか。
とにかくタイガーさんの真意を聞かないことにはどうしようもない。
バーナビーさんの話は不安が膨らみすぎて真相とズレてる気がするから。
「折紙先輩…。ありがとうございます。やっぱり貴方に話してよかった。」
顔をあげたバーナビーさんは目尻に涙を浮かべ、それでも笑ってくれた。
綺麗な人って泣き顔も綺麗なんだなあ。
でもきっとタイガーさんだったらこう言うはずだ。
「バニーは笑ってる時が一番綺麗だ。」って。
僕はバーナビーさんと別れ、タイガーさんを探してみた。
「タイガーならさっき帰ったわよ。まだ更衣室にいるんじゃない?」
ネイサンさんにお礼を言って更衣室に行くと、バイソンさんが入っていくのが見えた。
「おい、虎徹!待てって!!」
僕は咄嗟に小さな虫に擬態してバイソンさんの肩に止まった。
自動ドアが閉まってからそっと離れて壁に身を寄せる。
バイソンさんはタイガーさんを追いかけてきたみたいだった。
「虎徹、お前本当にそれでいいのか?」
なんか深刻な声だなあ。
タイガーさんはまだトレーニングウェアのままでベンチに座っている。
「バーナビーと別れるって、本気で言ってるのか!?」
ええええ!!???
タイガーさんは俯いていてその表情が見えない。
「バニーにこれ以上みじめな思いさせるわけにはいかねえだろ。」
低い声が響く。
まずい、本気で決めた人の声だ。
「だから!その愛人扱いってのがお前の勘違いなんじゃないのか!?」
バイソンさんすごく必死だ。
気持ちは分かる。
だって僕もそんな哀しい勘違いで二人に別れてほしくない。
「あいつ、自分は三番目だって、それでもいいって言ったんだぞ!?」
タイガーさんの声は咽んでいた。
友恵や楓、家族を第一に思うのは当たり前だからって。
自分は俺の心の残った部分を少し分けてもらえればそれでいいって!
何だよそれ!
なんでそんないろいろ諦めた愛人みたいなこと言うんだよ!
俺にとってはバニーも同じくらい大切なんだよ!
同じ天秤になんて乗せられねえよ!!
どうして…そんな簡単に俺の事諦めるんだよ。
あんな自信家でプライドの高いあいつがさあ。
そんな哀しい立ち位置にいつまでもいさせるわけにいかねえだろ!
そんな歪でアンフェアな関係、あいつをただ傷つけるだけじゃねえか。
あいつ、小さい時に親御さん亡くしてさ。
ずっと寂しい思いしてきたんだよ。
誰か、一番にあいつを想って抱きしめてやれる奴が必要なんだよ。
俺は…それになりたかった…。
でも、あいつが俺の一番にはなれないと思うのなら…。
俺はもう身を引かなくちゃいけないだろ。
タイガーさんの悲鳴のような言葉に僕は泣きそうになった。
だって、こんなにもバーナビーさんの事を想ってるのに。
バーナビーさんだって同じように想ってるのに。
二人の心が致命的に行き違ってしまっている。
でも、今この状況で僕が介入するわけにはいかない。
どうしようと思った時だった。
「こんのバカ虎!!」
バイソンさんがタイガーさんの胸倉を掴んだ。
「黙って聞いてりゃお前!いい加減にしろよ!?」
そもそもバーナビーが自分をそこまで貶めた原因はなんだ?
お前のその指輪!
お前んちのそこらじゅうにある家族写真!!
あれ見りゃ誰だって自分は3位だと思うに決まってんだろが!
バーナビーはそれをどうこう言ったことはないんだろ!
それ自体がお前の大事なものを尊重するって意志だろうが!!
お前より己が大事なら「それどうにかしろ」つってるぞ!
それをなんだ!?
あいつがお前を諦めただ!?
諦めてたら3番でいいなんて言うかバカ!
そんなあいつのいじらしい想いを『愛人扱い』なんて
よくそんな卑屈で無礼な解釈できたな!!
別れるだあ!?
あーあー、別れろ別れろ!
お前みたいなバカにバーナビーはもったいねえよ!
心配しなくてもお前の後釜なんざ半日立たずに見つかるさ!
なんたって「綺麗で賢くて真面目で心根の優しい、
こんな良い子滅多にいない可愛いバニーちゃん」だからな!
何なら俺が貰ってやろうか!?
少なくともお前なんかより大事にしてやれるぞ。
なんたって俺の一番は空席だからな!!
しんと静まり返る更衣室。
怖い怖い怖い!
この沈黙がとんでもなく怖い!!
バ、バイソンさあああん!!!
貴方なに言ってるんですか!?
そんなこと言ってタイガーさんが決心固めちゃったらどうするんですか!?
ああ!
僕なんか本当にできること何にもない!!
あんな挑発的な煽りのあとでタイガーさんを思いとどまらせる方法なんて…。
「アントニオ…。」
タイガーさんが顔をあげた。
その眼が爛々と光ってる。
野生の虎、その名の通りに。
「誰があいつを貰うって?」
その声に籠る怒気…なんてもんじゃない、殺気。
ちょ!ま!!
貴方達がここで喧嘩してどうするんですか!!
「お前あの面倒くさい硝子の兎面倒見切れると思ってんのかよ!」
ああ!
めんどくさいとか言っちゃったよ!そうだけど!!
これは本気でまずい!
戻ってバーナビーさん呼んできたほうが…。
そうだもうそれしかない!
バイソンさんはふんと鼻を鳴らした。
「面倒見切れてないからあいつ今凹んでんだろ。今なら簡単に落ちるかもなあ。」
「…っんだとぉ!?」
その言葉にタイガーさんが拳を振り上げた!
らめえええ!!
「ウッシャ来い!!」
避けるかと思ったバイソンさんは能力発動してその拳を受け止めた。
「てめえにバニーの何が分かる!」
「お前だって何もわかっちゃいねえだろうが!!」
「黙れ!俺は…俺はなあ!!」
それからどれぐらい彼を殴っていただろう。
もちろんバイソンさんは笑いながら煽りつづけている。
そんなもんか、どうしたもう終わりか。
やがて疲れ果てたタイガーさんが拳を振りおろした。
「お前には…いや他の誰にだってあいつを渡したくねえ。」
ふうっと息をついたバイソンさんが硬化をやめ、
ごつんとタイガーさんの脳天を大きな拳で小突いた。
「それを本人に言えこの馬鹿野郎。」
諭すような静かな声にまた沈黙が。
やがてふーっと長い息を吐く音が聞こえた。
「…だな。」
タイガーさんは顔をあげ、やっと笑った。
「バーナビーはさっき折紙と屋上に行った。まだいるんじゃないか?」
タイガーさんはタオルで顔を拭い、頬をバシバシと叩いた。
「いっちょワイルドに吠えてくるわ。」
「ま、蹴りの一発くらいは甘んじて受けるんだな。」
「アントニオ…ありがとな。」
バイソンさんがさっさと行けと手を振ってタイガーさんを追いだした。
よかった…。
きっとこれで一件落着だ。
なんだかほっとして涙が出そうだ。
最悪の展開…二人の別れは回避されたに違いないから。
「お疲れ折紙。」
バイソンさんはふいに僕を見上げて言った。
ばれてたんだ。
僕は擬態を解き床に降り立った。
「気づいてたんですね。」
「俺はな?」
暗にタイガーさんは気づいてないといいバイソンさんはニッと笑った。
「手のかかる後輩の面倒みてやったんだろ先輩?」
「実際は何の役にも立ってないですけどね。」
バイソンさんみたいにガツンと言ったわけじゃないし。
僕がそう言うと、バイソンさんはガハハと笑った。
「傷つきやすい兎ちゃんには黙って寄り添ってくれる優しい人が必要だったんだよ。」
お前が傍にいて、きっとバーナビーはどれほど救われたろうな。
バイソンさんの言葉に僕は泣きそうになった。
僕、バーナビーさんの役に立てたのかな。
それならいいけど。
バイソンさんは僕の頭をがしがしと撫でた。
「腹減ったな。回転寿司でも行くか。奢るよ。」
「良いんですか!?」
「おう、バカップルの喧嘩に巻き込まれたもの同士慰労会だ!」
僕たちはお疲れ様と笑ってトレーニングセンターを後にした。
翌日、無事仲直りした二人からそれぞれ報告という名のノロケを
もうお腹いっぱいっていうほど聞かされたけど、それはまた別の話。
もう、ね。
リア充爆発しろ!!
終り