3.終息
―ヒーローお見事!脱走患者を病院に収容!!
虎徹はスタンドで買った新聞を近くのカフェで開き、その記事にほっと息をついた。
あの事件から二日、騒ぎは急速に鎮静化していった。
なにを根拠にか、今日の昼前には市長の感染終息宣言まで出された。
「罹患患者は新たに報告されておらず、パンデミックは避けられた…か。」
だが病院に収容されている感染者は未だ治療のめどが立っていないという。
「後は患者の死ぬに任せるって感じだな…。」
何とも後味の悪い事件と「騒ぐな」という圧力すら感じる報道に虎徹は眉根を寄せる。
「あの子…助かるといいんだけどな。」
バーナビーが命を賭して蘇生させたのだ。
このまま発症して亡くなるのはやるせなさすぎる。
「まあ、ここから先はもう俺たちの分野じゃないか。」
今の自分にはただ祈ることしかできない。
祈りの無力さを知る自分には気休めでしかないけれど。
虎徹は時計に眼をやった。
「お、そろそろ面会時間始まるな。差し入れに何か持っていくか。」
本とプリンでも持っていこう。
虎徹は新聞をダストボックスに投げ入れ、近くに停めた愛車に乗り込んだ。
「新薬が効いているようですね。」
医師はバーナビーの血液検査の結果を見て頷いた。
治験も兼ねた投薬で効果は未知数だったが、悪くない結果だ。
もっとも発症前に投与したから発症済みの患者にこの効果が出るかは別だが。
「白血球の数も多い。絶対とは言えませんが、今なら勝算は大きいでしょう。」
バーナビーは検査結果の説明を受け、それならと決心した。
「先生、このことはワイルドタイガーには内密にお願いします。」
思い詰めたようなバーナビーの顔に、初老の医師は困ったような顔で頷いた。
「彼の言い分は非常に的を射ている。本来は私も反対なのですがね。」
病原体がハンドレットパワーの影響を受ける可能性は確かにある。
予想外に活性化して容体が一気に危篤になることも考えられます。
だが、癌と違いウイルスは体内における異物だ。
影響を受けず、100倍に活性化されたT細胞やマクロファージの
餌食となる可能性もまた十二分にある。
血中の炎症反応値と免疫系細胞の増加を見る限りでは
やってみる価値はあるかもしれない。
…残念ながら、このまま新薬を投与し続けても姑息的効果しか望めないので。
罹患した子供の喀血した血塊を口にするなんて、まさしく自殺行為だ。
もっともそれであの子が助かったのだから、
文字通りのキングオブヒーローと人は称賛するでしょうが…。
貴方の命と引き換えにする行為でしたね…。
「あの子には家族がいた。だから助けたかったんです。」
バーナビーは静かに言った。
「いや、そんなことも考えてなかったか。死にそうだったから助けた。それだけです。」
その言葉に医師はふうと溜め息をついた。
この青年をここに連れてきた相棒の顔を思いだして。
「先生!バーナビーをお願いします!!何とか助けてください!!」
落ち着き払った感染者とは対照的に、修羅場を幾つもくぐりぬけたベテランヒーローは
瀕死の患者に寄り添う家族のように悲壮感を露わにしていた。
「貴方にも、もしもの事があったら嘆き悲しむ人がいるんですよ。」
医師の言葉にバーナビーは頷いた。
「だから、自分に与えられたNEXT能力に賭けるんです。」
危険は承知だ。
けれどこのまま発症を待って死ぬわけにはいかない。
あの人に二度も不治の病を看取らせるわけにはいかない。
「でも、もしも僕がダメだったときは亡骸を献体します。」
バーナビーの全てを覚悟したような面持ちに医師はもう何も言うまいと思った。
「せめて残った人たちの治療に役立ててください。」
どうかその件も相棒には内密でというバーナビーに、
守秘義務があるから秘密は約束すると医師は言い席を立った。
「では10分後に看護師を検査によこします。それまでお一人でゆっくりしてください。」
「ありがとうございます。」
バーナビーは横たわったまま医師に頭を下げるように顎を引いた。
医師が出て行くのを見送り、バーナビーふーっと長い息を吐いた。
「さあ、戦闘開始だ。」
瞑目し、静かに力を発動させた。
身体中の細胞全てが100倍の活力を漲らせる。
NK細胞に、マクロファージに、あらゆる免疫系統に侵入者を消せと命じる。
「ウイルスども、100倍の免疫細胞に食われて消えろ…。」
勝つのは僕だ。
強い思いを胸に、バーナビーは全身を貫く高揚感に身を委ねた。
青い光が静かな病室を仄かに照らした。
「タイ…こて…か、鏑木さん。」
カリーナは学校帰りに寄った書店で、偶然に虎徹を見かけぎこちない声をかけた。
「お、ブル…カリーナ。今学校の帰りか。今日もお疲れさん。」
虎徹は制服姿のカリーナに片手をあげ笑った。
もう一方の手には何冊かの本を持って。
カリーナは虎徹の手にした本を見てふうんと唸った。
「へえ意外。こんなの読むんだ、難しそう。」
堅苦しいタイトルの本にカリーナは意外と読書家なんだと頬を染めた。
「ああ、これはバニーに差し入れ。隔離病棟で退屈なんだってさ。」
それを聞いてカリーナは『はあ?』と呆れた声をあげた。
手にした本のタイトルをもう一度見る。
「ばっかじゃないの!?感染してるかもしれないのに医療ジャーナルとか!」
「だって不安だろ?あいつ理屈派だしこういうの読んだら安心するかなって。」
「よけい不安を煽るわよそれ!!もっと気の紛れる物にしなさいよ!!」
「漫画とか?」
「あいつが漫画読むタイプ!?なんか明るい内容の小説とかあるでしょ!!」
「ああ、そうか!お前頭良いな!!」
この人、本当に病気の奥さんの世話してたんだろうか。
カリーナは辛い経験値を微塵も生かしていない虎徹に眩暈がした。
だがそれを言うわけにもいかないと彼女はギリギリの良心で踏みとどまった。
「ねえ、ハンサムのお見舞いって行けるの?隔離病棟なんでしょ。」
カリーナはふと疑問に思った。
「行けるけど、ガラス窓越しで電話がついてる。…刑務所みたいだろ。」
虎徹は少し寂しそうに言った。
「身体が辛くても傍で手も握ってやれねえんだ。仕方ねえんだけどさ。」
「そっか…そうだよね。」
カリーナはあの感染症騒動の日を思いだして沈痛な表情を浮かべた。
タイガーとバーナビーがあの段取りを提案したから、
私やドラゴンキッドはうつらないで済むポジションについた。
その結果バーナビーがその危険を一身に受けることになった…。
彼が子供を助ける一部始終を見ていたドラゴンキッドは、
ずっと我慢していたけど慰問を終えて撤収する時に私に涙目で縋りついた。
「バーナビーさんが死んじゃったらどうしよう!!」
タイガーもアニエスも聞いても「大丈夫」としか言ってくれないし…。
あれから二日たったけど、まだ誰も何も言ってくれない。
こんな形でさよならとかだったらどうしよう…。
カリーナが目尻に涙を浮かべた時、ぽんぽんと頭を叩かれた。
「心配ねえって。昨日も結構元気そうだったし。」
虎徹は心配させまいと明るく言い、手にした本を棚に戻した。
「ウイルスの潜伏期間は3日だそうだ。明日まで待って何ともなければすぐ退院できる。」
虎徹の表情にカリーナは目許を拭った。
「そ、そう。だったらいいけど。別にそんな心配してないし。」
いつもの憎まれ口に虎徹はそれでいいと優しく頷いた。
「なあ、時間あったらこれから一緒に行かないか、バニーの見舞い。」
カリーナはそれも良いかと思ったが首を横に振った。
「ごめん、今日はバーのバイトの日なの。ハンサムにお大事にって伝えて。」
「そっか、分かった。バイト頑張れよ、今度また聴きに行くよ。」
うん、と頷いてカリーナはそろそろ行かなきゃと虎徹から離れた。
「あのさ、落ち着いたらハンサムの快気祝いやろうよ!!」
虎徹の心情を慮ってそう言いながら足早に去るカリーナの背に
虎徹は小さな声でありがとうと呟いた。
「快気祝い…やろうな、バニー…。」
快気祝い…昔同じことを妻に言ったなと否が応でも思いだす。
やっぱり病院は苦手だと虎徹は溜め息をついた。
どうしてもあの日の妻の光景とダブりそうになる。
「昨日久しぶりに医者と重い話したからかな。」
虎徹はポップな装丁の並ぶ文庫本書棚を眺めながらも
昨日の事を思いだし憂鬱な気持ちになった。
「ワイルドタイガーさん、ちょっと良いですか?」
昨日バーナビーが隔離病棟に収容された後、
医師はアイパッチをした虎徹にこちらへと面談室へ促した。
「…成功する確率は30%以下…。」
虎徹は新薬投与の治験を提案され、その内容に眉根を寄せた。
「アルバート・マーべリック氏が製薬会社に働きかけて、こちらに送られてきたものです。」
それは海外の風土病を研究する機関が突貫で仕上げた検証データだった。
数字やグラフの並ぶそれを見て虎徹は頭を掻いた。
「すんません、こういうの見せられても俺さっぱり…。」
困惑する虎徹に医師は細かいことは良いんですとデータを下げた。
「つまりまだ完成していない新薬をバーナビーさんに投与するかどうかということです。」
投与して上手くいけばウイルスを不活化…活動を止めることができる。
ですが副作用もあるかもしれません。
なにせまだ開発途上のものです。
今後のヒーロー活動に支障の出るような後遺症や傷害、
あるいは日常生活にも支障をきたすかもしれません。
例えば眩暈や脚のしびれなど一般人でも厄介な、ヒーローだと致命的な症状など。
今はよくても、子供ができない身体になるとかそういうケースもありえます。
勿論、副作用をきたすことなく治る可能性もあります。
投与して明日の血液検査で炎症反応が見られなければ、
大事を取っても明後日には隔離を解除してもよいでしょう。
「もし投与しなければ…どうなると先生は見ていますか…。」
虎徹の声が震えた。
医師は首を横に振った。
「発症した患者の7割が既に昏睡状態に陥っています。生命予後はもって一週間。」
「そんなに…。」
虎徹は大きな手で顔を覆った。
「社長が製薬会社と衛生保険局に圧力かけて新薬をよこしたのはそのためですね…。」
『治験しても成功する確率が30%』なんじゃない。
『治験しなければ発症した場合70%の確率で死ぬ』という話なのだ。
感染症事件は、患者を完治させて終わるのかと虎徹は初め思っていた。
だがその手段は今はまだない。
「患者を閉じ込め、自然に数が減るのを待つ。
罹患者は死ぬまで、発症しないものはキャリアーではないと確認されるまで。」
行政が取りうる衛生政策はそれが限界だった。
バーナビーの場合、たまたま身内の有力者が各機関に圧力をかけただけだ。
「バニーが聞いたら怒るだろうな。市民を差し置いて自分だけ特別扱いするなって。」
「マーべリック氏もこのことは本人には知らせないようにと。」
市民にも薬を与えていることにせよ、ということか。
「ずるいの何のと言ってられねえよな、確かに…。」
もはや虎徹に否があるはずもなかった。
どんな手段だろうと、助かる道があるなら…。
迫る病を前に綺麗ごとなんて言っていられないのは誰よりも身にしみている。
「社長だって、そう思うからこそだよな。」
この際、金だろうがコネだろうが手段なんて選んでいられない。
「あれ?」
そこでふと虎徹は疑問に思った。
「マーべリック氏が承諾したなら、病院としては俺の答えは要らないんじゃないんすか?」
医師は治験データとバーナビーのカルテを差し出して虎徹に微笑んだ。
いくらご多忙とはいえ、養子の危急の事態にお見えにもならない方より
今にも泣きそうな顔で彼を助けてくれと言った貴方の方が
よほど『連絡すべき家族』のように見えましたので。
法的にはバーナビーさんに無断で貴方に個人情報を開示したのはアウトなんです。
まあ、そのへんは内緒にしておいてください。
医師の言葉に虎徹は席を立ち、深々と頭を下げた。
「どんな手段でもいい。どうかあいつの命を助けてください。」
医師は虎徹の肩に手を置き、全力を尽くしますと答えた。
そして昨日の内に治験は開始された。
早ければ今日にも効果が出始めるだろうという。
昨夜バーナビーにPDAで様子を聞いたが、比較的元気そうだった。
「薬効いてるといいんだけどな。」
差し入れにと買い込んだ何冊かの本とプリンの箱をナビシートに置き、
虎徹は病院に車を走らせた。
「バニー、具合はどうだ?」
ガラス窓の向こうの病室内に手を振り虎徹はPDA画面に眼を戻した。
向こうからバーナビーも小さく手を振り返してくる。
―虎徹さん。すみません毎日来てもらって。
「んな水くせえこと言うなよ。なんか疲れた顔してるけど大丈夫か?」
少し青白く見えるのは病室の照明のせいか、それとも…。
―薬の副作用みたいで、少し頭痛とだるさが出てるんです。
「だったら横になってろよ。無理すんな。」
虎徹は画面から目を逸らしガラス窓越しに『寝ろ』とジェスチャーする。
―いえ、姿勢を変えてもあまり変わらないんです。
―薬を投与した後初めの一時間だけなので、心配ありません。
本当は投与ごとの発動が少し負担になっているのだが、
バーナビーは表向きには全て副作用で片づけることにした。
本当はひどい倦怠感で起きているのも辛いのだが、
虎徹の前では出来るだけ元気そうにしていたい。
バーナビーは意地でも横になる気はなかった。
虎徹はそんな彼を見定めるように真摯な目を向けている。
「どうなんだ、その…経過の方は。」
心配気な虎徹にバーナビーは努めて明るく笑った。
―今日の検査の結果では、順調にウイルスの数が減っているそうです。
「そうか…。あ、これ。本とプリン持ってきた。看護師さんに渡すから。」
―ありがとうございます。ここ本当に退屈で。
「最初『医療ジャーナル』って本買おうとしたらよ―…。」
本屋の出来事を話すとPDA越しにくすくす笑う声が聞こえた。
―カリーナさんに感謝しないといけませんね。かたい本を読む気分じゃないので。
「だっ!やっぱそうか!!」
カリーナにばったり会ってほんとよかったわと虎徹は顎を掻いた。
結局選んだ本は平積みされていたベストセラー小説だった。
それと昔友恵にも渡したことのある一冊のノート。
防護服に身を包んだ看護師が虎徹から預かった見舞いの品をバーナビーに渡した。
それを見たバーナビーが首を傾げた。
―虎徹さん、このノートとペンは?
「それな…。友恵の時に世話になった看護師さんのおススメ。」
それに今自分のやりたい事とか、行きたいとことか。
そう言うのを書き連ねて行くんだって。
『こんなにもまだやってないことがある!まだ死ねない!!』って
そう思わせるんだってさ、自分の体に。
生きるためのモト・・モチ・・・?
―モチベーション。
そうそれ!それをあげるんだってさ。
―良い話なのにちゃんと締めてくださいよ。
そう言いながらくすくすとまた笑う声が聞こえた。
「へへ、面目ねえ。」
虎徹が気まずそうに顎をまた掻くとバーナビーはノートに何か書きつけ、
それを虎徹の方に振って見せた。
―退院したらしたいこといっぱい書くから、付き合ってくださいね。
虎徹はなんて書いてあるのか見ようとしたが、遠くてよく見えない。
「おう、何でも付き合うぜ!それ何書いてんのか見えないけど。」
バーナビーはふふっと笑ってノートを閉じた。
―心配しなくても、大したことじゃありませんよ。
「見くびんなよ?治ったら高級フレンチでも何でも奢るぞ!」
任せとけと胸を叩いてみせる虎徹にバーナビーは首を横に振った。
―僕の望みはもっと簡単なことですよ。
「お前本当に無欲だよなあ。」
そう言って笑う虎徹にバーナビーも笑顔を返した。
<本当に簡単なことです。完全にウイルスがいなくなったら…ね。>
真っ白なノートの初めのページにはたった一行。
<虎徹さんとたくさんキスがしたい。>
そこにあった願いはたったそれだけだった。
終り