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4.希望


「なあ、なんでここにいるの?

虎徹はまだ理解できないという顔でバーナビーの横顔を見た。

「犯人は内部の手引きを受けて陸路で

シュテルンビルト市外方面へ逃走しています。

郊外へ逃げるなら奴はこの場所を必ず通ります。」

バーナビーは虎徹と目を合わせず、正面を睨んだまま淡々と言った。

「そうじゃなくて!なんでお前がここにいるんだって。」

「出動要請があったからですよ。当然じゃないですか。」

以前を思わせる少しつんとした態度で、バーナビーは漸く振り返った。

だが、フェイスガードをあげたその顔にいつもの自信は感じられない。

「要請!?アニエス、お前も呼び出したの?なんでだよ!!

虎徹は話が違うじゃないかと憤った。

バーナビーはそんな彼に少しだけ笑った。

「アニエスさんから聞きました。済みません、気を使わせてしまって…。」

いつになく殊勝なバーナビーの態度に、虎徹は困ったように頭を掻く。

「いや、そんなのは大したことじゃねえけどよ…。」

バーナビーは穏やかな顔で正面を向き直った。

「アニエスさんは皆さんへの一斉招集とは別の回線で僕に連絡をくれました。」

 

タイガーには『今日はバニーを休ませてやってくれ』って言われたわ。

それも、今すごく落ち込んでるからとしか理由も言わずにね。

他の事件だったら、今日だけはそうしてあげてもよかったんだけど。

でも、貴方がさっき逮捕した警察長官の馬鹿ボンが逃げ出したの。

それも内部関係者の手引きでパトカーに乗ってね。

貴方、あいつにオトシマエつけたくない?

今回は行くも行かないも貴方の自由でいいわ。

タイガーに何ぶっちゃけちゃったのかは知らないけど、

あいつの能力で大迷惑被ったんでしょ?

行ってもう一回あの男をぶっとばしてらっしゃい。

少しは気が晴れるんじゃない?

 

「…というわけです。」

「あー…そう…。さすがアニエス様…。」

虎徹はアニエスの采配に眩暈がした。

もっと落ち込んでいるかと思ったバーナビーが、

家で泣くより現場に出てきて犯人ぶん殴るという選択ができた。

それが分かっただけでも幸いではあるが。

 

トランスポーターと現場に合流したバーナビーの私用車で

バリケードを作って封鎖した高速道路は気味が悪いほど静かだ。

会話が途切れた途端、風の音だけが空疎に響く。

バーナビーはふと気まずそうな顔で俯いた。

「虎徹さんもやりにくいと思いますが、今回だけ我慢してください。」

「今回だけ?それはどういう意味だ。」

バーナビーの言葉の意味を測りかね、虎徹は怪訝な顔を彼に向けた。

「これが貴方とのコンビとして、最後の出動かもしれないから…。」

そう言ってバーナビーは寂しそうに笑った。

「はあ!?お前何言って…。『来ました!!』」

驚いた虎徹の言葉を遮ってバーナビーが鋭く叫んだ。

素早くフェイスガードを下ろし、背中の飛翔ユニットを噴射する。

 

ギキキキキーーーーーーッ!!

 

耳障りな音を立て、タイヤから火花を散らしながら

逃走パトカーが緊急灯をつけながら真っ直ぐに突っ込んできた。

「警察車両で逃走たあ…どんだけバカなんだお前。」

呆れながらも虎徹は腰を落とし、衝突に備えて構えた。

挟撃を狙って中空に舞い上がったバーナビーとすれ違うように

犯人の車が突っ込んできてバリケードの前で反転して停まった。

「はい王手。もう詰みだからさっさと出ろや、オボッチャマ。」

虎徹は助手席のドアを破壊して犯人を摘まみだそうとした。

犯人の口許が厭らしく歪む。

「危ない!タイガーさん、そいつに触れないでください!!

逃走車の後ろに降り立ち退路を断ったバーナビーが叫んだ。

犯人は小さく舌打ちしてバーナビーを睨んだ。

「おっと、そうだった。今テンパるわけにいかねえからな。」

虎徹は運転席側に回るとドアをこじ開けた。

「てめえも同罪だ。犯罪者の逃走幇助、ポリなら言うまでもねえな?

猫の子でも掴むように、熟年の制服警官を摘まみだし路上に放り出した。

「長官の命令か?それで失職してりゃ世話ねえなオイ。」

呆然自失する制服警官は逃亡の恐れなし。

虎徹はそう判断して縛り上げずに、犯人に向き直った。

 

「さてと。てめえよくもバニーを…。一発ぶんな…。」

そう言って犯人との間合いを詰めようとした虎徹に影が被さった。

「うおおおお!!

上空からの咆哮に虎徹は影の主を確認せず慌てて後ろに跳び退った。

「ぐわああ!!

バーナビーの飛び蹴りをまともに背中に受け、犯人が吹っ飛んだ。

脊椎は外しているが、肋骨の数本は折れただろう。

「うっへえ…。バニーちゃん容赦ねえなー。」

虎徹は半笑いで後退したまま様子を窺った。

「どうした?もう抵抗しないのか?

地面に倒れ伏しもんどり打つ犯人に、バーナビーの冷たい声が浴びせられた。

「立てよ。もっとあがいてみろ。」

バーナビーはつかつかと歩み寄り、犯人の襟元を片手で持ちあげた。

足が宙に浮いているが、喉を絞められていないので息はできる。

ジェイク戦の時と違い、あいつは冷静だ。

冷静にブチ切れてるから恐ろしいが、殺しはしない。

そう踏んだ虎徹は横やりを入れずギリギリまでは静観することに決めた。

「悪かった!降参だ!!

犯人はあっさりと両手を挙げた。

 

「貴様、罪もない人を何人も陥れ怪我人を出してそれで済むと思っているのか?

バーナビーの声に怒りの色が濃く現れた。

「へへ…。どうするつもりだ王子様。俺は降参って言ったんだぞ?

「反省する脳味噌すら持ち合わせていないようだな。」

バーナビーはフェイスガードを跳ね上げ、忌々しげに睨み据えた。

「降伏した人間を公開リンチか?クリーンなイメージが壊れるぜえ?

「ヒーローTVのヘリのことか。それで僕を脅したつもりか、下らない。」

犯人の挑発にバーナビーは泰然と笑った。

「あいにく僕は王子様ではないし清廉でもない。むしろ鬼畜だ。」

その言葉に犯人の顔がひっと引き攣った。

そう言えばこいつは…。

「なにせ、20年かけて親殺しの犯人を探し続けた粘着質の復讐鬼だからね。」

犯人の身体ががたがたと震えだす。

「さあどうする?もう僕には貴様の能力は効かないぞ。どう料理してほしい?

「そ…そんなことしたらお前も終わりだぞ!!

バーナビーはさらに凄みのある笑顔を浮かべた。

「お前のおかげで失うものなど何もなくなった。そういう人間は強いよ?

バーナビーの話し方が妙に投げやりだ。

傍で聞いていた虎徹の顔に緊張が走った。

<やばい!あれは脅しじゃない!!

今のバーナビーはヒーローの一線を越えようとしている。

「さあ、もろともに逝くか。それが望みだったんだろう?

バーナビーは犯人の喉に手を掛けた。

「う…ぐふ…。」

気道を凄まじい力で圧迫され、犯人の口から涎が垂れ落ちる。

 

「バニーもうその辺にしとけ。そんなゴミで手を汚すな。」

虎徹はバーナビーの肩に手を掛け、静かにそう言った。

バーナビーがゆっくりと虎徹を見、再び犯人を見て、

やがて興味を失ったように手の力を抜いた。

抜けたという方が正しいかもしれない。

どさりと投げ出された犯人は腰を抜かし、その場で失禁している。

他社のトランスポーターが彼方に見え、遠くから警察車両のサイレンが響いた。

虎徹はバーナビーの手を取り、その手で犯人を押えた。

「逃亡犯確保。捕まえたのはバニーだ。」

PDAでアニエスに報告した虎徹は、ワイヤーで犯人を締め上げた。

もう一方の手で、すっかり表情を失ったバーナビーを支えて。

 

「あんたたちはこいつ逃がさないでくださいよ?

虎徹が警官に言うと、警官は真面目な顔で敬礼した。

「はい!お手数をおかけしました!!

バーナビーは離れた場所で虚脱したように夕陽を眺めている。

「バニー…。」

虎徹がそっと声をかけると、バーナビーは困ったように笑った。

「すみません、最後までご迷惑を…。」

虎徹はその言葉に眉をひそめた。

「お前、さっきから最後最後って…。」

バーナビーは気持ちを落ち着けるように一つ息を吸った。

 

だってタイガーさん、もう無理でしょう?

これ以上、こんな僕と一緒にいるなんて。

気持ち悪いとも言わず、僕を最後まで思いやってくれたこと、

本当に感謝しています。

社に戻ったら、ロイズさんに全てを話します。

そうすればきっとコンビを解消してくれるはずです。

今まで本当にお世話に…

 

一方的にそう言い無理に笑うバーナビーに

虎徹はかっと頭に血が上った。

「お前!それでいいのかよ!!俺は嫌だぞ、こんな終わり方!!

虎徹の大声に、周囲の警官やヒーローが何事かと二人を見る。

「僕だって本当は嫌ですよ!ずっとあなたとコンビでいたかった!!

バーナビーは辛そうにそう叫んだ。

「だったら!この先もずっと俺の隣にいろよ!!

虎徹が負けじと叫んだその時、バーナビーがほんの一瞬嬉しそうに笑った。

その表情は儚くそれゆえにこの上なく美しかった。

虎徹の心の奥でずっと燻っていた正体不明の感情がぐらりと動いた。

ああ、そうか…これは…。

虎徹は漸くその正体を自覚した。

「バニー、今わかった。俺はさっきのお前の言葉、本当は嬉しかったんだ。」

「嘘だ!同情なんて御免です!!

バーナビーはまた声を荒げた。

「嘘じゃない。今まで気づかなかったけど…。」

虎徹の言葉にバーナビーは激しくかぶりを振る。

「違う!貴方は優しいから勘違いしてるだけだ!!

「だあ!強情だなお前!!ほんとにほんとだっつーの!!

そう叫んで虎徹ははたと気づいた。

それが嘘のない心からの言葉だと

バーナビーに確実に分からせる方法がある。

「バニー、ちょっと待ってろ。すぐ戻る。」

虎徹はそう言うと駈け出した。

 

虎徹はさっきの警官のもとに戻ると、

今まさにパトカーに押し込まれようとしていた犯人を掴んだ。

「おい、オボッチャマ。俺に能力使え。」

「ああ!?

驚いた犯人に虎徹は鋭い眼光を浴びせた。

何やら喧嘩をしていたかと思えば自分の能力を使えとは。

「何のつもりだヒーローさんよお。」

「いいから!てめえの能力を俺に使えってんだよ、このトラブルメーカー!!

犯人はにたりと嗤った。

仲のいい奴らが決裂する瞬間ほど興奮するものはない。

「へへ…。どうなっても恨むんじゃねえぞオッサン!!

犯人の身体が青白く光り、電撃が虎徹の身体を貫いた。

「タイガーさん!!何してるんですか!!

後ろでバーナビーの悲鳴にも似た声が聞こえた。

「とことんまで仲間割れしやがれ!!ヒャハハハハ…うがあ!!

甲高い笑い声が苦悶の声に変わった。

「痛いか。てめえの被害に遭った人の痛みはこんなもんじゃねえぞ。」

虎徹は右の拳を怒りで震わせ、パトカーに背を向けた。

「うお!!

虎徹の身体の奥から激しい衝動がせり上がった。

<すげえ圧力!!バニーよくこれ我慢したな!!

 

「ぐ!!

虎徹は息をとめたように口を膨らませて駆け戻ってきた。

油断するとその場で絶叫してしまいそうだ。

「んー!(来い!!)」

虎徹はバーナビーの手を取ると強引にトランスポーターの

ラウンジに飛び込んでドアを閉めた。

「ぶはあ!

喉を吐く衝動をこらえ、漸く虎徹は息を吐いた。

「ちょっと、虎徹さん!どういう…。」

「俺はお前が好きだ!!

あらん限りの声で虎徹は叫んだ。

バーナビーの眼が驚きで見開かれる。

「好きだ好きだ好きだ!!

衝動のまま感情を口にするたびに

虎徹の胸のつかえが下りたようにスッキリする。

「バーナビー、俺はお前を愛してる!!

虎徹の心の奥にあった本心が止め処なく溢れだす。

それは冷え切ったバーナビーの心をあっというまに満たしていく。

「虎徹さん…。」

強く温かい腕に抱きしめられ、バーナビーの身体が弛緩した。

<本当に…それが虎徹さんの本当の心…。>

「好きだ!ずっと一緒にいたい!!俺のパートナーはお前だけだ!!

「キスしてえ!抱きてえ!!全部俺のもんにしてえ!!

「だから…だからこれで最後とか言うなよ…。」

本能、欲求、想い。

虎徹の心を激しく突き動かした衝動が

言うだけ言うと昇華され穏やかに引いていく。

「…どうだ、さすがに信じたろ。」

虎徹は自信ありげにバーナビーの顔を見た。

「なんでそこでドヤ顔なんですか…。」

バーナビーは苦笑してゆっくりと両腕を虎徹の背に回した。

「でも、嬉しい…です…。」

震える声でそれだけ答えたバーナビーの頬を歓喜の涙が伝い落ちた。

 

 

それは禁忌のはずだった。

ずっと、それを開けたら不幸しかもたらさないと思っていた。

それは不幸や災いを世界に撒き散らしたパンドラの箱だと。

でも僕は、その話の結末を正確に覚えていなかった。

 

開け放たれた箱の底に最後に残ったのは希望だということを。

 

僕にも、最後に希望が残された。

 

終り