リスペクト
何度目かのctrl Aとデリートキーを押して、
バーナビーは事務椅子に思いっきり体重を預け背伸びをした。
「どしたバニー。珍しくデスクワークで苦労してねえか?」
虎徹は淹れたてのコーヒーを一つバーナビーのデスクに置き、
もう一つをもって自分の席に腰掛けた。
「あ、ありがとうございます。なんか苦手な仕事来ちゃって。」
「へえ、バニーにもそんな分野があるんだな。」
虎徹は心底意外そうに眼を見開いた。
「そりゃありますよ。僕これがプライマリの頃から苦手で。」
バーナビーはまだ何も書いていない文書作成ソフトの画面を睨んだ。
「ってことは報告書みたいな客観的なレポートじゃねえな。」
ビジネス用フォーマットの決まっている文書作成は
バーナビーのほうが虎徹より遥かに速い。
「なんかもっと自由な…コラム的な何か?」
今度はバーナビーが驚いて目を見開いた。
「すごい!どうして分かったんですか?」
「だってお前、前に社でヒーローブログ企画上がった時に嫌がったろ。」
虎徹はコーヒーを啜りながら、結局没になった企画を思い出した。
「自分アピールは嫌いじゃないくせに、なんか意外だったからさ。」
バーナビーもコーヒーを一口飲んで溜め息をついた。
「だって…ほんと苦手なんですよ。作文書くの…。」
コラムのテーマがリスペクトなんですけど…。
父や母だとどうも空気が重くなるんですよね。
読者も僕が早くに両親を亡くしてるの知ってるわけだし。
マーべリックさんだと、彼の後ろ盾を強調するみたいで
見ようによってはすごく厭らしい印象を与えるんです。
かといって学生時代の恩師とか先輩とか、
そういう当たり障りのない人もいないし。
虎徹はそれを聞いてうーんと唸った。
「いっそゴーストライターに書いてもらえば?」
出版業界ではよくある話だと虎徹は提案した。
しかしバーナビーは渋い顔で首を横に振った。
「それでは依頼人や読者を裏切ることになるので嫌です。」
バーナビーには業界のセオリーでも容認できないらしい。
虎徹はそんな彼の生真面目さを好ましく思いながら次善の策を考えた。
「じゃあ、直接知らない人間は?オペラ歌手とか趣味の分野でさ。」
虎徹の提案にバーナビーは困ったように首を振った。
「オペラはメディア向けの趣味です。実際は一曲しか知らないんですよ。」
ああ、と虎徹は気まずそうに頷いた。
その一曲が『過去の事件の現場』で流れていた、
ある意味で両親の葬送曲だということは聞いている。
記憶と意思を劣化させないために繰り返し聴くのだとも。
「そっか。趣味で音楽聴いたりする余裕なかったんだよな…。」
「単に無趣味な性格ってだけですよ。」
顔に悪いことを言ったと書いている虎徹にバーナビーは苦笑した。
「虎徹さんだったら、なんて書きますか?」
バーナビーが少し重くなった空気を変えようとしたのを察して、
虎徹は大げさに胸を張った。
「もちろんMr.レジェンドだ!」
「やっぱり。」
バーナビーはそうだと思ったと笑った。
「憧れとか、尊敬とか、そういうの全部あの人なんだよな俺。」
虎徹はそう言って猫型の髭を掻いた。
うちもオヤジを早くに亡くしててさ。
女手一つで俺たち兄弟を育ててくれた母ちゃんや、
楓を産み育ててくれた友恵、
問題児ヒーローの俺を支えてくれた前の会社の上司、
いっぱいリスペクトする人はいるけどさ。
レジェンドは別枠なんだよな。
あの人がいなかったら俺、ヒーローどころか
引きこもりにでもなってたと思うからさ。
ほんと、暗闇から引っ張り上げてくれた
俺の人生を変えたヒーローなんだよな。
嬉しそうな顔でそう語る虎徹の横顔を見て、
バーナビーはふと思い当った。
「人生を変えてくれたヒーロー…ですか。」
それなら自分にもいるではないか。
「だとしたら、僕も“レジェンド”に感謝しないといけないな。」
バーナビーは小さな声でそう言った。
「“レジェンド”は僕の人生も変えてくれたんだ。」
バーナビーは自分にも両親の他に尊敬する人がいたのだと思うと、
何故か無性に嬉しくなった。
「なんだか、その人のことなら上手く書けそうな気がしてきました。」
そう言ってバーナビーはPCに草稿を打ち出し始めた。
「お、レジェンドの事書くなら資料貸すぜ?」
虎徹は嬉しそうに秘蔵のお宝を提供しようとした。
「いえ、僕にとっての“レジェンド”は…。」
バーナビーがそう言った時、二つのPDAが盛大に鳴った。
とたんに二人の目が鋭くなる。
―ボンジュー、ヒーロー!事故発生よ!!
二人はアニエスの話を聞きながら事業部を飛び出した。
シャットダウンする余裕さえなく立ちあげっぱなしのPC には
リスペクトと題された書きかけの草稿。
僕が一番リスペクトする存在、それはいつも隣にいる彼です。
終り