最後のラブレター
「お疲れ様です、ただ今戻りました。」
その日一日中掛かって撮影やら何やらの外回りを終えて帰社すると、
虎徹さんは仕事をするでもなくぼんやりと机の上を眺めていた。
その視線の先にはずいぶん旧式な携帯電話。
「虎徹さん、どうしたんですかその携帯?」
僕の声に虎徹さんはやっと我に帰ったのか、ビクンと広い肩を揺らした。
「あ、ああ…バニーか。おかえり。」
そう言って振り返った彼の眼がひどく傷ついているように見えた。
「壊れちゃったんですか?」
僕はそう言って机の上の携帯を指した。
ゆうに5年以上は経っていそうな古めかしさ。
外装にところどころ走る傷は落としたかぶつけたか。
「壊れたっつーか…寿命かな…。」
まあバッテリーとか自然に摩耗すればそうなるか。
でも、これはおそらく彼にとって大事なもののはずだ。
「友恵さんや小さい楓ちゃんの写真とかあるんでしょう?直さないと。」
そう言って虎徹さんの顔を覗き込むと彼は驚いたように目を見開いた。
「よく分かったな。」
「こんな古めかしいもの大事に持ってる理由なんてそれくらいでしょう。」
斎藤さんならこれくらいすぐ直せるはずですよ。
彼が定時で退勤する前にラボに行きましょう。
僕がそう言うと、虎徹さんは寂しそうに首を横に振った。
「もう行って来たんだ。ダメだって…。」
そんなバカな!
あんなすごいスーツやバイクを設計できる人が
こんな市販の旧式携帯直せないわけがない。
僕の疑問に気づいたようで虎徹さんは携帯のフラップを開け、
小さなボタンを突いた。
そこには小さな封筒のマーク。
はあ、と深いため息が聞こえた。
「本体はすぐ直せるそうなんだけど、メールのデータがな…。」
黒いままの液晶にかちかちとボタンを突く音だけが空しく響く。
本体のプログラムは直せるが、個人の送受信したデータは
復旧できないと言われたんだよ。
写真は良いんだ。
友恵はわりにマメだったから、うちのPCにバックアップあるから。
ただ、メールがな…。
友恵の余命がもうあまりないって分かった頃に使ってたやつだから
楽しいメールじゃないけどさ…。
ああ、あいつの言葉まで逝ってしまったなあって。
でも…いいんだもう。
きっと『いつまでも後ろ向いてるな』って友恵が怒って消しちまったんだよ。
虎徹さんはそうは言うけれど、心底納得してるわけじゃない。
僕だって前に使ってた携帯に両親のメールがあったら…。
絶対にあきらめることなんてできない。
何か…何か方法はないか…。
ふと僕はあることを思いついた。
無茶な方法だがダメもとでやってみるか。
「虎徹さん、今日時間ありますか?」
虎徹さんは虚をつかれたような顔で僕をまじまじと見た。
「暇だけど…。なに、可哀そうなオジサンに酒でも奢ってくれんの?」
僕は虎徹さんの両頬をつねった。
「酒どころか一睡もできないかもしれませんよ?」
「きゃー、バニーちゃんダイタンw」
虎徹さんは気持ち悪い裏声で身体をくねらせた。
…これは自分の寂しさを気取られまいとしてるんだ。
心底アホじゃないはずだこの人は…たぶん…。
僕は虎徹さんを放置して自分の携帯を引っ張り出した。
「なんだ?誰に電話…。」
そう言った虎徹さんに人差し指で『静かに』のサイン。
そのとき電話がつながる音がした。
<バーナビーさん?どうしたの、ボクに電話って珍しいね。>
「すみませんドラゴンキッドさん。実はあなたにお願いが…。」
僕がかいつまんで用件を話すとドラゴンキッドさんは
うーんと唸って隣にいる誰かに何か聞いた。
「ボクじゃよく分かんないから、ナターシャに代わるね。」
「お電話変わりました。オデッセウスコミュニケーションのナターシャと申します。」
落ち着いた声の女性はパオリンの話が分かりにくかったので
もう一度お話を伺いたいと言ってくれた。
僕はもう一度、今度は大人なのであまり端折らず事情を説明した。
彼女は突然の不躾な依頼に不快さも示さず、親身に聞いてくれた。
<つまりワイルドタイガー様の亡くなられた奥様からの
メールデータを復旧できないか、そういうお話ですね?>
「そうなんです。何とかできませんか?」
<その方が亡くなられたのが5年も前なのでデータの存在はお約束できませんが、
通信課の方に掛け合ってみましょう。少しお時間をいただけますか?>
「はい!よろしくお願いします!!」
僕はそう言って一旦携帯を切った。
「バニー、一体何を…。」
僕とナターシャさんのやり取りに僅かでも明るいものを感じたのか、
虎徹さんは事務椅子から身を乗り出して僕に訊ねた。
「今はまだオデッセウスの返事待ちですが…。」
僕はコンピューターに疎い虎徹さんに分かるよう大まかな話を説明した。
「そのホストとやらのデータを浚って友恵のメールを拾い出すってことか?」
虎徹さんの問いに僕は頷いた。
「膨大なデータを浚うんです。今夜は徹夜ですよ。」
とはいえ、事業部の汎用PCでどこまでできるか…。
そう思った時だった。
「ラボのコンピュータを使え。そんなPCじゃ3日かけたって終わらないぞ。」
斎藤さんがそう言いながら事業部に入ってきた。
「僕もできるところは手伝おう。タイガーじゃ役にたたんだろう。」
そう言ってニッと笑った彼に虎徹さんが面目ないと笑った。
その後すぐオデッセウス社から特別にデータに侵入する許可をもらった。
いわば公然たるハッキングだ。
条件は通信および既存のデータに影響を及ぼさないこと。
目的物がなくても当社は関与しない。
猶予は明日の朝、社の始業時間9:00まで。
ナターシャさんの連絡に何度もお礼を言い、僕と斎藤さんの戦いが始まった。
二時間経っても三時間経ってもそれは見つからない。
僕は眼鏡を外し目をこすった。
視界の隅にぼんやりと見える所在なさげな人影につい苦笑する。
「虎徹さん、今日は帰っていいですよ。出来たら連絡しますから。」
じっと座って待ってるだけなのも苦痛だろう。
今夜は寝られないと言ったが彼に徹夜させる気は最初からない。
そう思って声を掛けたら、横から蓋を開けた缶コーヒーを差し出された。
「んなことできねえよ。二人が必死でやってくれてるのに。」
虎徹さんが今ここに居て何かできるかと言いたら何もない。
だけど気持ちの問題かもしれない。
僕はコーヒーのお礼を言い、後はPCに集中した。
隣で斎藤さんが凄まじい速度でキーボードをたたく音が聞こえる。
「どこですか…友恵さん…。お願いだから…!!」
僕も必死で画面を見つめ指を動かし続けた。
お願いだから返事をしてください!!
心の中でそう呼びかけながら。
社屋の窓から朝日が差し込む。
PDAを軽くタップすると8:30の文字。
後30分…。
どうか…どうか!!
願いも空しく時間は刻々と過ぎて行った。
タイムリミットの9時まであと5分を切り絶望的な気分になっていた
その時あるデータが目に飛び込んできた。
これか!?
僕は必死でキーボードを叩いた。
>虎徹君へ
「やった!!」
思わず僕が叫ぶと後ろの椅子でうたた寝をしていた虎徹さんが
椅子から転げ落ちる音がした。
「見つけたのか!!」
斎藤さんも立ち上がり僕のそばに駆け寄ってくる。
僕は素早くそのデータを外部メモリに落とした。
ローカルの汎用PCでデータが入っているのを確認し、
公認ハッキングを終了する。
「バニー…本当に…。」
虎徹さんが信じられないという顔で僕を見ている。
「見つけられたのはメール一通分だけでした…。」
きっとたくさんの思い出があの携帯には入っていたはずだ。
もしサルベージしたこのメールがつまらない内容だったら…。
それでもいいと虎徹さんは言うだろうが、それではやりきれない。
「すみません…。もっと修復できると思ってましたが甘かったようです…。」
虎徹さんは僕のそばに来ると床に膝をつき、
僕の手を両手で包みこむように握った。
「バニー、凄く嬉しい。徹夜でよく頑張ってくれた。本当にありがとう。」
心からの虎徹さんの笑顔に、徹夜の疲れも癒される。
「斎藤さんもほんとありがとうございました!!」
「僕はちょっと仮眠するから、ここでゆっくりメールを見たら良い。」
斎藤さんはそう言ってじゃあお疲れさんと酸素カプセルに入っていった。
ああ、僕もあそこでちょっと休ませてもらおうかな。
その前にさっきのメモリ、見られるようにだけしておかないと。
「虎徹さんそれ貸してください。データの開け方分からないんでしょう?」
「あ、ああ。悪いな。」
今更これくらい手間が増えたうちにも入らない。
僕はメモリのデータを閲覧できるようにするとすぐに目を逸らした。
故人が遺される夫に向けた最期の私信だ。
他人が勝手に見ていいものじゃない。
虎徹さんがメールを読んでいる間に僕はナターシャさんに電話を入れた。
おかげさまで無事に終わりました。
御社のご協力のおかげで亡き夫人の夫へのラストレターが見つけられましたと。
先方も「ヒーローのお役に立てて光栄です」と言ってくれた。
無茶な依頼だったのに、本当によく快諾してくれたとほっとする。
正直、オ社の担当がたまたまだろうが女性ばかりだったのはかなりラッキーだった。
亡き妻の最後のメールをサルベージしたいなんて、どう考えても女性好みな話だもんな。
ああ、そう言う意味ではアニエスさんには知られないようにしないと。
あの人の事だ。
感動ドキュメンタリー企画でも立ち上げかねない。
虎徹さんと斎藤さんにも緘口令敷いとかないと。
それにしても眠い。
この後の仕事の予定を考えても30分くらいなら仮眠できそうだ。
僕が酸素カプセルに入ろうと設定を合わせ始めたその時だった。
「バニー…。これみてくれ…。」
虎徹さんが信じられないと言った顔で画面を指した。
「どうしたんです?」
「これ、なんかの事情でサーバー預かりになってたみたいでさ。初めて読んだ…。」
よくまあそんなのが…。
いや、未読のままサーバー預かりだから残ってたのか?
「その未読メールがどうしたんですか?」
「いいから読んでみてくれよ…。どう思うこれ…。」
>虎徹君へ
今までずっと一緒に居てくれてありがとう。
もしも、私が先に天国に行っちゃうようなことがあったら
楓の事はよろしくお願いします。
でもね、虎徹君。
貴方はいつかまた違う人と出逢って愛することを思い出すかもしれない。
その時は、どうかその人と幸せになってください。
どうか私の想い出に縛られて、今そこにある幸せを見逃さないでください。
それが私の最後の願いです。
貴方と生きた人生はとても幸せでした。
本当に本当に、ありがとう。
言葉が出なかった。
あれだけ膨大なデータから見つけたたった一つのメール。
それは遺言とも言うべき内容で…。
「これ…日付が亡くなる前の日なんだ…。」
「そんな…。」
もっと、日常のささやかなメールを想像していた。
これが今更サルベージしてよかったのかどうかすら僕には分からない。
「これ、今出てきたのは運命かもな…。」
虎徹さんは穏やかに笑った。
友恵が亡くなった直後にこれを見ても、絶対受け入れられなかった。
でも5年もたって、こうしてお前と出逢って。
その今このメールが俺の手元に来るなんてな。
今なら素直に友恵の言うこと受け入れられるよ。
そう言って虎徹さんは僕を抱きしめた。
「ありがとうバニー…。ありがとう友恵…。」
僕はそっと虎徹さんを抱きしめかえし、その肩越しにモニターをもう一度見た。
<僕は一生貴女には敵いそうにありませんね。>
5年越しの最後のラブレター。
彼女の深い深い愛がただそこにあった。
終り