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最低な夜


最低な夜だった。

いや、最初はすげえいい夜だったんだよ。

久しぶりのオフ、俺とバニーはうちでまったりいちゃついていた。

好きな酒を愉しみ、相手のおススメのつまみを互いの口に放り込んで。

バニーはワイン党だけあってチーズが好きだ。

「虎徹さんミソとかナットウとか発酵食品好きだからこれどうですか?

そう言って持ってきたのは山羊のチーズ。

うん、確かに臭せえな。

その臭いが酒呑みには『絶対うまい』と自己主張してるように感じる。

薄くスライスしてそのまま口に放り込むと、臭いに似合わない絶妙な甘さと塩加減。

「おー!旨いな!!焼酎にも合うわこれ。」

「よかった。結構好き嫌い分かれるんですよこれ。」

そう言ってバニーは嬉しそうに笑った。

「バニー、これ食ってみ?

俺が勧めたのは実家から分けてもらった辛子明太子。

最初は見慣れぬ物体に警戒していたけど、

クラッカーに乗っけたら美味しいってまた笑顔を見せてくれた。

それからのんびりと他愛ない話をしたり、

TVでやってた陳腐な恋愛映画に辛口なツッコミを入れたりして笑いあって。

 

その後はもう、お約束の展開だよなあ。

そういう幸せを二つのビープ音がぶち壊した。

「行きましょう虎徹さん!!

「おう!!

俺はもう10年やってるから当たり前だけど、

バニーのこういう時の適応力はすごいと思う。

酒なんて一滴も飲んでませんみたいな引き締まった顔、鋭敏な思考回路。

普通の奴が23年かかってやっと体得するようなそれを、

まだ二期目を迎えたばかりの新人がやってのけるんだから。

俺たちはトランスポーターと合流して超特急で現場に急いだ。

本当に最低な現場だった。

放火による住宅火災で小さな子供がその命を散らしたんだ。

 

シルバーステージの中では豪邸の部類に入る邸宅の火事。

俺たちが現場についた時、

一足先に到着していたブルーローズが必死で鎮火に当たっていた。

「中に人がまだいるみたいなの!お願い!!

「任せとけ!!

俺たちはすぐさま能力を発動して中に飛び込んだ。

だが、その家は二人で捜索するには大きすぎた。

最高品質のセンサー機器と100倍の五感をフル稼働して

要救助者を何とか5分以内に見つけ出さなければ。

俺たちは大きな階段を前にアイコンタクトだけで散開した。

俺は一階を回ったが誰もいない。

放火を除けば一番出火原因になりやすい台所に火の気はなかった。

その時通信がオンになりバニーの声が響いた。

―要救助者発見!幼い子供で意識がもうろうとしています。

―バニー、その子を連れてすぐに脱出しろ!!出たらすぐにCPR!!

―了解!

ここはもうもたない。

俺も出なくては。

俺は傍の壁をぶち割って脱出した。

見るとちょうど正面でバニーが子供にCPRを施していた。

遠くから救護隊が後を引き継ごうと急いで走ってくる。

「う…。」

よかった、気がついたか。

「坊や、もう大丈夫だよ!しっかりするんだ!!

バニーは子供の意識が戻ったのを見て今度は大きな声で呼びかけている。

だが僅かに目を開いたその子は「ママ…」と虚空に手を伸ばし、

しかしすぐに力なくその手は地に落ちた。

「そんな…!がんばれ、がんばるんだ!!

あいつはもう事切れた幼い子にそれでも必死で蘇生処置を施していた。

「バニー…。」

俺があいつの肩に触れ、黙って首を横に振ると、

バニーは子供の手を握ってごめんねと絞り出すように呻いた。

俺は警察と救急隊に子供を引き渡し、

虚脱したようなバニーを支えてトランスポーターに帰還しようとした。

長いことヒーローやってれば、こういうやるせないこともある。

けど、実力は申し分ないがキャリアの浅いバニーには相当堪えたようだった。

当たり前だ。

俺だって、なんとかそういう時の気持ちに

折り合いをつけられるようになるまで数年を要した。

今だって、なにも平気でいられるわけじゃない。

「…僕が…もっと早く見つけていれば…。」

隣から聞こえる、涙声で絞り出すような声。

そう、最初は誰だって『たられば』に苛まれるんだ。

でもそこにハマると先に進めなくなっちまう。

「バニー、それは違う。俺たちは神様じゃない。力及ばない時もあるんだ…。」

俺はバニーの肩を抱き、自分を責めるなと諭した。

 

その時鋭い声が湿っぽい空気を吹き飛ばした。

「あんたがやったのね!!現行犯で確保!!

ブルーローズがそう叫んで現場のそばで座り込んでいた女を逮捕した。

驚いてそちらを見た俺たちに、ブルーローズは忌々しそうに顔を顰めた。

「私史上一番ムカつく完全ホールドだわ。」

いつもの口上を言うのも忘れてブルーローズはそう吐き捨てた。

「せいぜい生きて刑務所で自分のしたことと向き合うのね。」

警察に女を引き渡したブルーローズはそう言って踵を返すと

お疲れ様と辛そうな声で俺たちに声をかけた。

「あの女が犯人だったのか。よく分かったな。」

ブルーローズははあと重い溜め息をついた。

「泣きながら子供の名前を呼んでるから、声をかけたの…。」

そう言えばバニーがCPRしてる間、彼女が女性を押さえていた。

パニックで救命措置を邪魔してでも子供を抱こうとする女性はよくいる。

わずか一分二分のタイムロスが生死を分ける。

結果として子供の命は救えなかったものの、

ブルーローズの判断自体は的確だったと言える。

「でも…あの女…突然笑いだして…。」

笑いだしてって…ショックのあまり錯乱したって事だろうか。

ブルーローズはまた悔しそうに唇の端を噛んだ。

「あの女…自分の子を殺して家に火をって…。」

そう言いかけたブルーローズははっとした顔でバニーを見た。

「…ごめんなさい。私…。」

バニーは静かに首を振った。

「大丈夫、気にしないでください。」

それでもバニーの顔色はひどく悪い。

ブルーローズは俺に<ごめんね、後頼んでいい?>と小さな声で言った。

俺はブルーローズに頷いた。

「気にすんな。それより…お前もあんま引きずんなよ?

「うん…ありがと。お疲れ様…。」

バニーよりは数年キャリアはあるものの、多感な時期だしあいつも若手の部類だ。

彼女もまた冴えない顔色に無理に笑顔を浮かべ、

自分のトランスポーターに帰還していった。

アカペラで静かに鎮魂歌を歌いながら。

あれが彼女なりの「おり合いのつけ方」なんだろうと

俺たちもその歌声を背にトランスポーターに戻った。

 

本当に、この10年間で遭遇した事件事故の中でも最悪の部類だった。

犯人は…亡くなった子供の母親だった。

子供にNEXT能力が目覚めたのを苦に心中しようとしたらしい。

結局首を絞められて気を失った子供を置き去りに、自分だけ逃げたそうだ。

「だってしょうがないじゃない!NEXTみたいな化け物、生きてる価値もないわ!!

母親は極端なアンチNEXT主義者だった。

我が子を手にかけておいて、あの女はこう言った。

「ヒーローって言ったって所詮その程度じゃない!子供一人救えやしない!!

ああそうさ。

所詮、そんなもんだ。

NEXTは神じゃない。

人間なんだから。

力が及ばないことだってあるんだ。

それでも俺たちは俺たちのできる最善を為す。

俺たちに出来るのはそれだけなんだ。

すべての事柄に力が及ぶと思ったらそっちの方が危険思想だ。

ついでに言えば…。

自分と違う力を持ってるってだけでわが子を殺せる彼女の方が

俺からすれば恐るべき化け物だ。

 

無言でトランスポーターに戻り、スーツを脱いでシャワーを浴びた。

いつもならそこで人心地つけるのに、今日ばかりは気持ちが切り替わらねえ。

はあ…10年やってもこのざまとはねえ。

俺はネクタイを締めようとして、バニーの視線に気がついた。

「どうしたバニー。」

「あの子を見て何かあったんだとはすぐ気付きました…。」

俺の喉元をぼんやりとみていたバニーは疲れた声で言った。

「あの子の首に…手で絞めた跡が…。」

痕が残るほど首を絞めて、

気を失ったわが子を死んだと思いこみ家に火を放ったのか。

母親が…自分で産んだ子を…。

「そんな仕打ちをされても…あの子、最後にママって…。」

バニーは苦しそうに言い、また顔を伏せた。

 

「…楓ん時さ…。すげえ難産だったんだ。」

俺がそう話しだすと、俯いていたバニーがゆっくりと顔をあげた。

何の脈絡もなく始まった話の続きを、黙って促すように俺を見ている。

「お産に丸一日かかって、友恵も一時的に危険な状態だったらしい。」

「…これだけ医療のすすんだ現代でも、そんなに命懸けなんですね。」

早くにお袋さんを失ったバニーはこの手の話を聞くのは初めてなんだろう。

俺はバニーの髪をそっと梳いた。

「お前のお母さんも同じだったと思うぞ。」

失礼ながら、写真を見る限りでは結構な高齢出産になったはずだ。

ブルックス夫人の場合はもっと大変だったかもしれない。

バニーは俺の言わんとすることを汲んだのか重い息をついた。

「どうしてそんな命がけで産んだわが子に手を掛けられるんでしょう…。」

「しかも子供がNEXTだった。それだけの理由でな…。」

今後、類似する事件が起きた時のためにケーススタディは重要だ。

だが、このケースばかりは理解する気も起きないものだった。

あまりにも早く親と死に別れたバニーにとっても。

一人の子の親である自分にとっても。

 

10歳の時ハンドレットパワーなどという暴発すると

シャレにならない力に目覚めた俺を母ちゃんは怯えもせず抱きしめてくれた。

「酒屋の息子が力持ちなんて孝行じゃないか!!

家中の、いや近所中のいろんなものを壊してしまった俺を責めもせず、

被害を出してしまった先に平謝りの毎日だったというのに。

まして、うちの田舎はこの街ほどNEXT慣れしてるわけじゃない。

それでも母ちゃんはまだ幼かった俺を必死で守ろうとしてくれた。

 

俺がそんな話をすると、バニーも何かを想いだそうとするように遠い眼をした。

「僕は能力が出た時2歳だったそうです。」

「魔の2歳児で能力発現か…。それは大変だ。」

楓もそれくらいの時は大変だった。

まあ、俺は不規則な仕事で友恵にまかせっきりにしてたけど。

俺がそう言うとバニーが聞きなれない言葉に首を傾げた。

「なんですか?魔の2歳児って。」

2歳から3歳くらいって、子供が一番手が掛かるんだよ。」

 

赤ん坊なら寝てばっかだし、4歳過ぎると言って聞かせることはできる。

自我が出てきて大人のコントロールが一番効かないその歳で

ハンドレットパワーに目覚めたのはお母さんや家政婦さんも大変だったろうな。

10歳の俺と違って100倍にしても出力自体は弱いけど、

そんだけ小さいと興奮状態で暴走しやすいからな。

2歳ならちょっとしたことで泣いて発動とかするだろうし。

でも、可愛がってもらった記憶しかないんだろ?

やっぱり、お前のとこも能力自体を温かく受け入れてくれたわけだ。

 

「でも…あの子はそうはいかなかった…。」

バニーはまた俯いて呻くように言った。

「周りに差別されても、家族さえ支えてくれたらどうにか道は探せるのにな…。」

母ちゃんも兄貴も、戸惑いながらも必死で受け入れてくれた。

それでもレジェンドさんに出会ったあの事件まではふさぎこんでばかりだったけど。

「差別主義と子供の能力発現で板挟みになって…凶行に及んだんでしょうか。」

バニーは考え方を切り替えたのか、何かを分析しようとする顔になっている。

ああ、こいつアカデミーで犯罪心理学とか修めたって言ってたっけ。

「…さあな。悪いが、俺はああいう奴の心情は永遠に理解できそうにねえわ。」

「…僕もです。左脳で理解できても右脳は理解できそうにない。」

ごめん、無学なおじさんにも分かるように言って?

茶化すように言うと、バニーもやっと無理に笑った。

「事の前後関係を理解できても、あの女の心を心から理解したくないんです。」

「しなくていいよ、そんなもん。」

俺ん中ではあの手合いの人間はモンスターだ。

それは多分この街にわんさか潜んでいる。

それでも、そいつが市民である以上俺たちはヒーローとして守らねばならない。

…因果な商売だよ。

天職だし誇りにも思うこの仕事を、こういう時だけはつくづくそう思う。

 

「最低な夜だな。」

「本当に…。」

「…どうする?今日は家に帰るか?それとも…。」

「…生きてていいんだって実感が欲しいです…。」

そう言ってバニーは俺に凭れかかってきた。

ただでさえ苦手な火事場の出動だ。

精神的にクタクタなんだろう。

俺も今日ばかりは疲れたわ。

「俺も。生きてて良かったって思いたいわ。」

 

帰ってもっかい風呂入って抱き合おう。

NEXTかどうかとか、ヒーローかどうかとかじゃなくて、

ただ人間として生きてる喜びを感じ合おう。

「虎徹さん…。」

「ん?

バニーは俺の肩に腕を回しキスしてきた。

俺もバニーを抱き返し、何度も唇を重ね合わせる。

「じゃあ、この続きはうちに帰ってからな。」

今日は激しくねちっこいのじゃなくて

ゆっくりお互いの体温を感じ合おう。

耳元でそう囁くと、バニーは頬を染めてふいと顔を背けた。

「そんなに生々しく言わなくていいです。」

はは、よしよし。

バニーちゃん通常運転だ。

俺はまだ湿り気のあるバニーの髪をいつまでも撫でていた。

 

 

終り