B solitude
バニーのマンションを出た俺は自分の車に乗り込むとエンジンも掛けずに
携帯を取り出しロイズさんに電話した。
「虎徹です。先程はどうもすみません。それで、どうでしたかあの件。」
ロイズさんが困ったような溜め息をついた。
<分かったよ、あの能力。しかし君ほんと勘いいよね。>
俺はロイズさんからの電話で目が覚めたんだが、
直感でバニーに内容を聞かれてはと思い
今バニーの家だからこちらからかけ直させてくれと言ったんだ。
<バーナビー君に聞かれない場所でという君の判断は正しかったよ。>
ロイズさんの声も固い。
<それでどうする?結構込み入った話だけどこのまま話そうか?>
その問いに俺は首を横に振った。
「すぐ社に伺います。話はそこで。」
<分かったよ。執務室で待ってるから。>
失礼しますと挨拶して電話を切り、俺はイグニッションキーを回した。
ブルンとエンジンの唸る音がして微かな振動が尻に響く。
「まだひと悶着ありそうな感じだなあ。」
俺は重い気持ちを振り切るようにアクセルを踏み込んだ。
「潜在的な恐れや不安を顕在化させる…ってなんすか?」
ロイズさんから聞いた長い報告を俺はよく理解できなかった。
なんか抽象的な言葉が多すぎてピンとこない。
「簡単に言えば、心の奥底で恐れていることが表に出てくるってこと。」
そう言われてもいまいちイメージがわかない。
「例えばこういうこと。」
ロイズさんは俺の鼻先にぴっと指を突きつけた。
「嫌なら、辞めてもらっても良いんだよ。」
この言葉で君は心の奥で私に対する不信感を持ったとする。
自分でも気付かない無意識の領分でだ。
その君が今回のNEXTの被害に遭う。
そこで君の心の奥にある私への不信感は一気に心の表に現れる。
「ロイズが俺を消そうとしている!」とね。
君の私への認知は被害に遭った瞬間こう書き替わるんだ。
しかも失職させるどころか俺を殺そうとしているとまで飛躍する。
客観的証拠などどうでもいい。
不安要素が一気に肥大して対象者の精神を蝕んでしまうわけ。
ここまでは分かった?
ロイズさんの話に俺は言葉を失った。
なんてことだ…。
その話で行けば、バニーが潜在的に恐れているのは…。
「つまりバニーは、周囲の人間が今も本当は自分を非難しているのではと…。」
ロイズさんは苦渋の表情で頷いた。
「前社長の件で、彼も世間やマスコミから不当な糾弾をかなり受けたからね…。」
気丈に耐えているように見えたけど、本当は傷ついていたんだ。
彼は決して弱音を吐かなかったけど、きっと誰にも言えなかったんだね…。
可哀そうなことをしてしまったよ。
当時の事を思い出したのかロイズさんは痛ましげな表情を浮かべた。
「今はまた人気が戻ってきているけど…。」
「だからこそコロコロ変わる人の評価が信じられないのかもしれません。」
俺がそう言うとロイズさんも頷いた。
「あれは彼にはあまりにむごい仕打ちだったよ。私たちが力及ばなかったばかりに…。」
自社CEOの起こしたスキャンダルだけにロイズさん達も
過熱する報道や暴走する市民からバニーを護るのが精いっぱいだったらしい。
「何もしてやれなかったのは俺も同じです。」
俺はその頃引退して実家に引きこもり、あいつの側にいてやれなかったことを悔いた。
俺が傍で支えてさえいれば…。
バニーはその一件で自分は孤独だと思ってしまったんだ。
病院であいつは「殺される!」とまで言った。
それはつまり、その当時は身の危険を感じるほどの悪意に晒されていたということだ。
それが今、あいつの精神状態の中では再現されていると。
そんなむごいことがあってたまるか!
やっと穏やかに自分の人生を生きられるようになったのに!
「それで、一体どうやったらその能力は解除されるんですか!」
俺はついロイズさんに詰め寄った。
「それが…。」
言葉を濁したロイズさんに俺は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「まさか、まだ分かっていない…?」
ロイズさんは渋い顔で頷いた。
結局分かったのは、能力が被害妄想ではなくバニー自身の心の闇が
表に現れたものだってことだけだ。
はっきり言ってそんなのどっちでも同じことだ。
今ここにないものであいつは打ちのめされ苦しんでいる。
存在しない敵と全力で戦えばいずれバニーは疲弊し倒れてしまう。
「どうすればいい…。そうすればあいつを助けてやれる…。」
ほんの僅かでも頼られることに喜びを感じた俺は大バカ野郎だ。
衰えた自分の存在価値をバニーの弱みの上に見出すなんて。
それでも、あいつは俺を恐れなかった。
あいつは信じてくれているんだ。
俺だけはあいつを糾弾しないと。
その信頼に応えてやらないと。
護りたい。
助けたい。
あの時何もしてやれなかった償いなんかじゃなく。
自分の身勝手な存在価値をそこに見出すためなんかじゃなく。
「俺、何としてもバニーを本当に助ける方法探してみます。」
俺がそう言うとロイズさんは笑って頷いた。
「頼みますよ。それは君にしか出来そうもないからね。」
俺はロイズさんの執務室を辞して方々駆けまわった。
警察、司法局、OBC。
情報を持っていそうなところを当たって、やっと俺は一つの光を見つけた。
「時間制限?」
馴染みの刑事が電話モニターの向こうで頷いた。
「取り調べにあたった者が同じ被害に遭いましたがさきほど解消されました。」
NEXT能力を受けてから3時間ほどの事らしい。
そいつは嫁さんが怖かったのか署内で大騒ぎして社会的メンツは随分傷ついたが
今はちょっとへこんでるだけだと刑事は言った。
「どうもありがとうございました!」
俺は丁重に礼を言って通話を切った。
どうなることかと思ったけど、予想外にシンプルな解除条件に
俺はほっと安堵の息をついた。
「3時間だったらバニーのかかった能力はもう解けてるってことか。」
ずっと家に引きこもってるから変化に気づかなかったんだ。
それならバニーは嫌がるだろうが、
外に出れば既に酷い能力被害から解放されてることは分かるだろう。
でも、それでいいのか?
「もう能力切れてるってよ。」
そう言って外に連れ出して幻聴聞こえないの確認してハイ終わりお疲れさまって。
本当にそれでいいのか?
バニーは他人が心の底では今もなお自分を糾弾していると思っている。
命がけで護ってきた市民に掌を返され、あいつはどれほど苦しかっただろう。
そんなあいつの心の傷に絆創膏貼り付けて見えなくしたって、本質は何も変わらない。
それに…。
バニーは病院で一度だけ俺を見て表情を引き攣らせた。
あの表情が瞼に焼き付いて離れない。
「虎徹さんの罵声は聞こえないんです。」
そう言ったあいつの言葉に嘘はないと思う。
「だったら、あいつは俺の何を恐れているって…?」
一度は軽くなった心がまた重く沈んでいく。
あいつが俺に対して何か恐れや不安を抱くとすれば、心当たりは一つしかない。
「友恵…だよなあ。」
あいつは俺が今でも友恵を大切に想っていることを理解してくれている。
俺に言わせれば、理解がよすぎるのも考えものだ。
バニーは無意識のうちに自分で自分を貶めていたなんて…。
だが、その事実をバニーに直接つきつけるのはどうかと思う。
恐れは無意識下にあるものだとロイズさんは言った。
心の奥底では俺の愛情をどこかで信じ切れていない。
心の奥の奥で、自分は友恵には勝てない。
そう思っている事実をバニーにつきつけてどうなる。
あいつが懸命に見ないふりして心の奥に押しやっていた不安を
俺が無遠慮に引っ張り出していいことじゃない。
「今俺が愛してるのはお前だけだってのに…。」
ともかく、俺はその件でバニーときちんと向き合わないといけない。
どう切り出したものか皆目見当もつかないまま、
俺はバニーに連絡を入れた。
<電話じゃなんだからすぐにそっちに戻る。>
バニーの家に戻ると、あいつも何かいろいろ思い詰めてたらしい。
どことなく精気のない顔で俺にお帰りなさいと言った。
「あ、いけね。買い出し行かずに戻ってきちまった。」
俺は今更気がついてそう言うと、バニーはふうっと息をついた。
「つまり、それだけよくない話だったんですか?」
能力の正体と解除条件が分かったと伝えていあるのにうかない顔だ。
楽観視はしていない、ということか。
憂い顔も綺麗だけど、俺はやっぱバニーには笑ってほしい。
俺はできるだけ明るい声を出した。
「んー…まずはいい話からしようか。能力効果は多分もう切れてる。」
予想外だったんだろう、バニーの目が大きく見開かれた。
「警察関係者も能力被弾したそうだが、三時間で効果が切れたそうだ。」
三時間、と小さく呟いてバニーは納得したように頷いた。
「確かに…今は何も聞こえませんが。」
「被弾して三時間後はもうここにいたし、気付かなかったな。」
俺の言葉に頷くバニーの動きが少しぎこちない。
家に戻ってから三時間経過するまでの間で、幻の俺の声はお前に何を言ったんだ?
さて、ここからどう切り出したものか。
そう思っているとバニーがふうっと強い息を吐きだした。
「覚悟はできてます。そろそろ本題を。」
その眼には問題と戦うことを決めた強い意思。
ああ、お前やっぱすげえわ。
だったら俺もウダウダいってらんねえな。
「お前の幻聴の正体は…。」
「そういうことでしたか…。」
俺の話を聞き終えたバニーは疲れ切った様子で一人掛けの椅子に身を投げ出した。
「大丈夫か?」
俺は椅子の横に膝をつきバニーの頬を撫でた。
「いろいろ考えてたんです。被害妄想なのか、本当に他者の本心が聞こえるのかって。」
自分の心が恐れている物という発想はなかったな。
バニーは前腕で顔を覆って乾いた声で言った。
「情けないですね…。もう1年以上前の事なのに。」
俺はバニーの顔を見ないようにしてやりながら、そっとその手を握った。
「たった1年だ。…よく、頑張ったな。辛かったな。」
うっと喉を震わせる声が聞こえた。
「あの時、傍にいて支えてやれなくてごめんな。」
繋いだ手がぎゅっと握りしめられて痛い。
俺はバニーの頭を胸元に抱え込んだ。
バニーはしばらく為すがままに俺の胸に額を預けていたが、
やがて小さな声で言った。
「ごめんなさい…。」
「ん、どうした?」
顔を見て話さなくては。
真面目なバニーはそう思ったんだろう。
俺を見る目が微かに潤んでいる。
「バニー、大丈夫。何を聞いても俺はお前を嫌いになったりしないから。」
バニーは見透かされたことに驚いたように目を見開き、
気持ちを落ち着けるように一つ息を吐いた。
「貴方の声が…幻聴が聞こえたんです。」
どうしてこんな事になってしまったんだ。
そう、僕との関係を後悔するあなたの声が聞こえたんです。
でも…それはNEXT能力によって表に出てきた『僕の心の不安』だったんですね…。
僕は、心の奥で貴方を信じ切れていなかったんだ…。
今となっては裏切りのような幻聴よりその事実の方がショックで…。
本当にごめんなさい…。
貴方の気持ちを、僕はどこかで疑っていたなんて…。
バニーは静かに、けれど激しく自分自身を詰った。
俺の心を疑った自分自身が相当許せないらしい。
噛みしめた唇が切れて紅い血が小さな珠を作り細い顎を伝った。
「やめろよ、そう自分を追い詰めるんじゃない。」
俺は両手でバニーの頬を包み込んだ。
「お前にそんな苦しい思いをさせたのは俺の不甲斐なさだ。すまない…。」
バニーは俺の言った言葉の意味が分からなかったのか、
何度も目を瞬かせ俺の目を見つめた。
お前がうちに来るたびに友恵の写真に一礼してくれてるのは知ってた。
でも、俺はその意味を全然わかっちゃいなかったんだな。
お前が友恵に負い目を感じていたなんて思いもしなかった。
俺の心が今でも友恵のものだなんて寂しい思いさせてるって気付かなかった。
ごめんな…。
だから、あの事件でバッシングされた時俺を頼れなかったんだよな。
家族のもとに帰った俺に迷惑かけられないって。
あの時傍にいて、力になってやれなくてごめんな。
お前が一番辛い時に独りぼっちだって思わせてしまってごめんな。
でも、これだけは言わせてくれ。
俺は渾身の力を込めてバニーを抱きしめた。
「鏑木T虎徹がこの世で一番愛するのはバーナビーブルックスJrだと誓います!」
病める時も健やかなる時も絶対にお前の傍にいる。
富める時…が俺にあんのか分かんねえけど、
貧しい時…に巻き込むのは気が引けるけど。
でも、いつでもどこでも俺が愛してんのはバニーだけだ!
あ、楓は別格な。
それだけは分かってほしい。
けど、お前と友恵を同じ天秤に載せたりはしねえ。
お前はお前だ。
いいとこも悪いとこも全部ひっくるめて好きだ!
いやそんなんじゃねえ、愛してる!!
だから…。
「だから、もう自分が独りぼっちなんて思うなよ…。」
なんか言ってて涙出てきた。
長い苦労の末に、骨の髄まで孤独が染みついてしまったバニーに、
どうにかして自分は独りじゃないって安心してほしかった。
「なあバニー。」
抱きしめた腕の中でバニーが脱力している。
ずっと張りつめた糸が切れちまったみたいに。
すん、と洟をすする音が小さく聞こえた。
「僕…重いですよ?」
ハンサムとは程遠い掠れた涙声。
「知ってるよ。重いほど愛情深いってことだろ。」
真面目で、思い込み激しくて、こうと決めたら頑固で。
子供みたいに真っ直ぐにありったけの情をぶつけてくれるお前。
危なっかしくて見てらんねえ時もあるけど、それも大好きだよ。
「寂しがりやですぐ拗ねるし。」
それも分かってるって。
寂しいのも拗ねる気持ちもまっすぐぶつけてくれればいい。
今までみたいに無意識の海に重りつけて沈めちまうくらいなら、
どんな気持ちも俺にくれればいい。
喧嘩するかもしれないけど、ため込んで自壊するよりずっといいさ。
「俺の前で無理して取り繕わなくていいって。そのまんまでいいんだ。」
「ご・・・でつさ・・・。」
あーあー。
お前のハンサム成分は完全にエスケープしちまったな。
俺は泣きじゃくる26歳児を気が済むまで泣かせてやった。
小さくはない背をぽんぽんと叩きながら。
涙が止まったら外に出よう。
今日はいい天気だからオープンテラスのカフェにでも行って
遅い昼飯をゆっくり食おう。
心ない声はもう聞こえないから。
なあバニー、まだ信じられないかもしれないけどさ。
お前は自分が思ってるよりずっとずっと皆に愛されてるよ。
「大好きだよバニー。」
抱きしめて囁くと、泣き虫兎がやっと笑った。
終り