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サマンサ

 

歓声が晴れた冬の空に響く。

クリスマスソングの流れるスケートリンクを滑走するたくさんの人々。

バーナビーはリンクサイドの手すりに凭れかかり、

楽しそうな子どもたちの様子をぼんやりと眺めていた。

「おかーさあん!こっちこっちー!!

氷上の子供たちがリンクサイドで見守る親に向かって無邪気に手を振り、

バーナビーの近くにいた中年の女性が微笑んで手を振り返した。

その光景にバーナビーはあの日のクリスマスイブを否応なく思い出す。

<サマンサおばさーん!!

勤め先の子どもにすぎない自分を本当の孫のように愛してくれたサマンサ。

その彼女も去年あの事件で命を落とした。

なぜ今まで一度も思い出せなかったのか…。

どうしてあの時思い出したことをあの男に話してしまったのか…。

こみ上げる追慕と後悔にバーナビーは目の奥が熱くなるのを感じてそっと眼鏡をずらした。

「バニー、お待たせ。」

その声に慌てて目許を拭い眼鏡を元に戻し振りかえると

いつの間にか戻ってきた虎徹が手にしたカップの片方を差しだしている。

「ここ結構冷えるよな。ホットチョコレート買ってみた。」

「ありがとうございます。楓ちゃんの頼まれ物買えました?

バーナビーの問いに虎徹はおうと笑って肘に引っかけた紙袋を示す。

「ギリギリセーフ。最後の一個だった。」

虎徹はまた楓に怒られるとこだったよとほっと息をついて

自分のカップから熱いコーヒーを啜った。

「何か知らねえけど今年はここのピンズ大ブレイクらしいな。」

虎徹はそう言って後ろの土産物コーナーを振り返った。

ごった返す人の目的は皆、毎年柄の替わる記念ピンズだ。

「今年の記念ピンズは完売です!

店員がそう叫ぶそこには今なおピンズを求める人が店員に詰め寄っている。

「しかし、なんだってこれが今ごろ流行ったんだ?

そのお土産物を彼が二年前、自分たちの想い出にとペアで買ったのが原因なのに

虎徹はそのことに全く思い当たる様子はない。

もっとも直接ブームに火をつけたのはバーナビーが最近

TVのトークコーナーでうっかり喋ったせいなのだが。

『一昨年の冬、タイガーさんにその日の想い出にと戴いたものです。』

そう話すバーナビーは何とも言えない幸せそうな顔をしていた。

そしてその放送があった直後から

製造元が嬉しい悲鳴を上げるほどピンズが売れに売れた。

ネットオークションでは一昨年の記念ピンズが定価5S ドルにも関わらず

100Sドルを超える値段で取引されているという。

「なんか一昨年のはねえのかって店員に無茶言ってる女の子がいてさあ。」

「それはまた無理難題ですね。」

「だいたい、なんで一昨年のピンズが欲しいのか意味分かんねえよな。」

毎年リニューアルするもんなら最新のものが売れるんじゃないのか?

バーナビーはまだ気づいていない虎徹の様子にくすくすと笑った。

「お、やっと笑ったな。」

虎徹はそう言ってバーナビーの髪を撫でた。

「僕、今日そんなにひどい顔してましたか?

はっと気がついてバーナビーはすまなさそうに肩を落とした。

「いいんだよ。今日無理に笑えなんてひでえこと言わねえさ。」

虎徹はそっとバーナビーの手を握った。

「あれから二年か。『もう』なのか『まだ』なのか分かんねえけど。」

バーナビーは俯き小さく頷いた。

白いリノリウムの床に小さな滴が一粒落ちる。

虎徹は繋いだ手から伝わる震えを受け止めるように、そっと握る力を強めた。

「俺さ、今日お前をここに連れてくるか一晩迷ったんだ。」

 

ここに来れば嫌でもあの悲しい事件を思い出す。

楓の頼まれ物なら一人で済ますほうがいいんじゃないか。

現に、お前この公園に来てからなんか沈んでたしさ。

でも、俺が気を使って今日お前を一人にしたって。

お前が今日一日家に引きこもってたとしても。

バニーの事だからきっとサマンサさんのこと考えて落ち込むんだろうなって思った。

だったらさ、いっそここに連れ出して彼女の事一緒に悼んだ方がいいかなって。

余計なお世話だったらごめんな。

 

気遣わしげな虎徹の言葉にバーナビーは儚い微笑みを浮かべた。

「心配かけてすみません。」

虎徹の想いにバーナビーは気づいていた。

虎徹はデリカシーに欠ける部分も確かにあるが、

こと人の命に関する事柄にはひどく繊細だ。

その彼が何の考えもなしに、あの事件の発端となったこの場所に

今日自分を連れてきたとは思っていなかった。

二年前、マーべリックに殺められサマンサがこの世を去ったこの日に。

そしてやはり虎徹はサマンサの命日にバーナビーが落ち込むのではと心配し、

それなら一緒に悲しもうと言ってくれる。

バーナビーはその想いが嬉しかった。

けれど、それをただ喜ぶわけにもいかない。

 

「虎徹さんもあの時大変な目にあったのに、嫌なこと思い出しませんか?

バーナビーはあの時虎徹に襲いかかった自分の事も思い出し辛そうに眉尻を下げた。

サマンサおばさんの仇!!

そう叫んで自分は彼を殺そうとした。

「僕はもう少しで貴方を…。」

「んな顔すんなって。あの事はお前のせいじゃない。」

丁寧にセットされたバーナビーの髪を乱暴に梳き、虎徹は微笑んだ。

「サマンサさんは俺に会いに来てくれて巻き込まれたんだ。俺も無関係じゃねえしな。」

そういえば虎徹は確かあの日、すれ違いになったサマンサを彼女の自宅まで訪ねた。

そのことが後に虎徹を罠に陥れるきっかけになるとも知らずに。

それでも虎徹は言った。

「俺もサマンサさんに会ってみたかったよ。バニーの小さい時の事とか聞きたかったな。」

そう言って虎徹は寂しそうに目を伏せた。

「電話で話しただけだけど、優しそうな感じだったもんな。可愛がられてたんだなお前。」

血のつながりもないのにハンドレットパワーなどという物騒な能力を持つ幼児を

我が子のように慈しむなんて、そうそうできることじゃない。

電話モニターで見ただけの優しげな老婦人を思い出し、

虎徹はサマンサに会えないまま終わってしまったことを本当に残念に思った。

言葉が続かず二人の間に沈黙が訪れた。

周囲の人々の歓声だけがTV越しのそれのように遠く聞こえる。

「スケートかあ。お前もあんな風に遊んでたのかな、23年前。」

虎徹はリンクを滑る子どもたちを優しい目で見た。

バーナビーはふっと眼を伏せリンクに目を戻した。

「多分…。本当はサマンサおばさんと来たんですよね、ここ…。」

 

なのに、このリンクとあのツリーの下で写真を撮ったこと以外は何も覚えていないんです。

おそらくあの男がアリバイ証明に不要な記憶を抹消したんでしょうけど…。

おばさんが亡くなってしまった今、あの日の想い出を知っている人は

誰もいなくなったんだなあって。

おばさんが生きていたら僕のあちこち欠けた記憶も埋められたのになって…。

 

寂しそうなバーナビーの横顔に虎徹は痛ましげな表情を一瞬浮かべたが、

敢えて明るい声で言った。

「そんなバニーちゃんをお連れしたいところがあります。」

「え?一体どこに…。」

「それはついてのお楽しみ。」

虎徹はそう言って笑いバーナビーの手を引いた。

 

「ここは…。」

バーナビーは郊外の一軒家の前で立ち尽くした。

「サマンサさんの家だ。今は息子さんが管理してて、今日は立ち入りの許可をもらってる。」

虎徹は玄関のドアに手をかけた。

遺族が開けておいてくれたらしく、無施錠のそこはキイッと少し軋んだ音を立てて開いた。

「おじゃましまーす。」

「お、お邪魔します。」

二人はいるはずもない家主に声をかけ、室内に足を踏み入れた。

「ああ、ここ。あの日この暖炉に火が付きっぱなしでさあ。」

虎徹は苦笑いを浮かべて火かき棒のある場所を指さした。

「あれで火を消したら俺がそれで彼女を撲殺したことにされちまった。」

その言葉にバーナビーは首を傾げた。

「でも…おばさんは撃たれて亡くなったはずですが…。」

「その程度の矛盾はあいつならどうとでも操作出来たってことだな。」

虎徹は少し忌まわしげに顔を顰めたが、すぐに首を横に振った。

「悪い、そんな話をするために来たんじゃねえんだ。」

虎徹は辺りを見回すとテーブルに載せられた小さな箱に気がついた。

「これかな、息子さんに頼んでたもの。」

そういうと虎徹は箱のふたを開けた。

あの日見た分厚いファイルやいろいろなものが入っている。

そこに一枚の手紙が同封されていた。

―頼まれたものはこれで全部です。どうぞ持って帰ってください。

ありがたい、と虎徹は箱に向かって手を合わせる。

「虎徹さん何してるんですか?

怪訝そうなバーナビーに虎徹は笑って箱から目的のそれを取りだした。

「見てみなバニー。サマンサさんのスクラップブックだ。」

虎徹は大きなファイルブックをバーナビーに手渡した。

バーナビーはそれを受け取り中を見て目を見開いた。

それは自分がデビューしてからの記事でいっぱいだった。

「虎徹さん、一体これはどういうことですか?

バーナビーの問いに虎徹は真剣な目で頷いた。

「息子さんにな、バニーに関わる何かがあったら見せてほしいって頼んだんだ。」

マーべリックに記憶を改ざんされ、過去の想い出を全て失ったバーナビーに

少しでも温かい記憶を取り戻してやりたい。

もしかしたらサマンサさんが何か残しているかもしれない。

そう思った虎徹はワイルドタイガーとしてサマンサの遺族を尋ね、

不躾を承知でそれでも頭を下げて頼んだ。

初めは快く思わなかった遺族も虎徹が何度も頭を下げるうちに気持ちを和らげ、

タイガーの心情とバーナビーの不遇を思い最終的にはここを訪れることを許してくれた。

虎徹がそう話すと、バーナビーは眦を潤ませ声を詰まらせた。

「虎徹さん…。」

「ほら、中見てみようぜ。」

バーナビーは頷き、震える手でそっとファイルを開いた。

 

― 坊ちゃん念願のヒーローデビュー。とても凛々しいお姿に涙が出る。

―坊ちゃんが国際指名手配犯の泥棒を逮捕!!

新聞、雑誌、インターネットのプリントアウト。

少し分厚い紙は何かのパッケージや広告物のようだ。

あらゆる媒体で報じられるバーナビーの活躍を丁寧にスクラップし

そこに愛情あふれる短いコメントが添えられている。

素晴らしい、お見事です、貴方は私の誇りです。

天国の旦那様と奥様もきっとお喜びでしょう。

そう綴られた文字を覆うフィルムの上に小さな滴が零れ落ちた。

「サマンサおばさん…。」

バーナビーが涙目でスクラップブックを繰る傍で虎徹は箱の中に納められた

別のノートに気がついてそれを取りだした。

「バニー、こっちは日記みたいだ。読んでみたらどうだ?

「故人の日記…いいのかな。」

変に生真面目なバーナビーに虎徹は苦笑した。

「息子さんがいいと思ったから入れてるんだよ。それに…。」

お前の知らない真実が何か見つかるかもしれない。

お前が幸せになるためならサマンサさんは喜んでこれを見せてくれるさ。

虎徹がそう畳みかけると、バーナビーは読みかけのスクラップブックを

開いたまま脇に置き、慮がちにそっと日記を開いた。

何冊かの日記帳は彼女の私事も書かれていたが、

大半はブルックス家で起きた出来事についてだった。

それはまさにブルックス家のナニーも兼任していたサマンサの残した養育記録だった。

 

―坊ちゃんが初めて喋った。ママ。奥様が大喜びして何度も言わせる。

旦那様が必死でパパと言わせようとする。小さい子はダッドの方が言いやすいですよ。

―坊ちゃんがNEXT能力に目覚めた。旦那様と奥様は不安そうでもあったけれど

この力をいいことに使うよう育てればいいとすぐに納得。素晴らしいお二人だと思う。

能力はパワー系。さあこれからはお掃除が増えそうだと覚悟する。

―ご両親の帰りが遅い寂しさに泣いて発動した坊ちゃんに叩かれ

腕が腫れあがった。さすがに痛い。

でもすぐに「ごめんなさい さまんさ いたい?」と。

まだ3歳なのにお優しい子に育っているのが嬉しい。

笑って抱きしめたら坊ちゃんも笑ってくれた。

たとえ骨が折れたってサマンサは坊ちゃんの味方ですよ。

 

「サマンサさんすげえな。23歳のイヤイヤ期ハンドレットパワーで笑ってるなんて。」

虎徹は自分が能力に目覚めた時の母を思い出しながら言った。

力のある10歳児でも家族の苦労は大変なものだったが、

元が非力でもまだ幼い子供の能力では別の苦労があっただろうに。

それでも日記からは幼いバーナビーを慈しむ温かい心が伝わってくる。

「なんかもう一人の母ちゃんって感じだなバニー?

バーナビーの持つ日記の文字に涙が落ちてじわりと滲んだ。

「う…うわあああ!!

バーナビーは虎徹の言葉に答えることもできず、日記を抱えたままその場に泣き崩れた。

「おばさん…おばさん!!

虎徹はそっと膝を折りバーナビーの背中を撫でた。

「ごめんなさい…おばさん、ごめんなさい…!!

喉を詰まらせ何度も何度もうわ言のようにバーナビーは謝りつづける。

「僕が、あいつに…おばさんの写真のこと…僕の…僕のせいで…!!

「お前のせいじゃない。そんなに自分を責めたらおばさん悲しむぞ。」

虎徹はバーナビーを抱きしめ、あやすように言った。

「やっと泣けたな。辛かったな。」

静かな家にバーナビーの悲嘆の号泣が響く。

 

―サマンサおばさんの仇!!

あの日怒りに燃える目で自分を睨みつけたバーナビーを思い出し

虎徹は痛々しく思った。

サマンサが亡くなった直後のバーナビーは哀しみより憎しみでいっぱいだった。

マーべリックがそうさせたのもあるだろうが元々バーナビー自身が

家族を失う痛みを怒りに変えて生きるやり方しか知らなかったのだろう。

そうすることでしか、立ち上がれなかった。

けれど…。

<サマンサさん、貴女はバニーがこれ以上誰かを憎むことを望みませんよね…。>

虎徹は暖炉の上に置かれたサマンサとブルックス家の写真を見て思った。

バーナビーは生涯マーべリックを許すことはないかもしれない。

けれど自分も人の子の親だから分かる。

愛する子どもが過去の憎しみに囚われて俯いたまま生きることを

サマンサはきっと望みはしない。

<貴女の言葉が欲しい。バニーが自力で前を向けるような貴女の言葉が。>

虎徹はその時ふと気付いた。

そのヒントが日記かファイルに残ってはいないだろうか。

虎徹はバーナビーの手からそっと日記を引き離すと、

バーナビーの頭を自分の肩口に押し当てた。

嗚咽を漏らしながらしがみついてくるバーナビーの髪を片手で撫で、

虎徹はもう一方の手で日記を捲った。

ほどなく見つけたそれは日記最後の日付だった。

 

1217

坊ちゃんから電話があった。

あのクリスマスイブに私が何をしていたのかと。

いつになく切迫した声だった。

ワイルドタイガーさんがまた掛けさせるからと奪い取るように電話を切った。

あのクリスマスイブ?

私は確か熱を出して…。

…熱などあっただろうか。

何か引っかかるものを感じる。

私は当時のアルバムを探した。

あった。

私と坊ちゃん二人で写っている写真が。

写真の日付けも間違いなく1224日。

ああそうだ、あの日私は確かに坊ちゃんと外出した。

そして帰って来た時玄関先でマーべリックさんと…。

そうだ。

あの日私たちはあの男と…。

あの男が旦那様と奥様を!!

どうして今日まで思いださなかったのだろうか。

とにかく、このことを坊ちゃんに伝えなくては。

 

なにか嫌な予感がするのでこの日記に書き記しておこう。

 

―親愛なる息子たちへ

 

私の身に何かあった時はこの日記を

バーナビーブルックスJr.に渡してください。

…いいえ、アルバート・マーべリックに知られると処分されてしまう。

ワイルドタイガー当てに送ってちょうだい。

サマンサ・テイラーがこれを彼の相棒に届けることを願う手紙を書けば

彼は必ず坊ちゃんにこれを渡してくれるでしょう。

息子たちへ、愛していますよ。

 

―坊ちゃんへ

貴方がこの日記を見ているということは、

私はもうこの世にはいないということでしょうね。

どうか、過去の鎖から自由になってください。

旦那様も奥様もきっとそれをお望みです。

 

ジェイク事件のあと坊ちゃんがお電話をくれましたね。

やっと前を向けるという坊ちゃんの言葉、嬉しゅうございました。

ワイルドタイガーさんのおかげで笑えるようになったともおっしゃって。

坊ちゃんがまた過去の鎖に囚われるのはサマンサの本意ではありません。

タイガーさんもきっとそんな坊ちゃんを見たら悲しまれるでしょう。

坊ちゃん、笑ってたくさん生きてください。

それだけがサマンサの望みです。

僭越ながら私は貴方を孫のように思っていました。

どうかお幸せに。

 

「バニー、これ…。」

虎徹は目頭を拭い、咽ぶ声でバーナビーにそのページを開いて見せた。

「おばさ・・・おばさん…!!

二人はそのまま抱き合って声をあげて泣いた。

二年前の今日、この世を去った優しい老婦人の死を悼んで。

 

開かれたまま脇に置かれたスクラップブック。

昨シーズン末のMVP発表の時の記事だった。

KOHを獲ったバーナビーと誇らしげに相棒の肩を抱くワイルドタイガーの写真に

コメントが添えられていた。

 

―坊ちゃんを思い、傍で支えてくれる人が出来た。

もう坊ちゃんは独りぼっちじゃないと思うと嬉しくて涙が出る。

どうかこれからも二人仲良くこの街のヒーローであらんことを.

 

 

終り