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別れ話をしよう

 

「…俺達、もう別れよう。」

虎徹の思いつめた声にバーナビーの瞳が驚愕に見開かれる。

綺麗な顔が今にも泣き出しそうに歪められる。

「どう…して?

聞いたこともないような震える声。

ああ、いっそもっと力強く詰るように言ってくれ。

虎徹は苦しげに首を横に振った。

「どうしてなんですか!?ねえ、僕何かあなたを失望させるようなことを…。」

「違う!

虎徹が声を荒げるとバーナビーの肩がびくんと怯えたように竦んだ。

「あ、ごめん…。違うんだ。その…。」

「はっきり言ってください。」

涙をこらえたような辛そうな声に虎徹の胸が締め付けられる。

「他に好きな女性が出来た。…結婚するつもり…だっ!

虎徹ははらはらと涙を流すバーナビーの顔を見て素っ頓狂な悲鳴をあげた。

 

「カット!

監督の声に録画が止められスタッフの疲れた溜め息が出る。

バーナビーもひときわ長い溜め息をつき濡れた眼許を拭った。

「タイガーさん、たのむよぉー。」

監督がやれやれと肩を落とし懇願するように言った。

「すんません…。」

虎徹の申し訳なさそうな声に表だって文句を言う者はいない。

けれど、もう何度目かのリテイクにバーナビーも疲れた表情を浮かべた。

虎徹の失敗の理由が分かるだけに責める気はなかったが。

監督は現場の空気に15分の休憩と叫ぶとタイガーのもとに歩み寄った。

「本業じゃなくて不慣れなのは分かりますけど、がんばってくださいよ?

「ほんとすんません。」

頭を掻いて謝ると監督は足早にプロデューサーの処に去っていった。

バーナビーはそんな彼に困った笑みを浮かべると

役者用に用意された椅子に腰かけた。

「タイガーさん、お芝居なんですからそんなに本気にならないで。」

バーナビーは語弊がある言い方なのを承知で敢えてそう言った。

「今までで一番いい演技してたのに。なんで最後の『だ』だけ叫んじゃったんですか。」

結婚するんだ、でクランクアップだったのにもったいないと

バーナビーは困ったように眉根を寄せた。

「だってよお…。何なんだよこの脚本!

虎徹は不満げに唇を尖らせ、丸めた台本を机にパコパコと叩きつけた。

「何って、ゲイカップルの破局のドラマですよ。」

「それを俺らがやる意味が分かんねえよ。」

バーナビーはスタジオの奥で全てを睥睨する女プロデューサーを

目立たない手つきで指差した。

「マイナー層の恋愛物としては異例の視聴率が見込めるんだそうですよ?

年末年始の特別番組で、マイナー層の恋愛を扱ったドラマが放送されることになった。

いろいろな性的志向を持つ人のいるシュテルンビルトではよくある企画だ。

演じる俳優によってはヘテロの総スカンだけでなく

マイナー層から「差別だ偏見だ」と叫ばれる。

本来つきにくいスポンサーはヘリオスエナジーの単独協賛というのが

このドラマの趣向を如実に反映している。

「おかしなもの作ったら直火焼きよ?

ヘリオス社の厳しいチェックのおかげで僅かな偏見も映さないように

配慮に配慮を重ね、その甲斐あって昨年はおおむね好評だったという。

 

だが本物のトランスジェンダーやゲイ、レズビアンの俳優でカムアウトしている者では

面白くないという意見が製作側に出たらしい。

それではただのドキュメンタリーでしかないと。

その上、昨年の主演を務めた俳優が病気療養中のためキャスティングは難航した。

「誰か話題性と主題に理解のある人物でやらないと直火焼きだぞ!

かといってカムアウトしていない俳優やヘテロの俳優はこのドラマ出演による

偏見や誤解を嫌い誰も役者の引き受け手がなかった。

「だったらヒーローに演じてもらうのはどうだ。」

誰が言い出したのか、苦し紛れの無茶ぶりだと誰もが思った。

だがその企画はあれよあれよという間に社長の決裁を貰うまでになった。

「ふーん、いいんじゃない?

社内きっての敏腕プロデューサーがそう言ったのが決定打だった。

だがOBCの企画である以上、ヒーローのイメージを損なうことはできない。

まして親会社の売れっ子ヒーローは社長の秘蔵っ子だ。

この企画は没だなと誰もが思ったのに相違して、

マーべリックはあっさりと許諾のサインをしてきた。

「くれぐれもマイナー層への差別を助長するようなものは作らないように。」と

マスコミCEOとして至極当然のお達しだけをつけて。

結果、その秘蔵っ子は実の恋人とゲイドラマで共演するという、

ある意味ドキュメンタリーのような状態に追い込まれた。

「はあ!?なにその企画!!俺芝居なんかできねえよ!?

「虎徹さんと僕が恋人役を?やります!

ジェイク事件以来「世界が違って見える。」とハイになっている本人は乗り気だが、

アイパッチ一つで晒しものになっている虎徹はどうにも居心地が悪い。

オリエンタルタウンでも放送はあるはずだし、万が一楓がこれを見たらなんていうか。

放送日に外食でもしてほしいところだがあの田舎にそんな店はないし、

筋金入りのバーナビーファンである楓が録画しないわけがない。

ああ、と虎徹は頭を抱えた。

「俺今年の正月は絶対田舎帰らねえ…。」

 

 

「だいたい俺とバニーが付き合ってる設定とかどうなってんの一体…。」

あやうく『どこから漏れたのか』と言いそうになるのをこらえ、

虎徹は深々と溜め息をついた。

「俺が恋人役とかバニーのファンに刺されるんじゃねえの?

バーナビーは携帯で下馬評サイトを見て大丈夫ですよと言った。

 

―他の男との絡みだったら嫌だけどWTなら許す。

―他の女との絡みも見たくない。WTとのコイバナktkr

WTと幸せになるドラマとかただの生中継じゃん。

―全裸待機wktk

BBJが幸せそうだったら男相手でも許す。ただしWTに限る。

 

概ね好意的な評価に虎徹はあああとまた唸った。

「お前捨てて女に乗り換える役だぞ、結局刺されるじゃねえか!!

その様子にバーナビーはくすくすと笑った。

「なんか楽しそうだな、お前。」

「楽しいですよ。別れ話とはいえ、公然と貴方との関係を口に出来て。」

その言葉に虎徹はああ、とすまなさそうな顔をした。

「おおっぴらに俺たち付き合ってまーすって言えたらいいのにな。」

バーナビーはその言葉に頷いた。

「マイノリティがそう言える社会にっていうのがこのドラマの大義ですから。」

自分たちの境遇の話をサラリと仕事の話に換えたバーナビーの聡明さに

虎徹はそうだなと彼の話の流れに乗った。

これ以上の事は自宅ですべき会話だ。

「しかしお前の演技力すげえな。」

虎徹は話を変えようとしたのかふいに言った。

「さっきの涙、よく必要に応じてひねり出せるよな。」

その言葉にバーナビーはふふっと笑った。

「習得すると何かと使えるスキルなので。」

「怖っ!バニーちゃんそんな怖い子だったの!?

虎徹が怯えた振りをするとバーナビーは今度は楽しそうに笑った。

「お芝居ですよ。いや演技というより嘘っぱちでいいんですって。」

本当の事は内緒なんですからとバーナビーは小声で囁いた。

「それが上手くいかねえんだよなあ。」

どうも本当にバーナビーを傷つけているようでと

虎徹は虚構と現実の曖昧な線引きに溜め息をついた。

「いいから思いきってバッサリ振っちゃってくださいよ。」

ミス続きの虎徹を励ましながらバーナビーは笑った。

「ウソでも芝居でもお前と別れ話とか苦行すぎる…。」

自分が振られたみたいにどんよりと落ち込む虎徹にバーナビーは囁いた。

「そういう虎徹さんの優しいところが好きなんですけどね。」

人前で決してそう言うことを言わないバーナビーの甘い言葉に

虎徹は飼い主に褒められた犬のように顔を輝かせた。

「でも冷たくて悪い、カッコいい虎徹さんも見てみたいなあ僕。」

おねだりするように首を傾げ、バーナビーが微笑んだ。

ここまで言わせてやらなきゃ男じゃないか。

虎徹はバーナビーの気持ちを汲み、何とか奮起した。

「任せとけ!振られて泣いちゃうなよ?

「やだなあ、僕は振られて泣く役ですよ。」

盛大に泣かせてくださいよとバーナビーは笑った。

 

 

「カーット!

「以上で撮影は終了です。お疲れさまでした!!

わあっと拍手が起こり、バーナビーと虎徹はスタッフから口々に

労いの言葉をかけられた。

「どうなることかと思ったけど、いいドラマが撮れたよ。本当にありがとう!

「いやあ、皆さんには大変な手間をかけてしまって。」

喜色満面の監督に虎徹は何度も失敗したことを詫びた。

監督はいいやと笑顔で首を横に振る。

「今日は苦労したが、昨日のよりを戻す場面は最高だったよ。」

その言葉に虎徹はどぎまぎと慌てて手を振った。

「バニーが演技上手かったから引っ張られただけっすよ!!

虎徹の言葉にスタッフたちは謙遜しないでと笑った。

「まるで本当の恋人同士みたいでしたよ!!

「ほんとほんと!俺ノンケだけど、あんな恋人だったら男でも惚れますよ。」

「タイガーさんに抱きしめられたバーナビーさん、すげえ綺麗でした。」

よもや本当に付き合っていると知る由もない彼らは手放しで称賛してくれる。

虎徹とバーナビーはなんだかくすぐったいような気持で目を合わせて笑った。

 

 

「何とか終わりましたね。」

バーナビーはハンドルを高速道路に向けながら言った。

「…虎徹さん?

サイドシートに身を預け、難しい顔で外の景色を睨む虎徹にバーナビーは苦笑した。

「まださっきのセリフ気にしてるんですか?

何も気にしていないようなバーナビーの様子に虎徹はむっつりとした顔を向けた。

「お前は嫌じゃねえのかよ、実名であんなドラマ。」

「実名を使っただけの虚構ですよ。あれは貴方の本心じゃなく作家の脚本だ。」

そんなこと分かってるけど、と虎徹はそう呟いて唇を尖らせた。

その表情にバーナビーはふっと微笑んだ。

「虎徹さんが本当に嫌だったのは別れ話じゃないでしょう?

「へ?

バーナビーは彼が言いだせない

いや、気づいていないであろうモヤモヤの本体に切り込んだ。

「貴方は、『僕を捨てて女性を選ぶ自分』を演じるのが辛かったんでしょう。」

虎徹はバーナビーの洞察に驚いた。

「あのバカみたいなドラマに翻弄されるなんて、時間の無駄ですよ。」

バーナビーはふんと鼻を鳴らした。

「バカみたいって、お前それが本音か。」

虎徹が苦笑して言うと、バーナビーは苛立たしげにハンドルの縁を叩いた。

「だってそうでしょう!!

 

虎徹さんが僕を捨てて女性と再婚ってとこだけでしょう。

貴方が引っ掛かっているのは。

どこの女が僕に勝てるって言うんです。

僕が負けを認めるのは友恵さんただ一人だ。

この際だから言っておきます。

虎徹さん、僕にとって友恵さんが地雷だと思ってるでしょう。

だからあの脚本は僕を傷つけると思ったんじゃないですか?

僕にとって友恵さんはただの地雷じゃない。

恐るべき地雷であり同時に神聖かつ不可侵の聖域なんですよ。

たとえドラマでも『やはり妻を忘れられない』なら致命傷ですが、

『他に好きな女が出来た』なんてドッキリのネタにもならない。

僕でも友恵さんでもない女性を選ぶ貴方なんて

僕にしてみれば荒唐無稽なフィクションだ。

それを真に受けて凹むほど、凹むネタには不自由してませんよ。

伊達に地雷原に入り浸ってませんからね。

ああ、ご心配なく。

今現在この世に生きてる人間で血縁関係にない者、

そのくくりにおいて貴方に愛されているのは僕だけだ。

それさえ分かっていればどんなアホらしい三文芝居でもお安い御用だ。

 

よそ行きのペルソナをかなぐり捨ててバーナビーは捲し立てた。

その様に虎徹はつかのま呆けたような顔をしていたが、

やがて声をあげて笑いだした。

「す、すげえなお前の本心。なに、どこで吹っ切れちゃったの。」

「ふっ切らなければやってられませんよ!!

バーナビーはいつになく荒っぽい所作で車線変更する。

虎徹はああとようやく分かった。

仕事と割り切っているように見えたバーナビーも

心の奥では割り切れてなどいなかったのだ。

自分を捨てて女性と再婚する恋人の像をリアルに想像してしまった。

だからこそ、あの別れ話のシーンで自然に涙が出たのだろう。

 

「やっぱ俺お前と別れるとか無理だわー。」

虎徹は幸せそうにしみじみ言った。

ここまで自分を理解してくれるパートナーになどそうそう出会えるものではない。

「僕だって貴方に振られるのは芝居の中だけで十分ですよ。」

バーナビーはそう言って高速を降り側道へとハンドルを切った。

「バカな芝居でお腹空いた。虎徹さんのチャーハンが食べたいなー。」

バーナビーの悪戯っぽい笑いに虎徹は苦笑した。

<なんだかんだ言っても地雷踏まされてご立腹なわけね、このウサちゃんは。>

チャーハンぐらいでご機嫌が戻るなら安いものだ。

「プリンもつけますよマイリルバニー?

 

 

終り