やさしい眠り
「さー入れ入れ。とっ散らかってるけど、あんま気にすんな。」
虎徹は背後で遠慮がちに立っているバーナビーを押し込むように家に入れると、
玄関に施錠して傍らのコートハンガーに愛用の帽子を引っかけた。
「お、おじゃまします…。」
他人の家を訪ねた経験がほとんどないバーナビーは、何処に居ていいものやら
判断もつかず、おずおずと居間の真ん中に据えられたソファに歩み寄った。
「適当にその辺座っててくれ。何飲む?とりあえずビールでいいか?」
「はい。あ、すみません…。」
虎徹は旧式の冷蔵庫から適当に缶ビールを二本取り出すと、
ソファの端っこに座っていたバーナビーの横に腰をどっかと下ろした。
適当に盛ったつまみの皿をローテーブルに置き、
バーナビーにビールを渡して乾杯代わりに缶をぶつける。
「どした?柄にもなく遠慮してるじゃないか。」
今更気を遣うような間柄でもねえだろうと、虎徹はプルトップを開け、
一気にビールを呷った。
「そうなんですけど…。今日は本当に済みません…。虎徹さんにも
迷惑をかけてしまって…。」
バーナビーは小さく頭を下げ、ビールの缶を開けるが少し唇を湿らせただけだった。
そんな彼を見て虎徹は思わず噴き出しそうになって、慌てて口元を押さえる。
「なーに水臭い事言ってんだよ。ま、ここなら大丈夫。安心しな。」
女の家ならともかく、仕事の後で相方の家に泊まっただけなんて話、
いくら三流週刊誌だってネタにできねえだろ。
虎徹がそう言ってからからと笑うと、バーナビーもそうですよねと弱く笑った。
<まあ、こんな気の弱そうなバニーの絵面は相当レアだろうけどな。>
10か月前とはえらい違いだと苦笑して、でもそんな顔を見られたら怒られるような
気もして、虎徹はつまみを頬張って表情を誤魔化した。
ジェイク事件後、一躍時の人になった虎徹たち二人はそれまでとは比較にならないほどに
メディアへの露出が増えた。
二人が所属していたのが業界最大手のメディア企業ということも大きな要因だったが、
ヒーローのイメージ向上を図る関係各社にしてみれば、
ヒーローの中でも特に容姿に恵まれたバーナビーは格好のターゲットだった。
虎徹もそれなりに仕事は増えていたが、顔出ししていない分プライベートだけは
どうにか守ることができた。
しかし、本社肝いりの顔出しヒーローでデビューしたこの相棒は、
人気の急上昇とともに、私生活を脅かされるようにまでなった。
何処から流出したのか、プライベートの携帯に見知らぬ着信が入ったり、
マンションのエントランスで若い女性に待ち伏せされることも増えた。
「ファンの中には限度を知らないバカもいるから、気をつけなきゃだめよ。」
ブルーローズもアイドルの先輩として心配になったようで、
虎徹にそっと耳打ちしてくれた。
「本人はファンに襲われても反撃できないから、周りがサポートしないと。」
本当はタレントを守るのは会社の仕事なんだけどねとブルーローズは
アポロンメディアの姿勢を嘆くように溜め息をついた。
いい加減ロイズさんに状況の改善を要請しなくては。
虎徹は明日にでも上司に直談判しようと内心で決めた。
「で、大丈夫なのか?お前、最近単独の仕事も半端なく増えてるだろ。」
虎徹が心配そうに尋ねると、バーナビーはさっきより幾分落ち着いた表情で頷いた。
「仕事が多い事自体は負担じゃないんです。むしろ楽しいくらいなんですけど。」
早朝から深夜まで会社かアニエスに呼び出され、プライベートの時間など
最低限になってしまった。
だが、今までもそれほど充実した私生活があったわけじゃない。
むしろ虎徹さんや会社の人たち、ヒーローのみんなと忙しく一緒に
働けるのは今の自分にとって何よりの喜びだ。
穏やかな笑みを浮かべそう話すバーナビーに、虎徹の表情も自然と緩む。
だが、バーナビーは眉を寄せ疲れた顔を隠すように俯いた。
「ただ…。ファンとはいえ、その生活に土足で踏み込まれるのは…。」
やりきれない表情でぬるくなり始めたビールを喉に流し、バーナビーは
語尾を濁した。
「そうだな…。神経磨り減るだろうな、それは…。」
中身が空になった缶をテーブルに置き、虎徹はあえて彼の顔が見えないように
ソファの背もたれに寄りかかった。
以前、虎徹はファンに徹底的に愛想良くするバーナビーに「疲れないか?」と
呆れ半分に聞いたことがあったが、今にしてようやく分かった。
衆目にさらされ続けることが、どれだけ負担になるのかを。
出会ったばかりの頃、虎徹はバーナビーの外面のよさと素の無愛想さを
まるでジキルとハイドだと思っていた。
しかしそれはある種の防衛反応だったのだと今では理解している。
バーナビーは育った境遇のせいか、他人に自分の内面に深く踏み込まれるのが苦手だ。
だとしたら世間の好奇と関心の目が絶え間なく不躾にあびせられる現状は、
一体どれほど苦痛だろう。
「いっそ、武装した暴漢に襲われるほうがまだましだ…。」
数時間前トレーニングセンターの休憩室でそう言って疲弊した表情を見せた相棒に、
虎徹の旺盛な庇護本能が全開になった。
「バニー、今日はうちに泊まれ。」
脈絡なくそう言った虎徹に、バーナビーは細い眼鏡の下で目を丸く瞠った。
「どうしたんです、いきなり。」
虎徹はまだ流れ落ちる汗を荒っぽくタオルで拭き、バーナビーに言った。
お前今日このままマンション帰っても、また待ち伏せやら非通知電話やら、
ストーカー臭い連中に狙われるだろ。
飯食いに行っても追い回されるし、車で移動するにしても、
お前の車目立つし、だいたい車種がファンにばれてるからな。
この状態が続いたら、いくらヒーローでもぶっ倒れちまうぞ。
今日はもう仕事ないんなら、俺の車でここからこのまま家にいけば、
追っかけてくる連中はいたとしてもどうにかできる。
だから、俺んちで普通に飯食ってゆっくり寝ろ。
なんなら暫く居てもいいから。一回体勢立て直せや、な?
そう言って虎徹は遠慮するバーナビーを半ば強引に自宅に連れてきた。
最初こそ虎徹に厄介をかけたことを気にしていたバーナビーだったが、
小一時間も他愛ない雑談をするうち、ようやく普段の彼らしくなっていった。
「んじゃ、そろそろ寝るか。」
話が途切れた一瞬、バーナビーが小さく欠伸を噛み殺したのを見て虎徹は立ち上がった。
バーナビーがなんとなく彼の動きを目で追うと、虎徹は大きな箪笥の抽斗を漁っている。
「俺はここで寝るから、おまえはあそこ使え。」
虎徹は大きな階段に続くロフトを指さし、バーナビーに洗ったばかりのジャージを
放り投げた。
「ええっ!いいですよ、僕がソファで寝ますから。虎徹さんこそちゃんとベッドで…。」
着替えを受け取りつつも、驚いて固辞するバーナビーに、
虎徹は『そういうと思った』と言わんばかりの顔で首を横に振った。
「いーのいーの。どうせ俺ほとんど毎日ここで寝てんだから。」
いつもここで酒飲んでニュース見たりしてるうちに、意識とんで気がつきゃ朝なんだ。
ここのほうが慣れてて落ち着くんだよ。
だから、お前はさっさと上で寝た寝た。
畳みかけるようにそう言う虎徹の笑顔に、バーナビーは言いようのない安心感を覚えた。
この人の優しさを無駄にしたくない。素直にそう思えた。
「…じゃあ、お言葉に甘えて。おやすみなさい。」
「おう、お休み。明日もし俺が爆睡してたら起こしてくれよな。」
そう言って虎徹はバーナビーが階上に上がりきったのを確認すると、
居間の明かりを消した。
そして大きな欠伸を一つすると、虎徹は衣服を緩めただけで着替えもせずに
ソファになだれ落ちた。
<家ん中に人の気配がするのって…悪くねーな…。>
眠気で閉じかかる目を僅かに階上に向け、満足そうな笑みを浮かべると、
虎徹は緩やかに眠りに落ちていった。
バーナビーはベッドのサイドボードに眼鏡を置き、床に就くと見慣れぬ天井を見上げた。
近くの窓から差し込む街灯の明かりが、視力の悪い彼にはぼんやりと滲んで見える。
その光はなぜかとても優しく感じられた。
<なんか、不思議だな…。>
心地よい睡魔に身を任せ、バーナビーはぼんやりと考えた。
寝具から微かに漂う他人の匂い。
階下から聞こえる、決して小さくはない鼾。
かつての自分だったら、とてもこんな所では寝られないと思っただろう。
けれど今は…。
神経質で眠りの浅い自分が、今夜は安心して眠れそうだと思える。
<本当に…虎徹さんってすごいな…。>
バーナビーが心地よさそうに布団に顔を埋めると、
何か自分を包み込む温かなものを感じた。
その正体はよくわからない。
ただ、こわばっていた自分の心が否応なく解きほぐされていく。
大切な人との優しい夢が見られるような気がする。
バーナビーはその人を想いながら、ゆったりと体を支配する眠気に身を任せた。
終
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