夢を継ぐひと
「…ふむ、ではここをこうしたらどうかな。」
斎藤のアドバイスにバーナビーはああ!と叫んだ。
「そうか、そうすればこの回線が…。やっぱり斎藤さんは凄いや。」
嬉しそうにデータを修正していくバーナビーに斎藤も楽しそうに笑った。
自分の説明を一度で理解するスタッフなどラボにすらそう何人もいない。
「君は飲み込みが早いから教えがいがあるよ。」
いつか引退する日がきたらその時はぜひラボに移籍してほしいものだ。
「後進のスーツの設計を経験豊かな元ヒーローが担う。面白いと思わないか?」
そう言うとバーナビーはそれもいいなと笑う。
「それならその前にきちんと機械工学の勉強もしたいな。後進君の命を預かるんだから。」
大学は出ているけれど、それはヒーローになるための準備だったから
犯罪心理学や法学などの勉強だけで精いっぱいだった。
良い先生はいたのに興味のあることを勉強する時間がなくて。
バーナビーは少し残念そうに言った。
「そういう意味ではずいぶん時間をロスしちゃったのかな、僕。」
「何言ってるんだい。君はまだ若い。これから何だってできるさ。」
斎藤がそう言うとバーナビーは照れ臭そうに笑った。
「好きなことを出来るってとても幸せなんですね。」
しみじみというバーナビーになんと言えばいいのか分からず、
斎藤はいたわるような目でバーナビーを見た。
その時、少ししんみりした空気を威勢よく壊すような声がラボに響いた。
「こんちはー。あれバニーも来てたんだ。」
虎徹はラボに入ってくると二人が作業しているPCの画面を覗き込んだ。
湿っぽい雰囲気が一掃されバーナビーと斎藤が苦笑する。
「なになに?これ何作ってんの?」
虎徹はモニターに映る複雑な回路図を興味津々という顔で覗き込んだ。
「アンドロイドを作ってみようと思って。」
「え!?」
さらりと言い放ったバーナビーに、ついシスやH−01を思い出した虎徹は
悪気はなかったのだが顔を顰めた。
「虎徹さんが想像するような高度なものは今の僕には無理ですよ。」
くすくすと笑いバーナビーは虎徹にも分かるように表示画面を変えた。
回路図の上に骨格パーツが乗り外装が被せられる。
それはあの驚異のアンドロイドには遠く及ばない玩具のような外観だった。
「あー、うん。全然違うな。なんつーか…。」
楓が幼稚園のころ持っていた塩ビの着せ替え人形みたいだ。
そう感じた虎徹はほっとして表情を緩めた。
「可愛いな。小さいしこれだったら商品になりそうだ。」
これなら万が一暴走しても人やペットが怪我をすることはないだろう。
簡単な言葉でもしゃべれば子どもは喜ぶだろうな。
曲りなりにも女児の父親らしい発想で虎徹はモニターの人形を見た。
「すげえな。本格的に勉強したわけでもないのに。」
でもどうして急にこんなものを作ろうと思ったんだろう。
虎徹の疑問を見透かしたようにバーナビーは笑った。
「いつか両親の遺した夢…人に役立つアンドロイドを作ってみたいんです。」
ロトワングには悪用されたけれど、制御データをきちんと搭載すれば
医療や福祉、危険な場所での作業など使い道はいくらでもある。
そう話すバーナビーに虎徹は納得したように頷いた。
いくら両親が何らかの文献を残していたとしても容易なことではない。
「やっぱり天才の子は天才だな。」
虎徹の手放しの称賛にバーナビーは恥ずかしげに首を横に振った。
「今はまだ、ちょっと動いて簡単な言葉をしゃべる人形ですよ。」
「それにしたってすげえよ。」
虎徹は心からそう思った。
忙しいヒーロー業とそれに付随するタレントのような仕事の
ほんの僅かな合間にこんな勉強もしていたなんて。
「息子がこんな頑張ってるんだ。ご両親もきっと天国で喜んでるよ。」
虎徹がそう言うとバーナビーは嬉しそうに微笑んだ。
「そうかな…そうだといいな。」
「そうにきまってるさ。」
虎徹がバーナビーの肩を抱いて言うと、
バーナビーは俯いて眼鏡をずらし目頭を指で拭った。
「ところで虎徹さん、斎藤さんに何か用があったのでは?」
少し落ち着いたバーナビーが訊ねると虎徹はああと思いだしたような声をあげた。
「そうそう!斎藤さん、こないだのあれ出来てます?」
「ああ。これがデータ移植したものだ。」
斎藤はPCデスクの引き出しを開け、USBメモリを虎徹に渡した。
「えーと、マスターは…ああこれだ。」
斎藤がやや古めかしい記録媒体を虎徹に渡した。
バーナビーは虎徹の持つ新旧二つのメモリを何となく見た。
「なんのデータなんです、それ?」
「ああ、楓が幼稚園の時の動画だよ。」
虎徹はメモリをポケットにしまいながら笑った。
「この間、年末に大掃除してたら古いハンドカメラ見つけたんだ。」
虎徹は嬉しそうなそれでいて寂しそうな表情を浮かべた。
楓が通ってた幼稚園、春に運動会やるんだよ。
俺は仕事で見に行けなかったんだけどな。
それで友恵が俺に見せようと録画してくれてたらしいんだけど、
直後に友恵の病気が分かって入院やら何やらでドタバタしてさ。
なんやかやと運動会どころじゃないまま、夏に友恵が逝っちまって。
その後はもう家族の映像を撮る機会がなくなっちまった。
残った写真なんかはちゃんと整理したんだけど
俺もさすがにハンドカメラにまで気が回らなくてさ。
友恵が亡くなって楓が実家に引き取られてからは
兄貴のカメラで撮ってくれてたからこの機材は家にしまいこまれたままだった。
で、この画像がお蔵入りになっちまったみたいなんだよな。
この録画媒体も古いしこの際だからバックアップの意味も兼ねて、
斎藤さんに頼んでデータを新しい記録媒体に移してもらったんだよ。
今度帰省した時に楓にも見せてやろうと思ってな。
あいつ、小さかったから母親の事ほとんど覚えてないみたいだし。
「当時楓ちゃん5歳でしたっけ、無理もないですね…。」
その話に斎藤とバーナビーは痛ましげな表情で黙り込んだ。
「だっ!そんな辛気臭い顔すんなよ!俺はこんなのが出てきて嬉しいんだから。」
虎徹はことさらに明るい声でふたりに言った。
「そうですね…。確かに僕だったら確かに嬉しいな。両親の声が聞けたら。」
バーナビーは母の声を想像したような懐かしげな表情で頷いた。
「だろー?楓の誕生日がもうすぐなんでな。プレゼントにやろうと思って。」
その言葉にバーナビーはふと考えた。
「…プレゼント…それなら…。データ、外装デザインは…。うん、出来る。」
いきなりぶつぶつ言いだしたバーナビーに虎徹は怪訝な表情を浮かべた。
斎藤は何かを察したのかきひっと笑った。
「手伝うよ、バーナビー。」
「ありがとうございます。斎藤さんの指導があれば完璧なものが出来る。」
嬉しそうなバーナビーに一人置いて行かれた虎徹は二人の顔を見た。
「なになに?俺だけ置いていくなよー。」
拗ねたように唇を尖らせる虎徹にバーナビーは笑った。
「虎徹さん、そのデータに友恵さんの声は残ってますか?」
「え?もちろん。運動会の応援だから頑張れーとか楓ーとかぐらいだけど。」
虎徹の言葉にバーナビーは頷いた。
「充分です。当然日本語ですね?」
「え?ああ、オリエンタルは日本語がほぼ公用語だからな。」
バーナビーはより確信を深めたように嬉しそうによしやれると呟いた。
「日本語なら母音と子音の繰り返しだから音声は作りやすい。データは…。」
完全に一人の世界に引きこもったバーナビーに虎徹は困惑したように
若干身体を引き気味にした。
「なあ、斎藤さん。バニー大丈夫かな。」
「ああ、心配ないよ。こうしてみると彼も研究者肌だねえ。」
どこか嬉しそうな斎藤の答えになってない返事に虎徹ははあと
気の抜けたような返事をしたその時。
「虎徹さん!」
「はいい!!」
突然呼ばれ驚いて直立姿勢になった虎徹にバーナビーは鋭い目を向けた。
「その奥さんの肉声データをください!無論コピーで構いません!!」
その剣幕に呑まれたように虎徹はあたふたとさっきのUSBを差しだした。
バーナビーはメモリをラボのPCに差し込みやおら何やら操作すると
USBを丁寧に抜き取り虎徹に返した。
「ありがとうございます。データは写させていただきました。」
「はあ…。」
友恵の肉声データなどどうする気なのか。
虎徹は首を傾げた。
「あと、友恵さんの写真か画像データをお借りしたいんですが。」
「え、今はねえよ。友恵が亡くなってからスマホに換えてデータはうちにしか…。」
「マイクロメモリか何かに写してませんか?」
「何それ?」
「ああもう!じゃあ写真をお借りできますか?スキャナで取り込みます!!」
「それなら明日持ってこれるけど。」
「ありがとうございます。そうだ、できるだけ日付の新しいものでおねがいします!!」
「え?うん、わかった。この運動会のやつでいい?」
「ベストです!そのほうが結婚直後よりイメージが近いはずだ。」
「イメージ?何の??」
言いたいことだけ言うとバーナビーは凄まじい勢いでPCを叩き始めた。
「ああそうだ!」
「今度は何!?」
「楓ちゃんの誕生日はいつです?」
「来週の日曜だよ。」
「スポンサーに無理言って突貫でお願いしてもギリギリか…。」
「さっきから何言ってんの?」
「すみません時間がないので集中します!悪いようにはしませんから!!」
その後は虎徹がもう何を話しかけてもバーナビーは返事をしない。
虎徹は訳が分からないと言った顔を斎藤に向けた。
「バニーちゃんどうしちゃったんすか?」
「ま、そのうち分かるよ。」
斎藤はにやりと笑って虎徹の背中を叩いた。
それから出動と撮影などの合間を縫ってバーナビーは可能な限りラボに籠った。
楓の誕生日までプライベートには付き合えない。
そう言い渡されていた虎徹は、見るたび目の隈を濃くするバーナビーが心配だった。
「仕事はきっちりしてるとはいえ、お前ムチャすんなよ?」
見かねた虎徹がそう言うと、バーナビーは疲れた顔で頷いた。
「お前が楓になんかしてくれようとしてるのは分かるし嬉しいけど…。」
「あと少しなんです。どうしても、間に合わせたいんです…。」
仕事とウロボロス以外の事にここまで根を詰めるバーナビーなど初めて見た。
虎徹はもう口出しせず、見守ってやろうと決めた。
「わかったよ。他の事は出来るだけフォローする。好きなようにやってみろ。」
「ありがとうございます。」
虎徹の言葉にバーナビーは嬉しそうに笑った。
そして土曜日。
その日オフだった虎徹が家で掃除をしているとインターフォンが鳴った。
「はいはーい。どちらさまっすかー?」
ドアを開けるとバーナビーが大きな包みを抱えて立っていた。
「バニー?どうしたんだよ急に。」
律義で礼儀正しいバーナビーがノーアポで訪ねてくるのは珍しい。
「なんでもいいや、中入れよ。掃除中で散らかってるけど。」
ドアを大きく開き中へ招き入れると、バーナビーは包みを差しだした。
「なにこれ、土産?」
「やっと…完成しました…。」
疲れ切った、それでもこの上なく満足そうな顔でバーナビーが笑った。
「お前…これ…。」
虎徹はバーナビーの持ってきたものを見て驚いた。
リビングのローテーブルの上にちんまりと立つ可愛らしい人形。
生前の写真をもとに可愛らしく3頭身にディフォルメされた友恵人形だった。
その手にはきちんと結婚指輪までしている。
「外装はスポンサーの玩具メーカーに突貫でお願いしました。」
「よく出来てるけど…これ、何?友恵に似せたのは分かるけど。」
バーナビーがただのぬいぐるみを持ってくるわけがない。
虎徹は首を傾げ友恵人形の頭を撫でた。
「友恵さんの手を握ってください。」
「こうか?」
虎徹が言われたように友恵人形の手を握ると人形が両手で虎徹の手を握り返した。
<楓、大丈夫よ。>
ことことと動いた人形から生前の友恵の肉声が流れた。
「うわあ友恵!?」
驚いた虎徹にバーナビーは笑った。
「触った者の血圧を手から読みとって返事します。」
今虎徹さんは「これ何だろう」と少しドキドキしながら触れましたね?
その血圧を察知して「不安状態」と判断し、「大丈夫よ」と返事しました。
他に血圧が安静の時は「大好き」、
興奮と判断すると「がんばって」と言います。
運動会の応援の声が元データなので拾えたのがこれだけでした。
技術的には可能ですが、出来るだけ合成音声にはしたくなかったので。
亡くなった方の音声を再生するのが不敬と思われるか心配だったんですが、
楓ちゃんがお母さんを懐かしむ手助けになればと思って。
そう言ったバーナビーを虎徹は力いっぱい抱きしめた。
「ありがとう…バニー、本当にありがとう…。」
何日も寝食を忘れ目の下にクマを作って取り組んでいたのはこれだった。
同じように幼いころに母を亡くしたバーナビーが、
いつも亡妻の影を懼れるようなところのあった彼が、
楓のために母の想い出を再生してくれた。
「本当に友恵にそっくりだ…。大変だったろう、ほんと、ありがとうな。」
咽び泣く虎徹を抱き返し、バーナビーはほっとしたように笑った。
「よかった…。気を悪くしたらどうしようって、来る途中不安だったんです。」
出過ぎたまねをしたかもしれない。
完成してからやっとバーナビーはそんな不安にかられた。
「怒るわけないだろ、お前があんなに必死で、楓のために…。」
手の甲で涙を拭い虎徹も嬉しそうに笑った。
「お前の想い、ご両親の『人に優しいアンドロイド』の第一歩、確かに受け取った。」
その言葉にバーナビーは満足そうに微笑むとふっと眼を閉じた。
そのまま虎徹の胸に凭れかかるように倒れ込む。
「おい、バニー!?」
「疲れた…。ね・・・む・・・い・・・。」
そのままバーナビーは虎徹の胸に頭を預け、気絶同然に眠ってしまった。
虎徹はしばし呆然としたがははっと小さく笑った。
「お前何日徹夜したんだよ。」
そっとバーナビーの身体を倒し膝にその頭を乗せてやった。
「ここにほったらかしててよかった。」
虎徹は少し手を伸ばし、ソファの背もたれに放り出してあった
コートを手繰り寄せバーナビーの身体にそっとかけてやる。
「ゆっくり寝てろよ。起きたら一緒に飯食いに行こうな。」
そう言って虎徹は友恵人形の手を握った。
<だいすきよ。>
明るい声に虎徹は頷いてバーナビーの髪を撫でた。
「大好きだよ、バニー。」
終り