ドッペルゲンガー
@もう一人の自分
その朝、俺は珍しく早起きした。
毎度のことだが同衾している寒がり兎がシングルの毛布をでかい身体に
巻き取ってくれるせいで俺の背中が冬の寒気に晒されていたからだ。
当のウサちゃんは気持ちよさそうにまだ夢の中。
あーくそ腹立つなー、可愛いから許すけど。
「うー!さっぶぅーーー!!」
とりあえず毛布と布団だけでもセミダブルに換えようかなあ。
二度寝出来ないほどの寒さに完全に眼が冴えてしまった俺は、
潔く起きだして朝飯を作りながら雑に入れたインスタントコーヒーを啜っていた。
ソーセージを焼いて、卵はあいつの好きなサニーサイドアップ。
レタスを適当にちぎって、ドレッシング切らしてるからマヨを添えて。
コーヒーメーカーからいい匂いがしてきた。
パンをトースターに放り込んだら朝飯の準備は完了だ。
さて、そろそろあの寝ぼすけ兎を叩き起こすか。
こういう寒い朝はなかなか毛布から出ようとしないから
いつもより早めに起こさないと遅刻しちまう。
「おーいバニー!そろそろ起き・・・」
その時、つけっぱなしのTVから聞こえたのはとんでもない報道だった。
―速報です。たった今入りました情報です。
今朝6時ごろ、ヒーローのバーナビーブルックスJrさん(享年25)が亡くなりました。
原因は水死とみられ、遺体が発見されたバンゲリングリバー周辺では・・・
飲んでいたコーヒーが気管に入り噎せながら俺は叫んだ。
「なんじゃこりゃああ!!」
するとロフトの上でごそごそと物音がする。
「うるさいですよ虎徹さん…。まだもうちょっと寝させてくださいよ…。」
二時間前にバンゲリングリバーで水死したはずのバーナビーブルックスJrさんが
安眠を妨害され抗議の声をあげている。
もうちょっとってそろそろ起きねえと遅刻すんぞ…じゃなくて!!
「おいこれ見ろ!お前河でドザえもんになって死んじゃったらしいぞ!!」
「僕はドラえもんじゃありませんドラリーニョです…。」
そこかよ!!
てか違うし!無駄に詳しいな!!
いいから起きろこの低血圧!!
その時俺とバニーの携帯が同時に着信した。
―ちょっと、タイガーこれどうなってるの!?ハンサムは無事よね!?
―おい、虎徹!!あれは何かの間違いなんだろ!?
―嘘だよね!?他人の空似だよね!?
続々と入る仲間達からの心配のメール。
なあ皆心配してくれるのはいいけど落ち着け?
まず一回は本人に連絡してみようや、生きてるから。
俺は皆に安心してほしくてすぐにメールを一斉送信した。
―俺も今ニュース見てコーヒー噴いた。
ちなみに本人は今うちの二階でまだ寝ぼけてる。
ものすげえそっくりさんが亡くなったんじゃねえかと思われるけど詳しくは不明。
とにかくBBJさん(25)はお亡くなりになってねえから。
皆、心配してくれてありがとな。
ほどなく続々と皆が返事をよこしてきた。
―よかった、そしてよかった!
―まったく人騒がせねぇ。
―人違いでよかった。バーナビーはとんだ災難だったな。
―バーナビーさんが無事でよかったです(涙)
朝から気分の悪い誤報だったけど、皆の気持ちがなんかすげえ嬉しい。
当のバニーと言えば誰かからかかってきた電話に出ていた。
「…はい、はい。ええ、僕はこの通り生きてます。今ですか?虎徹さんの・・・。」
俺が皆に返信している間、
バニーはすっかりいつものハンサムスイッチの入った顔で誰かに電話している。
「ご心配をおかけしました、ロイズさん。はい、ではそのように。」
通話を切ったバニーはふうと息を吐き、困惑した顔でTVの前に座り込んだ。
「全く、どうなっているんだ…?」
「さっぱり分かんねえな。ロイズさんも心配してたろ。で、この騒ぎどうなるって?」
俺はまだパンイチで座り込んでるバニーにとりあえずスウェットを渡した。
この展開ではのこのこ出社したらえらい騒ぎになる。
バニーも当面身動きが取れないと思ったらしくスウェットに袖を通しながら
困惑した面持ちでバンゲリング河のブルーシートの映像を見た。
担架で搬送されていく“誰か”の遺体。
仰々しい警察の捜査風景。
あれが誰かは知らないが、この寒いのに
冬の夜中に河で亡くなるなんて気の毒なことだと痛ましく思う。
やがてカメラは突然の悲報に驚く通行人の様子や半狂乱のファンの悲鳴、
取ってつけたような湿っぽい顔のリポーターを次々に映す。
「とりあえずこれが誤報だという通達はすぐ出すそうです。」
バニーは不愉快そうに顔を顰めた。
僕が生きてる証明に公の場に姿を見せる必要はあるそうですが、
10時に記者会見をするから迎えをやるまで虎徹さんの家で待機していろとの事です。
虎徹さんもうっかり出社すると報道陣に囲まれるので
ここにいたほうがいいとロイズさんが。
とにかく迎えが来るまで僕たちは一切のアクションを起こすなとのことです。
バニーの話に俺は頷いた。
本人がさっさと表に出て間違いだと言えば誤解は解けるだろうが、
会社には会社なりの「誤解の解き方」があるんだろう。
まあそのへんは社長やロイズさんに任せるとして…。
あれ?そういえば…。
「社長からは何か言ってきてないのか?あんな報道見て倒れたんじゃないだろうな。」
バニーはいいえと首を振った。
「マーべリックさんは海外に出張中なので…。」
「このニュースはそこまで広がってないのか。」
まあ、それはよかったのかもしれない。
社長が出てこないといけないスキャンダルじゃねえし、
養い親に余計な心配をかけずに済んだわけだ。
まあメディア王の秘蔵っ子を勝手に不審死扱いしたんだから、
この先走った報道をした連中の首はかなり危なくなるとは思うけど。
そんなことよりもだ。
「そんなに似てたのかな、そのホトケさん。」
バニーは考えたくもないという表情で首を横に振った。
「相当似ていたからここまで話が大きくなったと考えるべきでしょうね。」
それもそうだ。
たとえ深夜に冬の河に突き落とされたとしても、
ヒーローしかも身体強化系のバーナビーがあっさり水死すると考える者はいないだろう。
司法解剖して薬物やアルコールが検出されたというのなら話は別だが。
それに水死なのに容貌が崩れず、そっくりさんがバニーに似た姿を保っていたとしても。
どうみてもBBJだと断定して通報され警察や病院の関係者が誰ひとり
アポロンメディアに問い合わせなかったというのも、どうにも引っかかる。
それに6時に遺体が発見されてからロイズさんの処に連絡がいくまで
二時間以上もかかったのも解せない。
バニーには身寄りがない。
それなら不慮の事故の際には会社関係にまず早急に連絡がいくはずなのに。
そっくりさんの死。
バニー自身が籍を置くアポロンメディアを差し置いて暴走した報道。
遅すぎる本人への確認。
「いろいろおかしすぎて突っ込みどころが分かりませんね。」
バニーは不愉快というよりことの成行きが理解できない苛立ちを感じているようだった。
忙しなくTVのチャンネルを変え、どこも同じ暴走報道を垂れ流すのに
うんざりした顔でリモコンを放り出した。
『バニーが死んだ』ニュースなんて見たくもないが、見ないわけにもいかない。
俺は温くなったコーヒーを流し込むように飲みこんでカップを置いた。
「この話、単にそっくりさんが不慮の事故にあったとかいうんじゃねえような気がするな。」
「僕もそう思います。」
バニーは渋い顔で頷いた。
「ともかく、僕の生存については会社を通して誤解を解くにしても…。」
「ああ、この話はなんか裏がある。このガイシャの身元、何者なんだろうな。」
それからしばらくして会社の迎えが来た。
それは珍妙な記者会見だった。
幽霊でも見るような目でバニーを見る報道陣の群れ。
マイクに向かって叫びたい。
お前ら全員アホかと。
バニーは不快な誤報を責めることもなく、堂々とマイクに挨拶した。
「みなさん、誤報によりご心配をおかけしました。僕はこの通り元気です。」
より信憑性をということで俺も同席しての『BBJ生存表明会見』。
焚かれるフラッシュに俺は苦笑いを噛み殺した、
―バーナビーさんは午前2時から6時ごろどちらにいらっしゃいましたか?
なんだそれ、アリバイ聴取かっつうの。
その時間だったら…ああ、オフレコだわあれは。
バニーは俺の方をちらっと見た。
【良いんじゃねえ?】
俺が頷くとバニーは正面を向き直った。
「タイガーさんの家で少しお酒を飲んで、酔ったのでそのまま泊めていただきました。」
「俺はバーナビーとずっと一緒に居ました。朝二人であのニュースを見て仰天しましたよ。」
嘘はついてねえ。
仕事のあと酒呑んでいい感じに盛りあがって懇ろに睦み合ってたわけだから。
―亡くなった方に心当たりは?
お前ら、自分のそっくりさんが知り合いにいたら気持ち悪いとか思わねえの?
「どこのどなたかは存じませんが、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。」
こういう話は割にやりやすい。
バニーが死者への敬意を表した以上、記者連中はおかしな質問を出来ない。
この会見、生放送されてるからな。
死者を愚弄するようなバカなことを言えば即刻ネット上でつるしあげられ、
ヘタをすればその記者は会社や素性を晒されて社会的生命すら怪しくなる。
ロイズさんはマイクに向かい、皆さん、と重い声を出した。
「今朝の誤報についてはアポロンメディアとしても重く見ており…。」
話の出所を追求し、デマを故意に流したのであれば容赦はしない。
ロイズさんの厳しい口調に記者連中は水を打ったように押し黙った。
「おつかれさま、二人とも。」
控室のソファでふたりでぐったりしているとロイズさんがコーヒーを持ってきてくれた。
「まったく、なんでこんな事になったんでしょうねえ。」
さっきの鋭い眼光が嘘のように、ロイズさんは困ったねえと眉根を下げた。
「まあ、この件は我々に任せて。君たちはいつもどおりにね。」
とはいえ、芸能的な仕事に関して今日はリスケしておいたから。
今日は有給扱いにしとくよ。
ゆっくり休んでちょうだい。
ああ、もちろん出動があったら出てくれたまえよ。
ロイズさんは早口でそう捲し立てて何やら電話しながらせかせかと出て言った。
社長がいないんでロイズさんが全面的な責任者として対処しているらしい。
大変だなあの人も。
「はあ、何か気疲れしたなあ。」
今何時だろうと俺は時計を見た。
11時半か。
「どうする?ちょっと早いけど昼飯でも食って帰る?」
バニーはソファに凭れかかったまま何やら考え込んでいる。
「バニー?」
もういっぺん呼びかけると、バニーははっと弾かれたように俺を見た。
「ああ、すみません。何か言いました?」
「昼飯食って帰るかって。…どうかしたのか?」
あの件について考えていたんだろうとは思うけど。
「あの…僕ランチはやめておきます。」
その言い方に俺は何となく見当がついた。
「…それは、食欲がないって意味か?それとも食ったらあとあとまずそうって意味か?」
「さすがに虎徹さんは誤魔化せないですね。…後者の意味です。」
つまり、飯食ったらもどしそうなものを見に行こうとしてるわけね。
「この件はもう警察の範疇だ。ヒーローの仕事じゃねえ。分かるな?」
あれが何者であれ、身元不明者の事故死もしくは自殺もしくは殺人だ。
いずれにしてもヒーローには捜査権もその責務もない。
それを承知したうえで、バニーが首を突っ込もうとするなら理由は一つだ。
「俺も一緒に行く。」
バニーは表情をこわばらせ首を横に振った。
「僕の考えが間違っていなければ、厄介なことに巻き込んでしまいます。」
「お前の言う厄介は蛇しかねえだろうが。そんなことに一人で向かわせられるか。」
そう言ってバニーの手を握った。
「いいか、お前はもう独りで生きてるわけじゃねえんだ。」
「…ほんと、お節介な人ですね。」
ツンケンしてた頃の半分もない突っぱね感を漂わせ困ったような顔をして
バーナビーは溜め息をついた。
そしてちょっと震える手で俺の手をそっと握り返した。
「『自分』の水死体見て吐いたりしても、笑わないでくれますか?」
「笑うわけねえだろ!ちゃんと介抱してやるから。…本当に行くんだな?」
バニーは真剣な目で頷いた。
「自分のそっくりさんが死んだ意味を見届けたいんです。」