A摩り替え
「大丈夫ですか?」
廊下のベンチにへたりこんだ俺にバニーがミネラルウォーターの瓶を渡してくれた。
「おう…。でも想像以上に堪えたわ。」
俺はペットボトルのふたを捩じ切るように開けると乾いた喉に水を流し込んだ。
あんなものを見て濃くなっていた胃酸が中和される感じがする。
「お前は大丈夫か?」
「まあ気分良くはないですけど…虎徹さんの方がショック受けてどうするんですか。」
そう言うバニーも顔色はあまり良くない。
ランチは遠慮するといったこいつの判断は正しかった。
「だって、そっくりさんとはいえ『バニーの死体』みたいなもの見りゃ…。」
思い出しただけで喉に酸いものがせり上がる。
「無理しないで、その角を曲がったところに化粧室がありますから。」
「バカにすんな。これでも10年ヒーローやってんだぞ俺は。」
ホトケさんには悪いが目を逸らしたくなるグロい遺体なんて山ほど見てきた。
その中にはバニーがまだ見たことないような凄まじいのもあったんだぞ。
俺がそう言い訳するとバニーは困った顔で首を横に振った。
「近親者の遺体みたいだからダメージ受けてるんでしょう。バカになんかしませんよ。」
その言葉にまたあれを思い出し、今度こそ吐きそうになる。
「うっ…。」
俺は咄嗟に口を押さえ席を立った。
「巻き込んですみません…。」
しょげるバニーの頭を一つ撫で、俺は便所に走った。
警察病院の遺体安置所で見たバニーそっくりさんのご遺体は、
外見そのものは吐き気を催すような凄惨なものではなかった。
むしろ、不自然なくらい綺麗過ぎて医師も初めは首を傾げたらしい。
ところが、解剖してみるととんでもないことが分かった。
「臓器がところどころ…いえ、そこらじゅう欠如しているんです。」
医師は俺たちに解剖中の写真を見せながら言った。
「一つや二つくらいなら、そういう内部障害者の方は一定数いますが…。」
医師の説明はこうだった。
脳は前頭葉運動野だけが肥大し記憶を司る海馬体がないこと。
脳下垂体が不自然に大きく、ホルモンの分泌が異常であっただろうこと。
その他、生殖器官が欠如していたり、複数の特徴がみられたという。
「…突拍子もない表現ですが、自然な過程を経て生れた人間には思えません。」
人工授精等を含めた生殖技術云々の話ではなく、
何らかの意図を持ってコーディネートされた個体を作ろうとしたような印象。
年配の医師はそう言った。
「そんな漫画じゃあるまいし…。」
俺の呟きにバニーも同意するように顎を縦に振った。
「むろん、現代の医学では不可能です。荒唐無稽だと笑われても当然なのですが…。」
「医学的に考えてそれが妥当な結論だということですね?」
バニーの顔を見ると案の定『そんなバカな』と言わんばかりだ。
それならベテランの先生がそう考える理由を聞いてみたい。
「どういう点が『人造人間』っぽいんすか?」
「人造人間…そうですね。その表現はしっくりきます。」
真面目に聞く姿勢を示した俺に老医師は困惑気味に複数のMRI写真を見せた。
「特化しすぎているんですよ。男性の筋力増強機能に。」
その話にトンデモ理論だと心の中で医師に顔を背けていたバニーも目が変わった。
医師は頭部のMRIを示した。
「肥大した前頭葉運動野に対して、理性や感情を司る領域が委縮しています。」
「五感に関連のあるところも肥大していますね。」
バニーが言うと医師が頷いた。
「そう、五感と筋力に関しては普通の人間の何倍もの力があるでしょう。」
俺はよく分からない写真を見て首を捻った。
「普通の脳腫瘍とかとは違うんすか?」
医師はまた頷いた。
「個別で見ればある種の脳腫瘍ともいえます。ですが…。」
今度は下半身のMRIだった。
「男性ホルモンを作りだす機能は維持されていますが、生殖機能はありません。」
「というと?」
「ホルモンは筋力の増強に不可欠な要素ですが繁殖能力は個体の生存に関係ありません。」
その答えに俺はぞっとした。
「つまり、五感と筋力だけがやたら発達しててモノは考えない戦闘人間?」
「それこそ陳腐なSFみたいですが…。」
バニーは硬い表情で診断画像とホトケさんの写真を見た。
「何者かが生体兵器…あるいは人造NEXTを作ろうとしたとか。」
とんでもない話だが、この街ではありえない話というのはほとんどない。
それに…。
「連中が噛んでいればありうる話…か。」
俺の言葉にバニーはこわばった表情で頷いた。
「私がご協力できるのはここまでです。」
医師はそそくさと画像を纏め俺たちに渡した。
封筒の表には「健康診断結果 返却不要」と書いてある。
「この話はすぐに市当局から緘口令が敷かれるでしょう。その前にこれを。」
「ご協力ありがとうございました。」
俺たちは礼を言って医師の研究室を後にした。
「どうする?」
警察病院を後にした俺たちは車に乗り込んだまま途方にくれた。
「とりあえず、ロイズさんと管理官に話してみましょう。」
バニーの言葉に異があろうはずもない。
「俺たちだけではどうにも出来なさそうだしな。」
俺はエンジンをかけアクセルを踏み込んだ。
何事か考え始めたバニーに無理に声はかけず、俺はただ車を走らせた。
言っちゃなんだが、バニーが考えて分からないものを俺が分かるわけがない。
運転に集中しなければ事故を起こしてしまいそうだ。
バニーが何かブツブツつぶやいているのを敢えて聞かないことにして
俺は会社へと向かう高速道路に車を進めた。
仮にあの医師の言っていたことが大筋で正しいとして…。
何らかの意図を持って作られたそっくりさん。
…信じられない。
出来るのかそんなことが。
でも確かに、あの遺体は普通の人間ではなかった。
警察や報道が身元誤認したのは仕方がないにしても、
あの検死結果が表ざたにならなかったのは何らかの圧力が働いたか…。
その圧力をかけたのはおそらくあれを造った奴。
人体創造の禁忌を犯した『創造主』がどこかにいる。
何者なんだ、やっぱりウロボロスか?
資金力や人材調達の困難さから言えばそこはほぼ間違いないだろうな。
そのそっくりさんは創造主にとって不都合な存在だった。
消されたのか何らかの不具合で暴走したのか…。
そこはどちらでも大差ないか。
問題はどうして僕の劣化コピーを造ろうとしたのか。
いや…問題はそこじゃない。
劣化コピーは『あれ』だけなのか?
「そうだ、『あれ』だけなのかが問題なんだ…。」
いきなりそう呟いたバニーに俺はよせと窘めた。
バニーは怪訝な表情を浮かべ俺を見た。
「とにかくロイズさんと司法局に報告だ。」
俺が強く言うとバニーは何か物言いたげに口角を下げている。
「ヘタを打てば次にバンゲリングリバーに浮かぶのは俺たちだぞ。」
「そう…ですね。」
相手があの連中だと思われる以上、慎重に話を進めなくては。
こいつは奴らが絡むと冷静さを欠くところがあるから。
「虎徹さんは、あの件についてどう考えていますか?」
何かまとまったらしい持論を展開するのかと思いきや、
バニーは俺の方をじっと見てそう言った。
「俺に今わかるのは、あのご遺体は何らかの事件に巻き込まれたってことと…。」
言っていいものかちょっと迷ったけど、俺は一息置いて言った。
「その事件の張本人は多分お前を消したいと思っている。」
俺の仮説にバニーは顔を顰めもせず頷いた。
「僕もそう思います。」
仮にあの偽物が何らかの手段で僕に似せて作られた劣化コピーだとします。
荒唐無稽な仮説ですが、ここはドクターの経験と判断を信用するということで。
で、その劣化コピーが僕に似せて作られた理由は分かりません。
ですが、何故かこう思うんです。
連中が本当に消そうと思ったのはこの僕だったのではないかと。
無論、今朝の死体は失敗作です。
自爆したのか抹殺されたのか知りませんが。
抹殺するなら闇で行うでしょうから、想定外の自爆だったと見る方が自然でしょうか。
奴らの青写真としては、世間に偽のBBJを送り込み本物を抹殺する。
それが成功すれば、また別のヒーローを標的に摩り替えを行う。
言ってる自分でも思いますけど、バカみたいな筋書きですね。
推敲の余地は大いにあると思いますが…。
仮にその摩り替えプロジェクトが成功すれば…。
「この街の治安はウロボロスの手にゆだねられる。」
俺が結論を引き継ぐとバニーが頷いた。
「まあ、今のところ穴だらけな推論ですが…。」
確かにSF小説にしては雑すぎる。
だがどうにも嫌な予感もする。
「えーと、コピーとか偽物ってのもなんだな。あれだ、ドッペルゲンガー。」
「なんです、それ。」
その言葉にバニーは首を傾げた。
「どっかの民話だか都市伝説だか忘れたけど、自分とまったく同じ存在がいるって話。」
「ドッペルゲンガー…。」
バニーはまた難しい顔をして黙り込んだ。
「でも今はまだトンデモ理論の域を出ねえ。多少後手に回るだろうが、考えるのは後だ。」
高速道路の前方に有翼の獅子像が見えてきた。
「ちょっと疲れたな。報告済んだら斎藤さんとこ行ってカプセル使わせてもらうか。」
「そうですね…。僕もなんだかぐったりしてきました。」
当たり前だよ、こんな胸糞悪い事件が起きて。
『あれ』が連中にとって失敗作の自爆だとしたら、
奴らが次の手を打ってくるまで少しは時間が掛かるかもしれない。
その間に出来るだけ気力体力を回復させないと。
そう思った矢先、コールが掛かった。
やれやれ、ほんとヒーローって稼業は休む暇もねえ。
俺は現場に急行すべくハンドルを切った。
ブロックス地区の大規模工場火災。
焼け出された従業員の話によるとまだ何人か中にいるらしい。
だいたいの概要をチェイサーの上で聞きとって
業火と噴煙を噴き上げる工場火災現場に到着した時、俺は何か引っかかるものを感じた。
この現場は何か変だ。
俺は立ち止まり現場辺り一帯を見回した。
「何ぼさっとしてるんです!行きますよタイガーさん!!」
鋭いバニーの声に我に返った。
「すまん、行こう。」
俺たちが要救助者を探しに行こうとした時だった。
「ちょっと!どうしてここが稼働してるのよ!!」
あとから来たファイヤーエンブレムが流線形の車を滑るように乗り込ませてくると
信じられないと叫んだ。
「どういうことだファイヤーエンブレム。ここはヘリオスの傘下か?」
ファイヤーエンブレムは首を横に振った。
「元、よ。ここは今廃工場で操業していないわ。」
その言葉にバニーが苛立たしげに叫んだ。
「そんなことはどうでもいい!ここに要救助者がいるんだ!!」
「そうだな。急ごう!!」
俺の返事を待たず駈け出したバニーの背を俺は慌てて追った。
『負った子に教えられ』とはこのことだ。
俺はバニーの叱責を嬉しく想いながら現場を駆けた。
廃工場とはいえヘリオスの物件だっただけあって現場は厄介なところだった。
そこかしこに残った燃料に引火してあちこちが爆発する。
―こちらスカイハイ!今から消火剤を投下する!!
―こちらブルーローズ!北側半分は鎮火できたわ!避難経路はそこへ!!
―こちらロックバイソン!西側の瓦礫は除去出来た!そっちからも出られるぞ!!
時折入る仲間たちの報告に現場の状況を把握しながら
俺とバニーは敷地内で一番奥の建物に踏み込んだ。
「これは…!!」
一足先にその部屋に踏み込んだバニーが竦んだように足を止めた。
「…な!!」
遅れて踏み込んだ俺もさすがに絶句した。
そこにあったものは…。
モノと言っていいのか分かんねえけど…それは…。
床に倒れ伏した幾つもの劣化レプリカだった。
中央のでかいのはアントニオだろうか。
そのそばには黒髪の男…俺かよ。
そのほか、ぱっと見折紙に似た個体。
あっちの少し背の高い男はスカイハイだろうか。
どっちを造ろうとしたのか分からない、まだ若い女の子の個体。
作業台の上には覆いの間から褐色の肌が少しのぞいている。
俺たちの偽物の失敗作と思しき、
遺体なのか元々生きてはいなかったのか分からない数々の偽物。
さっきのトンデモ仮説を裏付けるような物証が確かにそこにあった。
そしてそのそばに、椅子に括りつけられたまま胸を打ち抜かれ息絶えていたのは…。
ほんの数時間前、俺たちと会っていたあの医師の亡骸だった。
その床にはペンキで雑に書かれたウロボロスの紋章と
誰に当てたのか分からないメッセージ。
―裏切り者に制裁を
「やっぱり奴らだったんだ…。」
バニーが悔しそうに歯噛みした。
「くそ!これじゃ何一つ証拠が…。」
どう見てもここはレプリカ製造現場だった。
化学薬品工場跡なら多少異臭がしても誰も通報しやしない。
ましてこの後ろはバンゲリング湾だ。
どうしようもなくなったら重りでもつけて遺棄しようってハラだったのだろう。
待てよ…バンゲリング湾?
そうか、今朝見つかった偽バニーはここから脱走して河に落ちたのか。
運動機能は高くても河に落ちたら死ぬという判断が下せなかったと。
俺は無性に腹が立った。
たとえ偽物だろうと、ここに居る『俺たち』はさっきまで生きていたのかもしれない。
それを証拠隠滅のために火にかけられたのだ。
「お前らだって…死にたくなかったよな…。」
物言わぬそっくりさん達に俺は心の中で合掌した。
その時建物が軋む音が聞こえた。
―タイガー!その場所はもうもたないわ!!早く脱出して!!
アニエスの鋭い声がスーツ越しに響いた。
後ろで爆発音が聞こえ、振り返ると退路が完全に塞がれていた。
「ドクター…。どうして組織を裏切ってまで…。」
バニーの力ない声が聞こえた。
まずい、このままだと俺らも偽物と同じ運命だ!
「バニー!んなこたあ後だ!!」
肩を掴んで揺さぶってもバニーは動こうとしない。
「行くぞ!!」
俺は呆然自失するバニーを抱えて壁を破り現場を離脱した。
振り返ると俺たちの複製とドクターが業火の中に飲まれて消えて行った。
悲鳴一つ上げることなく。
「ちっくしょおおお!!!」
ヤバい橋を渡って俺たちに真実の一端を教えてくれた先生を救えなかった。
俺の叫びを幾つもの爆発音が、あざ笑うかのように被さり掻き消していった。