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2  fear

 

病室に単調な機械の音が響く。

僕はハアと重い息をつき、虎徹さんに繋がれた幾つもの計器を見た。

バイタルはいたって正常。

脳波の波形を見る限り、昏睡ではない。

<ただ寝てるだけって…。どんな能力だよ。>

NEXT能力の被害だと分かっていても腹が立つ。

人に散々心配を掛けておいて、自分はのうのうと惰眠を貪るとは。

いや、惰眠と言うにはいささか顔が苦悶の表情だけれど。

時々、ものすごく辛そうな顔になる時もある。

「う…。…だ、…にー…。」

あれ、寝言なんて初めてだな。

それにしても虎徹さん、何の夢を見てるんだろう。

まあ、なんでもいいけどいい気なものだ。

こっちは心配でここのところ一睡もできていないというのに。

「…な。…んな…。」

語尾しか聞こえないけど、苦しそうに歪められた

その表情から何か嫌な夢を見ているのは分かる。

夢を見て寝言を言うということはレム睡眠だな。

眠りが浅い今を狙えば起きるかもしれない。

「虎徹さん。起きてください。」

虎徹さんの胸に手を掛け、揺さぶりながら声をかけた。

「虎徹さーん。もう三日寝てますよー?いい加減起きないと脳ミソ腐りますよー?

寝不足のイライラもあってゆり起す手が荒っぽいけど、まあいいか。

でもどんなに叩いても、何の効果もない。

眉ひとつ動かず、ただ規則的な寝息が聞こえるだけ。

「もう…ほんとにどうしたら起きるんですか…。」

覚醒を促すために、思いつくことはすべてやった。

視覚、聴覚、嗅覚、皮膚感覚。

味覚以外のあらゆる感覚器全てに訴えかけた。

瞼を無理矢理開けて懐中電灯で瞳孔を照らしたり、

斎藤さんの拡声器を借りて耳元で叫ぼうとも

僕がナースに叱られただけで全部無駄だったけど。

見舞いに来たネイサンさんの助言でキスもしてみたが反応なし。

「こういう時の鉄板じゃない。やってみなさいよ。」

どういう時の鉄板か知らないけど、それで起きるなら容易いものだ。

そう思ったからやったのに結果は空振り。

ネイサンさんが喜んで、一緒に来たカリーナさんがキレただけだった。

なんだったんだ、一体。

いっそ身ぐるみ剥いで襲ったら起きるだろうかとも思った。

 

けどそれがそもそも諸悪の原因たる

NEXT能力者の犯行内容だったと思いだして、

自分の発想に反吐が出そうだったのでやめた。

あんな下衆と同じ立ち位置に立つつもりはない。

奴を確保した後、能力の詳細な情報を提供してくれたペトロフ管理官に、

「絞首でも火炙りでもいいから奴を処刑してください!

怒りのあまりそう言ったら、困ったように笑われて

「あとは司法の手に任せてください。」と言われてしまった。

顔色が悪いから、少し休んだ方がいいとまで。

我ながら火炙りって何時代だよ。

それじゃルナティックと同じじゃないか。

はあ…僕らしくもない。

こうなったのも貴方のせいですよ、虎徹さん。

 

「ねえ、起きてくださいよ…。」

僕は虎徹さんの頬をそっと撫でた。

本人いわく虎の牙だという猫型だった髭は

この三日間ずっと手入れされず型崩れして、触れるとザラっとする。

「起きて、またバニーって呼んでくださいよ…。ねえ…。」

虎徹さんの唇をそっと触れると、ずいぶん乾いている。

バイタルは正常なのに、生きてる感じが全然しない。

このまま、もう目が開かないんじゃないか。

そんな不安に打ちのめされそうになる。

「貴方まで…僕を置いて逝く気ですか?

僕は彼の左手を握った。

そこにある『約束の証』が今まで以上に怖い。

「お願いです、まだ友恵さんのところに逝かないでください…。」

やっと、想いが通じたばかりなのに…。

受け入れられると思いもしなかった恋が成就したばかりなのに、

この人まで僕を置いて逝ってしまうのか。

「もう、喪うのは嫌だ…。虎徹さん、独りにしないで…。」

声が震える。

涙があふれてくる。

 

お願いです。

この人を逝かせないでください。

もう少し、一緒に居させてください…。

僕は神にというより友恵さんに祈るように、

その指輪の嵌った手を必死で握り締めた。

 

この三日間、虎徹さんが夢に囚われている間、

僕もまた白昼夢に囚われ続けているような気がする。

 

虎徹さんがこうなってしまった事件の発端は三日前に遡る。

連続婦女暴行犯を追っていた僕たちは

ちょろちょろと逃げ回る犯人を漸く袋小路に追い詰めた。

「もう逃げられないぞ!観念しろ!!

なおも逃げようとする犯人確保に動いた僕の言葉に奴はにたりと嗤った。

「それはどうかなあ?なあ、美人さんよ…。」

僕の後ろにいた虎徹さんは長年の勘で嫌な気配を感じたようだった。

「おい、気をつけろバニー。こいつ…。」

「あんたもねんねしなよ!!遊んでやるから!!

突如、犯人は全身を青白く発光させ、僕に跳びかかってきた。

「させるか!!

虎徹さんは僕の肩越しにワイルドシュートを射出した。

「うあ!邪魔すんなオヤジ!!

無様な悲鳴を上げ、犯人が宙に舞う。

僕も虎徹さんの動きを阻害しないよう、咄嗟にしゃがんだ。

ワイヤーに簀巻きにされたまま犯人の身体は僕たちの頭上を越え、

一本釣りの要領で虎徹さんの背後に頭から落下した。

頭部強打のショックで気を失ったらしい犯人はもう発動光を放っていない。

「バニー、大丈夫か?

虎徹さんはワイヤーをきつく締めながらこちらを振り返った。

「ええ、接触しなければ無害な能力のようです。」

「ならいいけど。こいつ能力を悪用してたらしいが、何なんだろうな。」

年頃の娘さんを持つ虎徹さんにとって、

犯罪者の中でも婦女暴行犯は絶対に許せない連中だ。

虎徹さんは忌々しげに犯人を睨んだ。

「ったく、男の風上にも置けねえ。切っちまえばいいんだ、こんな奴のは。」

まあ、確かにそうすれば再犯は不能ですけどね。

「バニー、アニエスに連絡して警察こさせてくれ。」

「はい。」

僕はただちにPDAを操作し、OBCのスタジオに連絡した。

「アニエスさん、犯人確保しました。警察は対NEXT班で護送願います。」

そう言ってアニエスさんとの通信を切り顔を上げた僕の眼に映ったものは…。

虎徹さんの背後で音もなく犯人が立ち上がる姿だった。

青白く発光したまま、男は身体ごとぶつかろうとした。

「タイガーさん!後ろ!!

「死ね!オッサン!!

僕の叫びも空しく、虎徹さんは声もなく崩れ落ちた。

そして三日目の今日にいたるまで、虎徹さんは一度も目を覚ましていない。

 

 

「夢の中に閉じ込めるNEXT!?

僕は意味が分からないとPDAの向こうのアニエスさんに訊ねた。

三日目にしてやっと犯人の能力が判明したそうだ。

「昏睡とどう違うんですか?

>夢の内容で心にダメージを与えるみたいね。

アニエスさんは警察と司法局から来たらしい

分厚い資料を見ながら沈痛な面持ちで言った。

 

>夢から覚めた被害者が言うには、複数の男に乱暴される夢を見たそうよ。

もっとも、現実でも奴が乱暴したわけだけど。

犯人の実像を誤魔化そうとでもしたのかしら。

被害者の大半は目が覚めてからも精神科通いよ。

ほんとに気分の悪い…。

 

「女性として憤慨する気持ちは分かりますが、本題を。」

僕は苛ついてアニエスさんに先を促した。

まさか虎徹さんも夢の中で輪姦されているわけでもあるまい。

少なくとも傍目にはただ呑気に寝ているだけに見える。

ときどき魘されるように顔を顰めるのが気になるけど。

ともかく、レイプ事件についてはもう警察と司法の範疇だ。

今は虎徹さんの件について話してほしいというと

アニエスさんは少し鼻白んだような顔で話を続けた。

 

>つまり、奴はある程度の夢の内容を操作できるのよ。

犯行の時は女性がレイプされる夢。

また喧嘩の相手の時はリンチで殺される夢。

相手が顕在的ないし潜在的に恐れる事柄や、

思いだしたくもない過去の悪夢を再現したり…。

司法局は便宜上、能力について「ナイトメア」と資料に表記してるわね。

それでね、バーナビー。

あなた、心当たりないかしら。

タイガーが見そうな「ナイトメア」の内容。

 

急にそう言われてもなあ。

僕は少し考えた。

『死ねやオッサン!

そう言って襲いかかってきたということは虎徹さんの精神が最も恐れる光景だろう。

それはやはり…。

「奥さんが亡くなった時の事…とか。」

アニエスさんもやっぱりそれかしらと唸った。

「あの時は荒れてたそうだから…。娘さん関連という可能性もあるけど。」

たぶん、そっちではないだろうと僕は言った。

「現実に今、楓ちゃんは極めて健やかに成長されているようですし。」

それに、と言っていいものか逡巡して僕は続けた。

「虎徹さんは今でも、奥様の最期を看取れなかった悔恨があるようですから。」

考えたくもないことだが、虎徹さんはその時間に囚われている可能性が高い。

どうせなら幸せだっただろう新婚生活の夢の虜になっていればまだいい。

だが、能力はナイトメアだ。

何度も何度も目の前で最愛の妻を亡くす悪夢のループ。

そんな残酷な精神攻撃を受け続ければ、虎徹さんの心が死んでしまう。

友恵さんの面影を使って虎徹さんを死なせる…?

「そんなの友恵さんへの冒涜だ。…許せない!!

僕は無性に腹が立った。

虎徹さんの一番大事な人の魂を穢すなんて!

「何かないんですか!?この夢を覚ます方法は!!

僕の激昂にアニエスさんは微かに笑った。

そう言いだすのを待っていたわとでもいうように。

 

「いい?バーナビー、よく聞いてちょうだい。」

アニエスさんは真剣な面持ちで僕に言った。

ナイトメアを外から破壊する、その方策を。

それは手段としてはとても単純な、

それでいて成功する可能性としてはゼロに近い方法だった。

>ヘタをすれば貴方もただじゃ済まない。無理強いはしないわ。

アニエスさんはそう言った。

でも、それでもやらなくては。

今まで僕は虎徹さんに何度も助けられてきた。

今度は僕があなたを助けます。

たとえそれがどんなに危険だとしても。

「分かりました。全力でやってみます。」

僕は決心した。

もうこれ以上、虎徹さんを苦しませない。

友恵さんの魂を穢させはしない。

 

一時間後、作戦をサポートしてくれる仲間が病室にそろった。

「バーナビー準備はいいか?

機材のセッティングを終えた斎藤さんのウィスパーボイスに

僕は一つ深呼吸をして頷いた。

アポロンの技術スタッフたちも心配そうに僕を見ている。

「始まったら中止はできません。本当にいいですか。」

「はい、覚悟はできてます。」

危険だからこそ僕じゃなくちゃいけないんだ。

家族や友達のいる人にこの役目はさせられない。

「さあ、早く始めましょう。」

斎藤さんは僕を束の間じっと見て、分かったと頷いた。

 

僕たちの脳波をシンクロさせ、虎徹さんの夢の内容にリンクする。

虎徹さんの夢から逃れたいという強い思念と

僕の夢を壊したいという強い思念を同時に悪夢にぶつけあう。

いわば心のグッドラックモードを決めなくてはならない。

でも、急ごしらえの装置では夢の内容までは把握できない。

ただ脳波や心拍数から、夢の中の虎徹さんの精神を推し量るだけだ。

たぶん、バイタルが一番乱れた時が勝負の時。

それは機械を通して僕に情報としてフィードバックされる。

その装置をこの短時間で作った斎藤さんはやっぱり天才だ。

それでも成功する可能性は低い。

もし、夢の内容が奥さんの死じゃなかったら

僕の呼びかけは頓珍漢なものとなり、成功率はほぼ0だ。

それどころか、タイミングを掴み損ねてノンレム期に入ったまま

虎徹さんの精神がダメージに耐えかねて力尽きることがあれば、

精神をリンクさせている僕も同じ道を辿る。

次のレム睡眠までもつという保証はないのだ。

勝負はこのレム睡眠90分間。

 

 

「虎徹さんの悪夢は僕が破壊します。」

さあ、正義の壊し屋代行だ。

僕は虎徹さんの横に据えられた簡易ベッドに横たわった。

脳波計やフィードバック装置が頭や腕につけられる。

僕は虎徹さんの携帯を操作して奥さんの画像を開いた。

緊急事態だから、これくらいのマナー違反は許してくださいね、虎徹さん。

病院、奥さんの顔、小さい楓ちゃん。

必要な映像を頭に叩き込む。

ついでに彼の家にある写真立ての絵を思い出す。

ああ、目を逸らさずもっとよく見ておけばよかった。

「ワイルドタイガー覚醒プロジェクト、始めます!

よく通るスタッフの声が聞こえ、機械が立ち上がる雑音が響いた。

「バーナビーさん、失礼します。」

僕の左腕にレム期に眠るための睡眠導入剤が注射された。

「いきますよ、オジサン。」

僕はそう気合を入れて静かに目を閉じた。

 

→続く