3 nightmare
ぼんやりとした意識の中で、僕は夢とも現ともつかない光景を見る。
ここは…どこかの総合病院。
情景はリアルなのに、妙に現実感がない。
幽霊にでもなったような感じだ。
「…っ…。ううっ…。」
どこかからすすり泣く声が聞こえた。
どこだろうと思った瞬間、ぐるりと景色が反転する。
僕は一瞬で暗い病室にいた。
目の前には見慣れた広い背中。
その向こうにはベッドに横たわる黒髪の女性。
「友恵…友恵…。」
虎徹さんが泣いてる。
ベッドのリネンも友恵さんの肌もその顔に掛けられた布も、
何もかもが白い部屋で、虎徹さんが声を上げて泣いている。
それを見る胸が苦しくなるのは、たぶん今は嫉妬じゃない。
あの痛みを、僕も知ってるから。
「友恵、ごめん…。ごめんな…。」
聞いたこともないような辛そうな声が聞こえる。
<虎徹さん、これは夢です。起きてください>
僕は彼の背にそっと触れた。
けれどその手は彼の身体をするりと突き抜ける。
もしかして…。
僕は寝台に横たえられた友恵さんに一礼してそっと彼女に触れた。
やはり透明になった僕の腕は彼女の身体に触れることはない。
物理的干渉は無理か…。
<虎徹さん、これは夢です!早く目覚めてください!!でないと貴方は…。>
僕は声を出すのを諦め、心の中で力いっぱいそう思った。
斎藤さんの言う精神をリンクさせるというのがこれでいいのか分からない。
<貴方が死んだら楓ちゃんはどうなるんですか!早く起きて!!>
あの娘に僕と同じ思いはさせたくない。
「起きてください!貴方にはまだ大事な人がいるでしょう!!」
「ごめん、俺が…ったばかりに…。」
だめだ、虎徹さんに僕の心の声は届かない。
くそ!どうすれば…!!
僕は心の限り叫んだ。
<目を覚ましてください!虎徹さん!!>
ドクン!!
その時、僕の精神が芯から揺さぶられるような衝撃を感じた。
鎮魂の鐘が聞こえる。
皆が泣いてる。
俺は…まだ信じられないでいる。
教会の祭壇の上に置かれた棺を見ても、
まだネタなんじゃないかって思ってる。
なあ、もういいから起きて笑ってくれよ。
頼むから…目を開けてくれよ…。
「バニー…。」
俺は跪いてバニーの頬をそっと撫でた。
氷のように冷たくて、固く強張った白い肌。
棺の中で横たわるあいつはとても綺麗だった。
でも、何かを…いや、全てを諦めたような寂しそうな顔だった。
「なあ、お前生きてて幸せだって思ったことあったのか?」
俺はバニーに訊ねた。
「撃たれて『まあいいや』なんて…。そんな最期あるかよ…。」
俺は棺越しにバニーに縋りついた。
親の仇は討った。
好きになった相手には振られた。
だからこの世に未練はもうありませんってか?
馬鹿言うなよ!
お前はまだまだこれから、今まで苦労した分、いやそれ以上、
幸せになる権利があったんだ!!
なあ、お前の幸せってなんだったんだ?
したい事とか、欲しいものとか何かなかったのかよ…。
こいつ突っ張ってたけど、ほんとはすごく寂しがり屋だった。
俺の度の過ぎたスキンシップを、いつも嬉しそうに受け止めてくれて…。
ああ…そうか…。
お前、温もりが欲しかったんだ。
なのに温もりを求めて伸ばされた手を、俺は冷たく振り払っちまった…。
「ごめん…。俺がお前の気持ちにちゃんと向き合わなかったばかりに…。」
せめてごめんじゃなくて、ありがとうぐらい言ってやれば…。
ごめん、バニー。
俺今頃気がついたよ。
俺はお前を喪いたくない!
もっとお前と一緒にいたかった!!
もっと一緒に飯食って、笑って、ヒーローやっていきたかった!!
馬鹿だ、俺は。
あんなに一緒にいたのに、いなくなって初めて分かるなんて。
お願いだバニー、戻ってきてくれ。
まだ、逝っちゃだめだ!!
「バニー!頼むから目を開けてくれ!!」
ドクン!!
俺の心臓が激しく跳ねた。
これは一体…。
「脳波のサイクルがシンクロしました!!」
ラボの検査技師が斎藤に報告した。
「バイタルデータ、全て同調。一瞬ですが二人の脳波がβを示しました!!」
斎藤はベッドに横たわる二人の顔を見た。
「ふむ。まだ覚醒にはいたらないか。刺激が足りないのかな。」
スタッフが解析結果を斎藤に手渡すと、斎藤は素早くそれに目を走らせた。
やがて温和な彼の顔が曇っていくのをスタッフが不安げに見守る。
「精神の同調はこの一瞬だけだな。もしかして…。」
予想以上に乖離した二人の精神の波長。
それは二人が違う精神状態に置かれていることを示す。
「仮説は間違っていた?」
タイガーの囚われている悪夢は『妻の最期』ではないのではないか。
だとしたら、バーナビーの呼びかけは全て無意味なものとなる。
この一瞬は、タイガーの見ている夢と
バーナビーの仮説『友恵さんの死』の
何らかの局面で偶々合致する部分があった。
それだけでは到底タイガーの覚醒には繋がらない。
斎藤はそう考え、重い溜め息をついた。
「ノンレム睡眠まであとどれくらいだ。」
斎藤はスタッフに訊ねた。
「約50分です。」
バーナビーは眠る前に虎徹の亡妻や愛娘の写真を見ていた。
今、彼は5年前の鏑木家の悲劇の光景を見ているはずだ。
いまさら彼に仮説の変更を呼び掛けるすべはない。
「もう一度…奇跡を起こせ。タイガー…バーナビー…。」
斎藤は悲痛な声で二人に呼びかけた。
病室の一角で、泣き崩れる虎徹さんを見ながら
僕は自分の存在―精神の波長が揺らぐのを感じた。
さっきの衝動はなんだったんだ?
それに、このあまりにも空虚な感じは…。
精神の同調が上手く行ってないんだろうか。
もしかして仮説は間違っているのだろうか。
でも、虎徹さんの精神をそこまで痛めつける夢の内容など、
ほかには全く見当もつかない。
楓ちゃんやお母さんに何かあった夢…?
それともヒーローを続けられなくなった夢?
いや、考えても無駄だ。
今更路線変更などできないし、
やはりどう考えても、友恵さんの死以外は考えられない。
…けれど、やはりひっかかる。
さっき僕の精神に流れ込んできた悲痛な意識。
ありえない。
そんなことがあるわけがない。
僕はそれでも震える彼の背中に呼びかけた。
「虎徹さん、今…僕を呼びましたか?」
俺は胸を押さえ、辺りを見回した。
慈愛の眼差しを浮かべた聖母子像。
どこからか聞こえるパイプオルガンの哀しい調べ。
悲しみの涙にくれる仲間たち。
窓ガラスを打つ激しい雨。
棺の中の美しい相棒。
さっきと何一つ変わっていない。
なのに何か違う気がする。
なにが、どこが違う…?
バニーの死を受け入れられなくて、現実逃避してるのか?
いや、そうじゃない。
さっきとても大事な何かが聞こえた気がしたんだ。
そんなことあるわけないのに。
でも、もしかして…。
俺は永久の眠りについた相棒の髪をそっと撫でた。
「バニー、お前…今、俺を呼んだか?」
ドクン!!
またさっきの衝撃が僕を、俺を、貫いた。