2.拉致監禁
上機嫌で焼酎を呷る虎徹にアントニオはふうんと資料を返した。
「お前もずいぶん思い切ったなあ。家買う決心するなんて。」
へへっと嬉しそうに資料を受け取り、虎徹は周辺地図や外観写真を眺めた。
「ま、当面はローンに追われるけどな。どうにかなるだろ。」
虎徹はこういう借金だったら喜んで身を粉にするさと笑った。
「あの賠償金王がねえ…。変われば変わるもんだ。」
「ったりめーだろ。また所帯を持とうってんだ。変わらんでどうするよ。」
虎徹は住宅ローンの申請が通った旨の書類を感慨深げに見つめた。
二部リーグになってからは賠償金の発生も格段に減った。
年俸自体は一部に遠く及ばないが、賠償金負担がなければ
後はこまごまとしたメディア媒体の仕事を受けたりすれば
それなりに収入は増やせるものだ。
実家に生活費と楓の学費を送金してもまだ、
以前よりは懐に余裕があるくらいだった。
今までの賠償金は引退の時に退職金とマーべリック事件の慰謝料として
会社が全額肩代わりしてくれた。
負の財産がなくなり、整った容貌があんな形とはいえ世間に知られたことで、
バーナビーほどではないにしても
単価の高いCMやグラビア関係の仕事も増えた。
それを実感した時、虎徹は決心した。
ふたり一緒に暮らす家を買おうと。
実際の世帯収入は二馬力だが、そこはオリエンタル男の矜持がある。
自分の収入だけで家を用意し、パートナーを迎えたい。
そう思っていろいろ調べて虎徹はその家に決めた。
「経理のオバちゃんにも相談したけど、まあ大丈夫だろうって。」
アントニオはへえと頷いてから、ああと唸った。
「高校の時はそんなに変わらなかったのになあ、俺たち。」
結婚、子供の誕生、そして持ち家。
あの頃同じ場所に立っていた親友にどんどん置いていかれる。
もちろん妻の早すぎる死という不幸があったのも忘れてはいない。
だが、それを差し引いても大きく水をあけられた感が拭えない。
しかも若くて美人の後添えまで見つけたのだから。
まあ、アントニオに言わせれば一点だけ巨大な問題があるが。
だが本人がそれを承知で、今幸せなのだからそれも問題ではないのだろう。
ああ、やっぱり悔しいとアントニオは素直に負けを認めた。
「くそー!俺は寂しいぞ!!お前だけ幸せになりやがって!!」
アントニオはそう言うとウイスキーを呷った。
「お前もそろそろ身を固めたらいいだろ。俺でもできたんだ、簡単だよ。」
「うわ、上から目線。誰とだよ。」
「居るだろ一人。情熱的なファイヤー熱視線の主が。」
「お前なあ。俺はそっちに行きたくない。」
「あいつは女子だろ。」
「ああモウ!!」
その時、虎徹の携帯から幸せな恋の歌が流れた。
「お、バニーからだ。」
脂下がった顔で携帯を弄る虎徹の横顔に
アントニオは付き合ってられねえと顔を背け、酒のお代りを頼んだ。
「え…。なんだよこれ!!」
てっきり惚気が迸ると思った口から不穏な声が漏れた。
アントニオが虎徹に顔を向けると、虎徹の顔は引き攣り手が震えている。
「何かあったのか?」
ただ事じゃないとアントニオは虎徹の携帯を覗き込んだ。
「これは!!おい虎徹!!」
液晶に映っていたのは、どこかの部屋で監禁されているバーナビーだった。
送信者 バニー
相棒は預かった。
こいつを無傷で返して欲しければ、
シュテルンメダイユ地区ノースゴールドのパブ「フレイム」まで来い。
警察やヒーロー関係者に連絡したらこいつの身体の無事は保証しない。
1時間以内に来ない場合も同じだ。
待ってるぞ、ワイルドタイガー。
添付写真には上質そうなソファにぐったりと倒れ伏すバーナビー。
後ろ手に縛られ、意識がないようだ。
そしてその後ろにはSMショーでもやっているのかと思うような
きわどい格好の男性が何人か映っていた。
脅迫内容が『身体の無事は保証しない』ということは、
何らかの手段でバーナビーを無力化し、暴行あるいは凌辱した挙句に
それを流出させて社会的抹殺でもする気か。
虎徹の頭にカッと血が上った。
警戒心の強いバーナビーをあんな状態で籠絡できたからには
一体どれだけ卑劣な手口を使ったのか。
あるいは何らかの脅迫で心理的に抵抗力を削いだか。
「どこのバカどもだ!俺を本気で怒らせてただで済むと思うなよ!!」
虎徹の怒声に周囲の客が何事かと虎徹を見た。
「落ち着け虎徹。何かの間違いか悪戯じゃないのか?」
アントニオが宥めるが、虎徹はますます激昂した。
「バニーはこんな悪質ないたずらしねえ!!」
それもそうかとアントニオは思い返した。
冗談にしては出来が悪いが、本当だとしたら今度は性質が悪い。
「虎徹、バーナビーに電話してみろ。本人が出るかは分からんが…。」
虎徹はその言葉に慌てて発信履歴からバーナビーのナンバーをコールする。
プルル…プルル…プッ
「もしもしバニー!?俺だ、虎徹だ!今のメールは…。」
虎徹はどうか何かの間違いであってくれと願いながら捲し立てた。
しかし聞こえた声は合成音のような男の声だった。
わいるどたいがー
何ヲシテイル。早ク来イ
相棒ノ身ニナニガアッテモイイノカ
我々ハ気ガ短イ
綺麗ナ相棒ノ身体、野郎ノ餌食ニサレタクナケレバ
一時間以内ニふれいむニ来イ
言うだけ言って通話は切られた。
拉致監禁と脅迫は事実だった。
虎徹は通話終了の画面をしばし呆然と眺めていたが
沸々と湧きあがる怒りに眦をあげた。
「待ってろバニー、すぐ助けに行くから!!」
虎徹は席をけるように立ち上がった。
今にも能力を発動しそうな虎徹を宥め、
アントニオは二人分の飲み代をカウンターに置いた。
「俺も付き合う。気になることもあるしな。」
ヒーローを連れて来るなとは書いてあるが
一般人アントニオ・ロペスが同行する分には問題ないだろう。
アントニオはそう言って虎徹の肩を叩いた。
「さあ、兎ちゃんの奪還に行くぞ。」
「アントニオ…。恩に着るぜ!!」
持つべきは古くからの友だと虎徹は涙目になった。
一方アントニオはどうにもこの脅迫におかしなものを感じた。
バーナビーの携帯を奪って送られた脅迫メール。
脅迫する割に、ワイルドタイガーが来ること以外には
要求めいたことを何も言わなかった。
目的は一体何なのか。
それに指定された場所。
<パブ『フレイム』って確か…。>
アントニオはそれを言うべきか迷ったが、
現地で状況を把握してからでも遅くないと判断し口を噤んだ。
二人がいたサウスブロンズ地区のバーからノースゴールドまでは
タクシーで高速を使っても一時間の制限時間ぎりぎりの場所だった。
「くそ…間に合え…。間に合え…。」
虎徹は自分の爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。
「運ちゃん、人の命が掛かってんだ!飛ばしてくれ!!」
アントニオがリアシートから身を乗り出し懇願したが
高齢の運転手は人の命うんぬんを聞いていなかったのか
今日は混んでるからねと悠長に返された。
「バニー…。無事でいてくれ…!!」
虎徹はもどかしい思いをぶつけるように己の膝を掴んだ。
三層構造の都市を螺旋状に繋ぐ高速道路は
円の直径に当たる道を持たず、南北の移動に数十分を要する。
指定されたショーパブ「フレイム」の前にタクシーが止まったのは
指定された制限時間の10分前だった。
「ここか…。バニー、今行くぞ。」
ゴールドステージには珍しく、極彩色の孔雀が
赤・黄・青と目まぐるしく変わるネオンサイン。
その下の瀟洒な作りのエントランスに二人は足を踏み入れた。
虎徹たちの客層を見て追い返そうと立ちはだかったドアマンに、
車内でアイパッチをつけていた虎徹が仁王立ちで睥睨し返した。
「ここにうちの相棒がお邪魔してるよな?迎えに来たと伝えろ。」
ドアマンは二人をもう一度見て、ああと頷いた。
インカムで店内とやり取りをした後、
店内からプロレスラーと見まがうような体躯の男が出てきた。
「こちらへどうぞ。」
見た目に反し丁寧な所作で、男は二人を案内するように先に立った。
薄暗い照明のホールにジャズの生演奏が心地よく響く。
<なんて店だ…。>
アントニオはいたたまれない気持ちでフロアの端を虎徹と並んで歩いた。
人を見なければ上質なパブの作りだが、明らかにマニア向けの店だ。
店内には半裸から9割裸までさまざまな男がきわどい衣装で
接客したりダンスショーを披露している。
ステージでは見事な体躯の男がポールダンスで艶めかしい動きを見せていた。
身形のいい客たちがやんやと喝采を送っているのを横目で見て、
やはりな、とアントニオは頷いた。
店の格が高すぎるのとそっちの趣味はないので来たことはないが、
この店の噂は前に聞いたことがあった。
「おい、虎徹…。ここは…。」
そう言って虎徹を引きとめようとするが、虎徹の耳には届いていない。
怒れる虎はこの先に居る敵に鋭い眼を向けて真っ直ぐに歩いていく。
<モウ、知らねえぞ。どうなっても…。>
やがて男が重厚な二枚扉の前で足を止めた。
いかにもVIP用個室といったホテル並みの設え。
ここにバーナビーが監禁されているのか。
虎徹は険しい顔で扉を睨んだ。
「どうぞ、客人と当店のオーナーがお待ちです。」
虎徹はドアを壊すような勢いで室内に飛び込んだ。
「お前なあ、連中が向こうで銃でも構えてたらどうするんだ。」
呆れた声でアントニオも泰然と続いた。
能力で弾よけになるつもりだったが、まあ不要だろう。
「バニー!!」
虎徹は白い革張りのソファに寝かされたバーナビーに駆け寄った。
「しっかりしろ!おい!!バニー!!」
虎徹はぐったりとしたバーナビーを抱え起こし、
雑に結ばれた後ろ手の縄を引きちぎった。
意識さえあればこんなもの彼には拘束したうちに入らない。
脈と呼吸を確かめると、どちらも浅く早い。
「よかった…。眠ってるだけだ…。」
虎徹はひとまず安堵の息をついた。
顔をバーナビーの口許に近づけ、吐く息を確認すると
ほんの微かにアルコールの匂いがした。
ということは一服盛られたか。
だが誰に何を飲まされた?
なんにしても慎重なバーナビーらしくないと虎徹は訝しく思った。
「いらっしゃいませ、ワイルドタイガー様。」
添付写真に写っていたSM男が数人、虎徹の脇を固めた。
「悪いがこの店は俺の趣味じゃねえ。こいつを返してもらいに来ただけなんでね。」
邪魔するようならバーナビーをアントニオに預けて
こいつらもここで昏倒してもらうか。
虎徹が鋭い眼で男たちを睨み、臨戦態勢に入った時だった。
「お客様、ようこそショーパブ『フレイム』へ。」
嫣然と微笑み、緋色のドレスを身に纏ったオーナーが
二人の前に優雅に歩み出た。
看板の極楽鳥さながらの艶やかさ。
いや、むしろ火の鳥か。
「お前…!!」
愕然とする虎徹をよそに、アントニオが溜め息をついた。
「やっぱりな。こんなオチだと思ったぜ。」
「え?なに、どういうこと!?」
オーナーの正体とアントニオの反応に虎徹の理解が追いつかない。
「どーお、アタシのサイドビジネス。なかなかの店でしょ?」
ネイサンはふふっと楽しげに笑った。