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2.控室4景

 

「ボクたちの織姫と彦星は普通の学校に行ってるんだね。」

パオリンは今時珍しいセーラー服のスカートを揺らし

イワンの側にあった椅子に腰かけた。

「スカート穿きなれないからなんだかスースーする。」

膝上スカートからすんなりと伸びた脚をぶらぶらさせ、

パオリンは少し気恥ずかしそうに笑った。

<可愛い!!も、萌え!!

イワンは制服姿のパオリンをまぶしそうに見つめ、慌てて視線をそらした。

「どうかした?

「ううん…すごく似合うよ、その服。」

目をそらしたままそう呟いたイワンにパオリンは少し頬を染めた。

「お芝居頑張ろうね、折紙さん!!

「は、はい!!

学生服にフルフェイスメットという珍妙な格好のイワンはそれでも

己の表情に気づかれないで済むこの衣装に感謝した。

 

同じ学校の先輩と後輩で恋に落ち、

その結果勉強や部活を疎かにしたことから、怒った織姫の父が

娘を河の対岸にある厳格なミッション系の女子高に転校させてしまう。

後悔してももう遅く、二人は周囲に引き裂かれる。

 

「橋もない河の土手でお互いに思いを叫ぶ…か。」

未成年の二人に与えられた台本はそういう筋書きだった。

「でもさ、自分の責任だよねこれ。」

幼いヒロインはバッサリと織姫のふがいなさを切って捨てた。

「ボクだったら好きな人にいろんなこと頑張ってるの見てほしいけどな。」

パオリンはいまひとつ台本の織姫に共感できず、

こんなんじゃ親が心配するのは当たり前だよと批判している。

幼くして親元を離れ異国で頑張ってる彼女らしいな。

イワンはそう思いつつも、台本の少女も一途で可愛いと思った。

「僕は…なんだかわかるな。好きな子ができて他の事が手につかない気持ち。」

イワンは牽牛の舞い上がる気持ちがよく理解できる。

もし今パオリンと付き合い始めたら…。

もちろん見切れや救助に手を抜いたりはしない。

でも絶対に浮ついた部分を出さないでいられるだろうか。

例えば、トレセンでマシンに乗っかったままぼんやり彼女を見つめる。

それはありうるとイワンは思った。

他の男性ヒーローは大人だから出来るかもしれないけど、僕は自信が持てない。

「こんなんじゃ織姫にも嫌われちゃうよね。」

情けないなとイワンはメットの下で涙目になった。

「そんなことないよ。」

?とイワンはパオリンを見た。

パオリンは制服のリボンを弄び、少し恥ずかしそうに言った。

「だって、それって『大好き』ってことでしょ?ボクはそこがまだよく分からないんだ。」

それは彼女がまだ恋をする心の成熟を迎えていないということ。

それでも最善の結果を出そうとするパオリンをイワンは心から尊敬した。

「そっか…。でも、パオリンがそうならそれでいいんじゃないかな。」

イワンの穏やかな言葉にパオリンはえっと驚いた眼を彼に向けた。

「自分たちらしく行こう。君は元気な織姫を。僕はちょっと情けない彦星を。」

パオリンはその言葉にクスッと笑った。

「折紙さんなら『でもとっても優しい彦星』だよ!

折紙は仮面の下で白皙の顔をゆでダコのようにした。

 

 

「向こうは早くも青春劇全開ねー。」

カリーナは同じ控室の一角で自分の相手役をじろりと見た。

衣装は新鮮味のない制服、気は優しいが恋愛劇にはピンとこないパートナー。

貧乏くじだわとカリーナはぷっと頬を膨らませた。

「で?策があるってどういうことよ。」

少女の険のある声に顔も顰めずアントニオはうむと頷いた。

「今度お前のバーのライブに虎徹を連れて行って、俺は途中退場する。」

アントニオの提案にカリーナの眉間のしわが消えた。

「つまりハンサムに邪魔されずにタイガーと話ができる場を作ってくれるって事?

「そういうことだ。悪い話じゃないと思うが。」

ふーんとカリーナはまだ疑わしげにアントニオを見た。

「どうせ途中でハンサムから電話かかってきたりするわよ。」

カリーナの拗ねた声に、そこは大丈夫だとアントニオは厚い胸を叩いた。

「虎徹が俺との飲みに応じるのは大概ハンサムに接待の仕事がある日だ。」

…え、アンタってタイガーにとって飲みの補欠要員なの?

学生時代からの親友ってその歳になるとその程度のもんなの?

カリーナはそうは思ったがそれを口にしない分別はある。

「へえ…。だったら邪魔は入らないか。でもさ、なんで私なの?

アントニオはその問いに渋面で首を横に振った。

「ネイサンと組まされたら俺のケツがもたん。」

露骨な猥談に慣れていないカリーナの頬がかあっと紅くなった。

「やめてよ未成年女子にそういう話。」

セクハラ扱いされたアントニオは慌てて違う違うと言い募る。

「俺は自分の貞操を護りたいだけだ!!

魂の叫びのような言葉にカリーナはもう同情を禁じ得なかった。

「おじさんでも大変なのね…。」

「そういうのはオッサンも女子高生も根は一緒だ。」

「そういえば、この織姫も大概おじさん趣味よね…。」

アントニオとカリーナの台本はまた変わっていた。

 

学校の先生と清らかな恋をする女子高生の物語。

分別ある牽牛先生は織姫が卒業するまでは手を出さないと、

年齢に見合わぬプラトニックな愛情を積み重ねていた。

だがそれは校長や教育委員会の知るところとなり、あらゆる憶測と邪推を受ける。

牽牛先生は免職になりかけるも、校長の温情で転勤となる。

学校同士は向かい合わせだが対向8車線の環状道路が二人を遮る。

逢瀬が知られれば次こそは未成年育成保護法に基づき告訴される。

二人は名を変え他人をブロックしたSNSで想いを伝えあう。

 

「このJKむかつく。」

カリーナは台本を見て憤慨した。

「秘密の恋してたんだったら自分もリスクを負いなさいよ!!

自分が今叶わぬ恋をしてるから、一方的に保護された織姫が気にくわないんだろうな。

アントニオはそんな彼女の激情をすこし羨ましく思った。

歳を経るともうそんな風に熱くなるのは難しい。

「いや。大人の男なら、黙って全部引き受けるもんだ。」

虎徹だってきっとそうするだろうな。

アントニオの言葉にカリーナはふうんと満更でもない顔をした。

<大人の男に護られるって…なんかいいな。>

男と同じように戦場に身を置くうちにいつしか忘れていた護られる悦び。

「私、あんたをタイガーだと思って頑張る!

「おう、俺もお前があと10歳ばかり年増だと思ってがんばるさ。」

なによそれ。

ひでえなあ。

お互いに笑いあって二人は拳をぶつけあった。

 

 

「んもう、牛ちゃんの裏切り者。」

ネイサンは艶やかな唇を不満げに尖らせた。

だがカリーナからはパートナーを横取りする結果になった侘びと

その穴埋めにと、とある計画がメールされてきた。

「ふふ、あの子ったら気を遣っちゃって。」

ネイサンはカリーナのメールに手早く返事を返すと、

漸く衣装を整え戻ってきた牽牛を見た。

「いやあん男前5割増しだわあ!本番は素顔じゃないのが惜しいくらい

キースは良質な仕立てのスーツに身を包みネイサンの隣の椅子を引いた。

漆黒のスーツは白をイメージカラーとするスカイハイに意外とよく似合っている。

「ファイアーエンブレム君も似合う!似合うよとても!!

「アタシは他の女子と違ってマスク外せないから。でもあれは無粋だしね。」

ネイサンは豊かに波打つ艶やかなオレンジのウィッグと

ヴェネツィアのマスカレードで使うような羽仮面で嫣然と微笑んだ。

「良家のマダムと執事の禁じられた恋…なんだか照れるね!!

台本を見ながらキースは今更のように気恥ずかしそうに言った。

 

良家のマダムと執事は留守がちな主人の眼を盗み禁断の愛を育む。

だがそれに気づいた主人は激怒し、執事を解雇した。

マダムはなんとか執事を主人の権力の及ばぬところへ逃がそうとするが、

嫉妬に狂った主人は二人を二度と会えぬよう画策する。

権力により遠い島に流された元執事は海の向こうで待つマダムに

そっと秘密の文をしたためる。

 

「我々のは近世の時代ものか、すこしレトロだ。」

「スカイハイにルール違反の恋なんてまた無理吹っ掛けるわね、アニエスも。」

ネイサンはそれぞれのチームのあらすじを見比べて溜め息をついた。

「意外性を求められているようだね。とても緊張するよ、とても!!

キースの言葉にネイサンもそうねと頷いた。

まあこの男が清廉潔白な好青年を演じても何の意外性もない。

さりとてこの役はバーナビーぐらいの年齢だと若気の至りの一言に尽きる。

いや、そもそも不倫というシナリオはアポロン社からNGをくらうか。

その意味ではポセイドン社もよく許可したわねとネイサンは首を傾げた。

「ね、あんたは好きになっちゃいけない人を好きになったことってある?

「ないよ。そして未経験だ!!

デスヨネー。

ネイサンははあと溜め息をついた。

この男にアダルトな雰囲気を出せるのかしら。

「でも…。」

キースの真剣な声にネイサンはなあにと促した。

「好きになったら…立場やいろいろな困難を乗り越えたいと思うよ。」

ネイサンは驚いて瞬きし、ふふっと笑った。

「そうよね。惚れたら細かいことなんて気にしないわよね。」

「不倫はよくないと思うが、人の奥方を好きになる苦悩…演じてみせるよ。」

戸惑いながらも己の役目を果たそうとするキースにネイサンは微笑んだ。

「頑張ってオトナの魅力を前面に押し出していくわよ!!

「ああ、負けないよ!どのチームにもね。そして勝つ!!

ふふ、その負けん気こそが長年貴方をKOHとして君臨させたのね。

ネイサンはキースの意外な一面を見て嬉しくなった。

「ハンサムの誕生日の時みたいにおかしなアドリブ入れないでよ?

「はは、肝に銘じるよ。」

二人はオトナなシナリオにふさわしく、視線を交し頷きあった。

 

 

「はあーーーーーーーー。」

虎徹は何度目かの溜め息を漏らし、しげしげとバーナビーを見た。

「プロの化粧って凄いもんだな。」

地毛に限りなく近い色合いのエクステンションで艶やかな髪はうねりを長く。

メイク担当者の渾身の出来栄えとも言うべき化粧。

185センチという高身長もものともしない、

長く裾を引く古代中国風の衣装はあでやかな金糸の刺繍も見事で。

プロの女優が裸足で逃げだす絶世の美姫がここにいる。

肌を極力出さない極東の衣装だと胸や脚などの

どうしても性差を感じる部分がゆったりとした衣に覆われている。

そのせいで唯一露出する肌―バーナビーのずば抜けて端正な顔立ちが

男性の姫君としての違和感を微塵も感じさせない。

「バニー…すげえ美女だな…。これは牽牛も仕事放り出すわ…。」

母親似だとは知っていたが、まさかここまでとは。

「なんつーか…いや、うん…綺麗しか出てこねえわ。」

虎徹の手放しの絶賛にバーナビーは照れ臭そうに笑った。

「虎徹さんも凄く似合ってますよ。貴方の魅力を衣裳係はよく分かってる。」

虎徹は織姫に比べればシンプルな、それでいて彼の鍛えた上体を

余すところなく引き立てる濃紺の衣装。

細い腰に帯を巻いているだけで見事な逆三角形の体型が際立つ。

「ま、まあこういう話は男は添え物みたいなもんだからさ。」

容姿を褒められることに慣れない虎徹は気恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「俺たちのはアレンジなしの神話通りなんだな。」

「シュテルンビルトではマイナーな話ですから、一話はオリジナルが要るんですね。」

バーナビーは最終確認のように真剣な目で台本を見ている。

「年に一度、カササギの渡す橋を越えて逢いに行くんですね。」

鳥がどうやって星の河に橋を架けるんだろう。

そもそも晴れないと逢えないって、反省してるのにそこまでの仕打ち。

この天帝とかいう父親は鬼か。

バーナビーが眉を潜めていると、虎徹がおっかねーよなーと相槌を打った。

「仕事放り出してバニーに構いすぎて、CEOから呼び出されて左遷…。」

天帝は織姫の父親という話からの連想らしい。

「左遷やだ!俺まじめに仕事しよ!!

「当たり前でしょう。あとどちらかっていうとロイズさんから呼び出されるほうが…。」

「怖い!なんかそっちの方が怖い!!

側に繋がれていた子牛の首に抱きついて虎徹が大げさに叫んだ。

子牛が驚いて身を捩るが逃げられず、苛立たしげに床に蹄を打ちつけた。

「虎徹さん、その子怖がってますよ。可哀そうです。」

笑いながらバーナビーが言うと、虎徹はその表情にぼうっと見とれた。

花のかんばせを綻ばせる美姫。

「虎徹さん?どうかしましたか?

「あ、いや。しっかしバニーちゃんほんとに綺麗だなー。」

そういえば古代中国の話で、皇帝をダメにした美しい妃をさして

傾国の美女とか傾世の美女とかいったはずだ。

こういうのなんだろうなと虎徹はまた溜め息をつく。

もっともこの美女は皇帝が仕事を放棄したら西太后ばりの女傑に豹変するだろうが。

でも今はこの美人にもうすこし酔わせてもらおう。

「なあチビ、ここの織姫が一番綺麗だよな。」

子牛の頭を撫で、虎徹が嬉しそうに言った。

「も、もう。芝居中にぼんやりしないでくださいよ?

バーナビーが気恥ずかしそうにぷいと顔を背けると

髪に挿した銀色の髪飾りがふわりと揺れた。

「見とれてたら優秀な我が妻がフォローしてくれるんだろ?

「え、妻?ふたりは恋人同士じゃないんですか?

バーナビーはおかしいなと台本を読みなおした。

「ほらここ。天帝の娘で牽牛と恋人って。」

「ああ、ほんとだ。これ誤訳だわ。神話だと二人は夫婦なんだよ。」

そういうと虎徹はアニエスに携帯で解釈はどうするのか確認した。

「夫婦…。」

バーナビーは少し頬を染め、身に纏う豪奢な衣装を改めて見た。

「夫に綺麗だと思われたいがための、派手な装い?

気持ちは分かる気がする。

自分だって女役が決まってからすぐに行きつけのエステに予約をねじ込み、

半日掛けてトリートメントしてこの場に挑んだのだから。

「虎徹さん…夫婦役って知ってて『バニーとでもいい』って言ったんだ。」

聖域…いや禁足地だと思っていた妻という立場に

芝居の上とはいえ立つことを許された。

知らぬうちに眦にうっすら涙が浮かぶ。

 

「誤訳の件、夫婦という解釈でいいってさ。バニー、どうした?

着物の裾で目許を隠し、バーナビーは指で眦を拭った。

「いえなんでも。コンタクトレンズが少しずれてしまって。」

「え、痛そうだなそれ。大丈夫か?

気遣わしげにバーナビーの眼を見ると、

虎徹は何かに気づいたようにふっと柔らかく笑った。

「芝居頑張ろうな、『ハニー?』」



続く