時限爆弾
Side B
それはアカデミーにいた頃、一度だけ経験した感情だった。
あの女性は聡明で綺麗な人だった。
心の中が復讐…いや、有体に言えば他人への殺意で一杯だった
あの頃の僕は彼女の姿を目にするだけで、心が満たされた。
想いを伝えることはとうとうなかったけれど。
…で、何をどうしたら、こんな事になるんだ…。
人生二度目の恋が、このおじさんって…。
神様はよほど僕が嫌いらしい。
幼児期に親を殺され、人並みの青春を送ることもなく、
やっと落ち着いて人を好きになったと思ったらこの体たらく。
なまじっか女性にもてるスペックが憎らしい。
何の役にも立たないじゃないか、この人相手じゃ。
だいたいいつからだ、こんな報われない感情を持ったのは。
最初は…ウザい人だと思ってた。
他人の倍以上ある僕の心理的パーソナルスペースにずかずか入ってきて。
誕生日の一件の頃は、本当に鬱陶しかった。
まあ、ポイントは形に残らないからありがたく頂いたけど。
あの200Ptsが今の僕の総得点の中で特別だとは死んでも言わないけど。
アカデミー訪問の時は…素直に申し訳ないと思った。
僕の浅はかな暴走のせいで、あの人に深手を負わせた。
どれほど責められても当然なのに、
「手形野郎がウロボロスと関係ないってハッキリしてよかったな。」
なんて言われてどう返事をしたらいいのか分からなかった。
どうしてそこまで僕に構おうとするのか、本当に解らなかった。
ただ…。
なぜか、その気持ちを嬉しいと思ってしまった。
だからだろうか。
市長の息子の件の時、二人で潰れるまで飲んだ。
なぜか、誰にも言わなかった過去のことを随分話してしまった。
他人にはあまりにも聞き苦しい内容だ。
旨い酒が不味くなると言われたって当然な、負の感情だけの話。
でも、あの人は説教も批判もしなかった。
「大変だっただろ、独りでこんだけ集めるの。」
「大丈夫、きっと見つかるさ。」
そう言って、穏やかな声でただ励ましてくれた。
その後、虎徹さんの娘さんの話を聞いた。
トニーの事件の時、スケート場で僕が助けた子供が娘さんだと聞いて驚いた。
「あの時は本当にありがとう。ずっと、親として礼を言いたかった。」
虎徹さんは僕があの時は仕事だから助けただけだと言っても、
それでもありがとうと言いたいと深々と頭を下げた。
そんな…かしこまることじゃないのに。
ただ当然のことをしただけで。
その後で、楓ちゃんが生まれた時の親としての喜びや、
5歳でお母さんを亡くした時のことを話してくれた。
あの頃の僕と似たような歳で…。
当時の彼女を思うと、胸が苦しかった。
5歳で片親亡くしただけでも、楓はなかなか立ち直れなかった。
お前がご両親亡くした時はもっと小さかったのに、どれだけ辛かっただろうな。
それでも、こんなに立派になったんだから、ほんと大したもんだ。
今までよく頑張ったな…。
虎徹さんは静かにそう言った。
他人の上っ面の同情や、分かったふりは今まで飽きるほど見てきた。
だけど、この人の表情は真剣そのものだった。
家族を失う苦しみを、僕たちは偶然にも共有していた。
この人は、あの日の僕の痛みを本当に分かって言っているんだ…。
彼の言葉に僕はつい顔を伏せた。
その直後、頬を涙が伝ったのはなんとか見られずに済んだ。
怪我人の肩に凭れて泣くなんて、見苦しいことこの上ない。
でもあの人は、何も言わず僕の頭を撫でてくれた。
20年の苦労を初めて認められ、労られた。
感じたのは屈辱でも憤懣でもなく、
ただこの人に甘えたいという気持ちだった。
ああ、僕はずっと寂しかったんだ…。
自分の中にこんな気持ちがあるなんて、初めて知った。
彼への気持ちをはっきり自覚したのは、ジェイク戦の最中だった。
勝てない。
殺されるかもしれない。
結局、僕も犬死するのか。
だったら、あの時僕も一緒に逝けたらよかったのに…。
恐怖と絶望で戦闘中なのに涙が出た。
倒れそうになった…いや、違う。
もう斃れてしまいたいと思った僕を、あの人が支えてくれた。
あの時の虎徹さんの手は、とても温かかった。
外気なんて遮断するはずのスーツ越しに、あの人の温もりを何故か感じた。
今なら分かる。
あの人は市民のためだけに僕を戦わせたんじゃない。
僕の悲願を成就させようとしてくれた。
あいつを倒さないと、僕が前に進めないと心配してくれていた。
それでいて、ジェイクを殺したら僕の人生がダメになると思いやってくれた。
僕が勝てたのも、ジェイクを殺さずに踏みとどまれたのもあの人のおかげだ。
虎徹さん。
そう呼ぶのはものすごく勇気が要った。
今まで散々オジサンと小馬鹿にしてきておいて、どの面下げて。
自分でもそう思う。
でもあの人は、ただ嬉しそうに笑ってくれた。
今までの非礼を、全部水に流してくれた。
結局、あの人は大人で僕が子供だったってことだけど。
虎徹さんが好きだ。
もし、この気持ちを知られたら…。
きっと嫌われる。軽蔑される。
亡くなった奥さんを今でも大事に想ってるあの人が、
10歳以上も年下で、メンタルはさらに子供で弱くて、
くそ生意気で、極めつけに男の僕のこの想いを受け入れられるはずがない。
それでも優しい人だから、表立っては非難しないと思う。
「気持ちは嬉しいけど…ごめんな。妻を忘れることはできない。」
たぶん、そんなところだろう。
まだ幼い娘がいるからとか。
お前にはもっといい娘が似合うよとか。
こんなオッサンと付き合ったら、いつかお前の傷になるからとか。
ああ、そう言う虎徹さんが自然に想像つく。
優しいから、自分より他人を優先する人だから。
男に告白される不快感より、
振られて傷つく僕を思いやってくれるのが簡単に予想できる。
だから…絶対に言えない。
大好きな虎徹さんに、そんな苦しい思いさせたくない。
だったら…こんな気持ち気づきたくなかった。
新人のくせにクソ生意気で相性の合わない、
会社に押し付けられたお荷物バディでいるほうがずっとずっと楽だった…。
僕はいつまで「可愛げの出た後輩」の真似をできるだろう。
あの日みたいに、深酒が原因で暴露しないだろうか。
あの人が好きで、あの手の温もりを思い出すだけで幸せで。
あんなに嫌だった「バニー」という優しい呼びかけだけで、
20年以上も乾ききって罅割れた心が満たされる。
愛されたい。
抱かれたい。
それは叶わぬ望み。
願うことすらいけないこと。
だったら、優しくバニーと呼ばれて相棒として傍にいられるだけでいい。
マーべリックさんやサマンサさんみたいな
身内以外には僕には誰もいなかったんだ。
何も変わってない。
何も失ってない。
大丈夫。
これからも、今まで通り独りで生きるだけだ。
これからも、ずっと…。
「虎徹さん、好きです。」
この気持ちは心の奥底に沈めます。
誰にも言わず、墓場まで持っていきます。
だから…貴方を好きでいることだけは許してください。
…無理してるのは分かってる。
無理しないといけないのも分かってる。
僕は…いつまでもつだろうか。
この爆弾を抱えたままで。
心の時限爆弾なんて、どう処理していいのか分からない。
お願いです…。
虎徹さん、助けてください…。
もう、独りは嫌なんです…。
終り