Aイワンとパオリン
「でね、カリーナは絶対そうだって言うんだけど…。そんなことあるわけないよね?」
そう言って、パオリンは両手で包むように持っていたウーロン茶の缶を口に当てた。
それは持ったまま長話していたせいで、すっかり生温くなってしまった。
「…。」
イワンはパオリンのいう噂話に困ったように眉根を寄せた。
珍しく他に誰もいない休憩室は、どちらかが黙ると妙にしんとしている。
「うーん…。難しいね、その話…。」
イワンは緑茶の缶を弄ぶように揺らしながら語尾を濁した。
「そうかな。タイガーさんとバーナビーさんが付き合ってるとか、想像できる?」
パオリンは、ぼくは想像もできないよと苦笑する。
イワンはそんな彼女を遠慮がちに見つめ、また視線を床に落とした。
「あのさ、その話…。あまり人にしないほうがいいんじゃないかな…。」
やがて、言葉を選びながら、ぽつりぽつりと彼の考えを話し始めた。
もし、その話がブルーローズさんの妄想っていうか…思い込みだったら…。
正直、僕もドラゴンキッドと同じでそれはないだろうって思うけど。
とにかく、それが謂われのない事だったらあの二人どう思うかな。
すごく不愉快な話だと思うよ。
だって、あの二人の間に、僕たちとは違う信頼関係があるのは事実でさ。
その大切な絆を人にそんな風に茶化されたら、僕だったらいやだな。
パオリンはいつにないイワンのはっきりした物言いに少し驚いた。
「そっか…。そんなにまじめに考えなかった。…怒るよね、普通。」
パオリンは他愛ない女子トークのつもりが存外重い話だったと
気付いてしょんぼりと肩を落とした。
イワンはパオリンの表情を窺うように束の間彼女の眼を見つめると、
また背を丸め視線を床に落とす。
タイガーさんは、『馬鹿だなーお前ら』って、笑い飛ばしてくれると思う。
バーナビーさんはそういうことに潔癖そうだから激怒しそうだけど…。
でも…本当にまずいのは…あたってた場合だよ…。
イワンはそこまで考えてその話をしたのかと問うように、パオリンを見つめた。
「え、本当にあの二人が恋人同士だった場合ってこと?」
パオリンの問いに、イワンは真剣な目で頷いた。
もしあの二人が本当に付き合っていたとして…。
周りの人のそういう噂っていうか、興味本位の物言いがどれだけ二人を傷つけるか…。
もし誰かに『お前らできてんじゃないのか』って言われて、
面と向かって『そんなわけないだろう』って…言えないよ僕だったら。
だって、それはパートナーを拒絶っていうか、自分の立場を守るだけの発言だよね。
かといって『はいそうです』とも言えないよね。お互いを守るためにも。
どっちにしても、僕たちには関係のない事なのに、その噂が人のとても大切なものを
壊すかもしれないんだよ?
だから、その話はここで終わらせよう?
僕は、ドラゴンキッドから何も聞いてない。
ね、そういうことにしよう。
パオリンは自分が意図せず人を傷つけようとしていたことに気づいて、
少し涙目になっていた。
イワンはそれに気づいて言い過ぎたかと冷や汗をかいた。
それでも数秒俯いていたパオリンはふうと息をつき、顔を上げた。
「分かった…。話したのが折紙さんでよかった。」
「そんなことないよ。きっと他の誰かでも、同じこと言ったと思う。」
ここの皆はライバルなのに、本当に優しい人ばかりだから。
イワンがそう言うと、パオリンも笑顔で頷いた。
パオリンはしばらく中空を眺め、不意に言った。
「ぼくさ、最近カリーナと女の子らしい話するのが楽しいんだ。」
故郷に居た時は格闘技やNEXTとしての英才教育ってのを叩きこまれてて。
そこの仲間とはこんなふうに他愛ない話をすることもなかったから。
カリーナやネイサンさんと恋愛の話とかするのがなんか新鮮で。
だから、つい悪乗りしちゃったかもしれない。
謝ったほうがいいのかな。
イワンはそれを聞いてぷっと笑った。
「まだ何も言ってないのに謝るのは藪蛇ってもんだよ。」
パオリンもそれはそうかと頬を染めて笑う。
イワンはそんな彼女の屈託のない笑顔に一瞬目を奪われた。
「どうかした?折紙さん。」
イワンは我にかえり、慌てて顔の前で手を振った。
「あ、いや、なんでもない。そろそろ帰ろうか。」
「うん。」
二人が手にした空き缶を捨て、休憩室を出ようとした時ドアが開いた。
「おー、折紙、ドラゴンキッド。もう帰りか?」
「お疲れ様です。」
入れ違いに入ってきたのは虎徹とバーナビーで、二人は何となく気まずいものを感じた。
急に眼を逸らし、もじもじする年少組に虎徹は「ははぁ」と口角を下げた。
「なーんだあ?ひょっとして俺たちお邪魔しちゃった?」
「虎徹さん、ちょっとデリカシーなさすぎですよ。済みません先輩。」
「えーだってよー。こいつら結構お似合いじゃねえ?」
「それが余計な御世話だって言ってるんです。」
イワンとパオリンは目を合わせ苦笑した。
<なんか、勝手にくっつけられてない?ぼくたち…。>
<僕、あの人に気を遣ったのが馬鹿みたいに思えてきました。>
<…だね。言っちゃおうか、『お前らこそできてんだろー』って。>
<…僕やめときます。後が怖いんで。>
こそこそそんな話をしていると、虎徹が不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
「タイガーさんたちこそ、いつも一緒に居てお似合いだよね。」
<言った!!マジで言っちゃった!!>
にこにこと爆弾を放り投げたパオリンにイワンの全身の血が引いていく。
虎徹は一瞬あっけにとられたが、次の瞬間には爆笑していた。
「おー、そうだろそうだろ。うらやましいか?」
言いながら虎徹はバーナビーの肩に腕をまわした。
バーナビーは一言「暑苦しい」と言い、その手首の関節を曲がらないほうへ曲げた。
「痛い痛い!バニーちゃん、照れ隠しに関節極めないで…あたた!!」
イワンは『やっぱりバーナビーさんは怒るよな』と、そっと彼の顔を窺った。
けれど、その表情に怒りや不快の色はない。
「空気の読めないおじさんは僕がシメときますんで。お疲れ様でした。」
にこにこしながら『早く行け』と促され、二人は休憩室を飛び出した。
果たしてあれは自分たちを虎徹のイジリから解放してくれたのか。
あるいは単に邪魔者を追い払っただけなのか…。
イワンとパオリンは顔を見合わせ、くすくすと笑った。
「やっぱあの二人にはかなわないや。」
「ほんとですね。」
終