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この道の果てまで 

 

NC 1980年 8月 オリエンタルタウン

 

「ねえお父さん…。」

縁側に座った楓は黒いワンピースから伸びる脚をぶらぶらさせながら、

同じく縁側に座ったままスイカをかじっている俺に遠慮がちに切り出した。

「なんだ、楓。」

「いつまでバーナビーさんのこと放っておくつもり?

 

ぶ―――――――――っ!!!

 

俺は口の中のスイカを盛大に噴き出してしまった。

法事の直後だったもんだから着ていた白いシャツに薄いピンクの染みがつく。

「やーだ、お父さん汚いなあもう!!

楓は急いで部屋の中にあったティッシュを持ってきてその染みを

叩いて落とそうとする。

「げほげほっ!!き、気管に入った…。」

俺は傍にあった麦茶を一気飲みしていったん落ち着くと、

TPOフル無視でいきなり爆弾を投下した愛娘を涙目で見た。

「お、お前いきなり何言い出すんだ!さっき友恵の法事したばかりだろうが!!

母親の法事の直後に俺が今付き合ってる相手の話するか普通!!

お前、いちおう多感で難しいお年ごろだろうが!!

ああ、まあ『お父さん不潔!!』とか言われるより楽だけど。

でもどんだけクールなのお前。

楓はちらっと横目で俺を一瞥して、視線を遠くの山に向けた。

「法事の後だからだよ。」

はあ!?

楓は、はああ、とわざとらしい溜め息をついた。

 

おばあちゃん去年言ってたよね。

お母さんの法事もこれで七回忌が済んだんだから、

お父さんもちゃんと区切りをつけないといけないって。

おばあちゃんあの後、私にもこう言ったんだよ。

『いつか、お父さんに好きな人ができたら、楓は嫌かい?』って。

そんなの、相手にもよるよね。

もちろん、バーナビーさんなら全然OKだから。

さすがにお母さんとは呼べないけど。

向こうもそう呼ばれても困るだろうしね。

 

楓はあっけらかんと言って笑っている。

母ちゃん…当時小学生の孫に何言ってんだよ…。

「で、なんで今バニーの話なんだよ。」

「お父さんがいつまでも煮え切らないから。」

中学生になったばかりの娘にバッサリぶった斬られた…。

「ここらじゃあんまり聞かないけど、向こうは珍しくないんでしょ?

「何が?

楓はちょっとイラっとしたように言った。

「だから、シュテルンビルトは同性でも結婚するの、よくあるんでしょ?

ああ、あっちじゃ割とよく聞く…って何の話を始めるんだ!!

人事じゃねえんだぞ!

自分の親父の話なんだぞ!!

どんだけリベラルなんだお前。

小さかった楓も大人になったと喜ぶとこなんだろうか。

楓は正面切って俺に険しい顔を向けた。

それは懐かしくも恐ろしい、友恵のマジギレ顔とそっくりだった。

 

「バーナビーさん今年で何歳だっけ?

「えーと、再来月で27歳。」

「適齢期だよね。」

「それは女の数字だろ。男は30くらいだ。」

「あっきれた!!まさかあと3年ほっとくつもりじゃないよね!!

「んなわけねーだろ!

「待っててくれるのも時間の問題かもね。お父さんもう40のオジサンだし。」

「俺は昔からあいつにオジサン呼ばわりされてたから気にしないもんねー。」

「逃げられても気にしないのね?

「…します。」

「お母さんが亡くなって、バーナビーさんに逃げられて、次があるとでも?

「ひでえなオイ。次はないです、多分。」

「じゃあ、そろそろ踏ん切りつけてもいいんじゃない?

「…はーい。」

 

てか、俺なんで楓に退路断たれてんの?

いやまあ、退路なんてなくてもいいんだけどさ。

「やっぱり、お誕生日にプロポーズってのが一番ステキかな―。」

「そこだけ年頃の女の子らしいのな、お前…。」

楓はまたおっかない顔で俺を睨んだ。

「間違っても出動の直後、ドロドロのくたくたになってる時とかに言わないでよね!!

いや、いくら俺でもさすがにそれはねえわ。

汗まみれでアンダースーツ着てトランスポーターの中でとか、ありえねえだろ。

俺自身帰って風呂入って寝てえよ、そんな時。

 

「決まり!今年のお誕生日プレゼントは指輪だね!!

楓は妙に嬉しそうにはしゃいでいる。

おまえ、バニーのファンだったのに。

あこがれの王子様がこんなオッサンと結ばれる結末でいいわけ?

そう聞くと、楓は少し言いにくそうな顔で言った。

「あの時…お父さんが死んじゃったって思ったあの事件の時…。」

 

バーナビーさん、ものすごく取り乱して泣いてたの覚えてる?

お父さん大怪我してたから、聞こえてたか分かんないけど…。

虎徹さん、虎徹さんって涙流して何度も呼びかけてた。

あの時、気づいちゃったんだ。

TVの中のヒーロー“バーナビー“はいつもクールな感じだったけど、

あそこにいたバーナビーさんは、お父さんを大好きな一人の普通の人なんだって。

お父さんも、あの時すごく痛いはずなのに、バーナビーさんのこと

とっても優しい目で見てたんだよ。

ああ、お互いとっても大好きだったんだなって思った。

変だよね。

娘を差し置いてとか男同士なのにとか思わなかった。

どうしてか分かんないけど、見たまま受け入れちゃったんだよね。

自分の父親が死にかけてる時に考えることじゃないよね。

お父さんが死にそうなの、認めたくなかったのかもしれない。

あのね、お父さん。

私も、きっとお母さんも、お父さんに幸せになって欲しいの。

私なら大丈夫。

お父さんが誰と再婚したって、私は鏑木T虎徹の娘だから。

 

楓の話に俺は言葉が出なかった。

俺が今までバニーとの将来をはっきりさせなかったのは、

一つはこんなオッサンに前途有望なバニーの未来を

潰させていいのかって迷いだった。

そしてもう一つは、楓のことだった。

父子家庭の上に単身赴任で寂しい思いばかりさせた挙句、

父親が男と再婚なんて、年頃の娘が受け入れられるわけがない。

俺は親だから、バニーと楓の二択なら、楓を選ばなければならない。

そう思っていた。

だけど、それはバニーとの別れに直結するから…。

だから俺は、居心地のいいぬるま湯に浸かっていた。

俺は逃げていたのかもしれない。

楓からも、バニーからも。

そして知らない間に傷つけていたんだ。

楓のことも、バニーのことも。

そのことに気がついちまった以上、もう逃げるわけにはいかない。

 

「ありがとう、楓。お父さんすごく嬉しいよ。」

シュテルンビルトに戻ったら、時期を見てバニーにちゃんと話す。

俺がやっとの思いでそう言うと、楓はすごくいい笑顔で頷いた。

「ねえお父さん。それ、私が貰ってもいい?

楓はそう言って俺の左手の薬指を指した。

「再婚するのに、ずっとそれ付けてるわけにもいかないでしょ?

楓はそう言うと仏壇の前で手を合わせてから抽斗を開けた。

「お母さんのと一緒に、私が両方持ってたいの。」

そうか…。

そうだな、楓がそう望んでくれるならきっとそれが一番いい。

「お父さんたち初恋で結ばれたんでしょ?なんか縁起もよさそうだし。」

縁起…といわれると、友恵が早く逝っただけにちょっと微妙ではあるが。

恋愛成就という意味合いでなら、そうかもしれない。

「お前が持っててくれるなら、これ以上嬉しいことはないよ。」

俺は指輪を外して楓に手渡した。

「お父さんとお母さんも、楓の幸せを願ってるから。」

楓はちょっと涙ぐんだ顔で、俺の首筋に抱きついてきた。

 

遠くの山の端に夕陽が掛かる。

蝉時雨がどこかから聞こえる。

俺は楓を抱きしめたまま、そっと背後の仏間を振り返った。

 

友恵、お前と出会えてよかった。

この大切な娘を俺にくれてありがとう。

俺も必ず幸せになるよ。

もう、次の道へ行くことにするよ。

心の中にお前との沢山の想い出を持って。

 

ありがとう。

そして、さよなら、友恵。

 

続く→