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この道の果てまで
NC1980 10月上旬 シュテルンビルト
今日、虎徹さんはいつもより落ち着きがなかった。
もともと落ち着きとは無縁の人だけど、その質が何か違う気がする。
朝からPCに齧り付くように何かを調べていたようだけど、
検索の仕方が悪いのか欲しい情報がなかなか見つからないようだった。
「バニーちゃん、ちょっといいー?」
いつもなら猫なで声ですぐ僕を頼ってくるPC音痴の虎徹さんが、
今日は僕のほうをちらっと見ては、首をぶんぶん振って検索に戻る。
「手伝いましょうか?」
手伝ってと言われないと何故かそう言いたくなったが、止めた。
何かプライベートな調べもののような気がしたからだ。
就業中にそれはどうなんだろうとは思う。
まあ、以前に比べて賠償金関係の書類と格闘することも格段に減り、
形だけのオフィス出勤で時間が余るのはいいことなんだけど。
実際、出動とそれに伴う事後報告書の提出さえ済めば
僕らが会社でなすべき仕事はそれほどない。
僕自身、今日は珍しく芸能人まがいの仕事もなく、
経理女史の手伝いをしているほどの暇さ加減なのだから。
「あー、やっとできた。」
虎徹さんが疲れきった声でそう言ったのは退勤直前のころだった。
「お疲れ様です。何を調べてたんです?」
「んー、ちょっと法律関係。言葉の意味分かんなくて一日かかっちまった。」
虎徹さんはへらっと緩く笑った。
いやいや、笑って言うことじゃないでしょうそれ。
「法律って…何をやらかしたんですか一体。」
最近ものは壊してないと思うけど…。
僕がちょっと呆れてそう言うと、虎徹さんはだっと口癖の叫びをあげた。
「なんもやらかしてねえよ!!人聞き悪りぃな!!」
「実績がありすぎるんですよ。」
僕がそう言って笑うと、虎徹さんはちぇーと唇を尖らせた。
「なあ、司法局って何時までやってたっけ?」
司法局のどの部署かにもよるでしょう、そんなの。
とはいえこの時間だ。
「もう4時過ぎてますからね。この時間で開いているのは
ヒーロー業務部署と婚姻・出生死亡届の部署くらいだと思いますよ。」
僕がそう言うと、虎徹さんは慌ただしく書類を鞄にしまいこんだ。
「よかった、まだ開いてるのか。じゃあ司法局行って直帰するわ。」
なんだ、ヒーロー部署か。
それならあそこは24時間体制だ。
急いで出ていこうとして虎徹さんははたと足をとめた。
「あ、そうだ!バニー、あの人のメアド知ってるか?」
すみません、僕ジェイクじゃないんですが。
「誰のメアドですか?」
虎徹さんはえー、とかあーとか唸っている。
ああ、早期認知症始まっちゃったのかな。
って、もとからか。
「あれあれ、あの人だよ。いつもお前のスタイリストしてる…。
あのネイサンより綺麗なオネエっぽい人」
それファイヤーエンブレムさんに聞かれたら瞬殺で直火焼きだな。
「ああ、アーサーですか。分かりますけど、どうしたんです?」
虎徹さんは右斜め上に視線を泳がせた。
「いや、あの人も結構なレジェンドフリークでさ。俺のお宝貸す約束してんのよ。」
…これまた下手な嘘を。
「アーサーに了解を取った上で、メアドをメールしておきますよ。」
まあ、大した嘘でもないんだろう。
僕はあまり気にしないことにした。
「サンキュー!助かるよバニー!!あ、お前今日トレーニング行く?」
「はい、定時すぎたら行きます。」
じゃあまた後でなと言って虎徹さんはドタバタと騒々しく退勤していった。
「一日中、挙動不審ってある意味すごいな…。」
僕は静かになったオフィスで思わずつぶやいた。
法律関係の調べものとヒーロー部署?
もし僕らがヒーローとして法に触れることをすれば、
調べるまでもなくユーリ裁判官から出廷命令が会社に届く。
軽微なことなら本人ではなくロイズさんが間に立つこともある。
あの様子だと深刻なことじゃなさそうだけど…。
アーサーの件はそっちとは別件だろう。
レジェンドのお宝を貸すなんて嘘をついた意味が分からないけど。
虎徹さんのコレクションはもう市場に出回っていないものも多い。
メアドも知らない他人に、そんな貴重品を安易に貸すだろうか。
まあ、浮気の線はありえないからこの件は放置でいいか。
アーサーの趣味は虎徹さんみたいなタイプよりむしろ、
ロックバイソンさんみたいなガチムチだ。
オネエって皆ああいうタイプが好みなんだろうか。
「ああ、アーサーにメールだっけ。」
虎徹さんに彼のメルアドを教えてもいいかというメールを打ち、
僕は携帯を机の上に放り出した。
何か気になるところはあるけど、悪いようにはならないだろう。
だって…。
「虎徹さん、一日中なんか嬉しそうに笑ってたもんな…。」
好きな人が隣で笑ってるならそれでいい。
その理由なんて知らなくても、僕もそれだけで満たされるから。
その時、携帯の着信ランプが振動とともに光った。
送信者 アーサー
Re: メアド教えてもいいですか
バーナビーちゃん、久しぶりぃ♡
タイガーちゃんにならメアド教えてもいいわよ―。
なあに、タイガーちゃんったらあたしに
食べられちゃいたいのかしら―w
なんて、心配しなくてもいいからね。
あたしの本命はバイソンちゃんだからw
ぶちゅ、という音が聞こえそうな大げさなキスのポーズの写真付きだ。
「…うわあ。このまま転送しよう。」
あまりにもくどいこの本文を転送しておけば
100%間違いは起きないだろう。
間違いが起ころうとした途端、虎徹さんが全力で逃げるのが目に浮かぶ。
「それはそれで、ちょっと見てみたいかも。」
メールを転送しながら、僕は想像して思わず笑ってしまった。