逃げたウサギはどこに
Side Bunny
お前、世界中フラフラしてたんなら
一回くらいオリエンタルタウンにも来いよなー。
薄情な奴だなー。
僕たちがヒーローに復職してしばらくたった頃
二人飲みの席で虎徹さんはそう言って笑いながら焼酎を呷った。
「すみませんね。知らない世界に浸るのが楽しかったんですよ。」
僕がそう言うと彼はなんだか満足そうに頷いている。
「まあ、バニーが楽しくやってたんならそれはそれでいいさ。」
そんなことを言いながら。
ねえ虎徹さん。
僕、本当は一度だけオリエンタルタウンに行ったんですよ。
貴方に会いたくて。
そう言ったら貴方はどう思うだろうか。
今でも僕は『過去の亡霊』ですか?
それとも…。
あれは去年の冬の終わりごろだった。
あちこちを彷徨うように旅していた僕は時々シュテルンビルトに戻っていた。
別にこの街に未練があったわけじゃない。
単に渡航ビザの関係で一旦帰国する必要があっただけだ。
マンションはマーべリック名義だったので処分しようにも
不良物件扱いだったので買い手がつかず、相続人指定のままに僕が貰った。
実家を焼かれたことを考えれば人にとやかく言われる謂われもないだろう。
まあ、偶に帰る時に戻る場所があるのはいいかと思った。
それでもあの街はその頃の僕にはひどく居心地が悪かった。
僕はマーべリックの手駒だったとする噂がまことしやかに流れていたからだ。
犯罪者の先鋒、虚構の王子様、はては八百長ヒーローとまで。
もっと聞くに堪えない種類の流言飛語も耳にした。
時には変装して黙って歩かねば身の危険を感じるほどだった。
ああ、頂点にいた人間を貶めるのに快感を感じる人間は多いんだ。
僕はなぜか他人事のようにそう思った。
市民がそう言う情報に踊らされたとしても仕方がない。
今はこらえなければならない。
でも、愚かな僕はつい考えてしまった。
虎徹さんが隣にいたら…もう少し耐えられたかな…と。
彼が傍にいれば、僕は少なくとも独りじゃないとは思えただろう。
虎徹さんに会いたい。
そう思うと僕はいてもたってもいられず、マンションに置きっぱなしだった
愛車にイグニッションキーを突っ込んだ。
ずいぶん放置したけどエンジン大丈夫かな。
もう、それくらいしか考えていなかった。
オリエンタルタウンまでは300マイル以上の道のりだ。
出来れば夕方までにはあっちに着きたい。
宿も決めてないし、土地勘のない田舎で道に迷いたくない。
僕は法定速度を超えては制限速度内に戻しを繰り返した。
スピード違反なんかで捕まったらそれこそ何を言われるか。
胃のあたりにキリキリした痛みを感じながらも、
僕は背を伸ばし正面を見据えて緩やかなカーブに沿ってハンドルを切った。
目の前にフリーウェイの料金所が見えてきた。
あそこを出れば、少しは空気が良くなる。
やがてシュテルンビルト市内を出て郊外へ続くアウトバーンに
車が滑り込むと僕はふうっと息を吐いた。
ここからは制限速度100マイルだ。
憂さ晴らしのように力いっぱいアクセルを踏み込んだ。
パワーはあまりないけどその分スピード馬鹿なこの車は
取り扱いが繊細で一歩間違うと大惨事。
まるでお前みたいだって虎徹さんは随分前に言ったことがあった。
虎徹さんの4WDだってとんだパワー馬鹿でどんな悪路も
ずかずか入りこんでいくのが本人みたいだって言いあったっけ。
全くその通りだ。
あの人なら、こんな人生の悪路どうにか切り抜けるんだろう。
最愛の伴侶の死だって何とか乗り越えた強い人だから。
それに比べて僕ときたら…。
自虐の無限回廊に足を突っ込みかけて僕は思いなおした。
その話はまたにしよう。
今ここでそれを考えたら運転を誤って父さんたちの処へ一直線だ。
ここで死んだらまたゴシップ紙が喜ぶだろうなあ。
偽りの英雄、良心の呵責の果てに自死か!?
見出しはそんな感じかな。
誰がそんな陳腐な記事書かせてやるものか。
そんなくだらないことを考えているうちに、車はフリーウェイの終点についた。
ここからは国道沿いにひたすら一本道だ。
とはいえ距離はまだ50マイル近くあるんだけれど。
この様子なら午後遅くには着きそうだ。
僕はスピードを落とし、ゆっくりと国道に降りて行った。
それから走ること二時間弱、国道をまたぐような大きな赤い門が見えた。
“Welcome to Orientaltown−いらっしゃいませ!”
どうやらここがオリエンタルタウンの街の端らしい。
とうとうやってきたんだ。
虎徹さんの故郷に…。
とはいえ、僕は虎徹さんの実家がどこにあるのか知らない。
とりあえず街の中心地に出て宿を決めよう。
そこから彼に電話すればいい。
その前にこの街をゆっくり見て回るのもいいな。
僕は呑気にそう考え、市街地方面と書かれた道路標識に従って
やや細い道にハンドルを切った。
あの町は長閑で鄙びた場所だった。
とはいえ、ここでもヒーローTVは放送されているはずだし、
面が割れていることに違いはない。
僕は市街地に入る前に簡単な変装をしておくことにした。
と言っても髪を束ねて地味な黒縁眼鏡に掛け替え、
特徴のないジャケットを羽織るだけだけど。
生で僕を見たことがないこの地方の人なら気づきはしないだろう。
もはや国中がアウェイかもしれない僕にとって
逃げ場のない場所で糾弾されるのは危険すぎる。
虎徹さんの故郷の人がそんな人ばかりだと思いたくないけど。
どうも周りが敵だらけに思えて、らしくもなく逃げたくなる。
自覚してる以上に疲れてるのかもしれない。
僕は今日のところは宿を取って、
虎徹さんに連絡するのは明日にしようと決めた。
そう決めた途端、早く宿で横になりたいという気になってくる。
ナビをみる限り、この道沿いに住宅や主な公共施設があるようだ。
もっとも道路標識以外の看板が日本語ばかりで
僕にはどの施設が何かさっぱり分からないけど。
宿を先に押さえるなら駅前かな。
ふと見ると前方の道路標識に駅は左折と書いてあった。
駅は国道から少し外れたところにあるようだ。
国道からやや細い側道へ車を進めると、ロータリーの真ん中に
街の入り口にあった紅い門がここにもものすごい存在感で立っていた。
宿は駅のすぐ傍に見つかった。
“business hotel”という謎のホテルがあった。
言っちゃ悪いが、こんなド田舎にビジネスで来る客がそんなにいるんだろうか。
まあいいや。
見たところ連れ込み宿というわけではなさそうだし。
それにそれ系は確かラブホテルというはずだ、こっちの人は。
…つまらない言葉を覚えてしまったもんだとは思うけど。
僕は宿のパーキングに車を止め、ホテルの入り口に向かおうとした。
その時、パーキング敷地の向こうに小さなカフェを見かけた。
そう言えば昼前から車を飛ばしてきたから昼食がまだだ。
あそこで先にランチを取ってからチェックインしよう。
僕はカフェの入り口をくぐった。
それがまさかあんなことになるなんて。
僕は店の一番奥に席を取り、入口に背を向ける格好で座った。
紅茶とサンドイッチのセットで遅い昼食を取っていた時だった。
「ちわーす!鏑木酒店です!!」
聞きなれたその声に僕は驚いて思わず声を出しそうになった。
その時僕は何故か身を縮こまらせた。
虎徹さんは僕に気づかず店のオーナーと話し始めた。
「あらお世話さま。はいこれお勘定。」
「毎度ー!」
「ねえ虎徹君、貴方再婚とか考えてないの?」
「えー?誰がこんな子持ちのオッサンと再婚してくれるんすか。」
「だって友恵が亡くなってもうずいぶんたつし…。」
「…まだ6年すよ。忙しかったし、それどころじゃなかったっすわ。」
「シュテルンビルトに恋人いなかったの?綺麗な人いっぱいいるんでしょ。」
「恋人!?居ねえっすよそんなもん!俺はずーっと友恵一筋。今までもこれからも。」
「友恵も果報者よね。こんなに愛してくれる旦那さんがいて。」
「もー、こっぱずかしいからやめてくださいよ。お義姉さん。」
耳が、聴こえなくなったかと思った。
ああ、もういっそ聴こえなくなったらどんなに楽だろうかとも。
虎徹さんがこの町で嘘を吐く必要などない。
今までもこれからも、彼は友恵さん一筋だった…。
そうだ…虎徹さんは僕にだって嘘はつかなかった。
彼は一度も指輪を外さなかったし、将来の話をすることもなかった。
僕が勝手に夢を見ていただけだったんだ。
はは…馬鹿じゃないのか僕は。
勝手に盛り上がってこんな田舎まで車を飛ばしてきて。
もう、彼に逢う必要はない。
いや、逢うわけにはいかない。
今更過去の亡霊が現れたって迷惑なだけだ。
帰ろう、シュテルンビルトに。
僕は伝票を掴んで席を立った。
5ドルのランチに20ドル紙幣を置いて早口でオーナーに釣りは要らないといった。
「あ、あの!?今なんて…。」
僕の英語が分からなかったらしいオーナーは傍にいた虎徹さんに助けを求めた。
「え!?」
虎徹さんが僕に気がついた。
僕は彼を振り返りもせず足早に店を出た。
愚かにも、追いかけてきてくれるだろうかなどという未練を抱きながら。
結局、虎徹さんが僕を追ってくることはなかったけれど。
「おいバニー!」
彼が僕を呼ぶ幻聴まで聞こえた時、僕はとうとう自分の愚かさに涙が出た。
そこからの帰路は全く覚えていない。
あの雪の高速道路をよくもまあ事故も起こさず帰れたものだと思う。
その日の深夜、シュテルンビルトに帰りついた僕は
マンションの冷え切った部屋に戻ると即座にネットを立ち上げた。
どこでもいい。
ここじゃないどこかに行きたかった。
この町から遠く離れた、僕の事を誰も知らない場所へ。
ああ、ここがいい。
僕は明日の朝一番の航空券を購入した。
フライト時間15時間、シュテルンビルトから直行でいける
一番遠い街への片道切符。
ネットで決済して携帯でQRコードを読み込んで僕の次の遁走先が確定した。
「さよなら…。」
僕は誰に言うでもなく、そう呟いた。