Side Bunny
長いフライトを終えた僕は空港のロビーに座っていた。
いろいろありすぎて僕は疲れ切っていた。
さあどこに行こうか。
まずはホテルを押さえないとな。
そんなことを考えてると、目の前の大型モニターに海が映った。
バカンスなら絶対こういうとこ行くんだろうけど
リアル現実逃避旅ではどうも綺麗な海という気分にはなれないなあ。
薄いコーヒーを飲みながらぼんやりとモニターを見ていると、
OBCとアポロンメディアのロゴが映った。
よく見るとモニターの下に姉妹都市シュテルンビルト寄贈とある。
なんてことだ。
これじゃこんな地の果てまで逃げた意味もない。
僕は席を立ちこの場所を去ろうとした。
その時思いがけず聞こえた彼の声が僕の足を止めた。
虎徹…さん…?
どうして?
テロップには“ワイルドタイガー緊急記者会見”とある。
現地では生放送だったようだが、これはその録画と小さくテロップが出ている。
これは…どういうことだ!?
引退したはずの虎徹さんが何を会見すると…。
傍にはロイズさんやベンさん、ペトロフ管理官まで。
僕はもう一度椅子に腰を下ろした。
>バーナビーは潔白です。
この記者会見は、虎徹さん…いやワイルドタイガーが僕の身の潔白を訴え、
マスコミの僕に対する報道を事実無根、名誉棄損だと訴えるものだった。
>彼は私に会いに故郷まで来てくれたのですが、
ちょっとしたすれ違いがあって、一瞬顔を合わせただけに終わりました。
ですが…バーナビーは驚くほどやつれた顔をしていた。
彼の身に何かあったのは明白でした。
メールも電話も出ようとしないバーナビーに異常を感じ、
それで私は今朝早くにこの街に戻ってきました。
虎徹さんが…僕を追ってあの日の翌日シュテルンビルトに!?
メールも電話も出ない僕を案じてシュテルンビルトに来たって…。
僕は慌てて携帯を開いた。
切りっぱなしだった電源を入れ着信履歴を慌てて確認すると
そこには虎徹さんからのメールや留守電がびっしりと表示されていた。
オリエンタルタウンに来たことを問うメール。
カフェのオーナーとの会話の誤解と真意。
オリエンタル人の風習で、亡妻の遺族を慮って再婚の意思はないと言ったこと。
友恵さんのお姉さんに当たるオーナーもその辺の機微は分かっていること。
そしてその異文化を知らない僕が会話を額面通りに受け取ったことで
生まれた心のすれ違いだったということ。
知らなかったとはいえ、お前を傷つけてしまった。
本当に済まなかった。
どうか許して欲しい。
虎徹さんは僕に哀しい思いをさせたことを何度もそう詫びていた。
最後の留守電メッセージは声が震えていた。
「さよならってお前…。バカなことを考えるんじゃない!思いとどまれ!!」
貴方は奥様一筋なんでしょう?
だったらサヨナラじゃないですか。
僕は泣きたい気持ちで突っ込んでやりたくなった。
あの日僕は帰る途中、虎徹さんが一度電話してきたのを無視した。
出れば止め処なく泣き言を言ってしまいそうだったから。
どうせ忘れられるのなら、綺麗に別れたいというせめてもの意地だった。
だから僕はそれ以降携帯の電源を切った。
一度だけ、フライトの手配で携帯を使うために電源を入れたが
着信履歴は見もせずに再び電源をオフにした。
けれどそれが、彼をさらなる恐慌に陥れたようだ。
しかし会見の虎徹さんは酷く落ち着いていた。
でも、眼を見れば分かる。
彼は怒っている。
静かに、今までにないほど丁寧な口調で話す虎徹さんは
激しい怒りを必死で抑えている。
虎徹さんは始めのうちこそ丁寧な態度で答えていたが、
「ワイルドに吠えるぜ」という決め台詞をきっかけに豹変した。
激しい口調で根も葉もない話を世間に垂れ流した報道陣を非難し続けた。
僕の…ために…。
やがてロイズさんに制止されると、虎徹さんは一転
穏やかな口調で僕に呼びかけ始めた。
>バーナビーの命が掛かってるかもしれないんで。
…え?
どういう意味だと僕は困惑した。
虎徹さんは僕に切々と呼びかける。
>バニー…。
今まで辛かったな。
気づいてやれなくてごめんな。
でも、もう大丈夫だから。
だから、ここに帰っておいで。
そう言って差し出された彼の左手には…あの結婚指輪がなかった。
どういう…ことだ!?
>今どこにいるんだ?
この会見を見てたら連絡してほしい。
「今までありがとうございました。さようなら。」
こんなメモ紙一枚で終りにしないでくれ。
俺これみた時、遺書かと思って血の気引いたんだぞ?
いやだから何それ!?
遺書!?
誰の?…って僕の!?
僕、確かに守衛さんに行き先と期間言ってきたのに。
虎徹さんは片手にあのメモを持っている。
それは僕のギリギリのプライドだった。
どうせさよならするのなら、僕が振った立場になりたい。
奥さんの眠る地に帰るからお役御免みたいに
捨てられるのは我慢がならなかった。
それも…会いに来てくれるかは勝算の乏しい賭けだったけれど。
虎徹さんは僕に会いにマンションまで来てくれた。
そこまではいい。
正直言ってすごく嬉しい。
メモは虎徹さんの手に渡ったけど、どういうわけか
海外へ行って2か月は戻らないというメッセージは伝わらなかった。
その結果…彼はあのメモを遺書だと思った!?
虎徹さんに振られ、シュテルンビルトではあの仕打ちを受け、
もう生きることに疲れ果てて死に場所を探して失踪したと!?
ああ…なんて言うか…ごめんなさい。
それ、貴方の勘違いです…。
>バニー、お願いだ。
どうか馬鹿な真似だけはしないでくれ。
お前らしくないぞ。
こんな不当な仕打ちに屈するなんて。
ええ、そのとおりです。
マスコミや世間を相手に喧嘩する気力はありませんが、
おっしゃる通り僕はそれで自殺するタマでもありません。
何もかもめんどくさくなって海外に逃げただけです。
画面の中の虎徹さんは、とても優しい眼で指輪のない左手を
どこにいるともしれない僕に向かって差し伸べてくれる。
僕が最悪の決断をしないようにと必死で呼びかけてくれている。
>俺、ずっとお前の事待ってるから。
だから、帰っておいで…。
報道陣がしんと静まり返った。
会見の最後に虎徹さんは途中で言葉を荒げたことを詫び、
報道陣に、そして放送を見ている市民に静かな声で訴えた。
「お願いです。もうこれ以上…あいつを傷つけないでください。」
そう言って彼は立ち上がり、カメラに向かって深々と頭を下げた。
会見は水を打ったような沈黙のまま終了した。
「虎徹さん…。」
僕は気がつくと涙が止まらなくなっていた。
会いたい…。
貴方のところに帰りたい…。
今でも貴方の腕の中に、僕の帰る場所はありますか?
その伸ばされた左手の意味を信じてもいいですか?
「虎徹さん…!!」
逃げたウサギはどこに行ったのか。
懸命に探す彼を安心させてあげたい。
顔をあげて涙を拭うと握り締めたままの携帯を開いた。
「虎徹さん、僕はここにいます。」
僕は着信履歴を埋め尽くすそのナンバーをコールした。
「もしもし…虎徹さん?」